
第41段
徒然草の「五月五日、賀茂の競べ馬を見はべりしに」から始まる段(第41段「五月五日、賀茂の競べ馬を」)を、全文・現代語訳・文法でいっしょに読みます。
解説:ミスターT先生(京都大学文学部出身の古文の先生。合格大作戦のキャラクターの合格先生に古典を叩き込んだ師匠)
この段を30秒で(あらすじと要点)
- あらすじ:五月五日、兼好が賀茂の競べ馬を見に行くと、人が多くて見えない。向かいの楝の木の上で、法師が落ちそうになりながら居眠りしており、人々は「ばか者だ」と笑った。兼好が「わたしたちの死もたった今来るかもしれないのに、それを忘れて見物しているほうがもっと愚かだ」と言うと、人々は納得して兼好に場所をゆずった。
- 文法の要点:強意+可能・推量の「ぬべし」、存在の「なり」(向かひなる・前なる)、係り結び(もや〜あらん・こそ〜けれ)、詠嘆の「けり」、反語「誰かは」、結びの省略「にや」、二重否定「なきにあらず」、丁寧語「はべり・候ふ」。
- テストの定番:「生死の到来、ただ今にもやあらん」の意味、兼好が法師より愚かだと言ったのは誰か、「なきにあらず」の二重否定の訳がよく問われる。



この段で覚える文法(テストに出る順)
- ぬべし=強意+可能・推量(分け入りぬべき・落ちぬべき)
- 存在のなり(向かひなる楝の木・前なる人ども)
- 係り結び:ただ今にもやあらん・さにこそ候ひけれ(詠嘆のけり)
- 反語誰かは〜ざらんと、結びの省略にや(あらん)
- 二重否定なきにあらず=ないわけではない
「五月五日、賀茂の競べ馬を」はどんな段?(賀茂の競べ馬と無常観)
第41段は、兼好自身の体験談です。文末に直接体験の過去「き」や、読者への丁寧語「はべり」が使われていることから、兼好が見聞きしたことを語っていると分かります。舞台は、京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)で五月五日に行われる競べ馬。牛車で見物に来たのに、人が多くて馬場が見えない場面から始まります。
向かいの木の上では、法師が居眠りをしては落ちそうになって目を覚まし、人々は「ばか者だ」とあざ笑います。そこで兼好は、「わたしたちの死も、たった今やって来るかもしれない。それを忘れて見物している自分たちのほうが、もっと愚かだ」と言いました。人はいつ死ぬか分からないという無常観を、目の前の光景に重ねたひとことです。
すると人々は「本当にそのとおりです」と感心し、兼好をよい場所に呼び入れてくれました。兼好は最後に、「これくらいの道理はだれでも知っているが、そのときの状況で心にひびいたのだろう。人は木や石ではないから、時には心を動かされる」と結んでいます。
本文と現代語訳・文法(1文ずつ)
色の見方:過去 完了・存続 推量・推定・意志 使役・受身・尊敬 断定 打消 敬語 係りの語 結びの語(色の語にふれると説明が出ます)
1
五月五日、賀茂の競べ馬を見はべりしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒のきはに寄りたれど、ことに人多く立ちこみて、分け入りぬべきやうもなし。
現代語訳五月五日、上賀茂神社の競べ馬を見物しましたときに、(乗ってきた)牛車の前に身分の低い人々が立ちふさがって見えなかったので、(同乗の者が)それぞれ車から降りて、馬場の柵のそばに近寄ったけれど、特に人が大勢立ちこんでいて、分け入ることができそうな様子もない。
- 「見はべりし」の「はべり」は丁寧語(〜ます)で、書き手の兼好から読者への敬意。「し」は直接体験の過去「き」。兼好自身の体験談だと分かる。→「侍り」の丁寧語と謙譲語
- 「見えざりしかば」は「已然形+ば」で確定条件(〜ので)。→接続助詞「ば」の仮定条件と確定条件
- 「分け入りぬべき」の「ぬ」は強意、「べき」は可能で「きっと分け入ることができそうな」。「ぬべし」はひとまとまりで覚える。→助動詞「べし」の意味(可能・推量・当然)
- 「競べ馬」は二頭ずつ馬を走らせて速さを競う行事。「雑人」は身分の低い人々、「埒」は馬場の柵。


2
かかる折に、向かひなる楝の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。
現代語訳このようなときに、向かい側にある楝の木に、法師が登って、木の股にちょこんと座って、見物している者がいる。
- 「向かひなる」の「なる」は断定「なり」の存在の用法(〜にある)。場所を表す言葉の下の「なる」は「〜にある」と訳す。→断定の助動詞「なり」と存在の用法
- 「楝(あふち)」はセンダンの木。「ついゐる」は「ひざをついて座る・ちょこんと座る」。
- 「物見るあり」は「物見る(者)あり」で、「見物している者がいる」。連体形の下に「者」をおぎなう。



出典:西川祐信 画『絵本徒然草(祐信画鑑)』上巻(国立国会図書館デジタルコレクション)
3
取りつきながら、いたう眠りて、落ちぬべき時に目を覚ますこと、たびたびなり。
現代語訳(木に)しがみつきながら、ひどく居眠りをして、今にも落ちそうになるときに目を覚ますことが、何度もある。
- 「いたう」は「いたく」のウ音便で「ひどく・たいそう」。→古文の音便(ウ音便・イ音便)
- 「落ちぬべき」は「きっと落ちてしまいそうな」。強意の「ぬ」+推量の「べし」。
4
これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ者かな。かく危ふき枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ。」と言ふに、
現代語訳これを見る人々が、ばかにしてあきれて、「なんと、とんでもないばか者だなあ。こんなに危ない枝の上で、(よくも)安心して眠っているのだろうよ。」と言うので、
- 「しれ者」は「ばか者・愚か者」。「かな」は詠嘆の終助詞(〜だなあ)。→終助詞の一覧(かな・ばや・なむ)
- 「眠るらんよ」の「らん(らむ)」は現在推量(今ごろ〜しているのだろう)。目の前の法師のようすに、「どうしてあんなに安心して眠っているのだろう」とあきれている。→現在推量の助動詞「らむ」
- 「あさむ」は「あきれる・おどろく」。


5
わが心にふと思ひしままに、「我らが生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚かなることはなほまさりたるものを。」と言ひたれば、
現代語訳(わたしが)心にふと思ったとおりに、「わたしたちの死がやってくるのは、たった今かもしれない。それを忘れて、見物をして一日を過ごす(わたしたちの)愚かさは、(あの法師より)なおまさっているのになあ。」と言ったところ、
- 「ただ今にもやあらん」の「に」は断定「なり」の連用形、「や」は疑問の係助詞で、結びは推量「ん」の連体形。「たった今であるかもしれない」。→係り結びの法則(や・か〜連体形)
- 「生死の到来」は「死がやってくること」。人はいつ死ぬか分からない、という無常観の言葉。
- 「ものを」は文末で、詠嘆・逆接(〜のになあ)を表す。法師を笑う人々こそ、もっと愚かだという意味がこもる。→接続助詞の一覧(ものを・ものから)


6
前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。最も愚かに候ふ。」と言ひて、みな後ろを見返りて、「ここへ入らせたまへ。」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。
現代語訳前にいた人々が、「本当にそのとおりでございました。まったく愚かでございます。」と言って、みな後ろをふり返って、「ここへお入りください。」と言って、場所をあけて、(わたしを)呼び入れてくれました。
- 「さにこそ候ひけれ」の「けり」は、今はじめて気づいた詠嘆(〜だったのだなあ)。係助詞「こそ」を受けて已然形「けれ」で結ぶ。→「けり」の過去と詠嘆
- 「候ふ」は丁寧語で、話し手の前の人々から、聞き手の兼好への敬意。「入らせたまへ」は尊敬「す」+尊敬「たまふ」で、兼好への敬意。→敬語の方向(誰から誰への敬意か)
- 「前なる」の「なる」も存在の「なり」(前にいる)。さっきまで法師を笑っていた人々が、兼好の言葉に感心して、よい場所をゆずってくれた。

7
かほどの理、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当たりけるにや。
現代語訳これくらいの道理は、だれが思いつかないだろうか、いや、だれでも思いつくことであるけれども、そのときの状況から、思いがけない気持ちがして、胸にひびいたのであろうか。
- 「誰かは〜ざらん」は反語(だれが〜ないだろうか、いや、だれでも〜する)。「かは」を見たら、まず反語を疑う。
- 「当たりけるにや」は、下の「あらん」が省略された形。「〜であろうか」と訳す。「にや」「にか」「にこそ」の結びの省略は入試によく出る。→「に」の識別(断定の「に」+係助詞)
- 「折から」は「ちょうどそのときの状況から」。「胸に当たる」は「心にひびく」。


8
人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずることなきにあらず。
現代語訳人は、木や石ではないので、時によっては、物事に感動することがないわけではない。
- 「木石にあらねば」の「に」は断定「なり」の連用形。「〜にあらず」で「〜ではない」。「ね」は打消「ず」の已然形で、「已然形+ば」は確定条件(〜ので)。→打消の助動詞「ず」の活用(ね・ぬ)
- 「なきにあらず」は二重否定(ないわけではない=ある)。人には心があるから、ふとした言葉に動かされることもある、という結び。
- 「木石」は「心を持たない木や石」。中国の古い詩文にもある言い方。

本当に愚かなのは誰か(法師と見物人を図でくらべる)

重要な古語(単語帳)
| 古語 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
| 競べ馬 | くらべうま | 馬を走らせて速さを競う行事 |
| 雑人 | ぞうにん | 身分の低い人々 |
| 埒 | らち | 馬場の柵 |
| 楝 | おうち | センダンの木 |
| ついゐる | ついいる | ひざをついて座る・ちょこんと座る |
| いたう | いとう | ひどく・たいそう(いたくのウ音便) |
| あざける | あざける | ばかにして笑う |
| あさむ | あさむ | あきれる・おどろく |
| しれ者 | しれもの | ばか者・愚か者 |
| 生死の到来 | しょうじのとうらい | 死がやってくること |
| かほど | かほど | これほど |
| 理 | ことわり | 道理 |
| 折から | おりから | ちょうどそのときの状況から |
| 木石 | ぼくせき | 心を持たない木や石 |
テストに出る問題(答えは押すと開く)
問1 「分け入りぬべきやうもなし」の「ぬべき」を文法的に説明しなさい。
強意の助動詞「ぬ」の終止形+可能の助動詞「べし」の連体形。「きっと分け入ることができそうな」。
問2 「向かひなる楝の木」の「なる」の意味は?
存在(〜にある)。断定の助動詞「なり」の連体形。
問3 人々は木の上の法師を何と言って笑ったか。
「世のしれ者かな。かく危ふき枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ。」(なんとばか者だ、こんな危ない枝の上で安心して眠っているのだろう)
問4 兼好が人々に言った言葉の要点を答えなさい。
自分たちの死もたった今来るかもしれないのに、それを忘れて見物して日を暮らすのは、法師よりもっと愚かだということ。
問5 「さにこそ候ひけれ」の「候ひ」は誰から誰への敬意か。
丁寧語で、話し手の前にいた人々から、聞き手の兼好への敬意。
問6 「誰かは思ひよらざらんなれども」を現代語訳しなさい。
「だれが思いつかないだろうか、いや、だれでも思いつくことであるけれども」。反語。
問7 「胸に当たりけるにや」の「にや」のあとに省略されている語は?
「あらん(あらむ)」。
問8 「物に感ずることなきにあらず」を現代語訳しなさい。
「物事に感動することがないわけではない」。二重否定。

徒然草「五月五日、賀茂の競べ馬を」原文(全文・通し)
1文ずつ区切らずに、原文を通して読みたい人・音読したい人のための全文です。
五月五日、賀茂の競べ馬を見はべりしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒のきはに寄りたれど、ことに人多く立ちこみて、分け入りぬべきやうもなし。
かかる折に、向かひなる楝の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。
取りつきながら、いたう眠りて、落ちぬべき時に目を覚ますこと、たびたびなり。
これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ者かな。かく危ふき枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ。」と言ふに、
わが心にふと思ひしままに、「我らが生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚かなることはなほまさりたるものを。」と言ひたれば、
前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。最も愚かに候ふ。」と言ひて、みな後ろを見返りて、「ここへ入らせたまへ。」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。
かほどの理、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当たりけるにや。
人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずることなきにあらず。
徒然草「五月五日、賀茂の競べ馬を」現代語訳(全文・通し)
五月五日、上賀茂神社の競べ馬を見物しましたときに、(乗ってきた)牛車の前に身分の低い人々が立ちふさがって見えなかったので、(同乗の者が)それぞれ車から降りて、馬場の柵のそばに近寄ったけれど、特に人が大勢立ちこんでいて、分け入ることができそうな様子もない。
このようなときに、向かい側にある楝の木に、法師が登って、木の股にちょこんと座って、見物している者がいる。
(木に)しがみつきながら、ひどく居眠りをして、今にも落ちそうになるときに目を覚ますことが、何度もある。
これを見る人々が、ばかにしてあきれて、「なんと、とんでもないばか者だなあ。こんなに危ない枝の上で、(よくも)安心して眠っているのだろうよ。」と言うので、
(わたしが)心にふと思ったとおりに、「わたしたちの死がやってくるのは、たった今かもしれない。それを忘れて、見物をして一日を過ごす(わたしたちの)愚かさは、(あの法師より)なおまさっているのになあ。」と言ったところ、
前にいた人々が、「本当にそのとおりでございました。まったく愚かでございます。」と言って、みな後ろをふり返って、「ここへお入りください。」と言って、場所をあけて、(わたしを)呼び入れてくれました。
これくらいの道理は、だれが思いつかないだろうか、いや、だれでも思いつくことであるけれども、そのときの状況から、思いがけない気持ちがして、胸にひびいたのであろうか。
人は、木や石ではないので、時によっては、物事に感動することがないわけではない。
徒然草「五月五日、賀茂の競べ馬を」原文と現代語訳の印刷用ページ(A4・左右に並べて)
よくある質問(徒然草の基本)
徒然草の作者は誰?
兼好法師(吉田兼好・卜部兼好)です。もとは朝廷に仕えた役人で、のちに出家しました。歌人としても知られます。
徒然草はいつの作品?
鎌倉時代の終わりごろ、1330年ごろにまとめられたとする説が有力ですが、諸説あります。
徒然草の冒頭(書き出し)は?
序段の「つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」です。
徒然草はどんな作品?
序段と243の段からなる随筆で、清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』と並ぶ三大随筆の一つです。無常観(すべては移り変わるという考え)、人の生き方、季節の趣、おもしろい失敗談など、話題はさまざまです。
徒然草の目次(教科書に出る段)
徒然草の入口(教科書に出る段の一覧・作者兼好法師と無常観) 「定番」は教科書によく出る段です。
- 徒然草「つれづれなるままに」(序段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「いでや、この世に生まれては」(第1段)の原文・現代語訳
- 徒然草「あだし野の露消ゆる時なく」(第7段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「家居のつきづきしく」(第10段)の原文・現代語訳
- 徒然草「神無月のころ」(第11段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「人は己をつづまやかにし」(第18段)の原文・現代語訳
- 徒然草「折節の移り変はるこそ」(第19段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「九月二十日のころ」(第32段)の原文・現代語訳 定番
- 五月五日、賀茂の競べ馬を(第41段・このページ)
- 徒然草「公世の二位のせうとに」(第45段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「亀山殿の御池に」(第51段)の原文・現代語訳
- 徒然草「仁和寺にある法師」(第52段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「これも仁和寺の法師」(第53段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「真乗院に、盛親僧都とて」(第60段)の原文・現代語訳
- 徒然草「筑紫に、なにがしの押領使」(第68段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「名を聞くより」(第71段)の原文・現代語訳
- 徒然草「世に語り伝ふること」(第73段)の原文・現代語訳
- 徒然草「人の心すなほならねば」(第85段)の原文・現代語訳
- 徒然草「奥山に、猫またといふもの」(第89段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「ある人、弓射ることを習ふに」(第92段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「荒れたる宿の」(第104段)の原文・現代語訳
- 徒然草「高名の木登り」(第109段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「友とするにわろき者」(第117段)の原文・現代語訳
- 徒然草「花は盛りに」(第137段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「能をつかんとする人」(第150段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「世に従はん人は」(第155段)の原文・現代語訳
- 徒然草「相模守時頼の母は」(第184段)の原文・現代語訳
- 徒然草「一事を必ずなさんと思はば」(第188段)の意味と現代語訳 定番
- 徒然草「平宣時朝臣」(第215段)の原文・現代語訳
- 徒然草「丹波に出雲といふ所あり」(第236段)の原文・現代語訳 定番
- 徒然草「八つになりし年」(第243段)の原文・現代語訳 定番

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本文は『徒然草』を、教科書で広く読まれる形にそろえ、新字体・歴史的仮名遣いに直したものです(参考にした古い本:Wikisource の徒然草、大正の『校註日本文學大系』)。徒然草は本によって語句が少しずつちがいます。段の番号は広く使われている番号(序段と第1〜243段)です。現代語訳・解説・問題・図は合格大作戦のオリジナルです。挿絵は著作権の切れた古い絵です(それぞれの絵の下に出典)。文法の用語は合格大作戦の古文文法辞典に合わせています。


