
回想章段
枕草子の回想章段「職の御曹司におはしますころ」(雪山の段)を、全文・現代語訳・文法でいっしょに読みます。中宮定子の庭に作った雪の山が、いつまで残るかを賭けた、長くてにぎやかな思い出話です。
解説:ミスターT先生(京都大学文学部出身の古文の先生。合格大作戦のキャラクターの合格先生に古典を叩き込んだ師匠)
この段を30秒で(あらすじと要点)
- あらすじ:中宮定子が職の御曹司にいた冬、庭に大きな雪の山を作り、いつまで残るかを女房たちと賭ける。作者だけが「正月十五日ごろまで」と言い張り、番人の木守に見張らせるが、十五日の朝には消えていた。実は中宮が十四日の夕方に取り捨てさせていたと明かされ、帝も加わって作者をからかう。
- 文法の要点:最高敬語(せたまふ・させたまふ)、二方面への敬語(聞こえさせたまふ)、謙譲の補助動詞「たまふ」(思ひたまふる)、絶対敬語「啓す」、反実仮想の「なまし」、強意+推量の「なむ」「ぬべし」、こそ…已然形の逆接。
- テストの定番:主語が省かれた文で、敬語から中宮・帝・作者を見分ける問題。「おどろく」=目を覚ます、「あさまし」=あきれる、「はしたなし」=きまりが悪い、「かたはらいたし」=いたたまれない。



この段で覚える文法(テストに出る順)
- 最高敬語:せたまふ・させたまふ(中宮・帝の動作)
- 二方面への敬語:聞こえさせたまふ(斎院へ謙譲・中宮へ尊敬)
- 謙譲の「たまふ」(下二段):思ひたまふる=存じます
- 絶対敬語:啓す(中宮へ)・奏す(帝へ)
- 反実仮想なまし、強意+推量なむ・ぬべし
「職の御曹司におはしますころ」はどんな段?(回想章段・雪山の賭け)
この段は、作者の清少納言が中宮定子に仕えていたころの思い出を書いた回想(日記)章段です。「職の御曹司」は中宮に仕える役所(中宮職)の建物で、定子はこのころ宮中の外のここに住み、ときどき一条天皇のいる内裏へ入っていました。長徳4年(998年)の暮れから翌年の正月にかけての出来事とされます。
前半は「常陸の介」とあだ名をつけられた尼の物ごいの話、中ごろは庭に作った雪の山がいつまで残るかの賭け、斎院(賀茂の斎院・選子内親王)からの新年の贈り物の話、後半は雪山の結末です。作者は「正月十五日ごろまで残る」と言い張り、番人の木守にまで頼んで見張らせますが、十五日の朝に雪山は消えていました。実は中宮定子が前の日の夕方に取り捨てさせていたのです。中宮と帝(一条天皇)が作者をからかう、なごやかな場面で終わります。
本文は教科書で広く読まれる形(三巻本系)に合わせています。能因本系の本では、取り捨てた日を「四日」とするなど、細かいちがいがあります。
本文と現代語訳・文法(1文ずつ)
色の見方:過去 完了・存続 推量・推定・意志 使役・受身・尊敬 断定 打消 敬語 係りの語 結びの語(色の語にふれると説明が出ます)
1
職の御曹司におはしますころ、西の廂に、不断の御読経あるに、仏などかけたてまつり、僧どものゐたるこそ、さらなることなれ。
現代語訳中宮様が職の御曹司にいらっしゃったころ、西の廂の間で、絶え間なくお経を読む行事(不断の御読経)があったので、仏の絵などをお掛け申し上げ、僧たちが座っているのは、言うまでもないことである。
- 「おはします」は尊敬語で、主語は書かれていない中宮定子。回想章段では、主語が省かれていても最高の敬語が使われていれば中宮か帝と考える。→敬意の方向(誰から誰へ)の見分け方
- 「こそ…なれ」は係り結び(こそ→已然形)。→係り結びの決まり(ぞ・なむ・や・か・こそ)
- 「職の御曹司」は中宮に仕える役所(中宮職)の建物。このころ定子は宮中の中ではなく、ここに住んでいた。


2
二日ばかりありて、縁のもとに、あやしき者の声にて、「なほ、かの御仏供のおろしはべりなむ」と言へば、「いかでか、まだきには」と答ふるを、何の言ふにかあらむと立ち出でて見れば、なま老いたる女法師の、いみじうすすけたる衣を着て、猿のさまにて言ふなりけり。
現代語訳二日ほどたって、縁側のそばで、みすぼらしい者の声で、「やはり、その仏様へのお供えのお下がりをいただきとうございます」と言うと、(僧が)「どうして、まだ早いのに(やれようか)」と答えるのを、何を言っているのだろうと出て行って見ると、少し年をとった尼が、ひどくすすけた着物を着て、猿のような格好で言っているのだった。
- 「言ふなりけり」の「けり」は、今はじめて気づいた気持ちを表す(気づきの「けり」)。「〜だったのだ」。→過去の助動詞「き・けり」の違い(詠嘆・気づき)
- 「あやし」はここでは「身分が低い・みすぼらしい」。「不思議だ」の意味もある多義語。「まだき」は「早くも・まだその時でないのに」。
3
「あれは何事言ふぞ」と言へば、声ひきつくろひて、「仏の御弟子にさぶらへば、仏のおろしたべと申すを、この御坊たちの惜しみたまふ」と言ふ。はなやかに、みやびかなり。
現代語訳(わたしが)「あの人は何を言っているのか」と言うと、(尼は)声をとりつくろって、「仏のお弟子でございますので、仏様のお下がりをくださいと申し上げるのを、このお坊様たちが惜しみなさるのです」と言う。(その口ぶりは)はでで、上品ぶっている。
- 尼の言葉に丁寧語・尊敬語・謙譲語がそろって出てくる。身分の低い尼でも、相手(女房・僧)に合わせて敬語を使い分けている。→古文の敬語の種類(尊敬語・謙譲語・丁寧語)
- 「みやびかなり」は「上品だ・優雅だ」。ここでは、身なりに似合わず気取った話し方をしているおかしさ。
4
かかる者は、うちうんじたるこそあはれなれ、うたても、はなやかなるかなとて、「異物は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。いとたふときことかな」と言ふけしきを見て、「などか異物も食べざらむ。それがさぶらはねばこそ取り申しはべれ」と言へば、くだもの、ひろき餅などを物に入れて取らせたるに、むげに仲よくなりて、よろづのことを語る。
現代語訳こういう者は、しょんぼりしているのがしみじみと気の毒に思えるものなのに、いやにまあ、はでな様子だなあと思って、(わたしが)「ほかの物は食べないで、ただ仏様のお下がりだけを食べるのか。とても尊いことだね」と言う様子を見て、(尼が)「どうしてほかの物を食べないことがありましょうか(何でも食べます)。それがございませんからこそ、(お下がりを)いただき申し上げるのです」と言うので、果物や、平たい餅などを入れ物に入れて与えたところ、すっかり仲よくなって、いろいろなことを話す。
- 「こそ…あはれなれ、」のように、こそ…已然形で文が切れずに続くと「〜けれども」(逆接)になる。入試でよく問われる形。→係り結びの決まりと「こそ…已然形」の逆接
- 「あはれなり」は「しみじみと心を動かされる・気の毒だ」。今の「かわいそう」より広い。「うたて」は「いやに・ひどく」。→古今異義語の一覧(あはれ・をかし・にくし)
- 「などか…ざらむ」は反語(どうして〜しないだろうか、いや〜する)。→推量の助動詞「む」(推量・意志・婉曲・反語)
- 「さぶらはねば」は打消「ず」の已然形「ね」+ば=「ございませんので」。→接続助詞「ば」の未然形+ばと已然形+ば


5
若き人々出で来て、「男やある」「いづこにか住む」など口々に問ふに、をかしきこと、そへごとなどすれば、「歌は歌ふや」「舞などはするか」と問ひも果てぬに、「夜は誰と寝む、常陸の介と寝む、寝たる肌もよし」。これが末いと多かり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つ、さぞ名は立つ」と頭をまろがし振る。いみじうにくければ、笑ひにくみて、「往ね、往ね」と言ふも、いとをかし。
現代語訳若い女房たちが出て来て、「夫はいるの」「どこに住んでいるの」などと口々にたずねると、(尼は)おもしろいことや冗談などを言うので、「歌は歌うの」「舞などはするの」と聞き終わらないうちに、「夜はだれと寝よう、常陸の介と寝よう、寝た肌もよい」(と歌い出す)。この歌の続きがとても長い。また、「男山の峰の紅葉の葉、それでこそ評判が立つ、それでこそ評判が立つ」と(歌いながら)頭をぐるぐると振る。ひどく気にくわないので、(女房たちは)笑いながらも嫌がって、「行っておしまい、行っておしまい」と言うのも、とてもおもしろい。
- 「問ひも果てぬに」の「ぬ」は、下に「に」が続く連体形なので打消「ず」。「聞き終わらないうちに」。完了の「ぬ」とまちがえない。→「ぬ」の識別(完了と打消)
- この流行り歌の文句「常陸の介」が、のちにこの尼のあだ名になる。
- 「にくし」は今の「憎い」より軽く、気にくわない・いやな感じだ。「をかし」はおもしろい・趣がある。どちらも枕草子に何度も出る古今異義語。→古今異義語の一覧(にくし・をかし)
- 「往ね」はナ変動詞「往ぬ」の命令形で「行ってしまえ・帰れ」。
6
「これに何取らせむ」と言ふを聞かせたまひて、「いみじう、などかくかたはらいたきことはせさせつる。えこそ聞かで、耳をふたぎてありつれ。その衣一つ取らせて、とくやりてよ」と仰せらるれば、取りて、「それ賜はらするぞ。衣すすけたり。白うて着よ」とて投げ取らせたれば、伏し拝みて、肩にうちかけて舞ふものか。まことににくくて、みな入りにし。
現代語訳「この者に何を与えようか」と(女房たちが)言うのをお聞きになって、(中宮様は)「ほんとうに、どうしてこんなに聞き苦しいことをさせたのですか。とても聞いていられなくて、耳をふさいでいました。その着物を一枚与えて、早く帰してしまいなさい」とおっしゃるので、(女房が着物を)受け取って、「それを(中宮様が)くださるのだよ。着物がすすけている。白くして着なさい」と言って投げて与えると、(尼は)ひれ伏して拝んで、(着物を)肩にかけて舞うではないか。ほんとうに気にくわなくて、みな(奥へ)入ってしまった。
- 「聞かせたまひ」は尊敬の助動詞「す」+尊敬の補助動詞「たまふ」の二重尊敬(最高敬語)。地の文で最高敬語を受けるのは中宮・帝。→最高敬語(二重尊敬)「せたまふ・させたまふ」
- 「かたはらいたし」は聞いていて(見ていて)いたたまれない・みっともない。今の「片腹痛い(ちゃんちゃらおかしい)」とはちがう。→古今異義語の一覧(かたはらいたし・はしたなし)
- 「え〜で」は「〜できないで」(不可能)。「仰せらるれ」の「らる」は尊敬。→助動詞「る・らる」の4つの意味
- 「入りにし」の「に」は完了「ぬ」の連用形、「し」は過去「き」の連体形。「き」は作者が自分で体験した過去を表す。回想章段に多い。→過去の助動詞「き・けり」の違い
- 「〜ものか」は「〜ではないか」と驚きあきれる気持ち。


7
後には、ならひたるにや、常に見えしらがひありく。やがて常陸の介とつけたり。衣も白めず、同じすすけにてあれば、いづち遣りてけむ、など憎む。
現代語訳その後は、慣れてしまったのだろうか、いつも目につくようにうろうろしている。そのまま(あの歌から)「常陸の介」とあだ名をつけた。着物も白くせず、同じすすけた姿でいるので、(もらった着物は)どこへやってしまったのだろう、などと憎らしく思う。
- 「ならひたるにや」は下に「あらむ」が省かれた形(結びの省略)。「に」は断定「なり」の連用形。→「に」の識別(断定・完了・格助詞)
- 「けむ」は過去推量(〜ただろう)。→過去推量の助動詞「けむ」
8
右近の内侍の参りたるに、「かかる者をなむ、語らひつけて置きためる。すかして常に来ること」とて、ありしやうなど、小兵衛といふ人にまねばせて聞かせたまへば、「かれ、いかで見はべらむ。かならず見せさせたまへ。御得意ななり。さらに、よも語らひとらじ」など笑ふ。
現代語訳右近の内侍が参上したときに、(中宮様が)「こんな者を、(女房たちが)手なずけて置いているようです。だまして(呼び寄せて)、いつも来ることといったら」と言って、そのときの様子などを、小兵衛という女房にまねをさせてお聞かせになると、(右近の内侍は)「その者を、何とかして見とうございます。ぜひ見せてくださいませ。(女房たちの)お気に入りのようですね。けっして横取りなどいたしますまい」などと笑う。
- 「置きためる」は「置きたるめり」→「置きたんめり」→「置きた(ん)めり」。完了「たり」+推定「めり」で「〜ているようだ」。上の「なむ」の結びで連体形。→推定の助動詞「めり」と撥音便の無表記
- 右近の内侍は一条天皇のそば近くに仕える女房。中宮が帝の女房とも親しく話している様子がわかる。
- 「御得意ななり」は「なるなり」→「なんなり」→「な(ん)なり」。断定「なり」+推定「なり」で「〜であるようだ」。→伝聞・推定の「なり」と断定の「なり」
- 「よも〜じ」は「まさか〜ないだろう・けっして〜まい」。→呼応の副詞(え〜ず・よも〜じ・な〜そ)
9
その後、また、尼なる乞食の、いとあてやかなるが出で来たるを、また呼び出でて物など問ふに、これはいと恥づかしげに思ひてあはれなれば、例の衣一つ賜はせたるを、伏し拝むは、されどよし。さて、うち泣きよろこびて往ぬるを、はや、この常陸の介、来あひて見てけり。その後、久しう見えねど、誰かは思ひ出でむ。
現代語訳その後、また、尼である物ごいで、とても上品な人が出て来たのを、また呼び出して事情などをたずねると、この人はたいそう恥ずかしそうにしていてしみじみ気の毒なので、(中宮様が)いつものように着物を一枚お与えになったのを、ひれ伏して拝むのは、それでも(さっきの者とちがって)好ましい。そうして(その尼が)泣いて喜んで帰って行くのを、なんと、あの常陸の介が来合わせて見てしまっていた。その後、(常陸の介は)長いあいだ姿を見せないが、だれが思い出したりするだろうか(だれも思い出さない)。
- 「賜はす」は「与える」の尊敬語(お与えになる)。主語は中宮。→敬語動詞の一覧(賜はす・のたまはす・啓す)
- 「あてやかなり」は「上品だ・身分が高そうだ」。「あて」は「高貴」の意味。
- 「誰かは〜む」は反語。「かは」は反語になりやすい係助詞で、結びは連体形。→係り結び(や・か・かは の疑問と反語)
- 常陸の介は、別の尼が着物をもらうのを見て、すねて来なくなった、という伏線。
10
さて、師走の十余日のほどに、雪いみじう降りたるを、女官どもなどして、縁にいと多く置くを、「同じくは、庭にまことの山を作らせはべらむ」とて、侍召して、「仰せ言にて」と言へば、集まりて作る。主殿寮の人にて御きよめに参りたるなども、みな寄りて、いと高う作りなす。宮司なども参り集まりて、言加へ興じ、三四人参りつる主殿寮の者ども、二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しにつかはしなどす。
現代語訳さて、十二月の十日過ぎのころに、雪がたくさん降ったのを、女官たちに(命じて)縁側にとてもたくさん積ませていたのだが、(わたしたちが)「同じことなら、庭に本物の山を作らせましょう」と言って、侍を呼んで、「(中宮様の)ご命令で」と言うと、(侍たちが)集まって作る。主殿寮(宮中の掃除などをする役所)の人で、お掃除に参上していた者なども、みな寄ってきて、とても高く作りあげる。中宮職の役人たちも参上して集まって、口出しをしておもしろがり、三、四人参上していた主殿寮の者たちが、二十人ほどになってしまった。自宅に下がっている侍まで呼びにやったりする。
- 「作らせはべらむ」の「はべり」は丁寧語で、聞き手の中宮への敬意(作者→中宮)。→「はべり・さぶらふ」の丁寧語と謙譲語
- 「師走」は十二月。旧暦なので、今の暦では一月ごろの寒い時期。→旧暦の月の名前(睦月〜師走)と季節
- 「参る」は謙譲語。中宮のところへ「参上する」ので、敬意は作者から中宮へ。→敬意の方向(謙譲語は動作を受ける人への敬意)
- 「里なる」の「なる」は場所+なりで「〜にいる・〜にある」(存在)。→断定の助動詞「なり・たり」と存在の「なり」
11
「今日この山作る人には、日三日賜ぶべし。また参らざらむ者は、また同じ数とどめむ」など言へば、聞きつけてまどひ参るもあり。里遠きは、え告げやらず。作り果てつれば、宮司召して、絹二結ひ取らせて、縁に投げ出だしたるを、一つづつ取りに寄りて、拝みつつ腰にさしてみなまかでぬ。袍など着たるは、さて狩衣にぞある。
現代語訳「今日この山を作る人には、三日分の休みをくださるはずだ。また、参上しない者は、同じ日数だけ(休みを)取りあげよう」などと言うと、聞きつけてあわてて参上する者もいる。家の遠い者には、知らせることができない。作り終わったので、中宮職の役人を呼んで、絹を二束(ほうびとして)与えて、縁側に投げ出したのを、一つずつ取りに寄って、拝みながら腰にさしてみな退出した。(ふだんは)正装の袍を着ている者も、この日は狩衣姿である。
- 「参らざらむ者」の「む」は、下に名詞(者)が続く婉曲(〜ような)。訳では「参上しない者」と軽く訳してよい。→「む」の婉曲・仮定(文中の連体形)
- 「え〜ず」は不可能(〜できない)。
- 「まかづ」は「退出する」の謙譲語。ほうびの絹を腰にさして帰るのは、当時のほうびの受け取り方。
- 「禄」(ほうび)として衣や絹を与えるのは、平安時代の宮中のふつうの習慣。
12
「これ、いつまでありなむ」と人々にのたまはするに、「十日はありなむ」「十余日はありなむ」など、ただこのころのほどを、ある限り申すに、「いかに」と問はせたまへば、「正月の十余日までははべりなむ」と申すを、御前にも、えさはあらじとおぼしめしたり。女房はすべて、「年のうち、晦日までもえあらじ」とのみ申すに、
現代語訳(中宮様が)「これは、いつまで残っているでしょう」と女房たちにおっしゃると、「十日はきっと残るでしょう」「十日余りはきっと残るでしょう」などと、ただ近いうちの日数を、そこにいる者がみな申し上げるので、(中宮様がわたしに)「あなたはどう思いますか」とおたずねになるので、(わたしが)「正月の十日過ぎまではございましょう」と申し上げるのを、中宮様も、とてもそこまではもつまいとお思いになっている。女房たちはみな、「年内の大みそかまでも残らないでしょう」とばかり申し上げるので、
- 「ありなむ」は強意の「ぬ」(未然形「な」)+推量「む」で「きっと〜だろう」。「なむ」の識別の定番。→「なむ」の識別(願望・強意+推量・係助詞)
- 「のたまはす」は「言ふ」の尊敬語で、「のたまふ」より敬意が高い。中宮・帝に使う。
- 「御前」は中宮のこと。ここでは「御前にも」で中宮様も。「申す」は作者→中宮、「おぼしめす」も作者→中宮。誰の動作かで敬語の種類が変わる。→敬意の方向(誰から誰へ)の見分け方
- 作者だけが「正月の十余日」と、ずっと長くもつほうに賭けた。


13
あまり遠くも申しつるかな、げにえしもやあらざらむ、ついたちなどぞ言ふべかりける、と下には思へど、さはれ、さまでなくと言ひそめてむことは、とて、かたうあらがひつ。
現代語訳あまりに先の日を申し上げてしまったなあ、ほんとうにそこまではもたないかもしれない、元日ごろなどと言うべきだったなあ、と心の中では思うけれど、ままよ、そこまでもたなくても、一度言い出してしまったことは(引っこめられない)、と思って、強く言い張った。
- 「言ふべかりける」は「言うべきだったなあ」。後悔の気持ち。「ける」は「ぞ」の結びの連体形で、詠嘆を表す。
- 「あらがふ」は「言い争う・言い張る」。作者の負けずぎらいな性格がよく出ている。
14
二十日のほどに雨降れど、消ゆべきやうもなし。少し丈ぞ劣りもてゆく。「白山の観音、これ消えさせたまふな」と祈るも、物狂ほし。
現代語訳二十日ごろに雨が降るけれど、(雪山は)消えそうな様子もない。少し高さが低くなっていく。「白山の観音様、これを消えさせなさいますな」と祈るのも、正気ではないようだ。
- 「消えさせたまふな」の「させ」は使役(消えるようにさせる)。消えるのは雪、させるのは観音。下に「たまふ」があっても、いつも尊敬とは限らない。→使役・尊敬の助動詞「す・さす・しむ」の見分け方
- 白山(今の石川県・岐阜県にある山)は雪深い霊山。その観音に「雪を守って」と祈るのがしゃれている。「物狂ほし」は「正気でない・ばかげている」。
15
さて、その山作りたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥さし出だして物など言ふに、「今日、雪の山作らせたまはぬ所なむなき。御前の壺にも作らせたまへり。春宮にも、弘徽殿にも作られたり。京極殿にも作らせたまへりけり」など言へば、
現代語訳さて、その山を作った日、(帝の)お使いとして式部丞の忠隆が参上したので、敷物をさし出して話などをすると、(忠隆が)「今日は、雪の山をお作りにならない所はありません。帝の御前の中庭にもお作りになりました。春宮様のところにも、弘徽殿にもお作りになりました。京極殿(藤原道長の邸)でもお作りになったそうです」などと言うので、
- 「作らせたまはぬ所なむなき」は「お作りにならない所はない」=どこでも作っている(二重否定)。「なむ…なき」は係り結び。
- 雪山づくりは、この冬の宮中で大はやりだったことがわかる。京極殿は藤原道長の邸。
16
ここにのみめづらしと見る雪の山
ところどころにふりにけるかな
と、かたはらなる人して言はすれば、たびたび傾きて、「返しはつかうまつりけがさじ。あざれたり。御簾の前にて人にを語りはべらむ」とて立ちにき。歌いみじう好むと聞くものを、あやし。御前に聞こしめして、「いみじうよくとぞ思ひつらむ」とぞのたまはする。
現代語訳「ここだけで珍しいと思って見ている雪の山は、あちこちで降って(作られて)いて、もう古くさいものになってしまったのですね」と、そばにいる女房に言わせると、(忠隆は)何度も首をかしげて、「返歌はへたな歌で汚すことはいたしますまい。(あまりに)しゃれています。御簾の前で(ほかの)人に話して聞かせましょう」と言って立ち去った。(忠隆は)歌をとても好むと聞いていたのに、(返歌をしないとは)変だ。中宮様がお聞きになって、「(あなたが)とても上手に詠めたと思ったのでしょうね」とおっしゃる。
- 「ふり」に「降り」(雪が降る)と「古り」(古くなる)をかけた掛詞。「どこでも作っているなら、もう珍しくないですね」という軽い皮肉。→掛詞の一覧(ふる・まつ・あき)
- 「じ」は主語が一人称(忠隆自身)なので打消意志(〜まい)。→「じ・まじ」の打消推量と打消意志
- 「聞こしめす」は「聞く」の尊敬語。「のたまはす」とあわせて、主語が中宮だとわかる。→敬語動詞の一覧(聞こしめす・のたまはす)
- 「らむ」は今ごろ・今の心を推しはかる現在推量。中宮が作者の得意顔をからかっている。→現在推量の助動詞「らむ」


17
晦日がたに、少し小さくなるやうなれど、なほいと高くてあるに、昼つ方、縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。「など、いと久しう見えざりつる」と問へば、「何かは。心憂きことのはべりしかば」と言ふ。「何ごとぞ」と問ふに、「なほかう思ひはべりしなり」とて、ながやかによみ出づ。
うらやまし足もひかれずわたつ海の
いかなるあまに物賜ふらむ
と言ふを、憎み笑ひて、人の目も見入れねば、雪の山に登り、かかづらひありきて往ぬる後に、
現代語訳月末ごろに、(雪山は)少し小さくなったようだけれど、まだとても高く残っていたところ、昼ごろ、縁側に女房たちが出て座ったりしていると、常陸の介がやって来た。「どうして、ずいぶん長いあいだ顔を見せなかったの」とたずねると、「いえ、なに。つらいことがございましたので」と言う。「何があったの」とたずねると、「やはりこう思っていたのでございます」と言って、長々と(歌を)詠み上げる。「うらやましいことです。足も(重くて)動かせずにいるのに、海の、どんな海女(尼)に(中宮様は)物をくださるのでしょう」と言うのを、(女房たちは)憎らしがって笑い、だれも目もくれないので、(常陸の介は)雪の山に登って、うろうろと歩き回って帰って行った後に、
- 「など〜つる」は疑問の副詞「など」を受けて連体形で結ぶ。係助詞がなくても、疑問の言葉があると連体形で終わることが多い。
- 「心憂し」は「つらい・いやだ」。
- 「あま」に「海人(海女)」と「尼」をかけた掛詞。「わたつ海(海)」と「あま(海人)」は縁語。前に着物をもらった上品な尼をうらやんでいる。→縁語とは?掛詞とのちがい
- 「らむ」は目の前にない今のことを推しはかる現在推量。
- 本によって第四句を「いかなる人に」とするものもある。
18
右近の内侍に、かくなむと言ひやりたれば、「などか人添へては賜はせざりし。かれがはしたなくて、雪の山まで登りつたひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。
現代語訳右近の内侍に、これこれでしたと言ってやると、「どうして(その者に)人を付き添わせて、こちらにくださらなかったのですか。その者がきまり悪くなって、雪の山にまで登って伝い歩いたというのは、ほんとうにかわいそうです」と返事があったのを、また笑う。
- 「はしたなし」はきまりが悪い・中途半端で居心地が悪い。今の「はしたない(下品だ)」とはちがう古今異義語。→古今異義語の一覧(はしたなし・かなし)
- 「かくなむと」は下に「言ふ」などが省かれた結びの省略。「かなし」は「いとしい・かわいそうだ」。
19
さて、雪の山はつれなくて年も返りぬ。一日の日の夜、雪のいと多く降りたるを、うれしくもまた積みつるかなと見るに、「これはあいなし。初めのをば置きて、今のをばかき捨てよ」と仰せらる。
現代語訳さて、雪の山は平気な顔で(消えずに)年も明けた。元日の夜、雪がとてもたくさん降ったのを、うれしいことにまた積もったなあと見ていると、(中宮様が)「これは筋ちがいです。初めの分は残して、新しく積もった分はかき捨てなさい」とおっしゃる。
- 「つれなし」は「平気だ・変わらない」。雪山を人のように言っている。「あいなし」は「筋ちがいだ・つまらない」。
- 中宮は新しい雪で雪山が太るのを「ずる」として認めない。結末の伏線になる大事なおことば。
20
上にて局へいととく下るれば、侍の長なる者、柚の葉のごとくなる宿直衣の袖の上に、青き紙の松につけたるを置きて、わななき出でたり。「それはいづこのぞ」と問へば、「斎院より」と言ふに、ふとめでたうおぼえて、取りて参りぬ。
現代語訳(その朝)中宮様のお部屋から自分の部屋へとても早く下がると、侍の長である者が、柚の葉のような(濃い緑色の)宿直用の着物の袖の上に、青い紙を松の枝に結びつけたものを置いて、(寒さに)ふるえながら出て来た。「それはどこからの(手紙)か」とたずねると、「斎院から」と言うので、すぐにすばらしいことだと思って、受け取って(中宮様のところへ)参上した。
- 斎院は賀茂神社に仕える皇女で、このころは村上天皇の皇女・選子内親王。歌の名手として知られた。
- 「めでたし」は「すばらしい・りっぱだ」。今の「おめでたい」より広い。
21
まだ大殿籠りたれば、まづ御帳にあたりたる御格子を、碁盤などかき寄せて、一人念じて上ぐる、いと重し。片つ方なればきしめくに、おどろかせたまひて、「などさはすることぞ」とのたまはすれば、「斎院より御文のさぶらはむには、いかでか急ぎ上げはべらざらむ」と申すに、「げにいととかりけり」とて起きさせたまへり。
現代語訳(中宮様は)まだおやすみになっていたので、まず御帳台の正面にあたる格子を、碁盤などを引き寄せて(踏み台にして)、一人でがまんして上げるのが、とても重い。片側だけなのできしんで音を立てると、(中宮様が)目をお覚ましになって、「どうしてそんなことをするの」とおっしゃるので、(わたしが)「斎院からお手紙がございますのに、どうして急いで格子を上げないでいられましょうか」と申し上げると、(中宮様は)「ほんとうにずいぶん早く来たものですね」と言ってお起きになった。
- 「大殿籠る」は「寝る」の尊敬語(おやすみになる)。
- 「おどろく」は目を覚ます(はっと気づく)。今の「びっくりする」とはちがう、テストの定番の古今異義語。→古今異義語の一覧(おどろく・ながむ)
- 「いかでか〜む」は反語(どうして〜しないだろうか、いや必ず〜する)。→推量の助動詞「む」の反語
- 「起きさせたまへり」は尊敬「さす」+「たまふ」の最高敬語。→最高敬語(二重尊敬)「せたまふ・させたまふ」
22
御文開けさせたまへれば、五寸ばかりなる卯槌二つを、卯杖のさまに頭などを包みて、山橘、日陰、山菅など、うつくしげに飾りて、御文はなし。「ただなるやうあらむやは」とて御覧ずれば、卯槌の頭包みたる小さき紙に、
山とよむ斧の響きをたづぬれば
いはひの杖の音にぞありける
現代語訳(中宮様が)お手紙をお開けになると、五寸ほどの卯槌を二つ、卯杖のような形に頭のところなどを包んで、山橘・日陰のかずら・山菅などで、かわいらしく飾ってあって、手紙はない。「何もないということがあろうか(いや、ないはずはない)」と言ってご覧になると、卯槌の頭を包んである小さな紙に、「山に鳴りひびく斧の音は何かとたずねてみたら、(木を切る音ではなく)お祝いの杖(卯杖)を作る音だったのですね」(と書いてある)。
- 「うつくしげに」の「うつくし」はかわいらしい。今の「美しい」とはちがう、枕草子でいちばん有名な古今異義語。→古今異義語の一覧(うつくし・めでたし)
- 卯槌・卯杖は、正月はじめの卯の日に邪気をはらうために贈る縁起物。
- 歌の「けり」は詠嘆(〜だったのだなあ)。和歌や会話の「けり」は詠嘆になりやすい。
- 新年のお祝いの品に、さりげなく歌をそえる斎院の心づかいがすばらしい、という場面。
23
御返し書かせたまふほども、いとめでたし。斎院には、これより聞こえさせたまふも、御返しも、なほ心ことに、書きけがし多う、御用意見えたり。御使に、白き織物の単衣、蘇芳なるは梅なめりかし。雪の降りしきたるに、かづきて参るも、をかしう見ゆ。そのたびの御返しを知らずなりにしこそ口惜しかりしか。
現代語訳(中宮様が)お返事をお書きになる様子も、たいへんすばらしい。斎院には、こちら(中宮様)からお手紙をさし上げなさるときも、お返事のときも、やはり特別に気をつかって、何度も書き損じをなさり、ご用心の深さが見える。(斎院の)お使いの者に、(ほうびとして)白い織物の単衣で、(裏が)蘇芳色のものは梅襲であるようだ。雪の降りしきる中を、(それを)肩にかけて帰って行くのも、趣深く見える。そのときの(中宮様の)お返事の歌を知らずに終わってしまったのが残念だった。
- 「聞こえさせたまふ」は二方面への敬語。謙譲語「聞こえさす」は手紙を受ける斎院への敬意、尊敬の「たまふ」は書く中宮への敬意(どちらも作者から)。→二方面への敬語(謙譲語+尊敬語)の読み方
- 「心ことなり」は「特別に気を配っている」。
- 「梅なめり」は断定「なり」+推定「めり」(〜であるようだ)。→推定の助動詞「めり」と「なめり」
- 「かづく」は、ほうびの衣を肩にかけていただくこと。

24
雪の山は、まことに越のにやあらむと見えて、消えげもなし。黒うなりて、見るかひなきさまぞしたる。勝ちぬる心地して、いかで十五日待ちつけさせむと念ずれど、「七日をだにえ過ぐさじ」となほ言へば、いかでこれ見果てむと皆人思ふほどに、
現代語訳雪の山は、ほんとうに越の国(の雪山)なのだろうかと見えるほどで、消えそうな様子もない。黒く汚れて、見る値うちもない姿になっている。(わたしは)もう勝った気持ちがして、何とかして十五日まで(雪山に)もたせたいと祈るけれど、(女房たちは)「七日さえ越せないだろう」とやはり言うので、何とかしてこの結末を見届けたいとみなが思っているうちに、
- 「越のにやあらむ」は「越の国の山であろうか」。「に」は断定「なり」の連用形、「や」は疑問の係助詞。「にやあらむ」は入試によく出る形。→「に」の識別(にやあらむ・にこそあらめ)
- 「越」は北陸地方。雪深い土地として知られる。「だに」は「〜さえ」。
25
にはかに三日、内裏へ入らせたまふべし。いみじう口惜し。この山の果てを知らでやみなむことと、まめやかに思ふほどに、人も「げにゆかしかりつるものを」など言ふ。御前にも仰せらる。
現代語訳急に、(正月)三日に、(中宮様は)宮中へお入りになることになった。とても残念だ。この雪山の最後を知らずに終わってしまうことだと、本気で思っていると、ほかの女房も「ほんとうに(結末を)知りたかったのに」などと言う。中宮様もそうおっしゃる。
- 「ゆかし」は見たい・知りたい・聞きたい(心がひかれる)。今の「奥ゆかしい」とはちがう。→古今異義語の一覧(ゆかし・めでたし)
- 「べし」はここでは予定(〜ことになっている)。→助動詞「べし」の6つの意味(スイカトメテ)
26
同じくは言ひ当てて御覧ぜさせばやと思へるかひなければ、御物の具運び、いみじうさわがしきにあはせて、木守といふ者の、築地のほどに廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼び寄せて、「この雪の山いみじう守りて、童べなどに踏み散らさせ、こぼたせで、十五日までさぶらはせ。よく守りて、その日にあたらば、めでたき禄賜はせむとす。わたくしにも、いみじきよろこび言はむ」など語らひて、
現代語訳同じことなら(日数を)言い当てて(中宮様に)お見せしたいと思っていたかいがないので、(お引っ越しの)お道具を運んでたいへんさわがしいのにまぎれて、木守という者で、築地塀のそばに小屋を作って住んでいる者を、縁側の近くに呼び寄せて、「この雪の山をしっかり守って、子どもたちなどに踏み散らさせたり、こわさせたりしないで、十五日まで残しておきなさい。よく守ってその日になったら、(中宮様が)すばらしいほうびをくださるでしょう。わたし個人からも、たっぷりお礼をしよう」などと話をつけて、
- 「御覧ぜさせばや」は「(中宮に)ご覧にならせたい」。「させ」は使役、「ばや」は自分の願望(〜したい)。→願望の終助詞「ばや・なむ・てしがな」
- 「木守」は庭の番をする者の名前(呼び名)。
- 「賜はす」は尊敬語で、ほうびをくださるのは中宮。作者が木守に話していても、敬意は中宮へ向く。→敬意の方向(会話文の中の敬語)
- 「その日にあたらば」は未然形+ばなので「その日になったら」(仮定)。


27
常に台盤所の人、下衆などに乞ひて来るる、くだものや何やと、いと多く取らせたれば、うち笑みて、「いとやすきこと。たしかに守りはべらむ。童べぞ登りはべらむ」と言へば、「それを制して聞かざらむ者をば、事の由を申せ」など言ひ聞かせて、入らせたまひぬれば、七日までさぶらひて出でぬ。そのほども、これがうしろめたければ、おほやけ人、すまし、長女などして、絶えずいましめにやる。七日の節供のおろしなどをやれば、拝みつることなど、帰りては笑ひあへり。
現代語訳(木守が)いつも台所の女房や下働きの者などにねだってもらっている果物や何やかやを、たくさん与えたので、(木守は)にっこりして、「たやすいことです。たしかにお守りいたしましょう。子どもたちが登るでしょうね」と言うので、「それを止めても言うことを聞かない者がいたら、そのわけを(こちらへ)申し出なさい」などと言い聞かせて、(中宮様が宮中へ)お入りになったので、(わたしも)七日までお仕えして(実家へ)退出した。その間も、雪山のことが気がかりなので、宮仕えの下働きの女たちなどを使って、絶えず(木守に)注意しに行かせる。七日の節句のお下がりなどを(木守に)やると、(木守が)拝んだ様子などを、(使いの者は)帰って来ては笑い合っている。
- 「童べぞ登りはべらむ」はぞ…む(連体形)の係り結び。「む」は推量(〜でしょう)。
- 「やすし」は「たやすい・簡単だ」。値段の「安い」ではない。
- 「さぶらふ」はここでは謙譲語「お仕えする」。丁寧語「〜ございます」とのちがいは、貴人のそばに「いる・仕える」意味があるかどうか。→「はべり・さぶらふ」の謙譲語と丁寧語の見分け方
- 「うしろめたし」は「気がかりだ・心配だ」。今の「やましい」とはちがう。
28
里にても、まづ明くるすなはち、これを大事にて見せにやる。十日のほどには、五六尺ばかりありと言へば、うれしく思ふに、十三日の夜、雨いみじう降れば、これにぞ消えぬらむと、いみじう口惜し。「今一日も待ちつけで」と、夜も起きゐて言ひ嘆けば、聞く人も「物狂ほし」と笑ふ。
現代語訳実家にいても、まず夜が明けるとすぐに、雪山のことを一大事として(人を)見にやる。十日ごろには、五、六尺ほど残っていると言うので、うれしく思っていたが、十三日の夜、雨がひどく降るので、これで消えてしまっているだろうと、とても残念だ。「あと一日も(もちこたえて)待てないで」と、夜も起きていて嘆くので、聞く人も「正気じゃない」と笑う。
- 「消えぬらむ」は完了(強意)「ぬ」+現在推量「らむ」で「今ごろ消えてしまっているだろう」。→現在推量の助動詞「らむ」
- 一尺は約30センチ。五、六尺は1.5〜1.8メートルほど。
29
人の起きて行くに、やがて起きゐて、下衆起こさするに、さらに起きねば、いみじう憎み腹立たれて、起き出でたるをやりて見すれば、「円座ばかりになりてはべる。木守いとかしこう、童べも寄せで守りて、明日、明後日までもさぶらひぬべし。禄賜はらむと申す」と言へば、
現代語訳人が起きて出て行くときに、(わたしも)そのまま起きていて、下働きの者を起こさせるが、まったく起きないので、ひどく憎らしくて腹が立ってきて、やっと起きて来た者を(雪山へ)やって見させると、(使いの者が)「円座(丸い敷物)くらいの大きさになっております。木守がたいそうしっかりと、子どもたちも近寄せないで守っていて、明日、あさってまでもきっと残っているでしょう。ほうびをいただきたいと申しております」と言うので、
- 「腹立たれて」の「る」は自発(自然と〜してしまう)。心の動きを表す動詞(思ふ・嘆く・腹立つなど)につくと自発になりやすい。→助動詞「る・らる」の自発・可能・受身・尊敬
- 「さらに〜ず(ね)」は「まったく〜ない」。
- 「さぶらひぬべし」は強意「ぬ」+推量「べし」で「きっと〜だろう」。「ぬべし・つべし」はセットで覚える。→完了の助動詞「つ・ぬ」の強意
- 「かしこし」はここでは「しっかりしている・すぐれている」。


30
いみじううれしくて、いつしか明日にならば、歌よみて、物に入れて参らせむと思ふも、いと心もとなうわびし。まだ暗きに起きて、折櫃など具せさせて、「これに白からむ所、ひたもの入れて持て来。きたなげならむ所、かき捨てて」など言ひくくめてやりたれば、
現代語訳とてもうれしくて、早く明日になったら、歌を詠んで、(雪を)入れ物に入れて(中宮様に)差し上げようと思うにつけても、とても待ち遠しくてつらい。まだ暗いうちに起きて、折櫃(木の箱)などを持たせて、「これに白いところを、ひたすら入れて持って来なさい。汚れていそうなところは、かき捨てて」などと言い含めて行かせると、
- 「参らす」は「与える」の謙譲語(差し上げる)。差し上げる相手の中宮への敬意。→敬語動詞の一覧(参らす・奉る・聞こゆ)
- 「心もとなし」は「待ち遠しい・じれったい」。「白からむ所」の「む」は婉曲(〜ような所)。
31
いととく、持たせてやりつる物ひきさげて、「はやう失せはべりにけり」と言ふに、いとあさまし。をかしうよみ出でて、人にも語り伝へさせむと、うめき誦じつる歌も、あさましうかひなく、「いかにしつるならむ。昨日さばかりありけむものを、夜のほどに消えぬらむこと」と言ひくんずれば、
現代語訳とても早く、持たせてやった箱をぶらさげて(帰って来て)、「とっくに消えてしまっておりました」と言うので、まったくあきれてしまう。上手に詠んで、人にも語り伝えさせようと、うなりながら口ずさんで作った歌も、あきれるほどむだになって、「いったいどうしたのだろう。昨日はあれほど残っていたというのに、一晩のうちに消えてしまったなんて」と言ってしょげていると、
- 「はやう〜けり」は「なんと(実は)〜だったのだ」と、今になって気づく言い方。→「けり」の気づき・詠嘆
- 「あさまし」は驚きあきれる(いい意味にも悪い意味にも使う)。今の「あさましい(下品だ)」とはちがう古今異義語。→古今異義語の一覧(あさまし・ゆかし)
- 「言ひくんず」は「言って気がめいる・しょげる」。作者のがっかりした様子がよく出ている。
- 「けむ」は過去推量、「らむ」は現在推量。昨日のことは「けむ」、今のことは「らむ」で使い分けている。→「けむ」と「らむ」のちがい


32
「木守が申しつるは、『昨日いと暗うなるまではべりき。禄賜はらむと思ひつるものを、賜はらずなりぬること』と、手を打ちて申しはべりつる」と言ひ騒ぐに、内裏より仰せ言ありて、「さて、雪は今日までありや」とのたまはせたれば、いとねたう口惜しけれど、
現代語訳(使いの者が)「木守が申しましたことには、『昨日はすっかり暗くなるまで(雪山は)ございました。ほうびをいただこうと思っていたのに、いただけなくなってしまったことよ』と、手を打って(くやしがって)申しておりました」と言って騒いでいると、宮中から(中宮様の)おことばがあって、「それで、雪は今日まで残っていましたか」とおっしゃってきたので、とてもくやしく残念だけれど、
- 木守も、昨日の夕方までは雪山がたしかにあったと証言している。つまり、夜のうちにだれかが取り去ったらしい、という謎が生まれる。
- 「〜こと」で終わる文は、感動や嘆きを表す(〜ことよ)。
- 「ねたし」はくやしい・しゃくだ。今の「ねたむ(嫉妬する)」より広い。
- 中宮は宮中にいながら、雪山の賭けのことをちゃんと覚えている。
33
「『年のうち、ついたちまでだにあらじ』と人々啓したまひし。昨日の夕暮れまではべりしは、いとかしこしとなむ思ひたまふる。今日までは、あまりのことになむ。夜のほどに、人の憎みて取り捨ててはべるにや、となむ推し量りはべると啓せさせたまへ」など聞こえさせつ。
現代語訳(わたしは)「『年内、元日までさえもたないでしょう』と女房の方々は(中宮様に)申し上げなさいました。(それが)昨日の夕暮れまでございましたのは、たいへんなことだと存じます。今日までというのは、あまりに欲ばりなことでございまして。夜のうちに、だれかが(わたしを)憎らしく思って取り捨てたのではないか、と推測しております、と(中宮様に)申し上げてください」などと(お使いに託して)申し上げた。
- 「啓す」は中宮・皇太子にだけ使う謙譲語(申し上げる)。帝には「奏す」。この2つは絶対敬語と呼ばれる。→敬語動詞の一覧(奏す・啓す)
- 「思ひたまふる」の「たまふ」は下二段活用の謙譲語(〜させていただく・存じます)。尊敬の「たまふ」(四段)とちがい、会話や手紙で自分の動作につく。→「たまふ」の尊敬(四段)と謙譲(下二段)の見分け方
- 「あまりのことになむ」は下に「はべる」などが省かれた結びの省略。
- 作者は「だれかがわざと取り捨てたのでは」と、うすうす気づいている。結末への伏線。
- 「聞こえさす」は「言ふ」の謙譲語で、「聞こゆ」より敬意が高い。→敬語動詞の一覧(聞こゆ・聞こえさす)


34
さて二十日参りたるにも、まづこのことを御前にても言ふ。「みな消えつ」とて、蓋のかぎり引きさげて持て来たりつる、帽子のさまにて、すなはちまうで来たりつるが、あさましかりしこと、物の蓋に小山うつくしう作りて、白き紙に歌いみじう書きて参らせむとせしことなど啓すれば、いみじく笑はせたまふ。
現代語訳さて、二十日に(宮中へ)参上したときにも、まずこの話を中宮様の御前でもする。「すっかり消えました」と言って、(使いの者が)箱の蓋だけをぶらさげて、帽子のような格好で、すぐに帰って来たのがあきれたこと、物の蓋にかわいらしく小さな山を作って、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようとしたことなどを申し上げると、(中宮様は)たいそうお笑いになる。
- 「笑はせたまふ」は最高敬語。中宮の動作には、地の文でほとんどいつも最高敬語が使われる。→最高敬語(二重尊敬)
- 「まうで来」は「参上する・やって来る」の謙譲語。
35
御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひたることをたがへつれば、罪得らむ。まことは、十四日の夕さり、侍どもやりて取り捨てさせしぞ。返り事に言ひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。
現代語訳御前にいる女房たちも笑うと、(中宮様は)「こんなに一生けんめいに思っていたことを(わたしが)だめにしてしまったのだから、(仏の)罰を受けるでしょうね。実は、十四日の夕方、侍たちをやって取り捨てさせたのですよ。(あなたが)返事の中で(そのことを)言い当てていたのは、とてもおもしろかった。
- 雪山を取り捨てさせたのは、中宮定子自身だった。ここがこの段の種あかし。「取り捨てさせし」の「させ」は使役(侍に取り捨てさせた)。
- 「言ひ当てたりしこそ…をかしかりしか」は、こそ→已然形「しか」の係り結び。→係り結び(こそ…已然形)
- 取り捨てた日は、本によって「四日」とするもの(能因本系)もあるが、話の流れから三巻本系の「十四日」で読む。


36
その翁出で来て、いみじう手をすりて言ひけれど、『仰せ言ぞ。かの里より来たらむ人に、かくとも聞かすな。さらば、屋うちこぼたせむ』と言ひて、左近の司、南の築地の外にみな取り捨ててし。『いと高くて多くなむありつる』と言ふなりしかば、げに二十日までも待ちつけて、ようせずは、今年の初雪にも降り添ひなまし。
現代語訳あの木守の翁が出て来て、ひどく手をすり合わせて頼んだけれど、(侍たちは)『ご命令だぞ。あの人の実家から来るような人に、こうだとも知らせるな。(知らせたら)おまえの小屋をこわさせるぞ』と言って、左近衛府の南の築地塀の外に、全部捨ててしまったそうです。(侍たちが)『とても高くてたくさん残っていました』と言っていたのだから、ほんとうに二十日までも残っていて、うまくいけば、今年の初雪までも降り加わって(残って)いたでしょうに。
- 木守は必死に止めたが、中宮の命令には逆らえなかった。「仰せ言ぞ」の「ぞ」は文末で強める(念押し)。
- 「な〜そ」でなく「〜な」だけの形も禁止(〜するな)。「聞かすな」=知らせるな。
- 「降り添ひなまし」は強意「ぬ」+反実仮想「まし」。「(取り捨てなければ)〜ていただろうに」と、実際にはなかったことを想像する。→反実仮想の助動詞「まし」(ましかば〜まし)
- 「ようせずは」は「うまくいかなくても・ひょっとすると」。中宮は、作者の予想がじゅうぶん当たっていたと認めている。
37
上も聞こしめして、『いと思ひやり深くあらがひたり』と殿上人どもにも仰せられけり。さても、その歌語れ。今はかく言ひあらはしつれば、同じこと、勝ちたるなり。語れ」など、御前にものたまはせ、人々ものたまへど、「なにせむにか、さばかりのことを承りながら啓しはべらむ」など、まめやかにうんじ心憂がれば、
現代語訳帝もお聞きになって、『(清少納言は)とても先の見通しをもって言い張ったものだ』と、殿上人たちにもおっしゃったそうです。それにしても、その歌を話しなさい。今はこうしてうちあけたのだから、(あなたが)勝ったのと同じことです。話しなさい」などと、中宮様もおっしゃり、女房たちも言いなさるけれど、(わたしが)「どうして、あれほどのこと(雪山を捨てさせたこと)をうかがっておきながら、(歌など)申し上げられましょうか」などと、本気でしょんぼりして情けながっていると、
- 「上」は帝(一条天皇)。中宮の会話の中で、帝の動作に「聞こしめす」「仰せらる」と尊敬語を使っている=中宮から帝への敬意。会話の中の敬語は「話し手から」の敬意。→敬意の方向(会話文は話し手から)
- 中宮は「あなたの勝ちと同じ」と認めて、作者の歌を聞きたがっている。
- 「なにせむにか〜む」は反語(どうして〜しようか、いや〜しない)。
- 「承る」は「聞く・受ける」の謙譲語。作者は、すねて歌を言おうとしない。
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上も渡らせたまひて、「まことに、年ごろは、おぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと思ひし」など仰せらるるに、いとどうく、うち泣きぬべき心地ぞする。
現代語訳帝もこちらへおいでになって、「ほんとうに、長年、(中宮が)お気に入りの人であるようだと見ていたのに、これ(今度のこと)で変だと思ったよ」などとおっしゃるので、ますますつらくて、今にも泣いてしまいそうな気持ちがする。
- 帝の会話の中の「おぼす」は、帝から中宮への敬意。地の文の「渡らせたまふ」「仰せらる」は作者から帝への敬意。同じ文の中で、敬意の向きが2つある。→敬意の方向(誰から誰へ)の見分け方
- 帝は冗談で作者をからかっている。「ぬべし」は強意+推量(今にも〜しそうだ)。→助動詞「べし」と「ぬべし・つべし」
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「いで、あはれ。いみじく憂き世ぞかし。後に降り積みてはべりし雪を、うれしと思ひはべりしに、『それはあいなし。かき捨てよ』と仰せ言はべりしよ」と申せば、「まことに勝たせじとおぼしけるならむ」と、上も笑はせたまふ。
現代語訳(わたしが)「ああ、なんとまあ。ほんとうにつらい世の中ですこと。後から降り積もりました雪を、うれしいと思っておりましたのに、『それは筋ちがいです。かき捨てなさい』とご命令がございましたのよ」と申し上げると、「ほんとうに(中宮は、あなたを)勝たせまいとお思いになったのだろう」と、帝もお笑いになる。
- 「勝たせじ」の「せ」は使役(勝たせる)、「じ」は打消意志(〜まい)。中宮が作者を「勝たせまい」とした、と帝が冗談を言って、話はなごやかに終わる。
- 元日の雪をかき捨てさせた中宮のおことば(第19段落)が、ここで結末とつながる。作者はくやしさと、中宮・帝にかまってもらえたうれしさの入りまじった気持ちで、この思い出を書いている。


雪山の段の敬語:敬意の方向を図で確かめる

重要な古語(単語帳)
| 古語 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
| かたはらいたし | かたわらいたし | (見て・聞いて)いたたまれない・みっともない |
| にくし | にくし | 気にくわない・いやな感じだ |
| あはれなり | あわれなり | しみじみと心を動かされる・気の毒だ |
| はしたなし | はしたなし | きまりが悪い・中途半端だ |
| あらがふ | あらがう | 言い争う・言い張る |
| おどろく | おどろく | 目を覚ます・はっと気づく |
| うつくし | うつくし | かわいらしい |
| ゆかし | ゆかし | 見たい・知りたい(心がひかれる) |
| うしろめたし | うしろめたし | 気がかりだ・心配だ |
| 心もとなし | こころもとなし | 待ち遠しい・じれったい |
| あさまし | あさまし | 驚きあきれる |
| ねたし | ねたし | くやしい・しゃくだ |
| あいなし | あいなし | 筋ちがいだ・つまらない |
| 啓す | けいす | (中宮・皇太子に)申し上げる |
| 大殿籠る | おおとのごもる | おやすみになる(寝るの尊敬語) |
テストに出る問題(答えは押すと開く)
問1 作者は、雪の山がいつまで残ると予想した?
正月の十余日まで(十五日まで)。ほかの女房たちは「年内(大みそか)までももたない」と予想した。
問2 雪の山が十五日の朝に消えていたのはなぜ?
中宮定子が十四日の夕方に侍たちに命じて、取り捨てさせたから。
問3 「斎院には、これより聞こえさせたまふ」の敬語について、敬意の方向を説明しなさい。
「聞こえさせ」は謙譲語で作者から斎院への敬意、「たまふ」は尊敬語で作者から中宮への敬意(二方面への敬語)。
問4 「いとかしこしとなむ思ひたまふる」の「たまふる」は何?
謙譲の補助動詞「たまふ」(下二段活用)の連体形。「存じます」と訳し、作者(話し手)から中宮(聞き手)への敬意。上の「なむ」の結びで連体形。
問5 「ここにのみめづらしと見る雪の山ところどころにふりにけるかな」の掛詞を説明しなさい。
「ふり」に「降り」と「古り」をかけている。どこでも雪山を作っているので、もう古くさいという意味をこめている。
問6 「今年の初雪にも降り添ひなまし」の「なまし」を文法的に説明しなさい。
強意の助動詞「ぬ」の未然形「な」+反実仮想の助動詞「まし」。取り捨てなければ初雪まで残っていただろうに、という意味。
問7 「おどろかせたまひて」の「おどろく」の意味は?
目を覚ます。今の「びっくりする」ではない。
問8 「人々啓したまひし」の「啓す」は誰に申し上げる言葉?
中宮(や皇太子)に申し上げる謙譲語。帝には「奏す」を使う(絶対敬語)。

枕草子「職の御曹司におはしますころ(雪山)」原文(全文・通し)
1文ずつ区切らずに、原文を通して読みたい人・音読したい人のための全文です。
職の御曹司におはしますころ、西の廂に、不断の御読経あるに、仏などかけたてまつり、僧どものゐたるこそ、さらなることなれ。
二日ばかりありて、縁のもとに、あやしき者の声にて、「なほ、かの御仏供のおろしはべりなむ」と言へば、「いかでか、まだきには」と答ふるを、何の言ふにかあらむと立ち出でて見れば、なま老いたる女法師の、いみじうすすけたる衣を着て、猿のさまにて言ふなりけり。
「あれは何事言ふぞ」と言へば、声ひきつくろひて、「仏の御弟子にさぶらへば、仏のおろしたべと申すを、この御坊たちの惜しみたまふ」と言ふ。はなやかに、みやびかなり。
かかる者は、うちうんじたるこそあはれなれ、うたても、はなやかなるかなとて、「異物は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。いとたふときことかな」と言ふけしきを見て、「などか異物も食べざらむ。それがさぶらはねばこそ取り申しはべれ」と言へば、くだもの、ひろき餅などを物に入れて取らせたるに、むげに仲よくなりて、よろづのことを語る。
若き人々出で来て、「男やある」「いづこにか住む」など口々に問ふに、をかしきこと、そへごとなどすれば、「歌は歌ふや」「舞などはするか」と問ひも果てぬに、「夜は誰と寝む、常陸の介と寝む、寝たる肌もよし」。これが末いと多かり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つ、さぞ名は立つ」と頭をまろがし振る。いみじうにくければ、笑ひにくみて、「往ね、往ね」と言ふも、いとをかし。
「これに何取らせむ」と言ふを聞かせたまひて、「いみじう、などかくかたはらいたきことはせさせつる。えこそ聞かで、耳をふたぎてありつれ。その衣一つ取らせて、とくやりてよ」と仰せらるれば、取りて、「それ賜はらするぞ。衣すすけたり。白うて着よ」とて投げ取らせたれば、伏し拝みて、肩にうちかけて舞ふものか。まことににくくて、みな入りにし。
後には、ならひたるにや、常に見えしらがひありく。やがて常陸の介とつけたり。衣も白めず、同じすすけにてあれば、いづち遣りてけむ、など憎む。
右近の内侍の参りたるに、「かかる者をなむ、語らひつけて置きためる。すかして常に来ること」とて、ありしやうなど、小兵衛といふ人にまねばせて聞かせたまへば、「かれ、いかで見はべらむ。かならず見せさせたまへ。御得意ななり。さらに、よも語らひとらじ」など笑ふ。
その後、また、尼なる乞食の、いとあてやかなるが出で来たるを、また呼び出でて物など問ふに、これはいと恥づかしげに思ひてあはれなれば、例の衣一つ賜はせたるを、伏し拝むは、されどよし。さて、うち泣きよろこびて往ぬるを、はや、この常陸の介、来あひて見てけり。その後、久しう見えねど、誰かは思ひ出でむ。
さて、師走の十余日のほどに、雪いみじう降りたるを、女官どもなどして、縁にいと多く置くを、「同じくは、庭にまことの山を作らせはべらむ」とて、侍召して、「仰せ言にて」と言へば、集まりて作る。主殿寮の人にて御きよめに参りたるなども、みな寄りて、いと高う作りなす。宮司なども参り集まりて、言加へ興じ、三四人参りつる主殿寮の者ども、二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しにつかはしなどす。
「今日この山作る人には、日三日賜ぶべし。また参らざらむ者は、また同じ数とどめむ」など言へば、聞きつけてまどひ参るもあり。里遠きは、え告げやらず。作り果てつれば、宮司召して、絹二結ひ取らせて、縁に投げ出だしたるを、一つづつ取りに寄りて、拝みつつ腰にさしてみなまかでぬ。袍など着たるは、さて狩衣にぞある。
「これ、いつまでありなむ」と人々にのたまはするに、「十日はありなむ」「十余日はありなむ」など、ただこのころのほどを、ある限り申すに、「いかに」と問はせたまへば、「正月の十余日までははべりなむ」と申すを、御前にも、えさはあらじとおぼしめしたり。女房はすべて、「年のうち、晦日までもえあらじ」とのみ申すに、
あまり遠くも申しつるかな、げにえしもやあらざらむ、ついたちなどぞ言ふべかりける、と下には思へど、さはれ、さまでなくと言ひそめてむことは、とて、かたうあらがひつ。
二十日のほどに雨降れど、消ゆべきやうもなし。少し丈ぞ劣りもてゆく。「白山の観音、これ消えさせたまふな」と祈るも、物狂ほし。
さて、その山作りたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥さし出だして物など言ふに、「今日、雪の山作らせたまはぬ所なむなき。御前の壺にも作らせたまへり。春宮にも、弘徽殿にも作られたり。京極殿にも作らせたまへりけり」など言へば、
ここにのみめづらしと見る雪の山
ところどころにふりにけるかな
と、かたはらなる人して言はすれば、たびたび傾きて、「返しはつかうまつりけがさじ。あざれたり。御簾の前にて人にを語りはべらむ」とて立ちにき。歌いみじう好むと聞くものを、あやし。御前に聞こしめして、「いみじうよくとぞ思ひつらむ」とぞのたまはする。
晦日がたに、少し小さくなるやうなれど、なほいと高くてあるに、昼つ方、縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。「など、いと久しう見えざりつる」と問へば、「何かは。心憂きことのはべりしかば」と言ふ。「何ごとぞ」と問ふに、「なほかう思ひはべりしなり」とて、ながやかによみ出づ。
うらやまし足もひかれずわたつ海の
いかなるあまに物賜ふらむ
と言ふを、憎み笑ひて、人の目も見入れねば、雪の山に登り、かかづらひありきて往ぬる後に、
右近の内侍に、かくなむと言ひやりたれば、「などか人添へては賜はせざりし。かれがはしたなくて、雪の山まで登りつたひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。
さて、雪の山はつれなくて年も返りぬ。一日の日の夜、雪のいと多く降りたるを、うれしくもまた積みつるかなと見るに、「これはあいなし。初めのをば置きて、今のをばかき捨てよ」と仰せらる。
上にて局へいととく下るれば、侍の長なる者、柚の葉のごとくなる宿直衣の袖の上に、青き紙の松につけたるを置きて、わななき出でたり。「それはいづこのぞ」と問へば、「斎院より」と言ふに、ふとめでたうおぼえて、取りて参りぬ。
まだ大殿籠りたれば、まづ御帳にあたりたる御格子を、碁盤などかき寄せて、一人念じて上ぐる、いと重し。片つ方なればきしめくに、おどろかせたまひて、「などさはすることぞ」とのたまはすれば、「斎院より御文のさぶらはむには、いかでか急ぎ上げはべらざらむ」と申すに、「げにいととかりけり」とて起きさせたまへり。
御文開けさせたまへれば、五寸ばかりなる卯槌二つを、卯杖のさまに頭などを包みて、山橘、日陰、山菅など、うつくしげに飾りて、御文はなし。「ただなるやうあらむやは」とて御覧ずれば、卯槌の頭包みたる小さき紙に、
山とよむ斧の響きをたづぬれば
いはひの杖の音にぞありける
御返し書かせたまふほども、いとめでたし。斎院には、これより聞こえさせたまふも、御返しも、なほ心ことに、書きけがし多う、御用意見えたり。御使に、白き織物の単衣、蘇芳なるは梅なめりかし。雪の降りしきたるに、かづきて参るも、をかしう見ゆ。そのたびの御返しを知らずなりにしこそ口惜しかりしか。
雪の山は、まことに越のにやあらむと見えて、消えげもなし。黒うなりて、見るかひなきさまぞしたる。勝ちぬる心地して、いかで十五日待ちつけさせむと念ずれど、「七日をだにえ過ぐさじ」となほ言へば、いかでこれ見果てむと皆人思ふほどに、
にはかに三日、内裏へ入らせたまふべし。いみじう口惜し。この山の果てを知らでやみなむことと、まめやかに思ふほどに、人も「げにゆかしかりつるものを」など言ふ。御前にも仰せらる。
同じくは言ひ当てて御覧ぜさせばやと思へるかひなければ、御物の具運び、いみじうさわがしきにあはせて、木守といふ者の、築地のほどに廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼び寄せて、「この雪の山いみじう守りて、童べなどに踏み散らさせ、こぼたせで、十五日までさぶらはせ。よく守りて、その日にあたらば、めでたき禄賜はせむとす。わたくしにも、いみじきよろこび言はむ」など語らひて、
常に台盤所の人、下衆などに乞ひて来るる、くだものや何やと、いと多く取らせたれば、うち笑みて、「いとやすきこと。たしかに守りはべらむ。童べぞ登りはべらむ」と言へば、「それを制して聞かざらむ者をば、事の由を申せ」など言ひ聞かせて、入らせたまひぬれば、七日までさぶらひて出でぬ。そのほども、これがうしろめたければ、おほやけ人、すまし、長女などして、絶えずいましめにやる。七日の節供のおろしなどをやれば、拝みつることなど、帰りては笑ひあへり。
里にても、まづ明くるすなはち、これを大事にて見せにやる。十日のほどには、五六尺ばかりありと言へば、うれしく思ふに、十三日の夜、雨いみじう降れば、これにぞ消えぬらむと、いみじう口惜し。「今一日も待ちつけで」と、夜も起きゐて言ひ嘆けば、聞く人も「物狂ほし」と笑ふ。
人の起きて行くに、やがて起きゐて、下衆起こさするに、さらに起きねば、いみじう憎み腹立たれて、起き出でたるをやりて見すれば、「円座ばかりになりてはべる。木守いとかしこう、童べも寄せで守りて、明日、明後日までもさぶらひぬべし。禄賜はらむと申す」と言へば、
いみじううれしくて、いつしか明日にならば、歌よみて、物に入れて参らせむと思ふも、いと心もとなうわびし。まだ暗きに起きて、折櫃など具せさせて、「これに白からむ所、ひたもの入れて持て来。きたなげならむ所、かき捨てて」など言ひくくめてやりたれば、
いととく、持たせてやりつる物ひきさげて、「はやう失せはべりにけり」と言ふに、いとあさまし。をかしうよみ出でて、人にも語り伝へさせむと、うめき誦じつる歌も、あさましうかひなく、「いかにしつるならむ。昨日さばかりありけむものを、夜のほどに消えぬらむこと」と言ひくんずれば、
「木守が申しつるは、『昨日いと暗うなるまではべりき。禄賜はらむと思ひつるものを、賜はらずなりぬること』と、手を打ちて申しはべりつる」と言ひ騒ぐに、内裏より仰せ言ありて、「さて、雪は今日までありや」とのたまはせたれば、いとねたう口惜しけれど、
「『年のうち、ついたちまでだにあらじ』と人々啓したまひし。昨日の夕暮れまではべりしは、いとかしこしとなむ思ひたまふる。今日までは、あまりのことになむ。夜のほどに、人の憎みて取り捨ててはべるにや、となむ推し量りはべると啓せさせたまへ」など聞こえさせつ。
さて二十日参りたるにも、まづこのことを御前にても言ふ。「みな消えつ」とて、蓋のかぎり引きさげて持て来たりつる、帽子のさまにて、すなはちまうで来たりつるが、あさましかりしこと、物の蓋に小山うつくしう作りて、白き紙に歌いみじう書きて参らせむとせしことなど啓すれば、いみじく笑はせたまふ。
御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひたることをたがへつれば、罪得らむ。まことは、十四日の夕さり、侍どもやりて取り捨てさせしぞ。返り事に言ひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。
その翁出で来て、いみじう手をすりて言ひけれど、『仰せ言ぞ。かの里より来たらむ人に、かくとも聞かすな。さらば、屋うちこぼたせむ』と言ひて、左近の司、南の築地の外にみな取り捨ててし。『いと高くて多くなむありつる』と言ふなりしかば、げに二十日までも待ちつけて、ようせずは、今年の初雪にも降り添ひなまし。
上も聞こしめして、『いと思ひやり深くあらがひたり』と殿上人どもにも仰せられけり。さても、その歌語れ。今はかく言ひあらはしつれば、同じこと、勝ちたるなり。語れ」など、御前にものたまはせ、人々ものたまへど、「なにせむにか、さばかりのことを承りながら啓しはべらむ」など、まめやかにうんじ心憂がれば、
上も渡らせたまひて、「まことに、年ごろは、おぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと思ひし」など仰せらるるに、いとどうく、うち泣きぬべき心地ぞする。
「いで、あはれ。いみじく憂き世ぞかし。後に降り積みてはべりし雪を、うれしと思ひはべりしに、『それはあいなし。かき捨てよ』と仰せ言はべりしよ」と申せば、「まことに勝たせじとおぼしけるならむ」と、上も笑はせたまふ。
枕草子「職の御曹司におはしますころ(雪山)」現代語訳(全文・通し)
中宮様が職の御曹司にいらっしゃったころ、西の廂の間で、絶え間なくお経を読む行事(不断の御読経)があったので、仏の絵などをお掛け申し上げ、僧たちが座っているのは、言うまでもないことである。
二日ほどたって、縁側のそばで、みすぼらしい者の声で、「やはり、その仏様へのお供えのお下がりをいただきとうございます」と言うと、(僧が)「どうして、まだ早いのに(やれようか)」と答えるのを、何を言っているのだろうと出て行って見ると、少し年をとった尼が、ひどくすすけた着物を着て、猿のような格好で言っているのだった。
(わたしが)「あの人は何を言っているのか」と言うと、(尼は)声をとりつくろって、「仏のお弟子でございますので、仏様のお下がりをくださいと申し上げるのを、このお坊様たちが惜しみなさるのです」と言う。(その口ぶりは)はでで、上品ぶっている。
こういう者は、しょんぼりしているのがしみじみと気の毒に思えるものなのに、いやにまあ、はでな様子だなあと思って、(わたしが)「ほかの物は食べないで、ただ仏様のお下がりだけを食べるのか。とても尊いことだね」と言う様子を見て、(尼が)「どうしてほかの物を食べないことがありましょうか(何でも食べます)。それがございませんからこそ、(お下がりを)いただき申し上げるのです」と言うので、果物や、平たい餅などを入れ物に入れて与えたところ、すっかり仲よくなって、いろいろなことを話す。
若い女房たちが出て来て、「夫はいるの」「どこに住んでいるの」などと口々にたずねると、(尼は)おもしろいことや冗談などを言うので、「歌は歌うの」「舞などはするの」と聞き終わらないうちに、「夜はだれと寝よう、常陸の介と寝よう、寝た肌もよい」(と歌い出す)。この歌の続きがとても長い。また、「男山の峰の紅葉の葉、それでこそ評判が立つ、それでこそ評判が立つ」と(歌いながら)頭をぐるぐると振る。ひどく気にくわないので、(女房たちは)笑いながらも嫌がって、「行っておしまい、行っておしまい」と言うのも、とてもおもしろい。
「この者に何を与えようか」と(女房たちが)言うのをお聞きになって、(中宮様は)「ほんとうに、どうしてこんなに聞き苦しいことをさせたのですか。とても聞いていられなくて、耳をふさいでいました。その着物を一枚与えて、早く帰してしまいなさい」とおっしゃるので、(女房が着物を)受け取って、「それを(中宮様が)くださるのだよ。着物がすすけている。白くして着なさい」と言って投げて与えると、(尼は)ひれ伏して拝んで、(着物を)肩にかけて舞うではないか。ほんとうに気にくわなくて、みな(奥へ)入ってしまった。
その後は、慣れてしまったのだろうか、いつも目につくようにうろうろしている。そのまま(あの歌から)「常陸の介」とあだ名をつけた。着物も白くせず、同じすすけた姿でいるので、(もらった着物は)どこへやってしまったのだろう、などと憎らしく思う。
右近の内侍が参上したときに、(中宮様が)「こんな者を、(女房たちが)手なずけて置いているようです。だまして(呼び寄せて)、いつも来ることといったら」と言って、そのときの様子などを、小兵衛という女房にまねをさせてお聞かせになると、(右近の内侍は)「その者を、何とかして見とうございます。ぜひ見せてくださいませ。(女房たちの)お気に入りのようですね。けっして横取りなどいたしますまい」などと笑う。
その後、また、尼である物ごいで、とても上品な人が出て来たのを、また呼び出して事情などをたずねると、この人はたいそう恥ずかしそうにしていてしみじみ気の毒なので、(中宮様が)いつものように着物を一枚お与えになったのを、ひれ伏して拝むのは、それでも(さっきの者とちがって)好ましい。そうして(その尼が)泣いて喜んで帰って行くのを、なんと、あの常陸の介が来合わせて見てしまっていた。その後、(常陸の介は)長いあいだ姿を見せないが、だれが思い出したりするだろうか(だれも思い出さない)。
さて、十二月の十日過ぎのころに、雪がたくさん降ったのを、女官たちに(命じて)縁側にとてもたくさん積ませていたのだが、(わたしたちが)「同じことなら、庭に本物の山を作らせましょう」と言って、侍を呼んで、「(中宮様の)ご命令で」と言うと、(侍たちが)集まって作る。主殿寮(宮中の掃除などをする役所)の人で、お掃除に参上していた者なども、みな寄ってきて、とても高く作りあげる。中宮職の役人たちも参上して集まって、口出しをしておもしろがり、三、四人参上していた主殿寮の者たちが、二十人ほどになってしまった。自宅に下がっている侍まで呼びにやったりする。
「今日この山を作る人には、三日分の休みをくださるはずだ。また、参上しない者は、同じ日数だけ(休みを)取りあげよう」などと言うと、聞きつけてあわてて参上する者もいる。家の遠い者には、知らせることができない。作り終わったので、中宮職の役人を呼んで、絹を二束(ほうびとして)与えて、縁側に投げ出したのを、一つずつ取りに寄って、拝みながら腰にさしてみな退出した。(ふだんは)正装の袍を着ている者も、この日は狩衣姿である。
(中宮様が)「これは、いつまで残っているでしょう」と女房たちにおっしゃると、「十日はきっと残るでしょう」「十日余りはきっと残るでしょう」などと、ただ近いうちの日数を、そこにいる者がみな申し上げるので、(中宮様がわたしに)「あなたはどう思いますか」とおたずねになるので、(わたしが)「正月の十日過ぎまではございましょう」と申し上げるのを、中宮様も、とてもそこまではもつまいとお思いになっている。女房たちはみな、「年内の大みそかまでも残らないでしょう」とばかり申し上げるので、
あまりに先の日を申し上げてしまったなあ、ほんとうにそこまではもたないかもしれない、元日ごろなどと言うべきだったなあ、と心の中では思うけれど、ままよ、そこまでもたなくても、一度言い出してしまったことは(引っこめられない)、と思って、強く言い張った。
二十日ごろに雨が降るけれど、(雪山は)消えそうな様子もない。少し高さが低くなっていく。「白山の観音様、これを消えさせなさいますな」と祈るのも、正気ではないようだ。
さて、その山を作った日、(帝の)お使いとして式部丞の忠隆が参上したので、敷物をさし出して話などをすると、(忠隆が)「今日は、雪の山をお作りにならない所はありません。帝の御前の中庭にもお作りになりました。春宮様のところにも、弘徽殿にもお作りになりました。京極殿(藤原道長の邸)でもお作りになったそうです」などと言うので、
「ここだけで珍しいと思って見ている雪の山は、あちこちで降って(作られて)いて、もう古くさいものになってしまったのですね」と、そばにいる女房に言わせると、(忠隆は)何度も首をかしげて、「返歌はへたな歌で汚すことはいたしますまい。(あまりに)しゃれています。御簾の前で(ほかの)人に話して聞かせましょう」と言って立ち去った。(忠隆は)歌をとても好むと聞いていたのに、(返歌をしないとは)変だ。中宮様がお聞きになって、「(あなたが)とても上手に詠めたと思ったのでしょうね」とおっしゃる。
月末ごろに、(雪山は)少し小さくなったようだけれど、まだとても高く残っていたところ、昼ごろ、縁側に女房たちが出て座ったりしていると、常陸の介がやって来た。「どうして、ずいぶん長いあいだ顔を見せなかったの」とたずねると、「いえ、なに。つらいことがございましたので」と言う。「何があったの」とたずねると、「やはりこう思っていたのでございます」と言って、長々と(歌を)詠み上げる。「うらやましいことです。足も(重くて)動かせずにいるのに、海の、どんな海女(尼)に(中宮様は)物をくださるのでしょう」と言うのを、(女房たちは)憎らしがって笑い、だれも目もくれないので、(常陸の介は)雪の山に登って、うろうろと歩き回って帰って行った後に、
右近の内侍に、これこれでしたと言ってやると、「どうして(その者に)人を付き添わせて、こちらにくださらなかったのですか。その者がきまり悪くなって、雪の山にまで登って伝い歩いたというのは、ほんとうにかわいそうです」と返事があったのを、また笑う。
さて、雪の山は平気な顔で(消えずに)年も明けた。元日の夜、雪がとてもたくさん降ったのを、うれしいことにまた積もったなあと見ていると、(中宮様が)「これは筋ちがいです。初めの分は残して、新しく積もった分はかき捨てなさい」とおっしゃる。
(その朝)中宮様のお部屋から自分の部屋へとても早く下がると、侍の長である者が、柚の葉のような(濃い緑色の)宿直用の着物の袖の上に、青い紙を松の枝に結びつけたものを置いて、(寒さに)ふるえながら出て来た。「それはどこからの(手紙)か」とたずねると、「斎院から」と言うので、すぐにすばらしいことだと思って、受け取って(中宮様のところへ)参上した。
(中宮様は)まだおやすみになっていたので、まず御帳台の正面にあたる格子を、碁盤などを引き寄せて(踏み台にして)、一人でがまんして上げるのが、とても重い。片側だけなのできしんで音を立てると、(中宮様が)目をお覚ましになって、「どうしてそんなことをするの」とおっしゃるので、(わたしが)「斎院からお手紙がございますのに、どうして急いで格子を上げないでいられましょうか」と申し上げると、(中宮様は)「ほんとうにずいぶん早く来たものですね」と言ってお起きになった。
(中宮様が)お手紙をお開けになると、五寸ほどの卯槌を二つ、卯杖のような形に頭のところなどを包んで、山橘・日陰のかずら・山菅などで、かわいらしく飾ってあって、手紙はない。「何もないということがあろうか(いや、ないはずはない)」と言ってご覧になると、卯槌の頭を包んである小さな紙に、「山に鳴りひびく斧の音は何かとたずねてみたら、(木を切る音ではなく)お祝いの杖(卯杖)を作る音だったのですね」(と書いてある)。
(中宮様が)お返事をお書きになる様子も、たいへんすばらしい。斎院には、こちら(中宮様)からお手紙をさし上げなさるときも、お返事のときも、やはり特別に気をつかって、何度も書き損じをなさり、ご用心の深さが見える。(斎院の)お使いの者に、(ほうびとして)白い織物の単衣で、(裏が)蘇芳色のものは梅襲であるようだ。雪の降りしきる中を、(それを)肩にかけて帰って行くのも、趣深く見える。そのときの(中宮様の)お返事の歌を知らずに終わってしまったのが残念だった。
雪の山は、ほんとうに越の国(の雪山)なのだろうかと見えるほどで、消えそうな様子もない。黒く汚れて、見る値うちもない姿になっている。(わたしは)もう勝った気持ちがして、何とかして十五日まで(雪山に)もたせたいと祈るけれど、(女房たちは)「七日さえ越せないだろう」とやはり言うので、何とかしてこの結末を見届けたいとみなが思っているうちに、
急に、(正月)三日に、(中宮様は)宮中へお入りになることになった。とても残念だ。この雪山の最後を知らずに終わってしまうことだと、本気で思っていると、ほかの女房も「ほんとうに(結末を)知りたかったのに」などと言う。中宮様もそうおっしゃる。
同じことなら(日数を)言い当てて(中宮様に)お見せしたいと思っていたかいがないので、(お引っ越しの)お道具を運んでたいへんさわがしいのにまぎれて、木守という者で、築地塀のそばに小屋を作って住んでいる者を、縁側の近くに呼び寄せて、「この雪の山をしっかり守って、子どもたちなどに踏み散らさせたり、こわさせたりしないで、十五日まで残しておきなさい。よく守ってその日になったら、(中宮様が)すばらしいほうびをくださるでしょう。わたし個人からも、たっぷりお礼をしよう」などと話をつけて、
(木守が)いつも台所の女房や下働きの者などにねだってもらっている果物や何やかやを、たくさん与えたので、(木守は)にっこりして、「たやすいことです。たしかにお守りいたしましょう。子どもたちが登るでしょうね」と言うので、「それを止めても言うことを聞かない者がいたら、そのわけを(こちらへ)申し出なさい」などと言い聞かせて、(中宮様が宮中へ)お入りになったので、(わたしも)七日までお仕えして(実家へ)退出した。その間も、雪山のことが気がかりなので、宮仕えの下働きの女たちなどを使って、絶えず(木守に)注意しに行かせる。七日の節句のお下がりなどを(木守に)やると、(木守が)拝んだ様子などを、(使いの者は)帰って来ては笑い合っている。
実家にいても、まず夜が明けるとすぐに、雪山のことを一大事として(人を)見にやる。十日ごろには、五、六尺ほど残っていると言うので、うれしく思っていたが、十三日の夜、雨がひどく降るので、これで消えてしまっているだろうと、とても残念だ。「あと一日も(もちこたえて)待てないで」と、夜も起きていて嘆くので、聞く人も「正気じゃない」と笑う。
人が起きて出て行くときに、(わたしも)そのまま起きていて、下働きの者を起こさせるが、まったく起きないので、ひどく憎らしくて腹が立ってきて、やっと起きて来た者を(雪山へ)やって見させると、(使いの者が)「円座(丸い敷物)くらいの大きさになっております。木守がたいそうしっかりと、子どもたちも近寄せないで守っていて、明日、あさってまでもきっと残っているでしょう。ほうびをいただきたいと申しております」と言うので、
とてもうれしくて、早く明日になったら、歌を詠んで、(雪を)入れ物に入れて(中宮様に)差し上げようと思うにつけても、とても待ち遠しくてつらい。まだ暗いうちに起きて、折櫃(木の箱)などを持たせて、「これに白いところを、ひたすら入れて持って来なさい。汚れていそうなところは、かき捨てて」などと言い含めて行かせると、
とても早く、持たせてやった箱をぶらさげて(帰って来て)、「とっくに消えてしまっておりました」と言うので、まったくあきれてしまう。上手に詠んで、人にも語り伝えさせようと、うなりながら口ずさんで作った歌も、あきれるほどむだになって、「いったいどうしたのだろう。昨日はあれほど残っていたというのに、一晩のうちに消えてしまったなんて」と言ってしょげていると、
(使いの者が)「木守が申しましたことには、『昨日はすっかり暗くなるまで(雪山は)ございました。ほうびをいただこうと思っていたのに、いただけなくなってしまったことよ』と、手を打って(くやしがって)申しておりました」と言って騒いでいると、宮中から(中宮様の)おことばがあって、「それで、雪は今日まで残っていましたか」とおっしゃってきたので、とてもくやしく残念だけれど、
(わたしは)「『年内、元日までさえもたないでしょう』と女房の方々は(中宮様に)申し上げなさいました。(それが)昨日の夕暮れまでございましたのは、たいへんなことだと存じます。今日までというのは、あまりに欲ばりなことでございまして。夜のうちに、だれかが(わたしを)憎らしく思って取り捨てたのではないか、と推測しております、と(中宮様に)申し上げてください」などと(お使いに託して)申し上げた。
さて、二十日に(宮中へ)参上したときにも、まずこの話を中宮様の御前でもする。「すっかり消えました」と言って、(使いの者が)箱の蓋だけをぶらさげて、帽子のような格好で、すぐに帰って来たのがあきれたこと、物の蓋にかわいらしく小さな山を作って、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようとしたことなどを申し上げると、(中宮様は)たいそうお笑いになる。
御前にいる女房たちも笑うと、(中宮様は)「こんなに一生けんめいに思っていたことを(わたしが)だめにしてしまったのだから、(仏の)罰を受けるでしょうね。実は、十四日の夕方、侍たちをやって取り捨てさせたのですよ。(あなたが)返事の中で(そのことを)言い当てていたのは、とてもおもしろかった。
あの木守の翁が出て来て、ひどく手をすり合わせて頼んだけれど、(侍たちは)『ご命令だぞ。あの人の実家から来るような人に、こうだとも知らせるな。(知らせたら)おまえの小屋をこわさせるぞ』と言って、左近衛府の南の築地塀の外に、全部捨ててしまったそうです。(侍たちが)『とても高くてたくさん残っていました』と言っていたのだから、ほんとうに二十日までも残っていて、うまくいけば、今年の初雪までも降り加わって(残って)いたでしょうに。
帝もお聞きになって、『(清少納言は)とても先の見通しをもって言い張ったものだ』と、殿上人たちにもおっしゃったそうです。それにしても、その歌を話しなさい。今はこうしてうちあけたのだから、(あなたが)勝ったのと同じことです。話しなさい」などと、中宮様もおっしゃり、女房たちも言いなさるけれど、(わたしが)「どうして、あれほどのこと(雪山を捨てさせたこと)をうかがっておきながら、(歌など)申し上げられましょうか」などと、本気でしょんぼりして情けながっていると、
帝もこちらへおいでになって、「ほんとうに、長年、(中宮が)お気に入りの人であるようだと見ていたのに、これ(今度のこと)で変だと思ったよ」などとおっしゃるので、ますますつらくて、今にも泣いてしまいそうな気持ちがする。
(わたしが)「ああ、なんとまあ。ほんとうにつらい世の中ですこと。後から降り積もりました雪を、うれしいと思っておりましたのに、『それは筋ちがいです。かき捨てなさい』とご命令がございましたのよ」と申し上げると、「ほんとうに(中宮は、あなたを)勝たせまいとお思いになったのだろう」と、帝もお笑いになる。
枕草子「職の御曹司におはしますころ(雪山)」原文と現代語訳の印刷用ページ(A4・左右に並べて)
よくある質問(枕草子の基本)
枕草子の作者は誰?
清少納言です。一条天皇の中宮定子に仕えた女房で、歌人の清原元輔の娘です。
枕草子はいつの作品?
平安時代の中ごろ、1000年(長保2年)前後に書かれたとされます。
枕草子の冒頭(書き出し)は?
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」です。
枕草子はどんな作品?
日本最古の随筆とされ、鴨長明『方丈記』、兼好法師(吉田兼好)『徒然草』と並ぶ三大随筆の一つです。「〜もの」と物を集める類聚章段、自然や人を見て感じたことを書く随想章段、宮仕えの思い出を書く回想(日記)章段の3種類の段があり、「をかし」の文学と呼ばれます。
枕草子の目次(教科書に出る段)
枕草子の入口(教科書に出る段の一覧・作者清少納言と中宮定子) 「定番」は教科書によく出る段です。
- 枕草子「春はあけぼの」の原文・現代語訳とテストに出る語句 定番
- 枕草子「うつくしきもの」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「にくきもの」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「すさまじきもの」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「ありがたきもの」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「木の花は」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「虫は」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「上にさぶらふ御猫は」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「中納言参りたまひて」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「雪のいと高う降りたるを」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「宮に初めて参りたるころ」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「九月ばかり」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「五月ばかりなどに山里にありく」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「二月つごもりごろに」の原文・現代語訳 定番
- 枕草子「頭の弁の、職に参りたまひて」の原文・現代語訳 定番
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- 枕草子「この草子、目に見え心に思ふことを」の原文・現代語訳 定番
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本文は『枕草子』を、教科書で広く読まれる形(三巻本系)にそろえ、新字体・現代の送り仮名に直したものです(参考にした古い本:Wikisource の枕草子、明治の『國文大觀』〈能因本系〉)。枕草子は本によって語句や段の分け方が少しずつちがうため、段の番号ではなく段の名前で示しています。現代語訳・解説・問題・図は合格大作戦のオリジナルです。挿絵は著作権の切れた古い絵です(それぞれの絵の下に出典)。文法の用語は合格大作戦の古文文法辞典に合わせています。


