原文は教科書で広く読まれる形(三巻本系)に整えたもの(本によって語句が少しちがいます)、現代語訳は合格大作戦のオリジナルです。
| 原文 | 現代語訳 | |
|---|---|---|
| 1 | 職の御曹司におはしますころ、西の廂に、不断の御読経あるに、仏などかけたてまつり、僧どものゐたるこそ、さらなることなれ。 | 中宮様が職の御曹司にいらっしゃったころ、西の廂の間で、絶え間なくお経を読む行事(不断の御読経)があったので、仏の絵などをお掛け申し上げ、僧たちが座っているのは、言うまでもないことである。 |
| 2 | 二日ばかりありて、縁のもとに、あやしき者の声にて、「なほ、かの御仏供のおろしはべりなむ」と言へば、「いかでか、まだきには」と答ふるを、何の言ふにかあらむと立ち出でて見れば、なま老いたる女法師の、いみじうすすけたる衣を着て、猿のさまにて言ふなりけり。 | 二日ほどたって、縁側のそばで、みすぼらしい者の声で、「やはり、その仏様へのお供えのお下がりをいただきとうございます」と言うと、(僧が)「どうして、まだ早いのに(やれようか)」と答えるのを、何を言っているのだろうと出て行って見ると、少し年をとった尼が、ひどくすすけた着物を着て、猿のような格好で言っているのだった。 |
| 3 | 「あれは何事言ふぞ」と言へば、声ひきつくろひて、「仏の御弟子にさぶらへば、仏のおろしたべと申すを、この御坊たちの惜しみたまふ」と言ふ。はなやかに、みやびかなり。 | (わたしが)「あの人は何を言っているのか」と言うと、(尼は)声をとりつくろって、「仏のお弟子でございますので、仏様のお下がりをくださいと申し上げるのを、このお坊様たちが惜しみなさるのです」と言う。(その口ぶりは)はでで、上品ぶっている。 |
| 4 | かかる者は、うちうんじたるこそあはれなれ、うたても、はなやかなるかなとて、「異物は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。いとたふときことかな」と言ふけしきを見て、「などか異物も食べざらむ。それがさぶらはねばこそ取り申しはべれ」と言へば、くだもの、ひろき餅などを物に入れて取らせたるに、むげに仲よくなりて、よろづのことを語る。 | こういう者は、しょんぼりしているのがしみじみと気の毒に思えるものなのに、いやにまあ、はでな様子だなあと思って、(わたしが)「ほかの物は食べないで、ただ仏様のお下がりだけを食べるのか。とても尊いことだね」と言う様子を見て、(尼が)「どうしてほかの物を食べないことがありましょうか(何でも食べます)。それがございませんからこそ、(お下がりを)いただき申し上げるのです」と言うので、果物や、平たい餅などを入れ物に入れて与えたところ、すっかり仲よくなって、いろいろなことを話す。 |
| 5 | 若き人々出で来て、「男やある」「いづこにか住む」など口々に問ふに、をかしきこと、そへごとなどすれば、「歌は歌ふや」「舞などはするか」と問ひも果てぬに、「夜は誰と寝む、常陸の介と寝む、寝たる肌もよし」。これが末いと多かり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つ、さぞ名は立つ」と頭をまろがし振る。いみじうにくければ、笑ひにくみて、「往ね、往ね」と言ふも、いとをかし。 | 若い女房たちが出て来て、「夫はいるの」「どこに住んでいるの」などと口々にたずねると、(尼は)おもしろいことや冗談などを言うので、「歌は歌うの」「舞などはするの」と聞き終わらないうちに、「夜はだれと寝よう、常陸の介と寝よう、寝た肌もよい」(と歌い出す)。この歌の続きがとても長い。また、「男山の峰の紅葉の葉、それでこそ評判が立つ、それでこそ評判が立つ」と(歌いながら)頭をぐるぐると振る。ひどく気にくわないので、(女房たちは)笑いながらも嫌がって、「行っておしまい、行っておしまい」と言うのも、とてもおもしろい。 |
| 6 | 「これに何取らせむ」と言ふを聞かせたまひて、「いみじう、などかくかたはらいたきことはせさせつる。えこそ聞かで、耳をふたぎてありつれ。その衣一つ取らせて、とくやりてよ」と仰せらるれば、取りて、「それ賜はらするぞ。衣すすけたり。白うて着よ」とて投げ取らせたれば、伏し拝みて、肩にうちかけて舞ふものか。まことににくくて、みな入りにし。 | 「この者に何を与えようか」と(女房たちが)言うのをお聞きになって、(中宮様は)「ほんとうに、どうしてこんなに聞き苦しいことをさせたのですか。とても聞いていられなくて、耳をふさいでいました。その着物を一枚与えて、早く帰してしまいなさい」とおっしゃるので、(女房が着物を)受け取って、「それを(中宮様が)くださるのだよ。着物がすすけている。白くして着なさい」と言って投げて与えると、(尼は)ひれ伏して拝んで、(着物を)肩にかけて舞うではないか。ほんとうに気にくわなくて、みな(奥へ)入ってしまった。 |
| 7 | 後には、ならひたるにや、常に見えしらがひありく。やがて常陸の介とつけたり。衣も白めず、同じすすけにてあれば、いづち遣りてけむ、など憎む。 | その後は、慣れてしまったのだろうか、いつも目につくようにうろうろしている。そのまま(あの歌から)「常陸の介」とあだ名をつけた。着物も白くせず、同じすすけた姿でいるので、(もらった着物は)どこへやってしまったのだろう、などと憎らしく思う。 |
| 8 | 右近の内侍の参りたるに、「かかる者をなむ、語らひつけて置きためる。すかして常に来ること」とて、ありしやうなど、小兵衛といふ人にまねばせて聞かせたまへば、「かれ、いかで見はべらむ。かならず見せさせたまへ。御得意ななり。さらに、よも語らひとらじ」など笑ふ。 | 右近の内侍が参上したときに、(中宮様が)「こんな者を、(女房たちが)手なずけて置いているようです。だまして(呼び寄せて)、いつも来ることといったら」と言って、そのときの様子などを、小兵衛という女房にまねをさせてお聞かせになると、(右近の内侍は)「その者を、何とかして見とうございます。ぜひ見せてくださいませ。(女房たちの)お気に入りのようですね。けっして横取りなどいたしますまい」などと笑う。 |
| 9 | その後、また、尼なる乞食の、いとあてやかなるが出で来たるを、また呼び出でて物など問ふに、これはいと恥づかしげに思ひてあはれなれば、例の衣一つ賜はせたるを、伏し拝むは、されどよし。さて、うち泣きよろこびて往ぬるを、はや、この常陸の介、来あひて見てけり。その後、久しう見えねど、誰かは思ひ出でむ。 | その後、また、尼である物ごいで、とても上品な人が出て来たのを、また呼び出して事情などをたずねると、この人はたいそう恥ずかしそうにしていてしみじみ気の毒なので、(中宮様が)いつものように着物を一枚お与えになったのを、ひれ伏して拝むのは、それでも(さっきの者とちがって)好ましい。そうして(その尼が)泣いて喜んで帰って行くのを、なんと、あの常陸の介が来合わせて見てしまっていた。その後、(常陸の介は)長いあいだ姿を見せないが、だれが思い出したりするだろうか(だれも思い出さない)。 |
| 10 | さて、師走の十余日のほどに、雪いみじう降りたるを、女官どもなどして、縁にいと多く置くを、「同じくは、庭にまことの山を作らせはべらむ」とて、侍召して、「仰せ言にて」と言へば、集まりて作る。主殿寮の人にて御きよめに参りたるなども、みな寄りて、いと高う作りなす。宮司なども参り集まりて、言加へ興じ、三四人参りつる主殿寮の者ども、二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しにつかはしなどす。 | さて、十二月の十日過ぎのころに、雪がたくさん降ったのを、女官たちに(命じて)縁側にとてもたくさん積ませていたのだが、(わたしたちが)「同じことなら、庭に本物の山を作らせましょう」と言って、侍を呼んで、「(中宮様の)ご命令で」と言うと、(侍たちが)集まって作る。主殿寮(宮中の掃除などをする役所)の人で、お掃除に参上していた者なども、みな寄ってきて、とても高く作りあげる。中宮職の役人たちも参上して集まって、口出しをしておもしろがり、三、四人参上していた主殿寮の者たちが、二十人ほどになってしまった。自宅に下がっている侍まで呼びにやったりする。 |
| 11 | 「今日この山作る人には、日三日賜ぶべし。また参らざらむ者は、また同じ数とどめむ」など言へば、聞きつけてまどひ参るもあり。里遠きは、え告げやらず。作り果てつれば、宮司召して、絹二結ひ取らせて、縁に投げ出だしたるを、一つづつ取りに寄りて、拝みつつ腰にさしてみなまかでぬ。袍など着たるは、さて狩衣にぞある。 | 「今日この山を作る人には、三日分の休みをくださるはずだ。また、参上しない者は、同じ日数だけ(休みを)取りあげよう」などと言うと、聞きつけてあわてて参上する者もいる。家の遠い者には、知らせることができない。作り終わったので、中宮職の役人を呼んで、絹を二束(ほうびとして)与えて、縁側に投げ出したのを、一つずつ取りに寄って、拝みながら腰にさしてみな退出した。(ふだんは)正装の袍を着ている者も、この日は狩衣姿である。 |
| 12 | 「これ、いつまでありなむ」と人々にのたまはするに、「十日はありなむ」「十余日はありなむ」など、ただこのころのほどを、ある限り申すに、「いかに」と問はせたまへば、「正月の十余日までははべりなむ」と申すを、御前にも、えさはあらじとおぼしめしたり。女房はすべて、「年のうち、晦日までもえあらじ」とのみ申すに、 | (中宮様が)「これは、いつまで残っているでしょう」と女房たちにおっしゃると、「十日はきっと残るでしょう」「十日余りはきっと残るでしょう」などと、ただ近いうちの日数を、そこにいる者がみな申し上げるので、(中宮様がわたしに)「あなたはどう思いますか」とおたずねになるので、(わたしが)「正月の十日過ぎまではございましょう」と申し上げるのを、中宮様も、とてもそこまではもつまいとお思いになっている。女房たちはみな、「年内の大みそかまでも残らないでしょう」とばかり申し上げるので、 |
| 13 | あまり遠くも申しつるかな、げにえしもやあらざらむ、ついたちなどぞ言ふべかりける、と下には思へど、さはれ、さまでなくと言ひそめてむことは、とて、かたうあらがひつ。 | あまりに先の日を申し上げてしまったなあ、ほんとうにそこまではもたないかもしれない、元日ごろなどと言うべきだったなあ、と心の中では思うけれど、ままよ、そこまでもたなくても、一度言い出してしまったことは(引っこめられない)、と思って、強く言い張った。 |
| 14 | 二十日のほどに雨降れど、消ゆべきやうもなし。少し丈ぞ劣りもてゆく。「白山の観音、これ消えさせたまふな」と祈るも、物狂ほし。 | 二十日ごろに雨が降るけれど、(雪山は)消えそうな様子もない。少し高さが低くなっていく。「白山の観音様、これを消えさせなさいますな」と祈るのも、正気ではないようだ。 |
| 15 | さて、その山作りたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥さし出だして物など言ふに、「今日、雪の山作らせたまはぬ所なむなき。御前の壺にも作らせたまへり。春宮にも、弘徽殿にも作られたり。京極殿にも作らせたまへりけり」など言へば、 | さて、その山を作った日、(帝の)お使いとして式部丞の忠隆が参上したので、敷物をさし出して話などをすると、(忠隆が)「今日は、雪の山をお作りにならない所はありません。帝の御前の中庭にもお作りになりました。春宮様のところにも、弘徽殿にもお作りになりました。京極殿(藤原道長の邸)でもお作りになったそうです」などと言うので、 |
| 16 | ここにのみめづらしと見る雪の山 ところどころにふりにけるかな と、かたはらなる人して言はすれば、たびたび傾きて、「返しはつかうまつりけがさじ。あざれたり。御簾の前にて人にを語りはべらむ」とて立ちにき。歌いみじう好むと聞くものを、あやし。御前に聞こしめして、「いみじうよくとぞ思ひつらむ」とぞのたまはする。 | 「ここだけで珍しいと思って見ている雪の山は、あちこちで降って(作られて)いて、もう古くさいものになってしまったのですね」と、そばにいる女房に言わせると、(忠隆は)何度も首をかしげて、「返歌はへたな歌で汚すことはいたしますまい。(あまりに)しゃれています。御簾の前で(ほかの)人に話して聞かせましょう」と言って立ち去った。(忠隆は)歌をとても好むと聞いていたのに、(返歌をしないとは)変だ。中宮様がお聞きになって、「(あなたが)とても上手に詠めたと思ったのでしょうね」とおっしゃる。 |
| 17 | 晦日がたに、少し小さくなるやうなれど、なほいと高くてあるに、昼つ方、縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。「など、いと久しう見えざりつる」と問へば、「何かは。心憂きことのはべりしかば」と言ふ。「何ごとぞ」と問ふに、「なほかう思ひはべりしなり」とて、ながやかによみ出づ。 うらやまし足もひかれずわたつ海の いかなるあまに物賜ふらむ と言ふを、憎み笑ひて、人の目も見入れねば、雪の山に登り、かかづらひありきて往ぬる後に、 | 月末ごろに、(雪山は)少し小さくなったようだけれど、まだとても高く残っていたところ、昼ごろ、縁側に女房たちが出て座ったりしていると、常陸の介がやって来た。「どうして、ずいぶん長いあいだ顔を見せなかったの」とたずねると、「いえ、なに。つらいことがございましたので」と言う。「何があったの」とたずねると、「やはりこう思っていたのでございます」と言って、長々と(歌を)詠み上げる。「うらやましいことです。足も(重くて)動かせずにいるのに、海の、どんな海女(尼)に(中宮様は)物をくださるのでしょう」と言うのを、(女房たちは)憎らしがって笑い、だれも目もくれないので、(常陸の介は)雪の山に登って、うろうろと歩き回って帰って行った後に、 |
| 18 | 右近の内侍に、かくなむと言ひやりたれば、「などか人添へては賜はせざりし。かれがはしたなくて、雪の山まで登りつたひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。 | 右近の内侍に、これこれでしたと言ってやると、「どうして(その者に)人を付き添わせて、こちらにくださらなかったのですか。その者がきまり悪くなって、雪の山にまで登って伝い歩いたというのは、ほんとうにかわいそうです」と返事があったのを、また笑う。 |
| 19 | さて、雪の山はつれなくて年も返りぬ。一日の日の夜、雪のいと多く降りたるを、うれしくもまた積みつるかなと見るに、「これはあいなし。初めのをば置きて、今のをばかき捨てよ」と仰せらる。 | さて、雪の山は平気な顔で(消えずに)年も明けた。元日の夜、雪がとてもたくさん降ったのを、うれしいことにまた積もったなあと見ていると、(中宮様が)「これは筋ちがいです。初めの分は残して、新しく積もった分はかき捨てなさい」とおっしゃる。 |
| 20 | 上にて局へいととく下るれば、侍の長なる者、柚の葉のごとくなる宿直衣の袖の上に、青き紙の松につけたるを置きて、わななき出でたり。「それはいづこのぞ」と問へば、「斎院より」と言ふに、ふとめでたうおぼえて、取りて参りぬ。 | (その朝)中宮様のお部屋から自分の部屋へとても早く下がると、侍の長である者が、柚の葉のような(濃い緑色の)宿直用の着物の袖の上に、青い紙を松の枝に結びつけたものを置いて、(寒さに)ふるえながら出て来た。「それはどこからの(手紙)か」とたずねると、「斎院から」と言うので、すぐにすばらしいことだと思って、受け取って(中宮様のところへ)参上した。 |
| 21 | まだ大殿籠りたれば、まづ御帳にあたりたる御格子を、碁盤などかき寄せて、一人念じて上ぐる、いと重し。片つ方なればきしめくに、おどろかせたまひて、「などさはすることぞ」とのたまはすれば、「斎院より御文のさぶらはむには、いかでか急ぎ上げはべらざらむ」と申すに、「げにいととかりけり」とて起きさせたまへり。 | (中宮様は)まだおやすみになっていたので、まず御帳台の正面にあたる格子を、碁盤などを引き寄せて(踏み台にして)、一人でがまんして上げるのが、とても重い。片側だけなのできしんで音を立てると、(中宮様が)目をお覚ましになって、「どうしてそんなことをするの」とおっしゃるので、(わたしが)「斎院からお手紙がございますのに、どうして急いで格子を上げないでいられましょうか」と申し上げると、(中宮様は)「ほんとうにずいぶん早く来たものですね」と言ってお起きになった。 |
| 22 | 御文開けさせたまへれば、五寸ばかりなる卯槌二つを、卯杖のさまに頭などを包みて、山橘、日陰、山菅など、うつくしげに飾りて、御文はなし。「ただなるやうあらむやは」とて御覧ずれば、卯槌の頭包みたる小さき紙に、 山とよむ斧の響きをたづぬれば いはひの杖の音にぞありける | (中宮様が)お手紙をお開けになると、五寸ほどの卯槌を二つ、卯杖のような形に頭のところなどを包んで、山橘・日陰のかずら・山菅などで、かわいらしく飾ってあって、手紙はない。「何もないということがあろうか(いや、ないはずはない)」と言ってご覧になると、卯槌の頭を包んである小さな紙に、「山に鳴りひびく斧の音は何かとたずねてみたら、(木を切る音ではなく)お祝いの杖(卯杖)を作る音だったのですね」(と書いてある)。 |
| 23 | 御返し書かせたまふほども、いとめでたし。斎院には、これより聞こえさせたまふも、御返しも、なほ心ことに、書きけがし多う、御用意見えたり。御使に、白き織物の単衣、蘇芳なるは梅なめりかし。雪の降りしきたるに、かづきて参るも、をかしう見ゆ。そのたびの御返しを知らずなりにしこそ口惜しかりしか。 | (中宮様が)お返事をお書きになる様子も、たいへんすばらしい。斎院には、こちら(中宮様)からお手紙をさし上げなさるときも、お返事のときも、やはり特別に気をつかって、何度も書き損じをなさり、ご用心の深さが見える。(斎院の)お使いの者に、(ほうびとして)白い織物の単衣で、(裏が)蘇芳色のものは梅襲であるようだ。雪の降りしきる中を、(それを)肩にかけて帰って行くのも、趣深く見える。そのときの(中宮様の)お返事の歌を知らずに終わってしまったのが残念だった。 |
| 24 | 雪の山は、まことに越のにやあらむと見えて、消えげもなし。黒うなりて、見るかひなきさまぞしたる。勝ちぬる心地して、いかで十五日待ちつけさせむと念ずれど、「七日をだにえ過ぐさじ」となほ言へば、いかでこれ見果てむと皆人思ふほどに、 | 雪の山は、ほんとうに越の国(の雪山)なのだろうかと見えるほどで、消えそうな様子もない。黒く汚れて、見る値うちもない姿になっている。(わたしは)もう勝った気持ちがして、何とかして十五日まで(雪山に)もたせたいと祈るけれど、(女房たちは)「七日さえ越せないだろう」とやはり言うので、何とかしてこの結末を見届けたいとみなが思っているうちに、 |
| 25 | にはかに三日、内裏へ入らせたまふべし。いみじう口惜し。この山の果てを知らでやみなむことと、まめやかに思ふほどに、人も「げにゆかしかりつるものを」など言ふ。御前にも仰せらる。 | 急に、(正月)三日に、(中宮様は)宮中へお入りになることになった。とても残念だ。この雪山の最後を知らずに終わってしまうことだと、本気で思っていると、ほかの女房も「ほんとうに(結末を)知りたかったのに」などと言う。中宮様もそうおっしゃる。 |
| 26 | 同じくは言ひ当てて御覧ぜさせばやと思へるかひなければ、御物の具運び、いみじうさわがしきにあはせて、木守といふ者の、築地のほどに廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼び寄せて、「この雪の山いみじう守りて、童べなどに踏み散らさせ、こぼたせで、十五日までさぶらはせ。よく守りて、その日にあたらば、めでたき禄賜はせむとす。わたくしにも、いみじきよろこび言はむ」など語らひて、 | 同じことなら(日数を)言い当てて(中宮様に)お見せしたいと思っていたかいがないので、(お引っ越しの)お道具を運んでたいへんさわがしいのにまぎれて、木守という者で、築地塀のそばに小屋を作って住んでいる者を、縁側の近くに呼び寄せて、「この雪の山をしっかり守って、子どもたちなどに踏み散らさせたり、こわさせたりしないで、十五日まで残しておきなさい。よく守ってその日になったら、(中宮様が)すばらしいほうびをくださるでしょう。わたし個人からも、たっぷりお礼をしよう」などと話をつけて、 |
| 27 | 常に台盤所の人、下衆などに乞ひて来るる、くだものや何やと、いと多く取らせたれば、うち笑みて、「いとやすきこと。たしかに守りはべらむ。童べぞ登りはべらむ」と言へば、「それを制して聞かざらむ者をば、事の由を申せ」など言ひ聞かせて、入らせたまひぬれば、七日までさぶらひて出でぬ。そのほども、これがうしろめたければ、おほやけ人、すまし、長女などして、絶えずいましめにやる。七日の節供のおろしなどをやれば、拝みつることなど、帰りては笑ひあへり。 | (木守が)いつも台所の女房や下働きの者などにねだってもらっている果物や何やかやを、たくさん与えたので、(木守は)にっこりして、「たやすいことです。たしかにお守りいたしましょう。子どもたちが登るでしょうね」と言うので、「それを止めても言うことを聞かない者がいたら、そのわけを(こちらへ)申し出なさい」などと言い聞かせて、(中宮様が宮中へ)お入りになったので、(わたしも)七日までお仕えして(実家へ)退出した。その間も、雪山のことが気がかりなので、宮仕えの下働きの女たちなどを使って、絶えず(木守に)注意しに行かせる。七日の節句のお下がりなどを(木守に)やると、(木守が)拝んだ様子などを、(使いの者は)帰って来ては笑い合っている。 |
| 28 | 里にても、まづ明くるすなはち、これを大事にて見せにやる。十日のほどには、五六尺ばかりありと言へば、うれしく思ふに、十三日の夜、雨いみじう降れば、これにぞ消えぬらむと、いみじう口惜し。「今一日も待ちつけで」と、夜も起きゐて言ひ嘆けば、聞く人も「物狂ほし」と笑ふ。 | 実家にいても、まず夜が明けるとすぐに、雪山のことを一大事として(人を)見にやる。十日ごろには、五、六尺ほど残っていると言うので、うれしく思っていたが、十三日の夜、雨がひどく降るので、これで消えてしまっているだろうと、とても残念だ。「あと一日も(もちこたえて)待てないで」と、夜も起きていて嘆くので、聞く人も「正気じゃない」と笑う。 |
| 29 | 人の起きて行くに、やがて起きゐて、下衆起こさするに、さらに起きねば、いみじう憎み腹立たれて、起き出でたるをやりて見すれば、「円座ばかりになりてはべる。木守いとかしこう、童べも寄せで守りて、明日、明後日までもさぶらひぬべし。禄賜はらむと申す」と言へば、 | 人が起きて出て行くときに、(わたしも)そのまま起きていて、下働きの者を起こさせるが、まったく起きないので、ひどく憎らしくて腹が立ってきて、やっと起きて来た者を(雪山へ)やって見させると、(使いの者が)「円座(丸い敷物)くらいの大きさになっております。木守がたいそうしっかりと、子どもたちも近寄せないで守っていて、明日、あさってまでもきっと残っているでしょう。ほうびをいただきたいと申しております」と言うので、 |
| 30 | いみじううれしくて、いつしか明日にならば、歌よみて、物に入れて参らせむと思ふも、いと心もとなうわびし。まだ暗きに起きて、折櫃など具せさせて、「これに白からむ所、ひたもの入れて持て来。きたなげならむ所、かき捨てて」など言ひくくめてやりたれば、 | とてもうれしくて、早く明日になったら、歌を詠んで、(雪を)入れ物に入れて(中宮様に)差し上げようと思うにつけても、とても待ち遠しくてつらい。まだ暗いうちに起きて、折櫃(木の箱)などを持たせて、「これに白いところを、ひたすら入れて持って来なさい。汚れていそうなところは、かき捨てて」などと言い含めて行かせると、 |
| 31 | いととく、持たせてやりつる物ひきさげて、「はやう失せはべりにけり」と言ふに、いとあさまし。をかしうよみ出でて、人にも語り伝へさせむと、うめき誦じつる歌も、あさましうかひなく、「いかにしつるならむ。昨日さばかりありけむものを、夜のほどに消えぬらむこと」と言ひくんずれば、 | とても早く、持たせてやった箱をぶらさげて(帰って来て)、「とっくに消えてしまっておりました」と言うので、まったくあきれてしまう。上手に詠んで、人にも語り伝えさせようと、うなりながら口ずさんで作った歌も、あきれるほどむだになって、「いったいどうしたのだろう。昨日はあれほど残っていたというのに、一晩のうちに消えてしまったなんて」と言ってしょげていると、 |
| 32 | 「木守が申しつるは、『昨日いと暗うなるまではべりき。禄賜はらむと思ひつるものを、賜はらずなりぬること』と、手を打ちて申しはべりつる」と言ひ騒ぐに、内裏より仰せ言ありて、「さて、雪は今日までありや」とのたまはせたれば、いとねたう口惜しけれど、 | (使いの者が)「木守が申しましたことには、『昨日はすっかり暗くなるまで(雪山は)ございました。ほうびをいただこうと思っていたのに、いただけなくなってしまったことよ』と、手を打って(くやしがって)申しておりました」と言って騒いでいると、宮中から(中宮様の)おことばがあって、「それで、雪は今日まで残っていましたか」とおっしゃってきたので、とてもくやしく残念だけれど、 |
| 33 | 「『年のうち、ついたちまでだにあらじ』と人々啓したまひし。昨日の夕暮れまではべりしは、いとかしこしとなむ思ひたまふる。今日までは、あまりのことになむ。夜のほどに、人の憎みて取り捨ててはべるにや、となむ推し量りはべると啓せさせたまへ」など聞こえさせつ。 | (わたしは)「『年内、元日までさえもたないでしょう』と女房の方々は(中宮様に)申し上げなさいました。(それが)昨日の夕暮れまでございましたのは、たいへんなことだと存じます。今日までというのは、あまりに欲ばりなことでございまして。夜のうちに、だれかが(わたしを)憎らしく思って取り捨てたのではないか、と推測しております、と(中宮様に)申し上げてください」などと(お使いに託して)申し上げた。 |
| 34 | さて二十日参りたるにも、まづこのことを御前にても言ふ。「みな消えつ」とて、蓋のかぎり引きさげて持て来たりつる、帽子のさまにて、すなはちまうで来たりつるが、あさましかりしこと、物の蓋に小山うつくしう作りて、白き紙に歌いみじう書きて参らせむとせしことなど啓すれば、いみじく笑はせたまふ。 | さて、二十日に(宮中へ)参上したときにも、まずこの話を中宮様の御前でもする。「すっかり消えました」と言って、(使いの者が)箱の蓋だけをぶらさげて、帽子のような格好で、すぐに帰って来たのがあきれたこと、物の蓋にかわいらしく小さな山を作って、白い紙に歌を立派に書いて差し上げようとしたことなどを申し上げると、(中宮様は)たいそうお笑いになる。 |
| 35 | 御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひたることをたがへつれば、罪得らむ。まことは、十四日の夕さり、侍どもやりて取り捨てさせしぞ。返り事に言ひ当てたりしこそ、いとをかしかりしか。 | 御前にいる女房たちも笑うと、(中宮様は)「こんなに一生けんめいに思っていたことを(わたしが)だめにしてしまったのだから、(仏の)罰を受けるでしょうね。実は、十四日の夕方、侍たちをやって取り捨てさせたのですよ。(あなたが)返事の中で(そのことを)言い当てていたのは、とてもおもしろかった。 |
| 36 | その翁出で来て、いみじう手をすりて言ひけれど、『仰せ言ぞ。かの里より来たらむ人に、かくとも聞かすな。さらば、屋うちこぼたせむ』と言ひて、左近の司、南の築地の外にみな取り捨ててし。『いと高くて多くなむありつる』と言ふなりしかば、げに二十日までも待ちつけて、ようせずは、今年の初雪にも降り添ひなまし。 | あの木守の翁が出て来て、ひどく手をすり合わせて頼んだけれど、(侍たちは)『ご命令だぞ。あの人の実家から来るような人に、こうだとも知らせるな。(知らせたら)おまえの小屋をこわさせるぞ』と言って、左近衛府の南の築地塀の外に、全部捨ててしまったそうです。(侍たちが)『とても高くてたくさん残っていました』と言っていたのだから、ほんとうに二十日までも残っていて、うまくいけば、今年の初雪までも降り加わって(残って)いたでしょうに。 |
| 37 | 上も聞こしめして、『いと思ひやり深くあらがひたり』と殿上人どもにも仰せられけり。さても、その歌語れ。今はかく言ひあらはしつれば、同じこと、勝ちたるなり。語れ」など、御前にものたまはせ、人々ものたまへど、「なにせむにか、さばかりのことを承りながら啓しはべらむ」など、まめやかにうんじ心憂がれば、 | 帝もお聞きになって、『(清少納言は)とても先の見通しをもって言い張ったものだ』と、殿上人たちにもおっしゃったそうです。それにしても、その歌を話しなさい。今はこうしてうちあけたのだから、(あなたが)勝ったのと同じことです。話しなさい」などと、中宮様もおっしゃり、女房たちも言いなさるけれど、(わたしが)「どうして、あれほどのこと(雪山を捨てさせたこと)をうかがっておきながら、(歌など)申し上げられましょうか」などと、本気でしょんぼりして情けながっていると、 |
| 38 | 上も渡らせたまひて、「まことに、年ごろは、おぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと思ひし」など仰せらるるに、いとどうく、うち泣きぬべき心地ぞする。 | 帝もこちらへおいでになって、「ほんとうに、長年、(中宮が)お気に入りの人であるようだと見ていたのに、これ(今度のこと)で変だと思ったよ」などとおっしゃるので、ますますつらくて、今にも泣いてしまいそうな気持ちがする。 |
| 39 | 「いで、あはれ。いみじく憂き世ぞかし。後に降り積みてはべりし雪を、うれしと思ひはべりしに、『それはあいなし。かき捨てよ』と仰せ言はべりしよ」と申せば、「まことに勝たせじとおぼしけるならむ」と、上も笑はせたまふ。 | (わたしが)「ああ、なんとまあ。ほんとうにつらい世の中ですこと。後から降り積もりました雪を、うれしいと思っておりましたのに、『それは筋ちがいです。かき捨てなさい』とご命令がございましたのよ」と申し上げると、「ほんとうに(中宮は、あなたを)勝たせまいとお思いになったのだろう」と、帝もお笑いになる。 |


