抜山蓋世(ばつざんがいせい)の意味と由来|項羽「垓下の歌」力は山を抜き気は世を蓋ふの原文・書き下し文・現代語訳、例文・似た言葉をイラストで【故事成語】

抜山蓋世(ばつざんがいせい)の意味と由来|項羽「垓下の歌」力は山を抜き気は世を蓋ふの原文・書き下し文・現代語訳、例文・似た言葉をイラストで【故事成語】

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抜山蓋世ばつざんがいせい

ひとことで言うと

力が山を引き抜くほど強く、気力が世の中をおおうほど盛んなこと。楚の項羽が垓下で歌った「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」から。

読み方ばつざんがいせい
意味力がきわめて強く、意気(気力)がきわめて盛んなこと。英雄・豪傑の強さのたとえ。
出典『史記』項羽本紀「力抜山兮気蓋世(力は山を抜き気は世を蓋ふ)」
お話垓下で劉邦の軍に囲まれた項羽が、夜、愛馬の騅と虞美人を前に、自分の力をほこりながら運のなさを嘆いて歌った
似た言葉一騎当千・気炎万丈・天下無双
反対の言葉意気消沈・柔弱
漢文の句法置き字(兮)・否定(不)・疑問(奈何)

このページのポイント

  • 「抜山蓋世」は、力が山を抜くほど強く、気力が世をおおうほど盛んなこと
  • もとは『史記』項羽本紀の「垓下の歌」。四面楚歌と同じ夜に、項羽が歌った
  • 4字の図解、垓下の歌4句の書き下し文、項羽と劉邦のちがい、司馬遷の評価、入試の出方まで分かります

「抜山蓋世」の意味と読み方

「抜山蓋世」はばつざんがいせいと読みます。意味は「力が山を引き抜くほど強く、意気(気力)が世の中をおおうほど盛んなこと」です。力も気力もずばぬけて大きい、英雄のようすを表す四字熟語で、故事成語でもあります。

もとになったのは、中国の歴史書『史記』項羽本紀にある「垓下の歌(がいかのうた)」です。漢の劉邦との戦いに追いつめられた楚の項羽(こうう)が、最後の夜に歌った「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」という句から生まれました。同じ場面からは、四面楚歌の意味と由来(項羽の故事)という言葉も生まれています。

「抜山蓋世」を4字に分けると抜ぬく山やま蓋おおう世よ抜山=力山を引き抜くほど体の力が強い蓋世=気世の中をおおうほど意気が盛ん力も気力も、ずばぬけているもとは「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」
「抜山」は力の強さ、「蓋世」は気力の大きさ。2つ合わせて「力も気力もずばぬけている」
うかるくん

うかるくん

山を引き抜くなんて、本当にできたんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

もちろん、本当に山を抜いたわけじゃない。大げさなたとえだよ。でも項羽は、若いころに重い青銅のなべ「鼎(かなえ)」を持ち上げたと『史記』に書かれているほどの力持ちだった。「力は山を抜く」は、自分の力をほこった言葉なんだ。ただし、この歌は勝ったときではなく、負けそうになった夜に歌われた。そこが大事なポイントだね。

ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。

  • ○横綱は抜山蓋世の勢いで、全勝優勝をはたした。
  • ○戦国時代の武将には、抜山蓋世の豪傑として語りつがれる人が多い。
  • ○抜山蓋世の英雄も、時の運には勝てなかった。

「抜」は「抜」の読み方・書き順・部首、「山」は「山」の読み方・書き順・部首、「蓋」は「蓋」の読み方・書き順・部首、「世」は「世」の読み方・書き順・部首で、読み方と書き順を確かめておきましょう。「蓋」は「ふた」の字で、「おおう」という意味があります。音読みは「ガイ」なので、「蓋世」は「がいせい」と読みます。

絵で読む「抜山蓋世」のお話

お話の舞台は、今から2200年ほど前の中国です。中国を初めて統一した秦(しん)の始皇帝が死ぬと、各地で反乱が起こりました。その中で頭角をあらわしたのが、南の楚(そ)の国の名門に生まれた項羽と、農民出身の劉邦(りゅうほう)です。二人は協力して秦をたおしますが、そのあと天下をかけて争うことになりました。項羽の「力」に注目して、4つの場面で見てみましょう。

絵で読む「抜山蓋世」(『史記』項羽本紀の4こま)

1鼎を持ち上げる力なんて力だ!項籍(のちの項羽)力は能く鼎を扛ぐ
1項羽(名は籍)は、若いころから重い青銅のなべ「鼎(かなえ)」を持ち上げるほどの力持ちでした。背の高さは八尺あまり(当時の1尺は約23cmなので、180cmをこえる)と書かれ、まわりの若者たちもおそれたといいます。
2戦えば必ず勝つ敵七十余戦して負けたことはない!にげろ!項羽と騅(すい)
2秦をたおす戦いが始まると、項羽はあしげの名馬・騅(すい)にまたがり、七十回あまり戦って一度も負けませんでした。そしてついに「西楚の覇王」となります。
3垓下の歌力は山を抜き気は世を蓋ふ項羽騅(すい)
3ところが、のちに劉邦(漢)との戦いに追いつめられ、垓下(がいか)で囲まれます。夜、とばりの中で酒を飲んだ項羽は、自分で詩を作って歌いました。「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」。
4時利あらず漢漢(動かない)時利あらず騅逝かず力はあっても、時の運がない
4歌は「時利あらず、騅逝かず(時の運が味方せず、愛馬の騅も進まない)」と続きます。山をも抜く力があっても、時の運にはかなわない――項羽の悲しみの歌でした。

1こま目の「鼎」は、三本の足がついた青銅の大きななべで、王の位のしるしにもなった重い道具です(くわしくは鼎の軽重を問うの意味と由来(鼎の図解つき)で説明しています)。『史記』は若い項羽を「力能く鼎を扛ぐ(ちからよくかなえをあぐ)」と書きました。「扛ぐ」は、両手で持ち上げることです。

2こま目の「七十余戦」は、項羽が最後の戦いの前に部下に語った言葉にあります。「私が兵をあげてから8年。自分で七十回あまり戦い、向かってきた敵は打ち破り、攻めた相手は降参させ、負けたことは一度もない」。項羽はまさに「抜山蓋世」の武将だったのです。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

「抜山蓋世」はほめ言葉として使われるけれど、もとの歌は悲しい歌だ。「山を抜く力があったのに、時の運がなくて負けてしまう」という嘆きなんだ。言葉の明るさと、お話の暗さのギャップを覚えておくと忘れにくいよ。

3こま目・4こま目の垓下の夜は、四面楚歌(しめんそか)の意味のお話と同じ場面です。四面楚歌のページでは「まわりが敵ばかり」という状況に注目しましたが、このページでは歌に出てくる項羽自身の力と気持ちに注目しています。

同じ垓下の場面から生まれた2語漢漢漢漢漢項羽四面楚歌まわりの状況敵ばかりで助けがない今のピンチ抜山蓋世項羽自身の力と気性ずばぬけて強いむかしの強さ
同じ垓下の夜から、「四面楚歌(まわりの状況)」と「抜山蓋世(項羽自身の力)」が生まれました

「抜山蓋世」の原文・書き下し文・現代語訳

もとになった文章は、『史記』項羽本紀にあります。1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で見ていきましょう(書き下し文は代表的な読み方の一例です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方とルールでくわしく説明しています。

白文(『史記』項羽本紀「垓下の歌」)力抜山兮気蓋世 時不利兮騅不逝 騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何

1句目:力は山を抜き、気は世を蓋ふ

書き下し文力ちからは山やまを抜ぬき気きは世よを蓋おほふ、

(『史記』項羽本紀)

現代語訳(わたしの)力は山を引き抜くほど強く、意気は世の中をおおいつくすほど盛んだった。

ここがポイントここが「抜山蓋世」のもとの句です。「兮(けい)」は歌の調子をととのえる字で、書き下し文では読みません。置き字(而・於・于・乎・矣・兮)のひとつです。「抜く」「蓋ふ」はどちらもレ点で、下の字から先に読みます。

2句目:時利あらず、騅逝かず

書き下し文時とき利りあらず騅すい逝ゆかず。

(『史記』項羽本紀)

現代語訳(ところが今は)時の運が味方せず、(愛馬の)騅も進もうとしない。

ここがポイント「不」は否定で「〜ず」と読みます。否定の句法(不・弗・非・無・莫)でまとめています。「利あらず」は「都合がよくない・運が向かない」。1句目の「むかしの力」と、2句目の「今の不運」が対(つい)になっています。

3句目:騅の逝かざる、奈何すべき

書き下し文騅すいの逝ゆかざる奈何いかんすべき。

(『史記』項羽本紀(原典の字は「可柰何」))

現代語訳騅が進まないのを、どうしたらよいのだろうか。

ここがポイント「奈何(いかん)」は「どうしたらよいか」と方法をたずねる形で、疑問の句法(何・誰・安・奈何)で整理しています。原典(維基文庫の本文)では「奈」を「柰」と書いています。

4句目:虞や虞や、若を奈何せん

書き下し文虞ぐや虞ぐや若なんぢを奈いか何んせん。

(『史記』項羽本紀(原典の字は「柰若何」))

現代語訳虞よ、虞よ、おまえをどうしたらよいのだろう。

ここがポイント「奈A何(Aを奈何せん)」は、「Aをどうしようか(どうにもできない)」という形です。「若(なんぢ)」は「おまえ」。虞美人(ぐびじん)によびかけています。
垓下の歌は4句。抜山蓋世は1句目から1力抜山兮気蓋世力は山を抜き 気は世を蓋ふむかしの自分の力2時不利兮騅不逝時利あらず 騅逝かず今は運がない3騅不逝兮可奈何騅の逝かざる 奈何すべき愛馬・騅への思い4虞兮虞虞や虞や 若を奈何せん虞美人への思い「兮(けい)」は調子をととのえる字。書き下し文では読まない
垓下の歌の4句。むかしの力→今の不運→愛馬→虞美人と、気持ちが移っていきます

「抜山蓋世」の項羽を表すほかの原文

歌の前後にも、項羽の力を表す文があります。若いころの項羽と、最後の戦いの前の言葉を見てみましょう。

若いころ:力は能く鼎を扛ぐ

書き下し文籍せきは長たけ八はつ尺せき余よ、力ちからは能よく鼎かなへを扛あぐ。

(『史記』項羽本紀)

現代語訳項籍は背の高さが八尺あまり、力は鼎を持ち上げることができた。

ここがポイント「籍」は項羽の名前(「羽」は字〈あざな〉)。「能く〜」は「〜できる」で、可能の句法(可・能・得・足)で練習できます。原文はこのあと「才気人に過ぐ(才能と気力が人よりすぐれていた)」と続きます。

最後の戦いの前:天の我を亡ぼすにして

書き下し文此これ天てんの我われを亡ほろぼすにして、戦たたかひの罪つみに非あらざるなり。

(『史記』項羽本紀)

現代語訳これは天がわたしをほろぼすのであって、戦い方がまずかったのではない。

ここがポイント垓下を脱け出した項羽が、東城(とうじょう)で残った28騎の部下に言った言葉です。「非(あらず)」は「〜ではない」と打ち消す字。項羽は負けた原因を「天」に求めました。このあと司馬遷がこの言葉をきびしく批判します(下の「出典と背景」)。

原典(『史記』項羽本紀)の本文では

維基文庫(中国語のウィキソース)の『史記』項羽本紀では、歌の前後は次のようになっています(句読点は維基文庫の本文のとおり)。

『史記』項羽本紀の本文(一部)項王則夜起,飲帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌忼慨,自為詩曰:「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可柰何,虞兮虞兮柰若何!」歌數闋,美人和之。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。
  • 「拔」「氣」「柰」:昔の字体や別の字形です。今の字では「抜」「気」「奈」と書きます。
  • 「悲歌忼慨(ひかこうがい)」:悲しげに歌い、気持ちがたかぶること。「忼慨」は今の「慷慨(こうがい)」と同じです。
  • 「自為詩曰(自ら詩を為りて曰く)」:歌は項羽が自分で作ったと書かれています。
  • 「歌數闋,美人和之」:何度もくり返して歌い、虞美人もそれに声を合わせた。

後の時代の『漢書』項籍伝にも、ほぼ同じ歌がのっています(「歌數闋」が「歌數曲」になるなど、少し字がちがいます)。

サクラちゃん

サクラちゃん

「虞美人」って、どんな人なんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

『史記』に書かれているのは、「美人名は虞(虞という名の美人がいて)、いつも項羽のそばにいた」ということと、歌に声を合わせたことだけなんだ。「美人」は、ここでは王のそばに仕える女性の位の名前とする説もある。虞美人がそのあとどうなったかは『史記』には書かれていない。後の時代の物語や京劇『覇王別姫(はおうべっき)』にはいろいろな話があるけれど、それは『史記』とは別の、後から作られた話だと分けて覚えておこう。

出典『史記』と話の背景

『史記』は、前漢の司馬遷(しばせん)が書いた歴史書です。伝説の黄帝から司馬遷の生きた漢の武帝の時代までを書いた、全130巻の大作です。王の記録である「本紀(ほんぎ)」、人物の伝記である「列伝(れつでん)」などに分かれています。

項羽は皇帝にはなりませんでしたが、司馬遷は項羽の記録を、皇帝と同じ「本紀」に入れました。秦がほろびてから漢ができるまでのあいだ、天下を動かしていたのは項羽だった、と考えたからだといわれます。

項羽の一生(年は紀元前)前232年楚の名門・項氏に生まれる祖父は楚の将軍・項燕前209年24歳で、おじの項梁と兵をあげる陳勝・呉広の乱のあと前207年鉅鹿の戦いで秦の大軍を破る船を沈め、釜を壊して必死の覚悟前206年鴻門の会・咸陽を焼く・西楚の覇王に「沐猴にして冠す」の場面前202年垓下で囲まれ、「垓下の歌」を歌う烏江のほとりで最期をむかえる
項羽は24歳で兵をあげ、31歳(数え年)で垓下の戦いに敗れました

項羽の力を表すエピソード

  • 「彼取って代わるべきなり」:若い項羽は、旅をする秦の始皇帝の行列を見て「あいつに取って代わってやれる」と言い、おじの項梁(こうりょう)があわてて口をふさぎました。
  • 「万人の敵を学ばん」:字を習っても続かず、剣を習っても続かない項羽は、「剣は一人を相手にするだけ。万人を相手にするもの(兵法)を学びたい」と言いました。ところが兵法も、だいたい分かると最後まで学ぼうとしなかったと書かれています。
  • 鉅鹿(きょろく)の戦い:項羽は川をわたると船を沈め、釜(なべ)をこわし、3日分の食料だけを持たせて、兵に「もう帰らない」覚悟を決めさせました。そして秦の大軍を打ち破りました。背水の陣の意味と由来(韓信の故事)と同じく、退路を断つ作戦です。

鴻門の会から垓下へ

秦をたおしたあと、項羽は鴻門の会の意味と由来(項羽と劉邦の宴会)で劉邦を討つチャンスがありながら、見のがしてしまいます(宴会の剣の舞の話は項荘剣を舞わすの意味)。そのあと咸陽(かんよう)を焼いて故郷の楚へ帰ろうとしたとき、ある人に「楚の人は猿が冠をかぶっているだけだ」と言われた話が沐猴にして冠すの意味と由来(項羽と咸陽の話)です。力はあっても、人の意見を聞かず、人を使いこなせなかった項羽は、しだいに劉邦に追いつめられていきました。

項羽と劉邦、何がちがった?項羽自分の力で勝つ・力は鼎を持ち上げる・七十余戦して負けなし・気性がはげしい・知恵者の范増を 使いこなせない天下を失う劉邦人の力で勝つ・作戦は張良にかなわず・国の守りは蕭何に・戦いは韓信に・でも三人を 使いこなせた天下をとる劉邦が自分で語った言葉(『史記』高祖本紀)より
「力」の項羽と、「人を使う」劉邦。劉邦は勝因をこう語りました

天下をとった劉邦は、のちに家来たちに勝った理由をたずね、自分でこう答えました。「作戦を立てることでは張良に、国を守り兵糧を運ぶことでは蕭何(しょうか)に、大軍を率いて勝つことでは韓信に、わたしはかなわない。だがこの3人を使いこなせた。項羽には范増(はんぞう)ひとりがいたのに、使いこなせなかった。だからわたしにとらえられたのだ」(『史記』高祖本紀)。韓信の才能を表す言葉が国士無双の意味と由来(韓信)です。

司馬遷は項羽をどう見たか

『史記』の項羽本紀の最後で、司馬遷は「太史公曰く(たいしこういわく)」として自分の考えを書いています。項羽はわずか3年で秦をほろぼし、「近古以来未だ嘗て有らざるなり(近い昔から、こんな人はいなかった)」とたたえる一方で、きびしく批判もしました。

負けたのは「天」のせい?項羽の言い分(東城で)此れ天の我を亡ぼすにして、戦ひの罪に非ざるなり。天が私をほろぼすのだ。戦い方のせいではない。司馬遷の評価(太史公曰く)・自分の手がらをほこり、昔に学ばなかった・力で天下を治めようとした・最後まで自分を責めず、天のせいにした→「豈に謬らずや」(まちがいではないか)
項羽は負けを「天」のせいにしましたが、司馬遷は「まちがいではないか」と書きました

司馬遷によると、項羽は自分の手がらをほこり、自分の知恵だけにたよって昔に学ばず、「力」で天下を治めようとしました。そして最後まで自分のあやまちに気づかず、「天が私をほろぼすのだ」と言った。これは「豈に謬らずや(あにあやまらずや=なんとまちがったことではないか)」というのです。「抜山蓋世」の力だけでは天下は治まらない、という司馬遷のメッセージが読みとれます。

垓下のあと

垓下を脱け出した項羽は、長江のほとりの烏江(うこう)までたどり着きます。舟を用意して待っていた烏江の亭長(宿場の役人)に「江東にもどって王になってください」とすすめられますが、項羽は「江東の若者八千人と川をわたって西へ向かったのに、今は一人も帰らない。どんな顔で江東の父兄に会えようか」と言って、それを断りました。そして愛馬の騅を亭長にゆずり、最期をむかえます。このとき項羽は数え年で31歳でした。のちに唐の詩人・杜牧(とぼく)は、「題烏江亭(烏江亭に題す)」という詩で「江東の子弟には才能のある者が多い。土ぼこりをまき上げてもう一度やって来れば(巻土重来)、どうなったか分からない」とよみました。「捲土重来(けんどちょうらい)」という言葉は、この詩から生まれました。

「抜山蓋世」の使い方と例文・似た言葉

「抜山蓋世」は、力や勢いがきわめて強く、気力がみなぎっている人をたたえるときに使います。武将・英雄・スポーツ選手など、「強さ」が主役の人について使うことが多く、ややかたい書き言葉です。「抜山蓋世の勢い」「抜山蓋世の英雄」「抜山蓋世の気」のような形でよく使われます。

  • ○彼は抜山蓋世の勢いで、相手をつぎつぎに打ち破った。
  • ○小説の主人公は、抜山蓋世の豪傑として描かれている。
  • ○いかに抜山蓋世の英雄でも、ひとりで国を治めることはできない。
  • ○決勝の舞台で、エースは抜山蓋世の気迫を見せた。
  • ×この山は抜山蓋世で、とても高い。(山の高さを表す言葉ではない)
  • ×弟は抜山蓋世のやさしい性格だ。(やさしさではなく、力と気力の強さを表す)

似た言葉

抜山蓋世のなかまの言葉抜山蓋世力が強い(抜山)一騎当千百戦錬磨勇猛果敢気持ちが盛ん(蓋世)気炎万丈意気軒昂威風堂々反対の言葉意気消沈(がっかりして元気がない)柔弱(体も心も弱い)
「抜山(力)」のなかまと、「蓋世(気力)」のなかま

反対の言葉

  • 意気消沈(いきしょうちん):がっかりして、元気をなくすこと。
  • 柔弱(にゅうじゃく・じゅうじゃく):体も心も弱々しいこと。
  • 無力(むりょく):力がないこと。

英語では、"(of) mighty strength and boundless spirit"(大きな力と限りない気力)や、"a man of Herculean strength"(ヘラクレスのような怪力の男)などで言い表せます。

受験勉強への生かし方

項羽は、力も気力もずばぬけていました。それでも負けた理由を、司馬遷は「自分の力にたよりすぎ、人の意見に学ばなかったこと」「最後まで自分を責めず、天のせいにしたこと」と見ています。受験勉強にも、そのまま当てはまる教えです。

まず、負けを「運」や「天」のせいにしないこと。模試の結果が悪かったとき、「たまたま苦手な問題が出た」で終わらせると、次も同じところでつまずきます。「いい加減だと言い訳が出る」武田信玄の名言?(言い訳をしない勉強)にあるように、言い訳が出てきたら、それは見直しのサインです。また、受験の格言「最大の敵は自分自身だ」の意味を読むと、不安やあきらめに負けない方法が分かります。

次に、学びを最後までやりとげること。若い項羽は、字も剣も兵法も「だいたい分かった」ところでやめてしまいました。参考書を途中で投げ出すのは、項羽と同じです。「完璧を目指すよりまず終わらせろ」の意味と由来(Done is better than perfect)のように、まず1冊を最後まで終わらせる力が、本番での強さになります。「抜山蓋世」の才能がなくても、劉邦のように人の力を借り、先生や友だちに質問できる人は強いのです。

「抜山蓋世」のよくあるまちがい

  • 「ばっさんがいせい」「ばつやまがいせい」と読む:正しくは「ばつざんがいせい」です。「山」は「ざん」とにごります。
  • 「蓋世」を「概世」「外世」と書く:「蓋」は「ふた・おおう」の字です。「世の中をおおう」と意味で覚えれば、まちがえません。
  • 「抜山」を「抜参」「抜算」と書く:「山を抜く」なので「山」です。
  • 山や建物の大きさを表すと思う:「山」はたとえで、人の力と気力の大きさを表す言葉です。
  • 劉邦の言葉だと思う:歌ったのは項羽です。劉邦の歌として知られるのは、天下をとったあとに故郷で歌った「大風の歌(大風起こりて雲飛揚す)」です。
  • 勝ったときの歌だと思う:「力は山を抜き」は、垓下で追いつめられた負けそうな夜の歌です。
うかるくん

うかるくん

「四面楚歌」と「抜山蓋世」、同じ場面だからごちゃごちゃになりそうです……。

ミスターT先生

ミスターT先生

カメラの向きで考えよう。カメラを項羽のまわりに向けると、敵の陣から楚の歌が聞こえる――これが「四面楚歌」(まわりは敵ばかり)。カメラを項羽その人に向けると、「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」と歌っている――これが「抜山蓋世」(力と気力がずばぬけている)。四面楚歌はピンチの言葉、抜山蓋世はほめ言葉だよ。

入試ではこう出る

「抜山蓋世」は、大学受験の漢文で特によく出会う言葉です。項羽本紀の「四面楚歌」の場面は、高校の国語の教科書にのっていることが多い文章だからです。

  • 高校の定期テスト・大学受験:垓下の歌の書き下し文、「兮」が置き字であること、「奈何」「奈若何」の読み方と意味がよく問われます。「時利あらず」の「利」の意味(運・都合)や、「騅」が何か(項羽の愛馬)を答えさせる問題もあります。共通テストの漢文の対策でも、こうした句法の知識が土台になります。
  • 漢詩としての問題:垓下の歌は1句7字ですが、「兮」を使う楚の国の歌のスタイル(楚歌)で、唐の時代の決まりのある漢詩(近体詩)とはちがいます。漢詩の形は漢詩のきまり(絶句・律詩・押韻)で確かめましょう。
  • 四字熟語の問題:「抜山蓋世」の読み・意味を選ぶ問題や、漢字の書き取り(「蓋」)が、漢字検定や大学入試の国語で出ることがあります。高校受験で出ることは多くありませんが、四字熟語の問題集にのっていることがあります。高校受験の漢文の出方は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

「抜山蓋世」は力と気力がずばぬけていること! もとは項羽の「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」。「兮」は読まない置き字、「奈何」は「いかん」です!

練習問題

やさしい

  1. 「抜山蓋世」の読み方を、ひらがなで答えましょう。
    答えと解説を見るばつざんがいせい。「山」は「ざん」とにごって読みます。
  2. 「抜山蓋世」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 山のように動かず、落ち着いていること イ 力がきわめて強く、気力が盛んなこと ウ まわりが敵ばかりで助けがないこと エ 見かけは立派だが中身がないこと
    答えと解説を見るイ。ウは「四面楚歌」、エは「羊頭狗肉」や「沐猴にして冠す」の意味です。

ふつう

  1. 「力抜山兮気蓋世」を書き下し文に直しましょう。また、書き下し文で読まない字を1字答えましょう。
    答えと解説を見る力は山を抜き気は世を蓋ふ。読まない字は「兮」(調子をととのえる置き字)です。
  2. 垓下の歌の「騅」とは何ですか。また、「時利あらず騅逝かず」を現代語訳しましょう。
    答えと解説を見る「騅」は項羽がいつも乗っていた愛馬(あしげの名馬)。訳:時の運が味方せず、騅も進もうとしない。

むずかしい

  1. 「虞兮虞兮奈若何」を書き下し文に直し、「奈若何」の意味を答えましょう。
    答えと解説を見る虞や虞や若を奈何せん。「奈若何」は「おまえをどうしたらよいのか(どうすることもできない)」という意味です。
  2. 司馬遷は、項羽が「天の我を亡ぼすにして、戦ひの罪に非ざるなり」と言ったことを、どう評価しましたか。
    答えと解説を見る自分の力と知恵にたより、最後まで自分のあやまちに気づかず負けを天のせいにしたのはまちがいだ(「豈に謬らずや」)と批判しました。

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よくある質問

抜山蓋世とはどういう意味ですか?

抜山蓋世とは、力が山を引き抜くほど強く、気力が世の中をおおうほど盛んだという意味です。英雄や豪傑の、ずばぬけた強さと気力のたとえに使います。

抜山蓋世の読み方は何ですか?

「ばつざんがいせい」と読みます。「山」は「ざん」とにごり、「蓋」は「がい」と読みます。

抜山蓋世の由来・出典は何ですか?

中国の歴史書『史記』項羽本紀の「垓下の歌」が由来です。劉邦の軍に垓下で囲まれた楚の項羽が、夜に「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」と自分の力をほこりながら、運のなさを嘆いて歌いました。

抜山蓋世の原文と書き下し文は?

原文は「力抜山兮気蓋世」で、書き下し文は「力は山を抜き気は世を蓋ふ」です。「兮」は調子をととのえる置き字で、読みません。歌は「時利あらず騅逝かず」と続きます。

抜山蓋世と四面楚歌のちがいは何ですか?

どちらも垓下の夜の話ですが、四面楚歌は「まわりが敵ばかりで助けがない」という状況を表し、抜山蓋世は「項羽自身の力と気力がずばぬけている」ことを表します。四面楚歌はピンチ、抜山蓋世はほめ言葉です。

抜山蓋世はどう使いますか?例文は?

力や勢い、気力がきわめて強い人をたたえるときに使います。「抜山蓋世の勢いで勝ち進む」「抜山蓋世の英雄」のように使い、ややかたい書き言葉です。

抜山蓋世の似た言葉・反対の言葉は?

似た言葉には「一騎当千」「気炎万丈」「天下無双」「勇猛果敢」があります。反対の意味の言葉には「意気消沈」「柔弱」があります。

抜山蓋世は英語で何と言いますか?

"mighty strength and boundless spirit"(大きな力と限りない気力)で言い表せます。人については "a man of Herculean strength" も近い言い方です。

抜山蓋世は入試でどう出ますか?

大学受験の漢文では、垓下の歌の書き下し文、「兮」が置き字であること、「奈何」「奈若何」の読み方と意味がよく問われます。四字熟語として読み・意味・漢字(蓋)を問う問題もあります。

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出典・参考

  • 原文:『史記』項羽本紀(維基文庫の本文で確認)。『漢書』項籍伝の同じ歌も確認
  • 劉邦の言葉:『史記』高祖本紀(維基文庫の本文で確認)
  • 項羽の生没年・烏江の話・杜牧「題烏江亭」:一般的な説明
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦