四面楚歌(しめんそか)の意味と由来|史記・項羽本紀の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

四面楚歌(しめんそか)の意味と由来|史記・項羽本紀の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

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四面楚歌しめんそか

ひとことで言うと

まわりが敵ばかりで、助けがないこと。漢の軍に囲まれた楚の項羽が、四方の敵陣から楚の歌が聞こえるのを聞き、「楚はもう取られたのか」と嘆いた話から。

読み方しめんそか
意味まわりが敵や反対する人ばかりで、助けがなく孤立していること。
出典『史記』項羽本紀(原文は「四面皆楚歌」)
お話垓下で漢軍に囲まれた楚の項羽が、夜、四方の漢の陣地から楚の歌が聞こえるのを聞き、楚の人がみな漢に降ったのかと大いに驚き嘆いた
似た言葉孤立無援・八方ふさがり・絶体絶命
反対の言葉満場一致・みんなが味方
漢文の句法疑問(乎)・詠嘆(何〜也)・否定(莫能)・置き字(兮)

このページのポイント

  • 「四面楚歌」はまわりが敵ばかりで、助けがないこと。「四面」はまわり全部、「楚歌」は楚の国の歌です
  • 出典は『史記』項羽本紀。垓下で囲まれた項羽が、敵陣から楚の歌を聞いて嘆いた話を、4こまのイラストで読めます
  • 原文には疑問・詠嘆・否定と可能・置き字が入っていて、高校の漢文でよく読まれる場面です

「四面楚歌」の意味と読み方

「四面楚歌」はしめんそかと読みます。意味は「まわりが敵ばかりで、助けてくれる人がいないこと」「まわりの人がみんな反対していて、ひとりぼっちになっていること」です。

「四面(しめん)」は東・西・南・北の四つの方向、つまりまわり全部のこと。「楚歌(そか)」は楚(そ)の国の歌です。「まわり全部から、自分の国の歌が聞こえてくる」という、少しふしぎな言葉の組み合わせですが、これは中国の歴史書『史記(しき)』にある、楚の王・項羽(こうう)の最後の戦いの話から生まれました。

四面(まわり全部)から楚歌(楚の歌)項羽(楚の王)北♪楚の歌南♪楚の歌西♪楚の歌東♪楚の歌四面=東西南北すべて 楚歌=楚の国の歌
「四面」はまわりの四つの方向すべて、「楚歌」は楚の国の歌。まん中の項羽は、どこにも逃げ場がありません
うかるくん

うかるくん

自分の国の歌が聞こえるなら、うれしいはずじゃないんですか? なんで「敵ばかり」っていう意味になるんだろう…。

ミスターT先生

ミスターT先生

そこがこの話の山場なんだ。歌が聞こえてきたのは味方の陣地からではなく、自分を囲んでいる敵(漢)の陣地からだった。「敵の中に楚の人がこんなにいる=楚の国はもう敵の手に落ちたのか」と、項羽は思ったんだよ。

今の日本語では、戦いに限らず、次のように使います。

  • ○クラスで一人だけ反対意見を言ったら、四面楚歌になってしまった。
  • ○不祥事が続き、社長は社内でも社外でも四面楚歌の状態だ。
  • ○味方だと思っていた人まで反対にまわり、四面楚歌におちいる。
剣をふるう武将を線で描いた古い中国の版画。右側に漢字の説明文がある
清の時代の画家・上官周(じょうかんしゅう)が描いた項羽の肖像。左上に「西楚覇王(せいそのはおう)」とあり、項羽が名のった称号です。右側には『史記』項羽本紀の終わりにある、司馬遷の言葉が書かれています。画像:上官周『晩笑堂画伝(ばんしょうどうがでん)』(清の時代)より「西楚覇王」(Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

絵で読む「四面楚歌」のお話

話の舞台は、紀元前202年の垓下(がいか)です。秦(しん)の国がほろびたあと、天下をかけて争ってきた楚の項羽と漢(かん)の劉邦(りゅうほう)の戦いが、ここで最後の場面をむかえます。4つの場面で見てみましょう。

絵で読む「四面楚歌」のお話(4こま)

1垓下で囲まれる漢漢漢漢楚兵は少なく食べ物もつきた…項王の軍 垓下に壁す
1楚の項羽は、垓下(がいか)にとりでを築いて立てこもりました。兵は少なく、食べ物もつき、漢の軍と諸侯の兵に何重にも囲まれています。
2四方から楚の歌楚の歌楚の歌漢はもう楚を手に入れたのか!なんと楚の人の多いことか
2夜、漢の陣地の四方から楚の歌が聞こえてきました。項羽は「漢はもう楚を手に入れたのか。なんと楚の人の多いことか」と大いに驚きます。
3帳の中で歌う力は山を抜き 気は世を蓋ふ虞や虞や若を奈何せん騅(すい)虞美人
3項羽は夜中に起きて、とばりの中で酒を飲み、そばの虞美人と愛馬の騅を前に「力は山を抜き、気は世を蓋ふ…」と悲しく歌いました。
4みな泣く漢漢四面楚歌=まわりは敵ばかり
4項羽の目から涙が流れ、左右の家来もみな泣いて、顔を上げて見ることのできる者はいませんでした。まわりは敵ばかり、助けはありません。

項羽は、それまで何十回もの戦いで負け知らずだったといわれる、とても強い武将でした。その項羽が、四方から聞こえるふるさとの歌を聞いただけで、「もう味方はいない」とさとってしまったのです。武器でも兵の数でもなく、歌で心が折れたところが、この話の一番の見どころです。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

このあと項羽は、八百あまりの騎兵だけを連れて囲みを破り、南へ逃げる。けれども最後は烏江(うこう)のほとりで力つきるんだ。「四面楚歌」は、天下の英雄がひとりぼっちになった瞬間を表す言葉なんだね。

3こま目で項羽が歌った歌は、「垓下の歌(がいかのうた)」として知られています。「力は山を抜き、気は世を蓋ふ(力は山を引き抜くほど強く、意気は世の中をおおうほど盛んだった)」という出だしから、「抜山蓋世(ばつざんがいせい)」という四字熟語も生まれました。

「四面楚歌」の原文・書き下し文・現代語訳

出典は『史記』の項羽本紀(こううほんぎ)です。高校の漢文の教科書では「四面楚歌」や「項王の最期」という題でよく読まれます(書き下し文は代表的な読み方の一例です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方でくわしく説明しています。

白文(教科書で多い形)項王軍壁垓下。兵少食尽、漢軍及諸侯兵囲之数重。夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。」

1文目:垓下に立てこもる

書き下し文項かう王わうの軍ぐん垓がい下かに壁す。

(『史記』項羽本紀)

現代語訳項王(項羽)の軍は、垓下にとりでを築いて立てこもった。

ここがポイント「壁(へき)す」は、とりで(壁)を築いて守りをかためること。「項王」は項羽のことで、『史記』では王になってからの項羽をこう呼びます。一二点で「垓下に」から「壁す」へ返ります。

2文目:兵は少なく、囲みは何重にも

書き下し文兵へい少すくなく食しょく尽つく。漢かん軍ぐん及および諸しょ侯こうの兵へい、之これを囲かこむこと数すう重ちょうなり。

(『史記』項羽本紀(教科書で多い区切り方))

現代語訳兵は少なく、食料もつきた。漢の軍と諸侯の兵が、これ(項王の軍)を何重にも囲んでいた。

ここがポイント「及(および)」は「AとB」の「と」にあたる字。「数重(すうちょう)」は「いく重にも」。「之(これ)」は項王の軍を指します。

3文目:四方から楚の歌が聞こえる

書き下し文夜よる漢かん軍ぐんの四し面めん皆みな楚そ歌するを聞き、項かう王わう乃すなはち大おほいに驚おどろきて曰いはく、

(『史記』項羽本紀)

現代語訳夜、漢軍が四方でみな楚の歌を歌うのを聞いて、項王はそこで大いに驚いて言うには、

ここがポイント「四面楚歌」の4字は、この文の中にそのまま出てきます。「楚歌す」は「楚の歌を歌う」という動詞の使い方。一二点で「楚歌するを」から「聞き」へ返ります。

4文目:項羽の驚きのことば

書き下し文「漢かん皆みな已すでに楚そを得えたるか。是これ何なんぞ楚そ人ひとの多おほきや。」

(『史記』項羽本紀)

現代語訳「漢はもうすっかり楚を手に入れてしまったのか。なんと楚の人の多いことか。」

ここがポイント前半の「〜乎(か)」は疑問の句法で「〜のか」。後半の「何ぞ〜や」は、ここでは「どうして」とたずねるより、「なんと〜ことか」とおどろきをこめた詠嘆の句法として読むのが一般的です。

このあと項羽は、帳(とばり)の中で酒を飲み、虞美人と騅を前に歌います。その歌が「垓下の歌」です。

垓下の歌(『史記』項羽本紀)力抜山兮気蓋世 時不利兮騅不逝 騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何
書き下し文(一例)力は山を抜き 気は世を蓋ふ 時利あらず 騅逝かず 騅の逝かざる 奈何すべき 虞や虞や 若を奈何せん

「兮(けい)」は、歌の調子をととのえるための字で、書き下し文では読みません(置き字(而・於・兮など)のなかまです)。「奈何(いかん)」は「どうしようか」と方法をたずねる言い方で、「若(なんぢ)を奈何せん」は「おまえ(虞)をどうしたらよいのか」という意味になります。漢詩の決まりについては漢詩のきまり(絶句・律詩・押韻)も読んでみてください。

話のしめくくり:みな泣く

書き下し文項かう王わう泣なみだ数すう行かう下くだる。左さ右いう皆みな泣き、能よく仰あふぎ視みるもの莫なし。

(『史記』項羽本紀)

現代語訳項王の目からは涙がいく筋も流れ落ちた。左右の者もみな泣いて、顔を上げて(項王を)見ることのできる者はいなかった。

ここがポイント「泣」はここでは「なみだ」と読みます。「莫能〜(能く〜もの莫し)」は「〜できる者はいない」という否定の句法と可能の「能」の組み合わせです。
「四面楚歌」で覚える句法4つ得楚乎楚を得たるか楚を手に入れたのか疑問何〜也何ぞ〜やなんと〜ことか詠嘆莫能〜能く〜もの莫し〜できる者はいない否定+可能兮(読まない)詩の調子をととのえる字置き字
「四面楚歌」の場面で覚える句法は4つ。疑問・詠嘆・否定と可能・置き字が一度に練習できます

原典(『史記』項羽本紀)の本文では

維基文庫(中国語のウィキソース)で見られる『史記』項羽本紀の本文は、次のようになっています(旧字体)。

『史記』項羽本紀の本文(句読点は維基文庫のもの)項王軍壁垓下,兵少食盡,漢軍及諸侯兵圍之數重。夜聞漢軍四面皆楚歌,項王乃大驚曰:「漢皆已得楚乎?是何楚人之多也!」項王則夜起,飲帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌忼慨,自為詩曰:……歌數闋,美人和之。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。
  • 字は旧字体:「盡(尽)」「圍(囲)」「數(数)」などです。意味は同じです。
  • 「奈何」の「奈」が「柰」:維基文庫の本文の垓下の歌では「可柰何」「柰若何」と、木へんの「柰」で書かれています。教科書では「奈」で書くことが多いです。
  • 虞美人の歌は書かれていない:本文は「歌ふこと数闋(数回)、美人之に和す」(虞美人も声を合わせた)とあるだけで、虞美人が何と歌ったかは『史記』には書かれていません。のちの本に虞美人の返しの歌とされるものが伝わっていますが、いつ作られたかについては諸説あります。
サクラちゃん

サクラちゃん

どうして漢の陣地から、楚の歌が聞こえてきたんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

実は『史記』には、その理由は書かれていないんだ。だから説が分かれる。「漢軍に降参した楚の兵がたくさんいて、ふるさとの歌を歌った」と考える説と、「楚の兵の心をくじくために、漢がわざと楚の歌を歌わせた作戦だった」とする説がある。作戦だったという話は、のちの時代の物語や言い伝えでよく語られるけれど、はっきりした資料は見つからない。どちらにしても、項羽が「楚はもう取られた」と感じたことに変わりはないね。

出典『史記』と話の背景

「四面楚歌」の出典は『史記(しき)』です。前漢の時代、司馬遷(しばせん)が書いた中国の歴史書で、伝説の時代から司馬遷が生きた漢の武帝のころまでを書いています。帝王の記録「本紀(ほんぎ)」、諸侯の家の記録「世家(せいか)」、人物の伝記「列伝(れつでん)」などに分かれ、「項羽本紀」は本紀の一つです。項羽は皇帝にはなりませんでしたが、一時は天下を動かした人物として、司馬遷は本紀に入れました。漢文での『史記』の位置づけは中国文学史(史記・論語・唐詩)でも整理しています。

項羽と劉邦

項羽(紀元前232年〜紀元前202年)は、名を籍(せき)、字(あざな)を羽(う)といいます。楚の名将の家の生まれで、背が高く力が強かったと伝えられています。秦の始皇帝が死んだあと各地で反乱が起きると、おじの項梁(こうりょう)とともに兵を挙げ、秦の大軍を次々に破りました。秦がほろびると、項羽は「西楚の覇王(せいそのはおう)」と名のり、天下の諸侯を分けて王にしました。

一方の劉邦(りゅうほう)は、農民の出身で、人をうまく使うことにすぐれた人物でした。秦の都の咸陽(かんよう)に先に入った劉邦を、項羽の側が宴会の席で殺そうとした話が「鴻門の会」です。そのあと二人は数年にわたって争いました。これを楚漢の戦いとよびます。戦いには強い項羽でしたが、劉邦のもとには、大将軍の韓信(かんしん)や軍師の張良(ちょうりょう)など、すぐれた人が集まっていきました。韓信の活やくは「背水の陣」の話でも読めます。

「四面楚歌」の登場人物楚(そ)項羽(こうう)楚の王。力が強く、戦いにめっぽう強い虞美人(ぐびじん)項羽のそばにいつもいた女性騅(すい)項羽がいつも乗っていた馬漢(かん)劉邦(りゅうほう)漢の王。のちの漢の高祖(皇帝)韓信(かんしん)漢の大将軍。垓下で項羽を囲む張良(ちょうりょう)劉邦の作戦を立てた軍師⇔秦のあと、項羽と劉邦が天下を争った(楚漢の戦い)
項羽の楚と、劉邦の漢。「四面楚歌」は、この二つの国の争いの最後の場面です
「四面楚歌」までの年表前209年陳勝・呉広の乱。項羽もおじの項梁と兵を挙げる前206年秦がほろびる。鴻門の会前206〜項羽(楚)と劉邦(漢)の戦い。楚漢の戦いとよばれる前202年垓下で囲まれる=四面楚歌。項羽は烏江で死ぬ前202年劉邦が皇帝になる(漢の高祖)
秦がほろびてから、わずか数年で項羽は垓下に追いつめられました

垓下から烏江へ

四面楚歌の夜、項羽は八百あまりの騎兵を連れて囲みを破り、南へ逃げました。漢の騎兵の追っ手がせまり、道に迷い、最後に残ったのは二十八騎だけだったと『史記』は書いています。このとき項羽は「此れ天の我を亡ぼすにして、戦ひの罪に非ざるなり」(これは天がわたしをほろぼすのであって、戦い方が悪かったのではない)と言いました。

長江のほとりの烏江(うこう)では、舟を用意して待っていた人が「江東(長江の東、項羽のふるさと)へわたって、もう一度王になってください」とすすめました。しかし項羽は、「江東の若者八千人を連れて西へ向かったのに、今は一人も帰らない。どんな顔をして江東の父や兄に会えようか」と言ってことわり、そこで最期をむかえたと伝えられています。

垓下はどこ?(おおよその位置)黄河長江咸陽秦の都鴻門鴻門の会彭城項羽の都垓下四面楚歌烏江(項羽の最期)※位置は分かりやすくした目安です
項羽の都・彭城の南に垓下、さらに南の長江のそばに烏江。位置はおおよその目安です

虞美人と「虞美人草」

3こま目に出てきた虞美人(ぐびじん)は、『史記』には「美人、名は虞」とだけ書かれている女性です(「美人」は、ここでは王のそばに仕える女性の位の名とする説もあります)。その後どうなったかは『史記』には書かれていません。のちに、虞美人のお墓に咲いた赤い花が「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼ばれるようになったという言い伝えがあり、ひなげし(ヒナゲシ)の花の別の名として今も使われています。夏目漱石の小説『虞美人草』の題名も、この花の名から来ています。

「四面楚歌」の使い方と例文・似た言葉

「四面楚歌」は、「四面楚歌だ」「四面楚歌の状態」「四面楚歌におちいる」の形でよく使います。ポイントは、まわりがみんな反対・敵になっていて、味方や助けがないという場面で使うことです。ただ「大変」「困っている」だけの場面では使いません。

  • ○新しいきまりを提案したが、先生にも生徒にも反対されて四面楚歌だ。(まわり中が反対)
  • ○その国は周りの国すべてと対立し、外交で四面楚歌の状態になった。(国どうしの関係)
  • ○チームの中で四面楚歌になっても、彼は自分の考えを曲げなかった。
  • ×宿題とテストが重なって四面楚歌だ。(「やることが多くて大変」の意味では使わない。この場合は「てんてこまい」「手が回らない」など)
  • ×みんなが応援してくれて四面楚歌だ。(意味が反対。まわりが味方なら使わない)
四面楚歌似た言葉孤立無援八方ふさがり絶体絶命孤軍奮闘反対の言葉満場一致みんなが味方援軍が来る
似た言葉・反対の言葉。「孤立無援」がいちばん近い意味です

似た言葉

  • 孤立無援(こりつむえん):ひとりぼっちで、助けてくれる人がいないこと。「四面楚歌」とほぼ同じ意味ですが、「まわりが敵」という感じは「四面楚歌」のほうが強く出ます。
  • 八方ふさがり:どの方向にも進めず、手の打ちようがないこと。人に囲まれているかどうかより、「打つ手がない」ことに重点があります。
  • 絶体絶命(ぜったいぜつめい):どうにも逃れられない、追いつめられた立場。「絶対絶命」と書くのはまちがいです。
  • 孤軍奮闘(こぐんふんとう):助けのない中で、一人でがんばること。四面楚歌の中でも戦い続けるようすに使えます。

反対の言葉

  • 満場一致・みんなが味方:その場の全員が同じ意見で、反対する人がいないこと。
  • 援軍が来る・助け舟が出る:困っているところに、味方や助けがあらわれること。

同じ『史記』の楚と漢の戦いからは、ほかにも「国士無双」「将に将たり」「一敗地に塗れる」など、たくさんの故事成語が生まれています。

「四面楚歌」のよくあるまちがい

  • 「楚」を「礎」「疎」と書く:「楚」は木を二つ並べた「林」の下に「疋」を書く字です。「礎(いしずえ)」は石へん、「疎(うとい)」は「疋」が左にあります。「楚」は常用漢字ではないので、「礎」の読み方・書き順・部首・「疎」の読み方・書き順・部首と見くらべて覚えましょう。
  • 「四面素歌」「四面楚化」と書く:「そか」は「楚の歌」なので「楚歌」です。
  • 「四面」を「しめん」以外で読む:「よんめん」ではなくしめんと読みます。
  • 「楚の国の味方に囲まれた」と思う:歌っていたのは、項羽を囲む漢の陣地です。「味方の歌に囲まれて心強い」という意味ではありません。
  • 「大変」「いそがしい」の意味で使う:まわりが敵・反対ばかりで、味方がいないときに使う言葉です。
うかるくん

うかるくん

「楚」って、ふだん見ない字だから、書くとき「林」の下が分からなくなっちゃいます…。

ミスターT先生

ミスターT先生

「林」の下に「疋(ひき)」だ。「楚」は、もともと「いばら(とげのある木)」を表す字で、昔の国の名前に使われた。「清楚(せいそ)」という言葉にも使われるよ。「四面楚歌」と「清楚」をいっしょに覚えておくと書きやすいね。

入試ではこう出る

「四面楚歌」は、中学受験から大学受験まで、それぞれ形を変えて出てきます。

  • 中学受験:四字熟語・故事成語の意味を選ぶ問題、「しめんそか」を漢字で書く問題、「楚」の字の書き取り。物語文の中で「主人公は四面楚歌の状態だった」の意味を問う問題にも使われます。
  • 高校受験:故事成語の意味と由来、似た意味の四字熟語(孤立無援など)を選ぶ問題。漢文が出る場合は、返り点・書き下し文の基本が問われます。高校受験の漢文の出方は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
  • 大学受験:『史記』項羽本紀は高校の教科書でよく読まれる文章です。「何楚人之多也」の訳(詠嘆)、「莫能仰視」の訳(否定+可能)、項羽が驚いた理由の説明、垓下の歌の「兮」(置き字)などがよく問われます。共通テストでの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

項羽が驚いた理由を書く問題は、「敵の漢の陣地から楚の歌が聞こえたので、楚の人がみな漢に降り、楚の国が漢に取られたと思ったから」と、「どこから聞こえたか」まで書くのがコツですね!

練習問題

やさしい

  1. 「四面楚歌」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア あちこちから歌が聞こえてにぎやかなこと イ まわりが敵ばかりで助けがないこと ウ ふるさとをなつかしく思うこと エ 四方に味方がたくさんいること
    答えと解説を見るイ。まわりが敵や反対する人ばかりで、助けがないことです。エは反対の意味です。
  2. 「しめんそか」を漢字で書きましょう。また、「楚歌」とは何の歌ですか。
    答えと解説を見る四面楚歌。「楚歌」は楚の国の歌です。

ふつう

  1. 「漢皆已得楚乎」を書き下し文に直し、現代語訳しましょう。
    答えと解説を見る漢皆已に楚を得たるか。訳は「漢はもうすっかり楚を手に入れてしまったのか」。「乎(か)」は疑問を表します。
  2. 項王はなぜ「大いに驚いた」のですか。説明しましょう。
    答えと解説を見る自分を囲んでいる漢の軍の四方から楚の歌が聞こえてきたので、楚の人がたくさん漢に降り、楚の国はもう漢に取られてしまったと思ったからです。

むずかしい

  1. 「左右皆泣、莫能仰視」を書き下し文に直し、現代語訳しましょう。
    答えと解説を見る左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。訳は「左右の者もみな泣き、顔を上げて(項王を)見ることのできる者はいなかった」。「莫能〜」は「〜できる者はいない」。
  2. 垓下の歌「力抜山兮気蓋世」の「兮」は、書き下し文でどうしますか。また、この句から生まれた四字熟語を答えましょう。
    答えと解説を見る「兮」は調子をととのえる字で、書き下し文では読まない(置き字)。書き下し文は「力は山を抜き気は世を蓋ふ」。生まれた四字熟語は抜山蓋世(ばつざんがいせい)です。

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よくある質問

四面楚歌の意味を簡単に言うと何ですか?

まわりが敵ばかりで、助けてくれる人がいないことです。まわりの人がみんな反対していて、ひとりぼっちになっている状態にも使います。

四面楚歌の由来はどんな話ですか?

『史記』項羽本紀の話です。楚の項羽が垓下で漢の軍に何重にも囲まれ、夜、四方の漢の陣地から楚の歌が聞こえてきたので、「漢はもう楚を手に入れたのか。なんと楚の人の多いことか」と大いに驚き嘆きました。

なぜ漢の陣地から楚の歌が聞こえたのですか?

『史記』には理由が書かれていません。漢に降った楚の兵が多かったからとする説や、楚の兵の心をくじくために漢がわざと歌わせた作戦だったとする説などがあり、はっきりしたことは分かっていません。

四面楚歌の「楚」とは何ですか?

中国の昔の国の名前で、長江の中流から下流のあたりにありました。項羽は楚の国の出身で、楚の王を名のっていました。「楚歌」は楚の国の歌という意味です。

四面楚歌の似た言葉は何ですか?

孤立無援がいちばん近い言葉です。ほかに八方ふさがり、絶体絶命なども似た場面で使います。

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出典・参考

  • 原文:『史記』項羽本紀(維基文庫の本文で確認。教科書で多い形は、新字体にし、句読点を整えたもの)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • 絵:上官周『晩笑堂画伝』より「西楚覇王」(Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦