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鴻門の会こうもんのかい
ひとことで言うと
敵と味方が会う、命がけの危険をはらんだ会合。項羽の陣・鴻門の宴会で、劉邦が剣の舞にまぎれて殺されかけ、ぎりぎりで逃げ出した話から。
| 読み方 | こうもんのかい |
|---|---|
| 意味 | 敵と味方が顔を合わせる、危険をはらんだ会合や宴会。表向きはなごやかでも、裏にたくらみがある席。 |
| 出典 | 『史記』項羽本紀(紀元前206年、鴻門での宴会) |
| お話 | 秦の都に先に入った劉邦が、鴻門の項羽の陣へ謝りに行く。宴会で范増が劉邦を討たせようとし、項荘が剣の舞でねらうが、項伯や樊噲に守られ、劉邦はぬけ出して逃げ帰った |
| 似た言葉 | 項荘剣を舞わす・一触即発・同床異夢 |
| 関係する言葉 | 四面楚歌・先んずれば人を制す・国士無双 |
| 漢文の句法 | 反語(安くんぞ)・受身(為所)・再読文字(且) |
このページのポイント
- 「鴻門の会」は敵と味方が会う、危険をはらんだ会合。「鴻門」は門ではなく地名です
- 出典は『史記』項羽本紀。剣の舞でねらわれた劉邦が、項伯と樊噲に守られて逃げ出す話を、4こまのイラストで読めます
- 原文には反語・否定・受身・再読文字がそろい、大学受験の漢文の定番の長文です
「鴻門の会」の意味と読み方
「鴻門の会」はこうもんのかいと読みます。意味は「敵と味方が顔を合わせる、命がけの危険をはらんだ会合や宴会」です。表向きはなごやかな席でも、その裏で相手をおとしいれようとするたくらみがある、そんな緊張した話し合いの場をたとえて言います。
「鴻門(こうもん)」は、中国の秦の都・咸陽(かんよう)の東にあった地名です。紀元前206年、ここに陣を張った項羽(こうう)のもとへ、ライバルの劉邦(りゅうほう)が謝りに来て、宴会が開かれました。その席で劉邦は殺されかけ、ぎりぎりで逃げ出します。この宴会を「鴻門の会」とよび、のちに危険な会合のたとえになりました。中国語では「鴻門宴(こうもんえん)」と言います。
うかるくん
「鴻門の会」って、門の前で集まる会ですか? なんでそれが「危ない会合」の意味になるんですか?
ミスターT先生
「鴻門」は門ではなく場所の名前なんだ。そこで開かれた宴会で、劉邦は剣の舞にまぎれて殺されそうになった。笑顔で酒を飲みながら、実は命のやりとりをしていた宴会。だから「危険をはらんだ会合」のたとえになったんだよ。
ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。
- ○対立する2つの会社の社長どうしの会食は、まさに鴻門の会だった。
- ○ライバル校との合同練習は、おたがいに作戦を探り合う鴻門の会のような空気だった。
- ○両国の首脳会談は、にこやかな写真の裏で鴻門の会さながらの駆け引きが続いた。

絵で読む「鴻門の会」のお話
まずは話の流れを、4つの場面で見てみましょう。登場するのは、項羽(項王)とその軍師の范増(はんぞう)、いとこの項荘(こうそう)、おじの項伯(こうはく)、そして劉邦(沛公)と軍師の張良(ちょうりょう)、護衛の樊噲(はんかい)です。人数が多いので、下の関係図もあわせて見てください。
絵で読む「鴻門の会」のお話(4こま)
この宴会のあいだ、劉邦の命は何度も危なくなりました。それでも助かったのは、項羽が決断しなかったこと、項伯がかばってくれたこと、樊噲が体を張って乗りこんだこと、そして張良が最後まで残って後始末をしたことが重なったからです。

ミスターT先生
この話のポイントは、表向きは仲直りの宴会なのに、裏では命をねらう計画が動いていたところだ。だから「鴻門の会」は、ただの「大事な会議」ではなく、相手のたくらみがひそむ危ない会合に使うんだね。
宴会の前の夜に起きていたこと
宴会の前日、劉邦の部下の曹無傷(そうむしょう)が「沛公は関中の王になろうとしています」と項羽に告げ口をしました。怒った項羽は「明日の朝、兵士にごちそうを食べさせ、沛公の軍を撃ち破れ」と命じます。軍師の范増も、「沛公は天子になる気(オーラ)を持っている。急いで撃て」とすすめました。
ところがその夜、項羽のおじの項伯が、ひそかに馬を走らせて劉邦の陣へ行き、友人の張良に「いっしょに逃げよう」とすすめます。張良はこれを劉邦に知らせ、劉邦は項伯を通して「項羽にそむく気はない」と伝えてもらいました。そして次の日の朝、劉邦はわずか百騎あまりで鴻門に向かい、項羽に直接謝ることになったのです。
「鴻門の会」の原文・書き下し文・現代語訳
『史記』項羽本紀の鴻門の会の場面は、高校の漢文で長文として読むことの多い名場面です。ここでは話の山場の文を1文ずつ読んでいきましょう。書き下し文は、教科書で多い読み方の一例です。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方でくわしく説明しています。
1文目:范増の合図
書き下し文范増数項王に目し、佩ぶる所の玉玦を挙げて以て之に示す者三たびす。
(『史記』項羽本紀(教科書で多い形))
現代語訳范増はたびたび項王に目くばせをし、腰に下げている玉玦(玉の飾り)を持ち上げて合図することが三度におよんだ。
2文目:項王は応じない
書き下し文項王黙然として応ぜず。
(『史記』項羽本紀)
現代語訳項王はだまったまま、応じなかった。
3文目:剣の舞と、かばう項伯
書き下し文項荘剣を抜きて起ちて舞ふ。項伯も亦剣を抜きて起ちて舞ひ、常に身を以て沛公を翼蔽す。荘撃つを得ず。
(『史記』項羽本紀)
現代語訳項荘は剣を抜き、立ち上がって舞った。項伯もまた剣を抜いて立ち上がって舞い、いつも自分の体で、鳥が翼でひなをおおうように沛公をかばった。項荘は(沛公を)撃つことができなかった。
4文目:樊噲の言葉
書き下し文臣死すら且つ避けず。巵酒安くんぞ辞するに足らんや。
(『史記』項羽本紀)
現代語訳わたくしは死ぬことさえ避けはしない。大杯の酒くらい、どうして断るほどのことがあろうか(いや、断りはしない)。
5文目:范増の怒り
書き下し文ああ、豎子与に謀るに足らず。項王の天下を奪ふ者は、必ず沛公なり。吾が属今に之が虜と為らん。
(『史記』項羽本紀)
現代語訳ああ、青二才(項王)とはいっしょに大事を計ることなどできない。項王の天下を奪う者は、きっと沛公だ。我々はやがて沛公のとりこにされてしまうだろう。
原典(『史記』項羽本紀)の本文では
維基文庫(中国語のウィキソース)で見られる『史記』巻七・項羽本紀の本文には、教科書の形と次のような違いがあります。
- 「玉玦」と「玉珪」:教科書や多くの本では「玉玦(ぎょくけつ)」ですが、維基文庫の本文では「玉珪(ぎょくけい)」の字になっています。本によって字がちがう所です。「玦」と「決」をかけた合図、という読み方は「玉玦」の形によるものです。
- 「若属皆且為所虜」:范増が項荘に言う言葉で、「若が属皆且に虜とする所と為らんとす」(おまえたちはみな、やがて沛公のとりこにされるだろう)と読みます。「且(まさ)に〜んとす」は再読文字、「為所〜」は受身の句法(為A所B)です。
- 「今日之事何如」:樊噲が張良に「今日の事何如(いかん)」(今日のようすはどうか)とたずねます。「何如」は状態をたずねる疑問の句法で、矛盾の話にも出てきます。
サクラちゃん
原文に「鴻門の会」っていう言葉は、そのまま出てくるんですか?
ミスターT先生
項羽本紀の本文で見ると、「新豊の鴻門」「鴻門に至る」「鴻門の下」のように地名として出てくるだけで、「鴻門の会」という4字そのものは出てこない。鴻門で開かれた会見・宴会を、あとの人が「鴻門の会」とよぶようになったんだ。日本でいつごろからこの言い方が広まったかは、はっきりした資料が見つからなかったので書かないでおくね。
出典『史記』項羽本紀と話の背景
「鴻門の会」の出典は、前漢の司馬遷(しばせん)が書いた歴史書『史記』の「項羽本紀(こううほんぎ)」です。「本紀」は、ふつうは天子(皇帝)の記録にあてる部分ですが、司馬遷は皇帝にならなかった項羽の記録を本紀に入れました。それほど項羽を、時代を動かした人物として重く見ていたのです。『史記』の書き方は漢文の文学史(史記・論語・唐詩など)でも紹介しています。同じ場面は『史記』の「高祖本紀」(劉邦の記録)や「留侯世家」(張良の記録)、「樊酈滕灌列伝」(樊噲たちの記録)にも出てきます。
秦がほろびる直前の「先に入った者が王」という約束
秦の始皇帝が死んだあと、各地で反乱が起こりました。楚の国の名門の出である項羽と、農民の出身の劉邦は、はじめは同じ反乱軍の仲間でした。楚の懐王(かいおう)は、将軍たちに「先に関中(秦の本拠地)に入り、咸陽を落とした者を、その地の王にする」と約束します。
項羽が北で秦の大軍と戦っているあいだに、劉邦は西へ進み、先に咸陽に入りました。劉邦は宮殿の宝物に手をつけず、法律を「三章」にまで減らして人々の心をつかみ(「法三章」)、函谷関(かんこくかん)に兵を置いて守りました。ところがこれが、あとから来た項羽を怒らせます。「劉邦は自分を関中に入れまいとしている」と見えたからです。人より先に動いて有利に立つという考え方は、項羽のおじの項梁(こうりょう)が挙兵したときの「先んずれば人を制す」の話にも出てきます。
このとき項羽の兵は40万、劉邦の兵は10万。まともに戦えば劉邦に勝ち目はありません。だからこそ劉邦は、みずから敵の陣に出向いて謝るという、命がけの手に出たのです。
鴻門の会のあと
鴻門の会から生きて帰った劉邦は、そのあと数年にわたって項羽と天下を争いました(楚漢の戦い)。劉邦のもとには、軍師の張良、大将軍の韓信(かんしん)、政治をまとめる蕭何(しょうか)など、すぐれた人が集まります。蕭何が韓信を「国士無双」とほめた話や、韓信の「背水の陣」も、この時代の話です。
一方の項羽は、范増の意見を聞かなくなり、やがて范増も項羽のもとを去りました。最後は垓下(がいか)で漢の軍に囲まれ、四方から楚の歌が聞こえてくる「四面楚歌」の場面をむかえます。范増が鴻門で言った「項王の天下を奪う者は、必ず沛公だ」という言葉は、そのとおりになったのです。劉邦は紀元前202年に皇帝となり、漢の国を開きました(高祖)。
樊噲の「人は刀俎たり、我は魚肉たり」
劉邦が宴をぬけ出したとき、「まだあいさつもしていない」と迷う劉邦に、樊噲は「大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず(大きなことをするときは小さな礼儀にこだわらない)」と言い、さらに「如今人は方に刀俎たり、我は魚肉たり(今、相手は包丁とまな板で、我々はその上の魚や肉だ)」と言って、すぐに逃げるようすすめました。相手に命をにぎられて、どうにもできない立場をたとえた言葉で、日本のことわざの「まな板の上の鯉」に近い意味です。
「鴻門の会」の使い方と例文・似た言葉
「鴻門の会」は名詞で、「まさに鴻門の会だ」「鴻門の会のような〜」「鴻門の会さながら」の形でよく使います。敵対する相手どうしが会い、表には出ない危険やたくらみがあるときに使うのがポイントです。新聞のコラムや小説、歴史の話によく出てくる、少しかたい言葉です。
- ○買収をめぐって争う2社のトップ会談は、鴻門の会とよばれた。
- ○敵の大将に招かれた宴は、いつ刃が向けられるかわからない鴻門の会だった。(歴史小説で)
- ○この選挙の前の党首どうしの会食は、鴻門の会さながらの緊張に包まれた。
- ×卒業式のあとの鴻門の会は、とても楽しかった。(ただの楽しい会・お祝いの会には使わない)
- ×学校の正門の前で鴻門の会をしよう。(「門の前の集まり」という意味ではない)
似た言葉
- 項荘剣を舞わす(こうそうけんをまわす):表向きの理由のかげで、ほかのねらいを果たそうとすること。鴻門の会の剣の舞から生まれた言葉です。中国では「項荘舞剣、意在沛公(項荘が剣を舞うのは、ねらいが沛公にあるから)」と言います。
- 一触即発(いっしょくそくはつ):ちょっとさわっただけで爆発しそうなほど、危ない状態。鴻門の会の空気そのものです。
- 呉越同舟(ごえつどうしゅう):仲の悪い者どうしが同じ場所にいること。「呉越同舟」は同じ目的のために協力する意味でも使います。
- 同床異夢(どうしょういむ):同じことをしていても、考えていることがちがうこと。笑顔で宴会をしていても心の中はばらばら、という点で通じます。
反対の意味に近い言葉
- 意気投合(いきとうごう):おたがいの気持ちがぴったり合うこと。たくらみのない、打ちとけた集まりです。
- 和気あいあい:なごやかで楽しい雰囲気のこと。
「鴻門の会」のよくあるまちがい
- 「鴻門」を門の名前だと思う:「鴻門」は咸陽の東、新豊(しんぽう)にあった地名です。「門」の字がついていますが、建物の門ではありません。字の形は「門」の読み方・書き順・部首と「会」の読み方・書き順・部首で確かめましょう。「鴻」は常用漢字ではありませんが、「大きな鳥(おおとり)」を表す字です。
- 「鴻」を「鳩」や「紅」と書く:「鴻」は、さんずい+「工」+「鳥」。「鳩(はと)」や「紅(べに)」とは別の字です。
- ただの「大事な会議」の意味で使う:「鴻門の会」は、敵どうしが会い、裏に危険やたくらみがある会合です。大切な会議というだけでは使いません。
- 『三国志』の話だと思う:鴻門の会は、三国時代より400年ほど前、秦がほろびたころの項羽と劉邦の話です。出典は『史記』で、三国志とは別の時代です。
- 項羽が劉邦を殺そうとした、と言い切る:原文で殺そうと動いたのは、主に軍師の范増と、その命を受けた項荘です。項羽自身は范増の合図にも応じませんでした。「項羽の陣営が劉邦をねらった」と言うのが正確です。
うかるくん
登場人物が多すぎて、だれがどっちの味方か、こんがらがっちゃいます…。
ミスターT先生
「項」の字がつく人は、項羽の一族と覚えよう。項羽・項荘・項伯はみんな項の一族だ。ただし項伯だけは劉邦をかばう。張良の友だちだったからね。劉邦の側は張良(頭脳)と樊噲(腕力)の2人をセットで覚えるといいよ。
入試ではこう出る
「鴻門の会」は、とくに高校の漢文と大学受験でよく出る話です。
- 高校受験:故事成語の意味を選ぶ問題や、「項羽と劉邦」の話の一部として出ることがあります。高校受験の漢文の出方は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
- 大学受験:高校の教科書で長文として読む定番の場面です。「安足辞」の反語、「若属皆且為所虜」の再読文字と受身、「不足与謀」の意味、「豎子」がだれを指すか、范増が玉玦をかかげた理由、項王が応じなかった理由などがよく問われます。共通テストでの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
- 国公立の二次試験:「樊噲の言葉から読み取れる劉邦の立場を説明せよ」のように、人物の考えをまとめる記述が出ることがあります。二次試験の書き方は国公立二次の漢文(記述・現代語訳のコツ)へ。

サクラちゃん
「豎子与に謀るに足らず」の「豎子」はだれのこと?という問題では、「項王(項羽)」と答え、決断できなかった項王への怒りまで説明するのがコツですね!
練習問題
やさしい
- 「鴻門の会」の意味として正しいものを選びましょう。
ア 門の前で開くお祝いの会 イ 敵と味方が会う、危険をはらんだ会合 ウ 友だちどうしの楽しい宴会 エ 大切な会議の前の準備答えと解説を見る
イ。項羽の陣で開かれた宴会で、劉邦が殺されかけた話から生まれました。「鴻門」は門ではなく地名です。 - 鴻門の会で、剣の舞を見せるふりをして劉邦を討とうとしたのはだれですか。また、それをかばったのはだれですか。
答えと解説を見る
討とうとしたのは項荘、かばったのは項伯です。どちらも項羽の一族ですが、項伯は張良の友人だったので劉邦を守りました。
ふつう
- 「巵酒安足辞」を書き下し文に直し、意味を答えましょう。
答えと解説を見る
巵酒安くんぞ辞するに足らんや。「大杯の酒くらい、どうして断るほどのことがあろうか(いや、断りはしない)」。「安くんぞ〜んや」は反語です。 - 范増が「豎子与に謀るに足らず」と怒ったのはなぜですか。
答えと解説を見る
范増が何度も合図し、項荘に剣の舞までさせたのに、項王が決断せず、劉邦を逃がしてしまったから。劉邦こそが項王の天下を奪う相手だと見ぬいていたので、その機会をのがしたことに怒りました。
むずかしい
- 「若属皆且為所虜」を書き下し文に直し、使われている句法を2つ答えましょう。
答えと解説を見る
若が属皆且に虜とする所と為らんとす。句法は「且(まさ)に〜んとす」の再読文字と、「為所〜(〜する所と為る)」の受身。訳は「おまえたちはみな、今に(沛公の)とりこにされてしまうだろう」。
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鴻門の会の意味を簡単に言うと何ですか?
敵と味方が顔を合わせる、命の危険をはらんだ会合や宴会のことです。表向きはなごやかでも、裏で相手をおとしいれるたくらみがあるような席をたとえて言います。
鴻門の会の由来となった話はどんな話ですか?
『史記』項羽本紀の話です。紀元前206年、秦の都に先に入った劉邦が、鴻門に陣を張った項羽のもとへ謝りに行きました。宴会で軍師の范増が劉邦を討たせようとし、項荘が剣の舞でねらいましたが、項伯や樊噲に守られ、劉邦はぬけ出して逃げ帰りました。
鴻門の会の「鴻門」とは何ですか?
秦の都・咸陽の東、新豊にあった地名です。「門」の字がついていますが、建物の門ではありません。項羽の軍40万がここに陣を張っていました。
「豎子与に謀るに足らず」とはどういう意味ですか?
「青二才とはいっしょに大事を計ることなどできない」という意味です。劉邦を逃がした項羽に対して、軍師の范増が怒って言った言葉で、「豎子」は項羽を指すと読むのがふつうです(項荘を指すとする説もあります)。
鴻門の会に出てくる「項荘剣を舞わす」とは何ですか?
鴻門の会で、項荘が剣の舞を見せるふりをして劉邦を討とうとした場面から生まれた故事成語です。表向きの理由のかげで、ほかのねらいを果たそうとすることのたとえです。
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出典・参考
- 原文:『史記』巻七 項羽本紀(維基文庫の本文で確認。教科書で多い形は、読みやすいように字や句読点を整えたもの。維基文庫の本文では「玉玦」が「玉珪」)
- 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
- 絵:馬駘「鴻門闖宴」(Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
- お話の絵・図:合格大作戦
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



