背水の陣(はいすいのじん)の意味と由来|史記・韓信の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

背水の陣(はいすいのじん)の意味と由来|史記・韓信の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

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背水の陣はいすいのじん

ひとことで言うと

あとがない立場に身を置いて、決死の覚悟で物事にあたること。漢の韓信が川を背にして陣をしき、逃げ場のない兵が必死に戦って趙の大軍を破った話から。

読み方はいすいのじん
意味一歩も引けない、あとがない状況で、決死の覚悟で全力を尽くして物事にあたること。
出典『史記』淮陰侯列伝(原文は「背水陳」)
お話漢の大将軍・韓信が、わざと川を背にして陣をしき、逃げ場のない兵に必死に戦わせ、かくした騎兵で趙のとりでを取って大勝した
似た言葉背水之陣・乾坤一擲・死中に活を求める・不退転の決意
反対の言葉逃げ道を作っておく・用意周到
漢文の句法使役(使)・疑問(何〜也)・反語(寧〜乎)・置き字(而)

このページのポイント

  • 「背水の陣」はあとがない立場で、決死の覚悟で物事にあたること。「背水」は水を背にすること、「陣」は軍の並び方です
  • 出典は『史記』淮陰侯列伝。韓信が川を背にして陣をしき、趙の大軍を破った話を、4こまのイラストと作戦図で読めます
  • 原文には使役・疑問・反語・置き字が入っていて、韓信の「死地に陥れて而る後に生く」という言葉が読みどころです

「背水の陣」の意味と読み方

「背水の陣」ははいすいのじんと読みます。意味は「一歩も引けない、あとがない立場に自分を置いて、決死の覚悟で物事にあたること」です。「背水之陣」と書くこともあります。

「背水(はいすい)」は水(川)を背にすること、「陣(じん)」は戦いのときの軍隊の並び方・配置のことです。川を後ろにして並ぶと、下がれば川に落ちてしまうので、もう逃げることはできません。前の敵に向かって全力で戦うしかない——このようすから、「失敗したらあとがない」という場面で使われるようになりました。

背水の陣=川を背にした並び方川× 下がれない前へ進むしかない敵背水=水を背にする 陣=軍の並び方
後ろは川。下がることができないので、前へ進むしかありません
うかるくん

うかるくん

わざと逃げられないようにするなんて、こわくないんですか? ふつうは逃げ道を作っておきますよね…。

ミスターT先生

ミスターT先生

いいところに気がついた。じつは昔の兵法でも、川を背にするのはやってはいけない並び方だったんだ。それをわざとやったのが、漢の大将軍・韓信(かんしん)。中国の歴史書『史記』にある、この有名な作戦の話から生まれた言葉なんだよ。

今の日本語では、戦いに限らず、次のように使います。

  • ○この試合に負けたら予選敗退だ。背水の陣でのぞむ。
  • ○すべり止めを受けずに、背水の陣で第一志望の学校に挑戦した。
  • ○会社の立て直しのため、社長は背水の陣をしいて新しい商品を売り出した。

絵で読む「背水の陣」のお話

話の舞台は、紀元前204年ごろの井陘(せいけい)という山あいの出口です。秦がほろびたあと、天下を争っていた漢(かん)の劉邦(りゅうほう)は、大将軍の韓信に北の国々を攻めさせました。韓信が向かったのは趙(ちょう)の国。趙の軍は「二十万」と言われる大軍で、井陘の出口にとりで(壁)を築いて待ちかまえていました。4つの場面で見てみましょう。

絵で読む「背水の陣」のお話(4こま)

川1川を背にして陣をしく趙漢川を背にして陣をしけ!あはは!兵法知らずめ
1漢の大将・韓信は、1万の兵に川を背にして陣をしかせました。それを見た趙の軍は「兵法を知らないやつだ」と大笑いします。
2赤い旗の兵をかくす趙趙漢漢漢漢趙がとりでを空にしたら入って旗を立てるぞ赤い旗を持った騎兵 2千
2じつは前の晩、韓信は赤い旗を1本ずつ持たせた騎兵2千を、山かげの間道にかくしておきました。「趙がとりでを空にしたら、入って旗を立てよ」。
川3必死に戦う趙後ろは川だ!戦うしかない!なんて強さだ…
3戦いが始まると、趙の大軍がとりでを空にして攻めてきます。後ろは川で逃げ場のない漢の兵は、必死に戦って負けませんでした。
4とりでは漢の旗だらけ漢漢漢漢漢漢とりでが漢の旗だらけだ!死地に陥れて而る後に生く
4そのすきに騎兵2千が趙のとりでに入り、漢の赤い旗を2千本立てました。それを見た趙の兵は大混乱。漢の軍は大勝利をおさめました。

韓信の作戦は、ただ「川を背にした」だけではありません。①かくした騎兵でとりでを取る、②背水の兵が逃げずに戦って時間をかせぐ、という二つがかみ合って、はじめて大勝利になりました。背水の陣は、やけになった作戦ではなく、よく計算された作戦だったのです。

井陘(せいけい)の戦い 作戦の4ステップ川山の間道趙のとりで漢1万123趙がとりでを空にして追う41 赤い旗の騎兵2千を山にかくす 2 川を背に陣3 負けたふりで趙をさそい出す4 空のとりでに赤い旗を2千本→趙軍が乱れる
井陘の戦いの流れを4ステップにしたもの。かくした騎兵と、背水の陣の兵が、二つでひとつの作戦になっています
人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

戦いの前、韓信は部下に「今日は趙を破ってから、みんなで食事をしよう」と言ったんだ。将軍たちはだれも本気にせず、「はい」と返事だけしたと『史記』は書いている。勝ったあと、将軍たちが「どうして勝てたのか」と聞きに来る——それが原文の山場だよ。

「背水の陣」の原文・書き下し文・現代語訳

出典は『史記』の淮陰侯列伝(わいいんこうれつでん)です。「淮陰侯」は、韓信がのちに与えられた位の名前です。原文では「陣」は「陳」と書かれていて、「背水陳」となっています(「陳」は「陣」と同じ意味で使われた字です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方でくわしく説明しています(書き下し文は代表的な読み方の一例です)。

白文(『史記』淮陰侯列伝より。新字体)信乃使万人先行、出、背水陳。趙軍望見而大笑。……然竟以勝、此何術也。……兵法不曰、「陥之死地而後生、置之亡地而後存」。……今予之生地、皆走。寧尚可得而用之乎。

1文目:川を背にして陣をしく

書き下し文信しん乃すなはち万まん人にんをして先まづ行ゆかしめ、出いでて、水みづを背はいにして陳ぢんす。

(『史記』淮陰侯列伝)

現代語訳韓信はそこで一万人を先に行かせ、(井陘の出口を)出て、川を背にして陣をしかせた。

ここがポイント「使(し)む」は「〜させる」という使役の句法。「AをしてBしむ」の形で、ここではA=万人、B=先に行く。上下点で「行かしめ」から「使」へ返ります。「陳す」は「陣をしく」という意味です。

2文目:趙軍は笑う

書き下し文趙てう軍ぐん望のぞみ見みて大おほいに笑わらふ。

(『史記』淮陰侯列伝)

現代語訳趙の軍は(それを)遠くからながめて、大笑いした。

ここがポイント「而」は、ここでは読まない置き字で、「〜て」の送り仮名の働きをしています。趙の軍が笑ったのは、兵法の常識に反する並び方だったからです。
兵法の常識と、韓信の陣ふつうの兵法韓信の背水の陣後ろ・右に山前・左に川守りやすい後ろに川にげ場なし→前へ趙の兵「兵法を知らないぞ」と大笑い
ふつうの兵法では、山を後ろに、川を前に。韓信はその反対をしました

戦いのあと、将軍たちは韓信にたずねました。「兵法では、山や丘を右と後ろにし、川や沼を前と左にせよ、とあります。ところが将軍は、わたしたちに反対に川を背にして陣をしかせ、『趙を破ってから食事をしよう』と言われました。わたしたちは納得していませんでした。」そして、こう続けます。

3文目:将軍たちの問い

書き下し文然しかれども竟つひに以もつて勝かつ。此これ何なんの術じゅつぞや。

(『史記』淮陰侯列伝)

現代語訳それなのに、とうとう勝ってしまいました。これはどういう戦術なのですか。

ここがポイント「何の〜ぞや」は「どういう〜なのか」とたずねる疑問の句法。「竟に(つひに)」は「とうとう・結局」。

4文目:韓信の答え(兵法のことば)

書き下し文之これを死し地ちに陥おとしいれてしかる後のちに生いき、之これを亡ばう地ちに置おきてしかる後のちに存そんす。

(『史記』淮陰侯列伝(韓信が兵法の言葉として引用))

現代語訳兵を死ぬしかない場所に追いこんで、はじめて生きのび、ほろびるしかない場所に置いて、はじめて生き残る。

ここがポイント韓信は「これは兵法に書いてある。みなさんが気づかなかっただけだ」と言い、この言葉を「兵法に曰はずや(兵法に言っているではないか)」と引きます。「而後(しかるのち)に」は「そうしてはじめて」。ここでは「而」を「しか」と読みます。

5文目:逃げ道があったら

書き下し文今いま之これに生せい地ちを予あたへば、皆みな走はしらん。寧いづくんぞ尚なほ得えて之これを用もちふべけんや。

(『史記』淮陰侯列伝)

現代語訳もし(兵たちに)生きのびられる場所(逃げ道)を与えたら、みな逃げてしまうだろう。どうしてそれでもなお、彼らを使うことなどできようか(いや、できない)。

ここがポイント「寧(いづく)んぞ〜ん(や)」は、「どうして〜だろうか、いや〜ない」と強く打ち消す反語の句法。読みは「寧んぞ(いづくんぞ)」。韓信は、自分の兵がよく訓練された兵ではなく、市場の人を寄せ集めたような兵だったので、逃げ道をなくすしかなかった、と説明しています。
「背水の陣」で覚える句法4つ使A BAをしてBしむAにBさせる使役何〜也何の〜ぞやどういう〜なのか疑問而後しかる後にそうしてはじめて接続寧〜乎寧くんぞ〜んやどうして〜か(いや〜ない)反語
「背水の陣」の原文で覚える句法は4つ。使役・疑問・接続・反語が一度に練習できます

原典(『史記』淮陰侯列伝)の本文では

維基文庫(中国語のウィキソース)で見られる本文の、主な部分は次のとおりです(旧字体・句読点は維基文庫のもの)。

『史記』淮陰侯列伝の本文(一部)信乃使萬人先行,出,背水陳。趙軍望見而大笑。……諸將效首虜,(休)畢賀,因問信曰:「兵法右倍山陵,前左水澤,今者將軍令臣等反背水陳,曰破趙會食,臣等不服。然竟以勝,此何術也?」信曰:「此在兵法,顧諸君不察耳。兵法不曰『陷之死地而後生,置之亡地而後存』?且信非得素拊循士大夫也,此所謂『驅市人而戰之』,其勢非置之死地,使人人自爲戰;今予之生地,皆走,寧尚可得而用之乎!」
  • 「陣」ではなく「陳」:「背水陳」と書かれています。「背水の陣」という言い方は、この「背水陳」から来ています。
  • 「右倍山陵」の「倍」:「倍」は、ここでは「背(そむく・うしろにする)」と同じ意味で使われています。
  • 兵法の言葉のもと:韓信が引いた「死地に陥れて而る後に生く」に似た言葉は、兵法書『孫子』の九地篇にも「之を亡地に投じて然る後に存し、之を死地に陥れて然る後に生く」という形で出てきます。
  • 「市人を駆りて之を戦はしむ」:「市場の人を追い立てて戦わせる」という意味で、訓練されていない兵のたとえです。
サクラちゃん

サクラちゃん

じゃあ、背水の陣をすれば、いつでも勝てるんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

そうとは限らないんだ。韓信は、敵がとりでを空にして追ってくることまで読んで、騎兵をかくしておいた。もし作戦がなければ、川に追い落とされて全滅していたかもしれない。だから「背水の陣」は、覚悟を決めることと、よく考えた作戦の両方があってこそ、なんだね。

出典『史記』と話の背景

「背水の陣」の出典は『史記(しき)』です。前漢の司馬遷(しばせん)が書いた中国の歴史書で、人物の伝記を集めた「列伝(れつでん)」の中に、韓信の伝記「淮陰侯列伝」があります。『史記』がどんな本かは中国文学史(史記・論語・唐詩)でも整理しています。

韓信という人

韓信は、淮陰(わいいん)(今の中国・江蘇省のあたり)の出身です。若いころは貧しく、ほかの人の家で食事をさせてもらうような暮らしをしていました。あるとき町の若者に「おまえが刀をさしているのは見かけだおしだ。死ぬのがこわくないならおれを刺せ。こわいならおれの股の下をくぐれ」とからかわれ、韓信はじっと相手を見つめたあと、股の下をくぐったといいます。町の人はみな韓信を笑いました。これが「韓信の股くぐり」の話で、「大きな目的のためには、目の前のはずかしさをがまんする」たとえとして日本でもよく知られています。

浮世絵。上半身はだかの大男が足を広げて立ち、その股の下を青い着物の男がはってくぐっている
江戸時代の浮世絵師・歌川国芳がえがいた「韓信の股くぐり」。三枚続きの絵のうちの1枚で、股の下をはってくぐるのが若いころの韓信です。画像:歌川国芳「韓信堪忍之図」(三枚続きのうち1枚、大英博物館蔵、Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

その後、韓信は項羽のもとで働きましたが、いくら作戦を進言しても用いられませんでした。そこで劉邦のもとへ移ります。劉邦の重臣の蕭何(しょうか)は韓信の才能を見ぬき、「国士無双(国じゅうに並ぶ者がいない人物)」と言って劉邦に強くすすめました。こうして韓信は、いきなり大将軍に取り立てられたのです。

「背水の陣」の登場人物漢(かん)趙(ちょう)劉邦(りゅうほう)漢の王韓信(かんしん)漢の大将軍・この話の主役張耳(ちょうじ)韓信とともに戦う歇(あつ)趙の王成安君(陳余)趙の軍を率いる広武君(李左車)作戦を進言した知恵者⇔広武君の作戦は、成安君に聞き入れられなかった
漢の韓信と、趙の成安君。趙にも、広武君というすぐれた知恵者がいました

趙の側にも知恵者がいた

趙の側では、広武君(こうぶくん)・李左車(りさしゃ)が、「韓信の軍は遠くから来ていて食料が後ろにある。わたしに兵を三万ください。わき道から食料の列を断ち切ります。そうすれば十日もたたずに勝てます」と進言しました。しかし軍を率いる成安君(せいあんくん)・陳余(ちんよ)は、「正しい戦いではだまし討ちはしない」という考えの人で、この作戦を取り上げませんでした。韓信は見張りからそれを聞いて大いに喜び、はじめて井陘の道へ兵を進めたと『史記』は書いています。

戦いのあと、韓信は広武君を殺さずに師として迎え、次の作戦をたずねました。このとき広武君が答えた「敗軍の将は、以て勇を言ふべからず」(負けた軍の将は、勇ましさを語る資格がない)は、のちに「敗軍の将は兵を語らず」ということわざになりました。同じ場面の「智者も千慮に必ず一失有り」(かしこい人でも、たくさん考えるうちには必ず一つは失敗がある)からは、「千慮の一失」という言葉が生まれています。

韓信(かんしん)の一生若いころ町の若者の股の下をくぐる(股くぐり)前206年ごろ項羽を去って劉邦に仕え、大将軍に前204年井陘の戦い=背水の陣で趙を破る前203年斉を平定し、斉王になる前202年垓下で項羽を囲む(四面楚歌)前196年反乱の疑いで殺される
韓信は、背水の陣のあとも活やくし、垓下では項羽を囲みました(四面楚歌の場面)

その後の韓信

韓信は、背水の陣のあと斉の国も平定し、垓下の戦いでは項羽を追いつめました。この場面は「四面楚歌」の話として読めます。劉邦が皇帝になったあと、韓信は楚王になりましたが、まもなく反乱の疑いをかけられて劉邦にとらえられ、位を下げられて淮陰侯となりました。最後は都で殺されています。劉邦にとらえられたとき韓信は、「すばしこいうさぎが死ねば、よい猟犬は煮て食べられる」という言葉を口にしたと『史記』は伝えています。この言葉は「狡兎死して走狗烹らる」として、故事成語の一つになっています。劉邦と兵の数について語り合った「将に将たり」の話も、韓信が出てくる有名な場面です。

「背水の陣」の使い方と例文・似た言葉

「背水の陣」は、「背水の陣をしく」「背水の陣でのぞむ」「背水の陣で挑む」の形でよく使います。ポイントは、失敗したらあとがない状況に、自分から(またはやむをえず)身を置いて、全力を出すことです。

  • ○今季最後のチャンスに、チームは背水の陣でのぞんだ。(負けたら終わり)
  • ○貯金をすべて使って店を開いた。まさに背水の陣だ。(自分から逃げ道をなくす)
  • ○浪人はできないと決めて、背水の陣で受験勉強に打ちこむ。
  • ×雨が降ってきたので、背水の陣で傘をさした。(「水」があるだけでは使わない。あとがない状況の意味)
  • ×まだ何度でもやり直せるので、気楽に背水の陣でいこう。(あとがない状況でなければ使わない)

似た言葉

  • 背水之陣(はいすいのじん):四字熟語として書くときの形です。
  • 乾坤一擲(けんこんいってき):運命をかけて、思い切って大勝負に出ること。「一回の大勝負」に重点があります。
  • 絶体絶命(ぜったいぜつめい):どうにも逃れられない、追いつめられた立場。「背水の陣」は自分から覚悟を決める感じが強く、「絶体絶命」は追いつめられた状態そのものを表します。
  • 死中に活を求める:助かる見こみのない状態の中で、生きる道を探すこと。
  • 不退転(ふたいてん)の決意:決して後ろへ引かない、強い決心。

反対の言葉

  • 逃げ道を作っておく・保険をかける:失敗したときのために、ほかの道を用意しておくこと。
  • 用意周到(よういしゅうとう):手ぬかりなく準備しておくこと。「あとがない」背水の陣とは、方向が反対の言葉です(ただし韓信の作戦は、実は用意周到でした)。

「背水の陣」のよくあるまちがい

  • 「背水の陳」「背水の阵」と書く:今の日本語では「陣」と書きます。原文の「陳」は昔の書き方です。字の形は「陣」の読み方・書き順・部首、「背」の読み方・書き順・部首で確かめましょう。
  • 「排水の陣」と書く:「はいすい」でも「排水(水を外に出す)」ではありません。「水を背にする」から「背水」です。
  • 「背水の陣を張る」:「陣を張る」という言い方もありますが、「背水の陣」は「しく」と組み合わせるのが一般的です。
  • やけになって無茶をする意味だと思う:韓信の背水の陣は、かくれた騎兵と組み合わせた計算ずくの作戦でした。「覚悟を決めて全力でのぞむ」意味で、「何も考えずに突っこむ」意味ではありません。
うかるくん

うかるくん

「背水」と「排水」、どっちも「はいすい」だから、テストでまちがえそうです…。

ミスターT先生

ミスターT先生

「水に背を向けて立つ」すがたを思いうかべよう。背中の「背」だから「背水」。「排水」はお風呂の水をぬく「排」だね。お話の1こま目の、川を背にした兵たちの絵を思い出せば、もうまちがえないよ。

入試ではこう出る

「背水の陣」は、中学受験から大学受験まで、それぞれ形を変えて出てきます。

  • 中学受験:故事成語の意味を選ぶ問題、「はいすいのじん」を漢字で書く問題(「排水」「陳」とのまちがい)、物語文の中で「背水の陣でのぞむ」気持ちを問う問題。
  • 高校受験:故事成語の意味と由来、似た意味の言葉を選ぶ問題。漢文が出る場合は、使役の「使」や返り点の基本が問われます。高校受験の漢文の出方は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
  • 大学受験:『史記』淮陰侯列伝は、韓信の話としてよく読まれる文章です。「使万人先行」の使役、「寧尚可得而用之乎」の反語、「韓信はなぜ川を背にしたのか」の説明がよく問われます。共通テストでの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

韓信が川を背にした理由を書く問題は、「訓練されていない兵たちに逃げ道を与えると逃げてしまうので、死ぬしかない場所に置いて、一人一人が必死に戦うようにさせるため」と、兵がどんな兵だったかまで書くのがコツですね!

練習問題

やさしい

  1. 「背水の陣」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 川の近くでのんびりすること イ あとがない状況で、決死の覚悟で物事にあたること ウ 水を外に出す工事のこと エ 逃げ道をたくさん用意すること
    答えと解説を見るイ。川を背にして逃げ場をなくし、全力で戦った話から生まれた言葉です。エは反対の意味です。
  2. 「はいすいのじん」を漢字で書きましょう。
    答えと解説を見る背水の陣。「排水」「背水の陳」はまちがいです(原文は「陳」ですが、今の日本語では「陣」と書きます)。

ふつう

  1. 「信乃使万人先行」を書き下し文に直しましょう。また、「使」は何を表す字ですか。
    答えと解説を見る信乃ち万人をして先づ行かしむ(行かしめ)。「使」は使役(〜させる)を表します。「AをしてBしむ」の形です。
  2. 趙の軍は、韓信の陣を見てなぜ笑ったのですか。
    答えと解説を見る兵法の常識では山を後ろに、川を前にするのに、韓信は川を背にして陣をしいたので、兵法を知らない愚かな将軍だと思ったからです。

むずかしい

  1. 「寧尚可得而用之乎」を書き下し文に直し、現代語訳しましょう。
    答えと解説を見る寧んぞ尚ほ得て之を用ふべけんや。訳は「どうしてそれでもなお、彼らを使うことなどできようか(いや、できない)」。「寧〜乎」は反語です。
  2. 韓信が川を背にして陣をしいたのはなぜですか。原文の内容をふまえて説明しましょう。
    答えと解説を見る韓信の兵は、ふだんから訓練した兵ではなく市場の人を寄せ集めたような兵だったので、逃げ道があればみな逃げてしまう。そこで死ぬしかない場所に置いて、一人一人が自分のために必死に戦うようにしたからです。

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よくある質問

背水の陣の意味を簡単に言うと何ですか?

あとがない立場に自分を置いて、決死の覚悟で物事にあたることです。失敗したら終わり、という場面で全力を出すときに使います。

背水の陣の由来はどんな話ですか?

『史記』淮陰侯列伝の話です。漢の大将軍・韓信が趙の大軍と戦ったとき、兵法の常識に反して川を背にして陣をしきました。逃げ場のない兵が必死に戦い、かくしておいた騎兵が趙のとりでを取ったため、漢の軍が大勝しました。

なぜ韓信は川を背にしたのですか?

韓信の兵は訓練された兵ではなかったので、逃げ道があればみな逃げてしまうと考えたからです。韓信は「之を死地に陥れて而る後に生く」という兵法の言葉を引いて説明しています。

背水の陣の「陣」はどう書きますか?

今の日本語では「陣」と書きます。『史記』の原文では「背水陳」と「陳」の字で書かれていますが、意味は同じです。「排水」と書くのはまちがいです。

背水の陣の似た言葉は何ですか?

乾坤一擲、死中に活を求める、不退転の決意などです。追いつめられた状態そのものを表す絶体絶命とも近い場面で使います。

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出典・参考

  • 原文:『史記』淮陰侯列伝(維基文庫の本文で確認。白文は新字体にしたもの)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(一般的な読み方をもとにした一例)
  • 絵:歌川国芳「韓信堪忍之図」(大英博物館蔵、Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦