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義を見て為ざるは勇なきなりぎをみてせざるはゆうなきなり
ひとことで言うと
正しいことだと分かっていながら行わないのは、勇気がないからだということ。孔子の言葉で、「見て見ぬふりをしない」という意味でよく使う。
| 読み方 | ぎをみてせざるはゆうなきなり |
|---|---|
| 意味 | 人として正しいこと(義)だと分かっていながら、それを行わないのは、勇気がないからだということ。 |
| 出典 | 『論語』為政「非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也」 |
| お話 | 孔子の言葉。同じ『論語』陽貨篇では、勇ましい弟子の子路に「君子は義を以て上と為す」と答えている |
| 似た言葉 | 知行合一・勇猛果敢の意味 |
| 反対の言葉 | 見て見ぬふり・触らぬ神に祟りなし(反対の態度) |
| 漢文の句法 | 否定(非・不・無)・「為」の読み方・「之」(これ) |
このページのポイント
- 「義を見て為ざるは勇なきなり」は、正しいと分かっているのに行わないのは勇気がないという孔子の言葉。見て見ぬふりを戒めます
- 出典は『論語』為政。前半「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂ひなり」とのつながり(諸説)まで、原文と訓読文で読めます
- 子路と孔子の「勇」の問答を4こまのイラストで。「義のない勇」とのちがい、否定の句法、入試での出方まで
「義を見て為ざるは勇なきなり」の意味と読み方
「義を見て為ざるは勇なきなり」はぎをみてせざるはゆうなきなりと読みます。意味は「人として正しいこと(義)だと分かっていながら、それを行わないのは、勇気がないからだ」ということです。今では「見て見ぬふりをしてはいけない」「正しいと思ったら、勇気を出して行動しよう」という意味でよく使われます。
「義(ぎ)」は、人として当然しなければならない正しい道のこと、「為(せ)ざる」は「しない」、「勇(ゆう)」は勇気のことです。出典は『論語(ろんご)』の為政(いせい)篇で、孔子(こうし)の言葉です。「勇なき」は「勇無き」とも書きます。
うかるくん
「義」って、なんだかむずかしい字ですね。どういう意味なんですか?
ミスターT先生
「正義」「義務」の「義」だよ。「人として、こうするのが正しい」と分かっている道すじのことなんだ。孔子は、それが分かっているのに動かないのは、知らないのではなく勇気が足りないからだ、と言っているんだね。
ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。
- ○電車でお年寄りが立っているのに気づいたら、席をゆずろう。義を見て為ざるは勇なきなりだ。
- ○いじめを見て見ぬふりはできない。義を見て為ざるは勇なきなりと思い、先生に相談した。
- ○おかしいと思った決まりを直すよう、彼は勇気を出して意見を言った。まさに義を見て為ざるは勇なきなりである。
「義」の字は「義」の読み方・書き順・部首、「勇」は「勇」の読み方・書き順・部首で、読み方と書き順を確かめておきましょう。
絵で読む「義を見て為ざるは勇なきなり」のお話
為政篇のこの言葉には、いつ・だれに言ったのかは書かれていません。そこで、1・2こま目は、同じ『論語』の陽貨(ようか)篇にある、弟子の子路(しろ)と孔子の問答を場面にしました(問答は原文どおり、場所やしぐさは想像です)。3・4こま目は、言葉の意味を表した「たとえの場面」です。
絵で読む「義を見て為ざるは勇なきなり」(1・2は論語の問答、3・4はたとえの4こま)
子路は、孔子の弟子の中でもいちばん勇ましい人として知られ、まがったことがきらいでした。孔子はそんな子路に、たびたび「勇気だけではだめだ」と教えています。この4こまでいちばん大事なのは、「勇気」と「正しさ(義)」は、セットでなければならないということです。正しいと分かっていても動かない人には「勇無きなり」、正しさを考えずに勇気だけで動く人には「乱れのもと」。孔子は、その両方を戒めたのです。

ミスターT先生
「義を見て為ざるは勇なきなり」は、「知っている」と「やる」の間にある、小さな一歩の話なんだ。正しいことを知っているだけでは、まだ半分。動いてはじめて「勇」になるんだよ。
「義を見て為ざるは勇なきなり」の原文・書き下し文・現代語訳
出典は『論語』為政第二の最後の章です。実はこの章には、「義を見て為ざるは…」の前に、もう一つの言葉があります。1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で見ていきましょう(書き下し文は教科書で多い読み方の一例です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方とルールで説明しています。
1文目:自分の祖先でない霊をまつるのは、へつらいだ
書き下し文子曰はく、「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂ひなり。
(『論語』為政)
現代語訳先生(孔子)が言った、「自分がまつるべき(祖先の)霊ではないのに、それをまつるのは、へつらいである。
2文目:義を見て為ざるは勇無きなり
書き下し文義を見て為ざるは、勇無きなり。」
(『論語』為政)
現代語訳正しいことだと分かっていながら、それを行わないのは、勇気がないのである。」
原典(『論語』為政)の本文では
維基文庫(中国語のウィキソース)の『論語』為政第二では、次のようになっています(句読点は維基文庫の本文のとおり)。
- 「為」が「爲」:昔の字体(旧字体)です。意味は同じです。
- 「為ざる」の読み:教科書や辞典では「為(せ)ざる」と読むのがふつうですが、「為(な)さざる」と読む本もあります。
前半と後半はどうつながる?(諸説あり)
「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂ひなり」と「義を見て為ざるは、勇無きなり」が、なぜ一つの章にならんでいるのかは、昔から説が分かれていて、はっきりしたことは分かりません。よく言われるのは次のような読み方です。
- 2つの過ちを対にした説:前半は「まつらなくてよい霊をまつって福を求める=してはいけないことをする」、後半は「正しいことをしない=すべきことをしない」。どちらも人の道をはずれている、と読みます。
- 当時の権力者への批判とする説:同じ『論語』の八佾(はちいつ)篇には、魯(ろ)の国の家老の季氏が、身分に合わない泰山(たいざん)の祭りをしようとしたとき、孔子が、季氏に仕えていた弟子の冉有(ぜんゆう)に「止められないのか」と言い、冉有が「できません」と答えた話があります。この話と結びつけて、「身分に合わない祭りを見ても止めない」ことを戒めた、と読む人もいます。
- もとは別々の言葉とする説:2つの言葉が、まとめられるときに一つの章になった、と考える人もいます。
陽貨篇:子路の「君子は勇を尚ぶか」
お話の1・2こま目にした、子路と孔子の問答の原文です。子路が「君子は勇を尚(たっと)ぶか(君子は勇気を大切にしますか)」とたずね、孔子が次のように答えました。
陽貨篇:君子は義を以て上と為す
書き下し文君子は義を以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為す。
(『論語』陽貨)
現代語訳君子は義(正しいこと)をいちばん上に置く。君子でも、勇気があって義がなければ、乱れを起こす。
サクラちゃん
「鬼をまつる」って、鬼退治の鬼のことかと思いました!
ミスターT先生
漢文の「鬼」は、亡くなった人の霊のことが多いんだ。今の日本語の「おに」とは意味がちがう、こういう言葉は入試でよくねらわれるよ。漢文の大事な言葉は漢文の重要単語(君子・百姓・人間など)でまとめて覚えておこう。
出典『論語』と話の背景
『論語』は、春秋時代の思想家孔子(紀元前551年ごろ〜紀元前479年)と、その弟子たちの言葉や行いを、のちの弟子たちがまとめた本です。全部で20篇あり、この言葉は2番目の「為政」篇の、いちばん最後の章です。孔子の考えを受けつぐ学派を「儒家(じゅか)」と言い、儒家は「仁」(思いやり)や「義」(正しい道)を大切にしました。諸子百家の中での位置は諸子百家(儒家・道家・法家)の考え方で図にしています。

「勇」の話になると、いつも出てくるのが弟子の子路(しろ)です。子路は名を仲由(ちゅうゆう)といい、孔子より9歳年下だったと『史記』は伝えています。若いころは乱暴者だったとも言われ、孔子に出会ってから弟子になりました。正直でまっすぐな人がらで、孔子は子路を信頼しながらも、「勇を好むことはわたし以上だが、ほかに取るところがない」とからかったり(公冶長篇)、「素手で虎に立ち向かい、歩いて大河をわたるような、死んでもくやまない者とは、わたしはいっしょに行動しない」と戒めたりしています(述而篇。ここから生まれた四字熟語が暴虎馮河(ぼうこひょうが)の意味です)。
子路のように「勇」があふれる人には「義を考えよ」と言い、正しいことが分かっていても動かない人には「勇無きなり」と言う。孔子は、相手によって言い方を変えて教えた先生でした。憲問篇では「仁者は必ず勇有り、勇者は必ずしも仁有らず」(思いやりのある人には必ず勇気があるが、勇気のある人に思いやりがあるとはかぎらない)とも言っています。同じ為政篇の「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」「四十にして惑わず(不惑の由来)」と同じ篇にあることも覚えておきましょう。
「義を見て為ざるは勇なきなり」の使い方と例文・似た言葉
「義を見て為ざるは勇なきなり」は、正しいと分かっていることを、勇気を出して実行するべきだと言いたいときに使います。自分をはげますとき、人の勇気ある行動をたたえるとき、見て見ぬふりをしそうなときの戒めとして、など幅広く使えます。人を責める言葉として使うと強く聞こえるので、自分に向けて使うのが自然です。
- ○落とし物を見つけたら、面倒でも交番に届けよう。義を見て為ざるは勇なきなりだ。
- ○会議でまちがいに気づいたのに黙っていたことを、義を見て為ざるは勇なきなりと反省した。
- ○おぼれた子を助けた高校生の行動は、義を見て為ざるは勇なきなりを体現している。
- ×友だちのけんかに加勢して相手をなぐった。義を見て為ざるは勇なきなりだ。(正しさのない「勇」は、孔子が戒めた乱れのもと)
- ×あぶない場所でも、義を見て為ざるは勇なきなりだから一人で飛びこむべきだ。(自分の身を守り、大人や警察に知らせることも大切)
似た言葉
- 知行合一(ちこうごういつ):知ることと行うことは一つである、という明の王陽明の考え。知っていても行わなければ、本当に知ったことにはならないとします。
- 勇猛果敢(ゆうもうかかん):勇ましく、思い切って物事を行うこと。ただし「義」の意味はふくみません。
- 大義名分(たいぎめいぶん):人として守るべき道理。行動の正しい理由。「義」の字が共通しています。
反対の言葉・反対の態度
- 見て見ぬふり:気づいていながら、知らないふりをすること。この言葉がいちばん戒めている態度です。
- 触らぬ神に祟りなし:かかわらなければ、わざわいを受けることもない。かかわりを避ける考えです。
- 匹夫の勇(ひっぷのゆう):深く考えずに血気にはやる、つまらない勇気(『孟子』の言葉)。「義のない勇」にあたります。
英語では、19世紀の宣教師ジェームズ・レッグが『論語』を訳したときの "To see what is right and not to do it is want of courage."(正しいことを見ながら、それをしないのは、勇気が足りないのだ)という訳がよく知られています。
受験勉強への生かし方
受験勉強にも、「分かっているのにやらない」ことはたくさんあります。「まちがえた問題は解き直したほうがいい」「スマホは別の部屋に置いたほうがいい」と分かっていても、なかなか動けない。孔子の言葉を借りれば、それは知識が足りないのではなく、小さな「勇」が足りないのです。「できるかどうか」より「やるかどうか」が大事だという話は「やれるかどうかは関係ない、やるか、やらないかだ」の意味で、先のばしをやめるコツは「いつかできることは今日もできる」の意味と出典で紹介しています。やる気を行動に変える方法は「為せば成る」受験勉強のモチベーションの上げ方に、まわりに流されず自分で志望校を決める勇気は勇者となれ!周りに流されず志望校を決める受験生へのメッセージにまとめています。受験生をはげます言葉は受験の格言・名言100選(意味・出典つき)にもたくさんあります。
「義を見て為ざるは勇なきなり」のよくあるまちがい
- 「ぎをみてなさざるは」としか読めないと思う:ふつうは「せざる」と読みます(「なさざる」と読む本もあります)。「為」は「する」の意味です。
- 「勇気があれば何をしてもよい」と思う:孔子は「義のない勇は乱れのもと」と言っています。大事なのは、正しいことのための勇気です。
- 「鬼」を「おに」と思う:原文の前半の「鬼(き)」は、亡くなった人の霊・祖先の霊のことです。
- 出典を『孟子』とまちがえる:「義」は『孟子』でもよく出てくる言葉ですが、この言葉は『論語』為政篇です。
- 「勇無き」を「勇亡き」と書く:「ない」の意味なので「無」の字です。
うかるくん
困っている人を見たら、何でも一人で助けなきゃいけないんですか?ちょっとこわいです…。
ミスターT先生
いい質問だね。「義」はその場でいちばん正しいこと。自分では助けられないときは、大人を呼ぶ・先生に伝えるのも、りっぱな「義を見て為す」なんだよ。何もしないのとは大ちがいだ。
入試ではこう出る
「義を見て為ざるは勇なきなり」は、中学受験から大学受験まで出てくる言葉です。
- 中学受験:ことわざ・故事成語の意味を選ぶ問題や、「義を見て( )ざるは勇なきなり」のように一部を補う問題で出ることがあります。「見て見ぬふりをしない」という意味をしっかり覚えておきましょう。
- 高校受験:『論語』の一節として、「見義不為、無勇也」に返り点をつける問題・書き下し文に直す問題や、「勇」の意味を答える問題が出ます。高校受験の漢文の出方は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
- 大学受験:「非其鬼而祭之」の「鬼」の意味、「非」「不」「無」の否定の読み分け、前半と後半の関係を説明させる記述問題が出ることがあります。二次試験の記述の書き方は国公立二次・難関私大の漢文対策でまとめています。

サクラちゃん
「非ず・不(ず)・無し」の3つの否定が、この短い章に全部入っているんですね!否定の練習にぴったりです。
練習問題
やさしい
- 「義を見て為ざるは勇なきなり」の意味として正しいものを選びましょう。
ア 勇気があれば、何をしてもよい イ 正しいと分かっていながら行わないのは、勇気がないからだ ウ 正しいことは、だれかがやってくれる エ 危ないことには近づかないほうがよい答えと解説を見る
イ。エは「君子危うきに近寄らず」の意味で、この言葉とは反対の態度に近いものです。 - 「義を見て為ざるは勇なきなり」の出典を選びましょう。
ア 『孟子』 イ 『論語』 ウ 『史記』 エ 『韓非子』答えと解説を見る
イ。『論語』為政篇の孔子の言葉です。
ふつう
- 「見義不為、無勇也」を書き下し文に直しましょう。
答えと解説を見る
義を見て為ざるは、勇無きなり。「不」は「ざる」とひらがなに、「也」は「なり」とひらがなに書きます。 - 「非其鬼而祭之」の「鬼」の意味を答えましょう。
答えと解説を見る
亡くなった人の霊(とくに祖先の霊)。今の日本語の「おに」とは意味がちがいます。
むずかしい
- 孔子は「勇」をどのようなものと考えていましたか。陽貨篇の「君子は義を以て上と為す」もふまえて説明しましょう。
答えと解説を見る
孔子は、正しいこと(義)を行うために発揮されるのが本当の勇だと考えた。正しいと分かっていて行わないのは勇がない(為政篇)が、義のない勇は乱れや盗みのもとになる(陽貨篇)ので、義と勇はセットでなければならない。 - この章の前半「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂ひなり」と後半「義を見て為ざるは、勇無きなり」を対にして読むと、それぞれどのような過ちを言っていることになりますか。
答えと解説を見る
前半はしてはいけないこと(まつるべきでない霊をまつって福を求めること)をする過ち、後半はすべきこと(正しいこと)をしない過ち。(前半と後半のつながりには諸説あります)
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よくある質問
義を見て為ざるは勇なきなりとはどういう意味ですか?
義を見て為ざるは勇なきなりとは、人として正しいことだと分かっていながら、それを行わないのは勇気がないからだ、という意味です。今では「見て見ぬふりをしてはいけない」という意味でよく使われます。
義を見て為ざるは勇なきなりの読み方は何ですか?
「ぎをみてせざるはゆうなきなり」と読みます。「為」は「する」の意味で「せ」と読むのがふつうですが、「なさざる」と読む本もあります。
義を見て為ざるは勇なきなりの出典・由来は何ですか?
出典は『論語』為政篇で、孔子の言葉です。原文は「見義不為、無勇也」で、その前に「非其鬼而祭之、諂也(其の鬼に非ずして之を祭るは、諂ひなり)」という言葉があります。
義を見て為ざるは勇なきなりの「義」とは何ですか?
「義」とは、人として当然しなければならない正しい道のことです。「正義」「義務」の「義」と同じで、儒家がとくに大切にした考えの一つです。
義を見て為ざるは勇なきなりの前半には何が書いてありますか?
前半は「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂ひなり」で、自分がまつるべきでない霊をまつるのはへつらいだ、という意味です。後半とのつながりは諸説あり、「してはいけないことをする過ち」と「すべきことをしない過ち」の対と読む説がよく知られています。
義を見て為ざるは勇なきなりの例文を教えてください。
「いじめを見て見ぬふりはできない。義を見て為ざるは勇なきなりだ」のように使います。自分をはげましたり、人の勇気ある行動をたたえたりするときに使います。
義を見て為ざるは勇なきなりはビジネスで使えますか?
はい、使えます。不正やまちがいに気づいたときに声を上げる大切さを言うときなどに使います。ただし人を責める言葉として使うと強く聞こえるので、自分への戒めとして使うのが自然です。
義を見て為ざるは勇なきなりに似た言葉・反対の言葉は何ですか?
似た考えの言葉に、知ることと行うことは一つだとする「知行合一」があります。反対の態度を表す言葉は「見て見ぬふり」「触らぬ神に祟りなし」などです。
義を見て為ざるは勇なきなりは英語で何と言いますか?
19世紀のジェームズ・レッグによる『論語』の英訳 "To see what is right and not to do it is want of courage." がよく知られています。「正しいことを見ながら、それをしないのは勇気が足りないのだ」という意味です。
義を見て為ざるは勇なきなりは入試でどう出ますか?
中学受験では意味や一部を補う問題、高校受験では「見義不為、無勇也」の返り点・書き下し文の問題が出ます。大学受験では前半の「鬼」の意味や、否定の「非・不・無」の読み分けがよく問われます。
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出典・参考
- 原文:『論語』為政第二・陽貨第十七・憲問第十四・八佾第三(維基文庫の本文で確認)
- 英訳:James Legge 訳『論語』(The Chinese Classics)
- 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
- 絵:メトロポリタン美術館 Open Access(パブリックドメイン)
- お話の絵・図:合格大作戦
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



