学びて思わざれば則ち罔しの意味|論語の原文・書き下し文・現代語訳とイラスト【故事成語】

学びて思わざれば則ち罔しの意味|論語の原文・書き下し文・現代語訳とイラスト【故事成語】

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学びて思わざれば則ち罔しまなびておもわざればすなわちくらし

ひとことで言うと

学ぶだけで自分で考えなければ、物事ははっきり分からない。続きは「思いて学ばざれば則ち殆し」(考えるだけで学ばないと危ない)。学ぶことと考えることの両方が大切だ、という孔子の言葉です。

読み方まなびておもわざればすなわちくらし
意味学ぶだけで自分で考えなければ、本当の理解は得られないということ。
出典『論語』為政篇。原文は「學而不思則罔、思而不學則殆」
お話出来事の話ではなく、孔子が学び方について語った言葉
続き思いて学ばざれば則ち殆し(考えるだけで学ばなければ危ない)
似た言葉温故知新・一知半解・論語読みの論語知らず
反対の言葉丸暗記・独断専行
漢文の句法置き字(而)・否定(不)・条件(〜ば則ち)・比較(不如)

このページのポイント

  • 意味は学ぶだけで考えなければ、はっきり分からない。「罔(くら)し」はぼんやりしていることです
  • 後半は「思いて学ばざれば則ち殆し」。「学」と「思」を入れかえた対句になっています
  • 「罔」「殆」の意味は注によって説明がちがい、諸説あり。衛霊公篇には孔子自身の体験も出てきます

「学びて思わざれば則ち罔し」の意味と読み方

「学びて思わざれば則ち罔し」は、まなびておもわざればすなわちくらしと読みます。意味は「本を読んだり人から教わったりして学んでも、自分で考えなければ、物事ははっきり分からない」ということです。『論語』にある孔子の言葉です。

この言葉には、対になる後半があります。「思いて学ばざれば則ち殆し(おもいてまなばざればすなわちあやうし)」、つまり「自分で考えるだけで学ばなければ、ひとりよがりになって危ない」。孔子は、学ぶこと(外から取り入れる)と、思うこと(自分の頭で考える)の両方が必要だと教えたのです。

「学」と「思」を入れかえた対句学而不思則罔くらし思而不学則殆あやふし学ぶだけで考えない→ ぼんやりして身につかない(罔し)考えるだけで学ばない→ ひとりよがりで危ない(殆し)
「学」と「思」を入れかえた2つの文が、対になっています(対句)
うかるくん

うかるくん

「罔し」って見たことない字です。どういう意味ですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

「罔(くら)し」は、暗くてぼんやりしている・はっきり分からないという意味だ。教科書をただ写したり丸暗記したりしても、「なぜそうなるのか」を考えないと、頭の中がぼんやりしたままになる。そういう状態を言っているんだよ。後半の「殆(あやふ)し」は危ないという意味だ。

ふだんの言い方では、次のように使います。

  • ○公式を丸暗記するだけでは応用問題が解けない。学びて思わざれば則ち罔しだ。
  • ○参考書を3冊読んだのに身についていないのは、学びて思わざれば則ち罔しだったからかもしれない。
  • ○先生は「学びて思わざれば則ち罔し。読んだら自分の言葉でまとめてごらん」と言った。

絵で読む「学びて思わざれば則ち罔し」のお話

この言葉は、孔子が学び方について短く言い切った教えで、もとになる出来事の話は原文にありません。そこで1〜3こま目は、前半と後半の意味を絵にした「たとえの場面」、4こま目は孔子がこの言葉を語る想像の場面として描きました。

絵で読む「学びて思わざれば則ち罔し」(4こま)

1学ぶだけ(たとえ)覚えたけど、どういうこと?罔し=ぼんやりして分からない
1ここからはたとえの場面です。本を山ほど読んで覚えても、自分で考えないので「どういうこと?」とぼんやり。これが「罔し」です。
2考えるだけ(たとえ)ぼくの考えがぜったい正しい!!殆うし=ひとりよがりで危ない
2反対に、本を読まずに自分の考えだけで「ぜったい正しい!」と進むと、がけに気づきません。これが「殆し」です。
3学んで、考える(たとえ)分かった!なぜそうなるのかな?……そうか!
3本で学びながら「なぜそうなる?」と考えると、霧が晴れて道が見えてきます。
4孔子のことば学びて思はざれば則ち罔し、思ひて学ばざれば則ち殆し学ぶ思う孔子
4孔子は「学ぶ」と「思う」の両方が大切だと言いました。(孔子の場面は想像の絵です)

1こま目の霧は「罔し」(ぼんやり)、2こま目のがけは「殆し」(危ない)を表しています。学ぶだけの人は知識は多くても使い方が分からず、考えるだけの人は自信はあっても土台の知識がないので、思いこみで失敗します。3こま目のように、学んだことを手がかりに考えると、はじめて道が見えてくるのです。

「学ぶ」と「思う」の4つの組み合わせ考える ○考える ×学ぶ ○学ぶ ×◎分かる身につく罔しぼんやり分からない殆しひとりよがりで危ない×何も始まらない※孔子が言ったのは「罔し」と「殆し」の2つ
「学ぶ」と「考える」の両方がそろって、はじめて「分かる・身につく」になります
考えるミスターT先生

ミスターT先生

孔子は「学ぶな」とも「考えるな」とも言っていない。どちらか片方だけでは足りないと言っているんだ。車の両輪のように、2つを同時に回すのがコツだよ。

「学びて思わざれば則ち罔し」の原文・書き下し文・現代語訳

出典は『論語』為政(いせい)篇です。たった12字の短い章ですが、前半と後半がきれいな対句になっています。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方で確かめられます。

『論語』為政篇の本文(維基文庫の本文。句読点は補ったもの)子曰、學而不思則罔、思而不學則殆。

前半:学びて思はざれば則ち罔し

書き下し文子し曰いはく、学まなびて思おもはざれば則すなはち罔くらし、

(『論語』為政第二)

現代語訳先生(孔子)がおっしゃった。「学ぶだけで自分で考えなければ、物事ははっきりと分からない。

ここがポイント「而」は読まない置き字で、送り仮名の「て」が働きをしています。「不(ざ)れば」は打ち消しの「ず」の已然形「ざれ」に「ば」がついた形で、「〜しないので・〜しなければ」。打ち消しの読み方は否定の句法(不・無・非)へ。

後半:思ひて学ばざれば則ち殆し

書き下し文思おもひて学まなばざれば則すなはち殆あやふし。

(『論語』為政第二)

現代語訳自分で考えるだけで学ばなければ、ひとりよがりになって危うい。」

ここがポイント前半と字の並びがまったく同じで、「学」と「思」、「罔」と「殆」だけが入れかわっています。「則(すなは)ち」は前の条件を受けて「そのときは」とつなぐ字で、仮定・条件の句法でよく出てきます。「殆し」は書き下し文で「あやふし」と読みます(今のかなづかいでは「あやうし」)。
この言葉で覚える句法4つ而(読まない)「〜て」でつなぐ置き字不〜ざれば〜しなければ否定+条件則則ちそのときは条件不如〜に如かず〜におよばない比較
置き字「而」、否定+条件「〜ざれば」、「則ち」、比較「〜に如かず」の4つ

「罔」と「殆」の意味は、注によって説明がちがう(諸説あり)

この章は短いので、昔から多くの学者が注(説明)をつけてきました。そのため、「罔」と「殆」の説明にはいくつかの説があります。

  • 古い注(何晏『論語集解』):包咸(ほうかん)という学者の説として、「学んでもその意味をたずね考えなければ、ぼんやりとして得る所がない」と説明しています。後半は「学ばずに考えるだけでは、結局分からず、心を疲れさせるだけだ」としていて、「殆」を疲れる意味に取っています。
  • 朱子(朱熹)の注:「心に求めないので、暗くて得る所がない。事を習わないので、危うくて落ち着かない」と説明し、「殆」を危うい意味に取っています。

今の日本の教科書や辞書では、「殆し」を「危うい」と訳すことが多いですが、「疲れるだけで得る所がない」と取る説もある、と知っておくとよいでしょう。どちらの説でも、考えるだけで学ばないのはよくないという点は同じです。

「罔」「殆」の説明は注でちがう古い注(集解)朱子の注罔ぼんやりして得る所がない暗くて得る所がない殆分からないまま心が疲れる危うくて落ち着かない※「殆」は「疲れる」「危うい」の諸説あり
「罔」と「殆」の説明は、古い注と朱子の注で少しちがいます

衛霊公篇「学ぶに如かざるなり」

孔子は、後半の「考えるだけで学ばない」ことの失敗を、自分の体験として語っています。

終日食らはず、終夜寝ねず、以て思ふ

書き下し文吾われ嘗かつて終しゆう日じつ食くらはず、終しゆう夜や寝いねず、以もつて思おもふ。益えき無なし。学まなぶに如しかざるなり。

(『論語』衛霊公第十五(原文の字は「寑」))

現代語訳わたしは以前、一日じゅう食事もせず、一晩じゅう眠らずに、考えにふけったことがある。しかし得るものはなかった。学ぶことにはおよばない。

ここがポイント「〜に如(し)かず」は「〜にはおよばない」という比較の句法(不如・莫如)。「不如学也」で「学ぶことにはかなわない」。孔子ほどの人でも、考えるだけではだめだったという告白で、為政篇の後半「思ひて学ばざれば則ち殆し」を、身をもって示した言葉です。
サクラちゃん

サクラちゃん

孔子でも、一晩じゅう考えて何も分からなかったことがあるんですね!

ミスターT先生

ミスターT先生

そうなんだ。だから孔子は「考えるのも大事だけど、先人が書いたものや人の話から学ぶほうが、ずっと早い」と言っている。でも為政篇では、学ぶだけで考えないのもだめだと言っている。つまりどちらに片寄ってもいけない、というのが孔子の考えだね。

出典『論語』と言葉の背景

『論語』は、孔子(紀元前551年ごろ〜紀元前479年)と弟子たちの言葉を、孔子の死後にまとめた全20篇の本です。為政篇は第2篇で、「政(まつりごと)を為すに徳を以てす」という政治の話から始まりますが、学問についての有名な言葉も多く入っています。「吾十有五にして学に志す」(十五歳で学問に志した)や「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」、「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり」も、同じ為政篇の言葉です。儒家の考え方の全体は諸子百家(儒家・道家・法家)の考え方で図にしています。

温故知新とのつながり

同じ為政篇の「温故知新」は、昔のことを学び直して、新しいことに気づくという言葉でした。「学びて思わざれば則ち罔し」は、その「気づく」ための条件を言っていると読むこともできます。昔のことを学ぶ(学ぶ)だけでなく、そこから自分で考える(思う)ことで、はじめて新しいことが分かる、というわけです。2つの言葉をセットで覚えると、孔子の学び方がよく見えてきます。

縦長の掛け軸に、太い筆で大きく漢字が書かれた書の作品
明治時代の書家・三輪田米山(みわだべいざん)が書いた『論語』憲問篇の言葉「古之学者為己、今之学者為人」(古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす)。昔の学ぶ人は自分をみがくために学び、今の学ぶ人は人に見せるために学ぶ、という意味です。画像:三輪田米山 書(日本・明治時代、メトロポリタン美術館蔵、パブリックドメイン)

子夏の言葉「切に問ひて近く思ふ」

孔子の弟子の子夏(しか)は、学び方を次のようにまとめています(子張篇)。

博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ

書き下し文博ひろく学まなびて篤あつく志こころざし、切せつに問とひて近ちかく思おもふ、仁じん其その中うちに在あり。

(『論語』子張第十九(子夏の言葉))

現代語訳ひろく学んで志をしっかり持ち、自分に切実なことを問い、身近なことから考える。仁(人としての最高の徳)は、その中にある。

ここがポイントここでも「学ぶ」と「思ふ(考える)」がセットで出てきます。「切問而近思」は、のちに宋の朱子たちがまとめた本『近思録(きんしろく)』の名前のもとになった言葉として知られています。「矣」は読まない置き字です。

『中庸』の学び方5段階

儒家の古典『礼記(らいき)』の中の一篇で、のちに「四書」の一つとして重んじられた『中庸(ちゅうよう)』には、学び方を5つの段階で示した有名な一文があります。「博く之を学び、審らかに之を問ひ、慎みて之を思ひ、明らかに之を弁じ、篤く之を行ふ」。学ぶ・問う(学ぶ側)と、思う・見分ける(考える側)が交互に出てきて、最後に行うで終わります。「学びて思わざれば則ち罔し」の考えを、もっとくわしく段階にしたものと言えるでしょう。

『中庸』の学び方5段階1博学ひろく学ぶ学2審問くわしく問う学3慎思よく考える思4明弁はっきり見分ける思5篤行しっかり行う行「学ぶ」と「思う」をくり返し、最後は「行う」
『中庸』は、学ぶ→問う→考える→見分ける→行う、の5段階で学び方を示しました

「学びて思わざれば則ち罔し」の使い方と例文・似た言葉

この言葉は、覚えるだけ・読むだけの勉強をいましめるときに使います。後半の「思いて学ばざれば則ち殆し」とあわせて、「学ぶことと考えることは両方大切だ」と言うときにもよく引かれます。

  • ○歴史の年号を覚えるだけでなく、「なぜその戦いが起きたか」を考えよう。学びて思わざれば則ち罔しだ。(暗記だけの勉強をいましめる)
  • ○動画で練習法を見るだけでは上達しない。学びて思わざれば則ち罔しで、自分の動きと比べて考えることが大切だ。(部活動)
  • ○「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」というように、調べることと考えることを両方やろう。(前半と後半をセットで)
  • ×テストの前日に、教科書をただ何回も読み返した。学びて思わざれば則ち罔しだから、これで完ぺきだ。(「学べば大丈夫」という意味ではなく、反対の意味)

勉強に生かす3つの方法

  1. 読んだら、自分の言葉で説明してみる:教科書を1ページ読んだら、本を閉じて「つまり何が書いてあったか」を一言で言ってみます。言えなければ、まだ「罔し」の状態です。
  2. 「なぜ?」を1つ書き出す:公式や年号を覚えるときに、「なぜこうなるのか」「ほかの場合はどうか」を1つだけでもメモします。考えるきっかけが、知識を自分のものにしてくれます。
  3. 考えたら、確かめるために調べる:自分で考えた答えは、教科書や辞書、先生の説明で確かめます。考えるだけで終わらせないことが、後半の「殆し」をさけるコツです。

この3つは、どれも「学ぶ」と「思う」を行ったり来たりする方法です。孔子の言葉は2500年ほど前のものですが、今の勉強法としてもそのまま使えます。

似た言葉

  • 思いて学ばざれば則ち殆し:この言葉の後半。考えるだけで学ばないのは危ない。
  • 温故知新:昔のことを学び直して、新しい知識や考えを得ること。同じ為政篇の言葉です。
  • 一知半解(いっちはんかい):少し知っているだけで、十分に分かっていないこと。「罔し」の状態に近い言葉です。
  • 論語読みの論語知らず(ことわざ):本を読んでも、その中身を理解して行動に生かせないこと。まさに「学びて思わざる」人のことです。

反対の考え方・ちがう考え方

  • 丸暗記・詰めこみ:考えずに覚えるだけの勉強。この言葉の前半がいましめていることです。
  • 独断専行(どくだんせんこう):自分だけの判断で勝手に物事を進めること。後半の「殆し」にあたる態度です。
  • 試行錯誤(しこうさくご):いろいろ試して失敗をくり返しながら、よい方法を見つけること。考えて試すのはよいことですが、先人の知恵を学ぶことを組み合わせると、もっと早く進めます。

「学びて思わざれば則ち罔し」のよくあるまちがい

「罔」と「殆」の読みに注意罔くらしぼんやり分からない× あみ(網)と読まない殆あやふし危ない・あやうい× ほとんど(今の「殆ど」)※どちらも常用漢字ではない字です
「罔」は「くらし」、「殆」はここでは「あやふし」。「ほとんど」と読まないように
  • 「殆」を「ほとんど」と読む:今の日本語の「殆ど(ほとんど)」と同じ字ですが、ここでは「殆(あやふ)し=危ない」の意味です。
  • 「罔」を「網(あみ)」とまちがえる:「罔」は「網」の古い字形とも関係がある字ですが、この言葉では「くらし」=ぼんやりして分からないと読みます。
  • 「思わざれば」を「思い出さなければ」と取る:「思ふ」は考えることです。「学んだことを思い出す」意味ではありません。
  • 「学ぶより考えるほうが大事」と取る:前半だけを見るとそう読めますが、後半で考えるだけで学ばないのも危ないと言っています。孔子は両方が大事と言っているのです。
  • 「則ち」を「即ち(つまり)」の意味に取る:ここの「則ち」は「〜すると、そのときは」と条件を受ける字です。「言いかえると」の意味ではありません。
  • 字をまちがえる:「学」「思」は小学校で習う字です。「学」の読み方・書き順・部首、「思」の読み方・書き順・部首で、書き順も確かめておきましょう(「罔」「殆」は常用漢字ではありません)。

入試ではこう出る

この言葉は、中学・高校の教科書の『論語』でよく取り上げられます。短くて対句がはっきりしているので、漢文の入門の問題によく使われます。

  • 中学受験:意味を選ぶ問題、「学ぶ」と「考える」の関係を問う問題。勉強のしかたについての説明文の中で引用されることもあります。
  • 高校受験:「学而不思則罔」の返り点・書き下し文、「而」が置き字であること、対句になっている部分をぬき出す問題、「罔」「殆」の意味を選ぶ問題がよく出ます。対策は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)へ。
  • 大学受験:衛霊公篇「不如学也」の比較の句法、「罔」「殆」の解釈。評論文では「知識と思考」「学ぶことと考えること」の話題の中で引かれます。共通テストの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)にまとめています。
ひらめいたうかるくん

うかるくん

前半と後半は「学」と「思」を入れかえただけの対句!片方を覚えれば、もう片方もすぐ書けるね。最後の字は罔(くらし)と殆(あやふし)。

練習問題

やさしい

  1. 「学びて思わざれば則ち罔し」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 学ばなくても、考えれば分かる イ 学ぶだけで考えなければ、はっきり分からない ウ 学んだことはすぐに忘れてしまう エ 学ぶより遊ぶほうが大切だ
    答えと解説を見るイ。学ぶ(取り入れる)だけで、自分で考えないと、ぼんやりして身につかない、という意味です。
  2. この言葉の後半「思いて学ばざれば則ち〇し」の〇に入る字と、その意味を答えましょう。
    答えと解説を見る殆(あやうし)。考えるだけで学ばなければ、ひとりよがりで危ないという意味です。

ふつう

  1. 「學而不思則罔」を書き下し文に直しましょう。また、読まない字を答えましょう。
    答えと解説を見る学びて思はざれば則ち罔し。読まない字(置き字)は「而」です。
  2. 「学而不思則罔、思而不学則殆」のように、字の並びをそろえて意味を対にした表現を何と言いますか。また、入れかわっている字を2組答えましょう。
    答えと解説を見る対句。入れかわっているのは「学」と「思」、「罔」と「殆」です。

むずかしい

  1. 衛霊公篇の「無益。不如学也」を現代語訳し、為政篇の言葉のどちらの部分と結びつくか説明しましょう。
    答えと解説を見る訳は「得るものはなかった。学ぶことにはおよばない」。一日じゅう食べず一晩じゅう眠らずに考えても得る所がなかった、という体験で、為政篇の後半「思ひて学ばざれば則ち殆し」(考えるだけで学ばないのはよくない)と結びつきます。
  2. 「殆」の意味について、古い注(何晏『論語集解』)と朱子の注では、どのように説明がちがいますか。
    答えと解説を見る古い注は、学ばずに考えるだけでは分からず心を疲れさせるだけだとして「殆」を疲れる意味に取り、朱子の注は危うくて落ち着かないとして危うい意味に取っています。

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よくある質問

「学びて思わざれば則ち罔し」の意味を簡単に言うと何ですか?

学ぶだけで自分で考えなければ、物事ははっきり分からない、という意味です。後半の「思いて学ばざれば則ち殆し」とあわせて、学ぶことと考えることの両方が大切だという孔子の教えです。

「学びて思わざれば則ち罔し」の出典はどこですか?

『論語』の為政篇です。原文は「學而不思則罔、思而不學則殆」で、同じ為政篇には「温故知新」もあります。

「罔し」「殆し」は何と読みますか?

「罔し」は「くらし」、「殆し」は「あやうし(歴史的かなづかいでは、あやふし)」と読みます。「殆」は今の「殆ど(ほとんど)」と同じ字ですが、ここでは「危ない」という意味です。

後半の「思いて学ばざれば則ち殆し」はどういう意味ですか?

自分で考えるだけで、本を読んだり人から教わったりして学ばなければ、ひとりよがりになって危ない、という意味です。古い注には、「殆」を「心が疲れるだけで得る所がない」と取る説明もあり、諸説あります。

温故知新とはどういう関係ですか?

どちらも『論語』為政篇の孔子の言葉です。温故知新は「昔のことを学び直して新しいことを知る」こと、「学びて思わざれば則ち罔し」は、学んだことを自分で考えることの大切さを言っていて、2つは学び方の教えとしてつながっています。

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出典・参考

  • 原文:『論語』為政第二・衛霊公第十五・子張第十九・憲問第十四、『礼記』中庸(維基文庫の本文で確認)
  • 注:何晏『論語集解』、朱熹『論語集注』(維基文庫の本文で確認)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • 書の写真:メトロポリタン美術館(Open Access、パブリックドメイン)
  • お話の絵・図:合格大作戦(場面は想像・たとえの絵)

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦