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己の欲せざる所は人に施すこと勿れおのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ
ひとことで言うと
自分がされたくないことは、ほかの人にもしてはいけない。子貢に「一生守れる一言」を聞かれた孔子が、「恕(思いやり)」として答えた言葉です。
| 読み方 | おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ |
|---|---|
| 意味 | 自分がされて嫌なことは、他人にもしてはならないということ。 |
| 出典 | 『論語』衛霊公篇(顔淵篇にも同じ言葉)。原文は「己所不欲、勿施於人」 |
| お話 | 子貢が「一生守っていける一言はありますか」とたずね、孔子が「其れ恕か」と答えた問答 |
| 似た言葉 | 恕(思いやり)・我が身をつねって人の痛さを知れ・己に克ちて礼に復る |
| 反対の言葉 | 唯我独尊・我田引水・自分さえよければいい |
| 漢文の句法 | 禁止(勿)・疑問(乎)・可能(可以)・置き字(於) |
このページのポイント
- 意味は自分がされたくないことは、人にもしてはいけない。孔子はこれを「恕(思いやり)」と呼びました
- 出典は『論語』衛霊公篇。子貢の「一生守れる一言は?」への答えで、顔淵篇にも同じ言葉があります
- 「欲せざる所」は「されたくないこと」。「いらない物」の意味ではないので注意しましょう
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の意味と読み方
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」は、おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれと読みます。意味は「自分がされたくないことは、ほかの人にもしてはいけない」ということです。『論語』の中で、孔子が弟子の子貢(しこう)に「一生守っていける一言」として答えた言葉です。
「己(おのれ)」は自分、「欲(ほっ)せざる所」は望まないこと、「施す(ほどこす)」は人に対して行う・しむける、「勿れ(なかれ)」は「〜してはいけない」です。孔子はこの心を「恕(じょ)」、つまり思いやりと呼びました。
サクラちゃん
「施す」って、お金や物をめぐむことじゃないんですか?
ミスターT先生
ふだんの言葉ではそうだね。でもこの言葉の「施す」は、「人に何かをする・しむける」という広い意味なんだ。だから「欲せざる所を人に施す」は、自分がされたくないことを、人にしてしまうということ。それを「勿れ」で禁止しているんだよ。
ふだんの言い方では、次のように使います。
- ○悪口を言われるのはいやだろう?己の欲せざる所は人に施すこと勿れだよ。
- ○SNSに書きこむ前に、己の欲せざる所は人に施すこと勿れを思い出したい。
- ○祖父は「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」を家訓にしている。
絵で読む「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」のお話
この言葉は、子貢の質問に孔子が答えた問答の中に出てきます。1・2こま目はその問答を場面にした想像の絵(言葉は原文にそって訳したもの)、3・4こま目は、言葉の意味を今の子どもの生活に置きかえた「たとえの場面」です。
絵で読む「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」(4こま)
子貢は、「一言で」という、とても欲ばりな質問をしました。孔子はそれに、たった1字「恕」で答え、さらにその中身を「己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」と説明しました。どんな場面でも、いつでも使える物さしを一言で示したところが、この問答の見どころです。

ミスターT先生
「恕」は、自分の心を物さしにして、人の心をおしはかることだ。むずかしい理屈がなくても、「自分がされたらどう思う?」と考えるだけで使える。だから孔子は「一生の言葉」にこれを選んだんだね。
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の原文・書き下し文・現代語訳
出典は『論語』衛霊公(えいれいこう)篇です。子貢の問いと、孔子の答えの2つの部分からできています。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方で確認できます。
1文目:子貢の問い
書き下し文子貢問ひて曰はく、一言にして以て終身之を行ふべき者有りや。
(『論語』衛霊公第十五)
現代語訳子貢がたずねて言った。「一言で、一生それを守って行っていけるようなものがありますか。」
2文目:孔子の答え「其れ恕か」
書き下し文子曰はく、其れ恕か。
(『論語』衛霊公第十五)
現代語訳先生がおっしゃった。「それは恕(思いやり)だろうか。
3文目:己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ
書き下し文己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。
(『論語』衛霊公第十五)
現代語訳自分が望まないことは、人にしてはいけない。」
顔淵(がんえん)篇にも同じ言葉がある
「己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」は、『論語』の顔淵篇にも、まったく同じ形で出てきます。こちらは、弟子の仲弓(ちゅうきゅう)が「仁(じん)とは何ですか」とたずねたときの答えの一部です。
仲弓への答え(前半)
書き下し文門を出でては大賓を見るがごとくし、民を使ふには大祭を承くるがごとくす。
(『論語』顔淵第十二)
現代語訳家の門を出て人に会うときは、大切なお客に会うときのようにていねいにし、人々に仕事をさせるときは、大切な祭りを行うときのようにつつしむ。
仲弓は「雍(よう)は不敏(ふびん)なりと雖も、請ふ斯の語を事とせん」(わたし雍は、かしこくはありませんが、このお言葉を実行させてください)と答えました。「雍」は仲弓の名です。子貢には「一生の言葉」として、仲弓には「仁とは何か」の答えとして、同じ言葉が使われていることになります。
うかるくん
同じ言葉が2回出てくるのは、孔子が何度も言っていたからですか?
ミスターT先生
そう考える人が多いね。『論語』は、弟子たちがそれぞれ聞いた言葉を集めた本だから、孔子が相手に合わせて、くり返し語った大事な言葉が、別々の篇に残ったのだろう。ただ、いつ・どこで言ったのかまでは原文に書かれていないから、そこは分からないとしておこう。
出典『論語』と言葉の背景
『論語』は、孔子(紀元前551年ごろ〜紀元前479年)と弟子たちの言行を、孔子の死後にまとめた本で、全20篇あります。衛霊公篇は第15篇で、篇の名前は最初の章に出てくる衛の国の君主「霊公」から取られています。儒家の考え方の全体は、諸子百家(儒家・道家・法家)の考え方で図にしています。

質問した子貢はどんな人か
子貢(しこう)は、姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)で、孔子より30歳ほど若い弟子です。弁舌にすぐれ、商売でも成功したと伝えられ、外交の場でも活やくしました。『論語』には、子貢と孔子の問答がたくさん残っています。
おもしろいのは、公冶長(こうやちょう)篇のやりとりです。子貢が「わたしは、人が自分にしてほしくないと思うことを、わたしも人にしないようにしたいのです」と言うと、孔子は「賜や、爾(なんぢ)の及ぶ所に非ざるなり」(賜よ、それはまだおまえにはできていないことだ)と答えています。
口で言うのはかんたんでも、いつでも実行するのはむずかしい、ということでしょう。子貢が衛霊公篇で「一生守れる一言」をたずねたのも、この言葉の重さを知っていたからかもしれません(ただし、2つの問答の前後関係は原文からは分かりません)。
孔子の道は「忠恕」だけ
『論語』里仁(りじん)篇には、孔子が弟子の曾子(そうし)に「わたしの道は一つのことでつらぬかれている」と言い、孔子が出て行ったあと、曾子がほかの弟子たちに「夫子の道は、忠恕のみ」(先生の道は、忠と恕だけだ)と説明した話があります。
のちの宋の時代の学者・朱子(朱熹)は、注の中で「己を尽くす、之を忠と謂ふ。己を推す、之を恕と謂ふ」と説明しています。忠は自分のまごころを尽くすこと、恕は自分の心から人の心をおしはかることです。「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」は、この恕を具体的な言葉にしたものだと言えます。
世界のほかの教えとくらべると
この言葉は、世界のほかの教えともよく比べられます。新約聖書の「マタイによる福音書」には、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という言葉があり、「黄金律(おうごんりつ)」と呼ばれます。孔子の言葉は「してはいけない」と打ち消しの形、聖書の言葉は「しなさい」とすすんで行う形で、向きがちがいます。どちらが上ということではなく、相手の立場に立って考えるという点で共通しています。
「仁」と「恕」はどうつながるのか
孔子がいちばん大切にした徳は「仁(じん)」です。仁は、ひと言で言えば人を愛する心・人を大切にする心ですが、『論語』の中で孔子は、たずねる弟子に合わせて、仁をいろいろな言葉で説明しています。顔回には「己に克ちて礼に復る」、仲弓には「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」と答えました。
つまり「恕」は、だれでも今日から始められる仁の入り口だと言えます。「人を愛しなさい」と言われてもどうすればよいか迷いますが、「自分がされていやなことはしない」なら、毎日の生活の中ですぐに実行できます。孔子が子貢に「一生の言葉」としてこれを選んだのも、だれにでも、いつでもできるからだと考えられます。
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の使い方と例文・似た言葉
この言葉は、人にいやな思いをさせそうなときに、自分をいましめたり、人に注意したりするときに使います。長い言葉なので、会話では「〜って言うでしょ」「〜の精神で」の形で引用することが多いです。
- ○自分が無視されたらつらいはずだ。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ、クラスのだれにもそんなことはしない。(いじめ・仲間はずれ)
- ○約束の時間に遅れられるといやなのだから、ぼくも遅れないようにしよう。己の欲せざる所は人に施すこと勿れだ。(約束を守る)
- ○職場では「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」を心にとめて、むりな仕事のおしつけをしないようにしている。(仕事の場面)
- ×おなかがいっぱいで食べたくないから、弟にもおやつをあげないことにした。己の欲せざる所は人に施すこと勿れだ。(「自分がほしくない物は人にもあげない」という意味ではない)
作文や面接で使うときのコツ
「好きな言葉」「大切にしている言葉」を聞かれたときに、この言葉を挙げる人は少なくありません。そのときは、意味を説明するだけでなく、自分の体験と結びつけると伝わりやすくなります。たとえば「部活動で後輩に強く言いすぎてしまったとき、自分が先輩に同じことを言われたらどう思うかを考え、言い方を変えた」のように、立場を入れかえて考えた場面を1つ書くとよいでしょう。出典が『論語』で、孔子が子貢に答えた言葉だと一言そえると、言葉の重みも伝わります。
似た言葉
- 恕(じょ)・思いやり:この言葉そのものを1字で言ったもの。
- 我が身をつねって人の痛さを知れ(ことわざ):自分の身に置きかえて、人の苦しみを思いやれ、という意味。とても近い考え方です。
- 己に克ちて礼に復る:同じ顔淵篇で、顔回に「仁」を答えた言葉(克己復礼)。自分の勝手な気持ちにうち勝つこと。
- 以心伝心(いしんでんしん):言葉にしなくても心が通じ合うこと。相手の心を思う点で、近い場面で使われます。
考え方が反対の言葉
- 唯我独尊(ゆいがどくそん):今の使い方では「自分だけがえらいとうぬぼれること」。相手の立場を考えない態度です。
- 我田引水(がでんいんすい):自分に都合のよいように物事を進めること。
- 自分さえよければいい:人の気持ちを考えない考え方。この言葉がいちばんいましめているものです。
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」のよくあるまちがい
- 「自分がいらない物を、人にあげるな」と取る:「欲」を「ほしい物」と考えたまちがいです。「欲せざる所」は自分が望まないこと・されたくないことで、物に限りません。
- 「施す」を「めぐむ(お金や物をあげる)」の意味だけで考える:ここでは「人に対して行う・しむける」の意味です。
- 「自分がしてほしいことなら、何でも人にしてよい」と考える:この言葉は「しないこと」の線を引くものです。自分がうれしいことでも、相手もうれしいとは限りません。人の好みはそれぞれ(十人十色)なので、相手の気持ちを確かめることも大切です。
- 読み方「ほっせざる」をまちがえる:「欲す(ほっす)」に打ち消しの「ず」がついて「ほっせざる」です。「ほしせざる」「よくせざる」とは読みません。
- 字をまちがえる:「己(おのれ)」と「已(すでに)」「巳(み)」は形が似た別の字です。字の形は「己」の読み方・書き順・部首、「施」の読み方・書き順・部首、「欲」の読み方・書き順・部首で確かめましょう。
- 出典を聖書だと思う:似た言葉が新約聖書にもありますが、この言葉の出典は『論語』(衛霊公篇・顔淵篇)です。
入試ではこう出る
この言葉は、高校受験の漢文で『論語』の代表的な言葉として出てきます。道徳の授業で知っている人も多い言葉ですが、入試では漢文の読み方が問われます。
- 中学受験:意味を選ぶ問題、「欲せざる」「施す」の意味を問う問題、似た意味のことわざ(我が身をつねって人の痛さを知れ)を選ぶ問題。
- 高校受験:「己所不欲、勿施於人」に返り点をつける問題、書き下し文に直す問題、「於」が置き字であることを問う問題がよく出ます。対策は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)へ。
- 大学受験:「有一言而可以終身行之者乎」の訳と句法(疑問・可能)、「恕」の意味、「其〜乎」のニュアンス。倫理の科目では、孔子の「仁」「忠恕」として出てきます。

うかるくん
「己所不欲」は「己の欲せざる所」で、「所」を最後に読むんだ!「所」にレ点、「不」にもレ点で、「欲→不→所」の順だね。
練習問題
やさしい
- 「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の意味として正しいものを選びましょう。
ア 自分がいらない物は、人にあげてはいけない イ 自分がされたくないことは、人にしてはいけない ウ 自分のほしい物は、人にゆずってはいけない エ 人からもらった物は、大切にしなければならない答えと解説を見る
イ。「欲せざる所」は自分が望まないこと、「施す」は人に対して行うこと、「勿れ」は禁止です。 - 孔子は、この言葉の心を漢字1字で何と言いましたか。また、その意味も答えましょう。
答えと解説を見る
恕(じょ)。自分の心をもとに人の心をおしはかる、思いやりのことです。
ふつう
- 「己所不欲、勿施於人」を書き下し文に直しましょう。また、読まない字を1字答えましょう。
答えと解説を見る
己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。読まない字(置き字)は「於」です。 - 子貢の「有一言而可以終身行之者乎」を現代語訳しましょう。
答えと解説を見る
一言で、一生それを守って行っていけるようなものがありますか。「乎」は疑問、「可以」は「〜することができる」。
むずかしい
- この言葉は『論語』の2つの篇に出てきます。それぞれ、だれのどんな問いへの答えですか。
答えと解説を見る
衛霊公篇では、子貢の「一生守っていける一言はありますか」という問いへの答え。顔淵篇では、仲弓の「仁とは何ですか」という問いへの答えの一部です。 - 新約聖書の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と、この言葉の言い方のちがいを説明しましょう。
答えと解説を見る
孔子の言葉は「されたくないことはしてはいけない」という打ち消し(禁止)の形、聖書の言葉は「してほしいことをしなさい」というすすんで行う形です。どちらも相手の立場に立って考える点は同じです。
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よくある質問
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の意味を簡単に言うと何ですか?
自分がされたくないことは、ほかの人にもしてはいけない、という意味です。孔子はこの心を「恕(じょ)」、つまり思いやりと呼びました。
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の出典はどこですか?
『論語』の衛霊公篇です。弟子の子貢が「一言で一生守っていけるものはありますか」とたずね、孔子が「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」と答えました。顔淵篇にも、仲弓に仁を説明する言葉として同じ句があります。
「施す」はどういう意味ですか?
ここでは「人に対して行う・しむける」という意味です。お金や物をめぐむ、という今のふつうの意味とは少しちがいます。
「欲せざる所」は何と読み、どういう意味ですか?
「ほっせざるところ」と読みます。「欲す(ほっす)」に打ち消しの「ず」がついた形で、「自分が望まないこと・されたくないこと」という意味です。「いらない物」という意味ではありません。
聖書の「黄金律」とはどうちがいますか?
新約聖書には「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という言葉があり、黄金律と呼ばれます。孔子の言葉は「してはいけない」という打ち消しの形、聖書の言葉は「しなさい」という形で、言い方の向きがちがいます。
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出典・参考
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- 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
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最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



