後生畏るべしの意味と由来|論語の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読む「後生」の読み方【故事成語】

後生畏るべしの意味と由来|論語の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読む「後生」の読み方【故事成語】

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後生畏るべしこうせいおそるべし

ひとことで言うと

若い人は、これからどこまでのびるか分からないので、うやまうべきだということ。孔子の言葉で、続きに「四十・五十で名が聞こえなければ畏るに足らず」とある。

読み方こうせいおそるべし
意味若い人(後輩)は、努力しだいでどこまで成長するか分からないので、おそれうやまうべきだということ。
出典『論語』子罕「後生可畏、焉知来者之不如今也」
お話孔子が、若い人の可能性をたたえ、ただし四十・五十になっても名が聞こえなければ畏れるに足りない、と述べた言葉
似た言葉出藍の誉れ・士別れて三日なれば刮目して見よ
反対の言葉亀の甲より年の功・老馬の智(反対に近い考え方)
漢文の句法反語(焉〜也)・仮定(無くんば)・置き字(而・焉)

このページのポイント

  • 「後生畏るべし」は、若い人の可能性をうやまうべきだという孔子の言葉。「こわい」という意味ではありません
  • 出典は『論語』子罕。「四十五十にして聞こゆること無くんば…」という続きまで、原文と4こまのイラストで分かります
  • 「後生(こうせい)」と「後生(ごしょう)」の読み分け、反語・仮定の句法、入試での出方まで

「後生畏るべし」の意味と読み方

「後生畏るべし」はこうせいおそるべしと読みます。意味は「若い人(後輩)は、これからの努力しだいでどこまでのびるか分からないので、おそれうやまうべきだ」ということです。「後生恐るべし」と書かれることもありますが、もとの字は「畏」です。

「後生(こうせい)」は、「先生(せんせい)=先に生まれた人」に対して、あとから生まれた人、つまり若い人や後輩のことです。「畏(おそ)る」は、こわがるという意味ではなく、相手の力を認めて、つつしみうやまうという意味です。出典は、孔子とその弟子たちの言葉を集めた『論語(ろんご)』の子罕(しかん)篇です。

「先生」と「後生」時の流れ先生先に生まれた人後生(こうせい)あとから生まれた人後生=若い人・後輩これからどこまでのびるか分からないだから「畏るべし」(うやまうべき)
「先生」は先に生まれた人、「後生」はあとから生まれた人。孔子は、後生こそうやまうべきだと言いました
うかるくん

うかるくん

「おそるべし」って、若い人がこわいっていう意味じゃないんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

そう思う人が多いんだけど、ちがうんだ。「畏」は「畏敬(いけい)」の「畏」で、相手をすごいと認めて、つつしむ気持ちのこと。孔子は、「若い人は、今はまだ未熟に見えても、やがて自分たちをこえるかもしれない。だから軽く見てはいけない」と言ったんだよ。

ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。

  • ○入社2年目の社員の企画が大当たりした。後生畏るべしだ。
  • ○十代の棋士が名人をやぶった。まさに後生畏るべしである。
  • ○小学生の質問に答えられず、「後生畏るべしだなあ」と先生が笑った。

「畏」の字は「畏」の読み方・書き順・部首、「後」は「後」の読み方・書き順・部首で、書き順と読み方を確かめておきましょう。

絵で読む「後生畏るべし」のお話

『論語』には、孔子がこの言葉をいつ、だれに言ったのかは書かれていません。そこで、言葉の内容を4つの場面にしてみました(実際の出来事を描いたものではなく、想像の場面です)。

絵で読む「後生畏るべし」(想像の4こま)

1若い弟子が学ぶよく学んでおるな孔子若い弟子たち
1孔子は、若い弟子たちが目をかがやかせて学ぶ様子を見ていました。
2孔子の言葉後生畏るべし。若い人が今の人に及ばないとどうして分かろうか孔子年上の弟子
2孔子は言います。「後生畏るべし。これから来る若い人が、今の人に及ばないと、どうして分かろうか」。
3若者はぐんぐんのびる年月先輩をこえたぞ!今何年もあと先輩
3若い人は、学び続ければ、何年もあとには今の先輩をこえるかもしれません。だから、うやまう気持ちで見るべきなのです。
4ただし、四十・五十で…Zz四十、五十になっても名が聞こえなければ畏れるに足りない斯れ亦畏るるに足らざるのみ
4ただし孔子は続けます。「四十、五十になっても名が聞こえないなら、畏れるほどの人ではない」。若さは、努力してこそ生きるのです。

この言葉は、前半だけが有名ですが、後半に大事な続きがあります。孔子は「若い人はすごい」とほめるだけでなく、「でも、年をとっても名が知られるほどのことを成しとげていなければ、畏れるほどではない」と、努力を続けることの大切さもあわせて言っているのです。

若い人の「のびしろ」と四十・五十力年齢今の年長者の力学び続けた若者学ばなかった人四十五十四十・五十で名が聞こえなければ畏るに足らず
若い人の力は、学び続ければ大きくのびます。でも、学ばなければのびません
人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

「後生畏るべし」は、年上の人には「若い人をあなどるな」、若い人には「あなたたちはどこまでものびられる。でも努力しなければ、それまでだ」と、両方に向けた言葉なんだ。

「後生畏るべし」の原文・書き下し文・現代語訳

出典は『論語』子罕第九です。短い言葉ですが、反語・仮定・否定の句法がつまっています。1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で見ていきましょう(書き下し文は代表的な読み方の一例です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方とルールでくわしく説明しています。

白文子曰、後生可畏。焉知来者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已。

1文目:後生畏るべし

書き下し文子し曰いはく、「後こう生せい畏おそるべし。

(『論語』子罕)

現代語訳先生(孔子)が言った、「若い人はおそれうやまうべきである。

ここがポイント「子(し)」は、『論語』では孔子のこと。「可(べ)し」は「〜すべきだ・〜できる」という意味の助字で、書き下し文ではひらがなで「べし」と書きます。「畏る」に返ってから「べし」を読むので、レ点がついています。

2文目:今の人に及ばないと、どうして分かろうか

書き下し文焉いづくんぞ来らい者しやの今いまに如しかざるを知しらんや。

(『論語』子罕)

現代語訳これからの人(若い人)が、今の人に及ばないなどと、どうして分かろうか(いや、分からない)。

ここがポイント「焉(いづ)くんぞ〜や」は、「どうして〜だろうか、いや〜ない」という反語の句法(豈・安・焉・何)です。「来者(らいしや)」は「これから来る人=若い世代」。「如(し)かず」は「及ばない」で、「百聞は一見に如かず」の「如かず」と同じです。「一レ」の点は、レ点と一点が同じ字についた形で、入試でよくねらわれます。

3文目:四十、五十になっても名が聞こえなければ

書き下し文四し十じふ五ご十じふにして聞きこゆること無なくんば、

(『論語』子罕)

現代語訳(しかし)四十歳、五十歳になっても、(よい評判が)聞こえてこないようなら、

ここがポイント「而」と「焉」は読まない置き字(而・於・焉・矣)です。「而」は「〜にして」の送り仮名で働きを表します。「無くんば」は「無し」に「は」がついた形で、「もし〜なければ」という仮定の意味。仮定の言い方は仮定の句法(如・若・苟・縦・雖)へ。「聞(ぶん)」は、ここでは「名声・よい評判」のことです。

4文目:畏れるには足りない

書き下し文斯これ亦また畏おそるるに足たらざるのみ。」

(『論語』子罕)

現代語訳そういう人は、もうおそれうやまうほどの人ではないのだ。」

ここがポイント「不足〜(〜に足らず)」は「〜するほどの値打ちがない」。「也已(のみ)」は、2字で「のみ」と読み、「〜だけだ・〜にすぎない」と言い切る形です。「斯(こ)れ」は「このような人」を指します。
原文で覚える句法4つ可畏畏るべしうやまうべきだ可(べし)焉知〜也焉くんぞ〜を知らんやどうして分かろうか反語無聞焉聞こゆること無くんばもし名が聞こえなければ仮定不足畏畏るるに足らずうやまうほどでもない否定(不足)
「後生畏るべし」の章には、可(べし)・反語・仮定・不足の4つの句法が入っています

原典(『論語』子罕)の本文では

維基文庫(中国語のウィキソース)の『論語』子罕第九では、次のようになっています(句読点は維基文庫の本文のとおり)。

『論語』子罕第九の本文子曰:「後生可畏,焉知來者之不如今也?四十、五十而無聞焉,斯亦不足畏也已!」
  • 「来」が「來」:昔の字体(旧字体)です。意味は同じです。
  • 前の章とのつながり:すぐ前の章には「苗にして秀でざる者有り、秀でて実らざる者有り」(芽は出ても穂が出ないものがある。穂が出ても実らないものがある)という言葉があります。さらにその前の章では、孔子が弟子の顔淵(がんえん=顔回)について「惜しいかな。吾其の進むを見るも、未だ其の止まるを見ざるなり」(おしいことだ。わたしは彼が進むのを見たが、止まるのを見たことがなかった)と、早く亡くなったことをなげいています。若い力がのびるか、とちゅうで止まるかという話が、ならんで置かれているのです。

「四十」「五十」は為政篇の言葉とも重なる

孔子は、自分の一生をふり返った為政(いせい)篇の有名な言葉の中でも、四十と五十にふれています。

為政篇:四十にして惑はず

書き下し文四し十じふにして惑まどはず、五ご十じふにして天てん命めいを知しる。

(『論語』為政)

現代語訳四十歳で迷わなくなり、五十歳で天から与えられた使命を知った。

ここがポイント「吾十有五にして学に志す」で始まる章の一部です。ここから、四十歳を「不惑(ふわく)」、五十歳を「知命(ちめい)」と言うようになりました。孔子にとって四十・五十は、学び続けた成果が形になる年ごろだったことが分かります。
サクラちゃん

サクラちゃん

四十、五十って、今の感覚だとまだまだ若い気がします。

ミスターT先生

ミスターT先生

いい感覚だね。孔子の時代は今より寿命が短かったから、四十・五十は「人生の後半」と考えられていた。だから孔子は「若いうちのびしろは大きい。でも、それを生かせるかどうかは、四十・五十までにどれだけ努力したかで決まる」と言いたかったんだろう。今の時代に当てはめるなら、「若さ」を言いわけにも、あきらめにもしない、ということだね。

出典『論語』と話の背景

『論語』は、春秋時代の思想家孔子(こうし)(紀元前551年ごろ〜紀元前479年)と、その弟子たちの言葉や行いを、のちの弟子たちがまとめた本です。全部で20篇あり、「子罕」はその9番目の篇です。孔子は、身分にかかわらず多くの弟子を教えたことで知られ、弟子は3000人いたとも伝えられます(数は言い伝えです)。孔子の考えを受けつぐ学派を「儒家(じゅか)」と言います。諸子百家の中での位置は諸子百家(儒家・道家・法家)の考え方で図にしています。

長い衣を着て両手を胸の前で組んだ、ひげの長い年配の男性の立ち姿の線画
孔子の像(唐の画家・呉道子が描いたと伝えられるもの)。孔子は、若い弟子たちを大切にした先生でした。画像:「Confucius Tang Dynasty」(伝・呉道子、Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

孔子のもとには、年のちがうさまざまな弟子が集まりました。中でも、孔子より30歳ほど若い顔回(がんかい)は、いちばんの弟子とされ、孔子はその学ぶ姿勢をくり返しほめています。しかし顔回は若くして亡くなり、孔子はたいへん悲しみました。「後生畏るべし」の言葉のすぐ前に、顔回をおしむ章や「芽が出ても実らないものがある」という章が置かれていることから、若い人への期待と、それが実らないことへのおしさの両方を読み取る人もいます(どの弟子を念頭においた言葉かは、はっきりしません)。

『論語』には、ほかにも学ぶ人に向けた言葉がたくさんあります。「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」「学びて思わざれば則ち罔し(学問と思考)」「三人行えば必ず我が師あり(論語の名言)」なども、いっしょに覚えておくと、論語の考え方がよく分かります。

「後生畏るべし」とよく比べられるのが、『荀子(じゅんし)』の「青は藍より出でて藍より青し(出藍の誉れ)」です。藍から取った青い染料が、もとの藍よりも青くなるように、弟子が学んで師をこえることを言います。また、三国時代の呉の武将・呂蒙が学問にはげんで見ちがえるほど成長した話から生まれた「士別れて三日なれば刮目して見よ(呂蒙の故事)」も、人は努力しだいで大きく変わることを言う言葉です。

「後生畏るべし」の使い方と例文・似た言葉

「後生畏るべし」は、若い人や後輩が、思いがけない力を見せたときに、年上の人がおどろきと敬意をこめて使うのがふつうです。若い人が自分に向かって使うことはあまりありません。また、ほめ言葉として使うのが基本で、「若者はこわい」という悪い意味では使いません。

  • ○中学生が考えたアプリが全国大会で優勝した。後生畏るべしとはこのことだ。
  • ○後輩の論文の鋭さに、教授は「後生畏るべし」とつぶやいた。
  • ○若手にどんどん仕事を任せるのは、後生畏るべしという考えがあるからだ。
  • ○後生畏るべし。ベテランも、学ぶことをやめてはいけない。
  • ×最近の若者は何をするか分からないから、後生畏るべしだ。(「こわい」という悪い意味ではない)
  • ×後生畏るべしだから、このおかしを分けてよ。(「後生(ごしょう)だから=お願いだから」とは別の言葉)
後生畏るべし似た言葉出藍の誉れ(青は藍より出でて藍より青し)士別れて三日なれば…呉下の阿蒙少しちがう大器晩成栴檀は双葉より芳し反対に近い亀の甲より年の功老馬の智
似た言葉、少しちがう言葉、反対に近い考え方の言葉

似た言葉

少しちがう言葉・反対に近い考え方

  • 大器晩成(たいきばんせい):大人物は、おそく才能が現れる。「若い人はすごい」ではなく「時間をかけて大成する」ことを言います。
  • 栴檀は双葉より芳し:すぐれた人は、子どものころからすぐれている。若い人の才能に注目する点は似ています。
  • 亀の甲より年の功:長い経験には、それだけの値打ちがある。年上の人の経験を重んじる言葉で、「後生畏るべし」とは見方が反対です。
  • 老馬の智(ろうばのち):年をとった馬は道を覚えている、経験を積んだ人の知恵は役に立つ、という『韓非子』の話から生まれた言葉です。

英語では、19世紀の宣教師ジェームズ・レッグが『論語』を訳したときの "A youth is to be regarded with respect."(若者は敬意をもって見られるべきだ)という訳がよく知られています。

受験勉強への生かし方

受験生のみなさんは、まさに「後生」です。今の模試の成績がどうであれ、これからどこまでのびるかは、だれにも分かりません。孔子が言うように、「今の人に及ばない」と決めつける理由はないのです。ただし後半の言葉のとおり、のびしろは、学び続けてはじめて生きます。

孔子は「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」とも言っています。学ぶことを楽しむコツは「好きこそものの上手なれ」と論語「楽しむ者に如かず」で、努力の積み重ねが才能をこえる話は「努力は才能を超える」の意味(受験の格言)で紹介しています。受験生をはげます言葉は受験の格言・名言100選(意味・出典つき)にもたくさん集めました。

「後生畏るべし」のよくあるまちがい

「後生」の読み分けこうせいあとから生まれた人・若い人・後輩例:後生畏るべし○ この言葉ごしょう仏教の言葉で、死んだあとの世(来世)例:後生だから(お願いだから)× 別の言葉ごしょうだいじ後生大事=とても大切にすること例:古いノートを後生大事にしまう× 別の言葉
「後生」は、読み方で意味がまったく変わります
  • 「ごしょうおそるべし」と読む:この言葉は「こうせい」です。「後生(ごしょう)」は仏教の言葉で、死んだあとに生まれ変わる世(来世)のこと。「後生だから(お願いだから)」「後生大事(とても大切にすること)」は、こちらの「ごしょう」です。
  • 「後世畏るべし」と書く:「後世(こうせい)」は「のちの時代」のことで、読みは同じでも別の言葉です。人をさす「後生」と書きます。
  • 「若者はこわい」という意味だと思う:「畏る」は「うやまう」。若い人の可能性をたたえる、ほめ言葉です。
  • 後半を知らない:「四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ」という続きがあり、「努力しなければ、若さもそれまで」という意味もふくんでいます。入試の漢文では後半もよく出ます。
  • 「畏」を「恐」や「異」と書く:「後生恐るべし」と書かれることもありますが、原文は「畏」です。「異」は形が似た別の字です。「畏」の読み方・書き順・部首で確かめましょう。
うかるくん

うかるくん

「後生だから」っていつも言ってたけど、あれは「ごしょう」だったんですね…。

ミスターT先生

ミスターT先生

そうなんだ。「後生だから」は「来世の幸せのためにも、どうか」というお願いの言葉。「こうせい」は人、「ごしょう」はあの世、と覚えておこう。

入試ではこう出る

「後生畏るべし」は、中学受験から大学受験まで出てくる言葉です。

  • 中学受験:故事成語・ことわざの意味を選ぶ問題、「後生」の読みを答える問題で出ることがあります。「青は藍より出でて藍より青し」など、似た意味の言葉と組み合わせる問題もあります。
  • 高校受験:中学の国語で『論語』を学ぶので、論語の章の一つとして、書き下し文に直す問題・返り点をつける問題・「後生」の意味が問われます。高校受験の漢文の出方は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
  • 大学受験:「焉知来者之不如今也」の反語の訳、「無聞焉」の仮定、「不足畏也已」の訳がよく問われます。評論文では、世代のちがいや教育をテーマにした文章で引用されることがあります。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

「焉くんぞ〜知らんや」は、「どうして分かろうか、いや分からない」と、最後に「いや〜ない」までつけて訳すのが反語のコツですね!

練習問題

やさしい

  1. 「後生畏るべし」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 若い人は何をするか分からずこわい イ 若い人はこれからどこまでのびるか分からないので、うやまうべきだ ウ 死んだあとの世のことを大切にするべきだ エ 年上の人の言うことは必ず聞くべきだ
    答えと解説を見るイ。アは「畏る」をこわがる意味に取ったまちがい、ウは「後生(ごしょう)」の意味です。
  2. 「後生畏るべし」の「後生」の読み方をひらがなで答えましょう。
    答えと解説を見るこうせい。「ごしょう」と読むと、仏教の来世の意味になります。

ふつう

  1. 「後生可畏。」を書き下し文に直しましょう。
    答えと解説を見る後生畏るべし。「可」は助字なので、ひらがなで「べし」と書きます。
  2. 「焉知来者之不如今也」を現代語訳しましょう。
    答えと解説を見るこれからの若い人が、今の人に及ばないなどと、どうして分かろうか(いや、分からない)。反語なので、「いや、分からない」まで訳すと確実です。

むずかしい

  1. 孔子は、どのような人を「畏るるに足らず」と言っていますか。原文の言葉をもとに説明しましょう。
    答えと解説を見る「四十五十にして聞こゆること無くんば」とあるように、四十歳・五十歳になっても、名声やよい評判が聞こえてこない(何も成しとげていない)人です。
  2. 「斯亦不足畏也已」の「也已」は何と読み、どんな意味を表していますか。
    答えと解説を見る「のみ」と読み、「〜だけだ・〜にすぎない」と限定・強い言い切りを表します。全体で「そういう人は、うやまうほどではないのだ」という意味になります。

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よくある質問

後生畏るべしとはどういう意味ですか?

後生畏るべしとは、若い人は努力しだいでどこまでのびるか分からないので、おそれうやまうべきだという意味です。若い人や後輩の可能性をたたえるほめ言葉で、「こわい」という意味ではありません。

後生畏るべしの読み方は何ですか?

「こうせいおそるべし」と読みます。「後生」を「ごしょう」と読むと、仏教の「来世」の意味の別の言葉になるので注意しましょう。

後生畏るべしの出典・由来は何ですか?

出典は『論語』子罕篇で、孔子の言葉です。原文は「後生可畏、焉知来者之不如今也」で、「若い人が今の人に及ばないと、どうして分かろうか」と続きます。

後生畏るべしには続きがありますか?

はい、あります。続きは「四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ」で、四十・五十歳になっても名が聞こえない人は、もう畏れるほどではない、という意味です。

後生畏るべしの書き下し文と現代語訳は?

書き下し文は「後生畏るべし。焉くんぞ来者の今に如かざるを知らんや」です。現代語訳は「若い人はうやまうべきだ。これからの人が今の人に及ばないと、どうして分かろうか、いや分からない」となります。

後生畏るべしの例文を教えてください。

「十代の棋士が名人をやぶった。まさに後生畏るべしだ」のように使います。若い人や後輩が思いがけない力を見せたとき、年上の人がおどろきと敬意をこめて使うのがふつうです。

後生畏るべしはビジネスで使えますか?

はい、使えます。若手社員や後輩の活躍をたたえるときに「後生畏るべしですね」と言えば、ほめ言葉になります。ただし目上の人に向かって使う言葉ではありません。

後生畏るべしに似た言葉・反対の言葉は何ですか?

似た言葉は「青は藍より出でて藍より青し(出藍の誉れ)」「士別れて三日なれば刮目して見よ」などです。反対に近い考え方の言葉に、年長者の経験を重んじる「亀の甲より年の功」があります。

後生畏るべしは英語で何と言いますか?

19世紀のジェームズ・レッグによる『論語』の英訳 "A youth is to be regarded with respect." がよく知られています。「若者は敬意をもって見られるべきだ」という意味です。

後生畏るべしは入試でどう出ますか?

中学受験では意味や「後生」の読みを問う問題、高校受験では論語の書き下し文や返り点の問題が出ます。大学受験では「焉知〜也」の反語や「不足畏也已」の訳がよく問われます。

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出典・参考

  • 原文:『論語』子罕第九・為政第二(維基文庫の本文で確認)
  • 英訳:James Legge 訳『論語』(The Chinese Classics)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • 絵:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦