上善は水の如しの意味と由来|老子「上善若水」の原文・書き下し文・現代語訳、例文・似た言葉をイラストで解説【故事成語】

上善は水の如しの意味と由来|老子「上善若水」の原文・書き下し文・現代語訳、例文・似た言葉をイラストで解説【故事成語】

故事成語の一覧 › 『老子』

大学受験

上善は水の如しじょうぜんはみずのごとし

ひとことで言うと

最上の善は、水のようにすべてを助け、あらそわず、人のいやがる低い所にいることだ、という老子の言葉。

読み方じょうぜんはみずのごとし
意味いちばんよい生き方は水のようなものだ。水のように、すべてのものに恵みを与えながら、ほかとあらそわず、人のいやがる低い所に身を置くのが最高の善である、ということ。
出典『老子』第八章「上善若水。水善利万物而不争、処衆人之所悪、故幾於道」
別の形上善若水(じょうぜんじゃくすい)
似た言葉柔よく剛を制す・和光同塵・実るほど頭を垂れる稲穂かな
反対の考え方弱肉強食(四字熟語)
英語The highest good is like water.
漢文の句法比況(若し)・置き字(而・於)・「所」の用法

このページのポイント

  • 「上善は水の如し」は、最上の善は水のようなものだという老子の言葉
  • 水はすべてを助け・あらそわず・人のいやがる低い所にいる。だから「道に幾し」
  • 原文は『老子』第八章の「上善若水」。7つの善、第七十八章の「柔弱」、句法と入試での出方まで分かります

「上善は水の如し」の意味と読み方

「上善は水の如し」はじょうぜんはみずのごとしと読みます。意味は「いちばんよい生き方は、水のようなものだ。水のように、すべてのものに恵みを与えながら、ほかとあらそわず、人のいやがる低い所に身を置くのが、最高の善である」ということです。中国の思想家老子の言葉で、「上善若水(じょうぜんじゃくすい)」の4字の形でも知られています。

「上善(じょうぜん)」は、最上の善・いちばんよいこと。「如し(ごとし)」は「〜のようだ」。つまり、文字どおりには「最上の善は、水のようなものだ」という意味です。水は、植物や動物、人の命をささえる、なくてはならないものです。それなのに、水は「わたしのおかげだ」といばることも、ほかとあらそうこともなく、いつも低い方へ低い方へと流れていきます。老子は、そんな水の姿に、人の理想の生き方を見たのです。

老子が見た、水の3つのよさ1利万物すべてのものをうるおし助ける2不争ほかとあらそわずよけて流れる3処所悪人がいやがる低い所にいるだから水は「道」に近い
水は「すべてを助ける」「あらそわない」「低い所にいる」。この3つが、老子の考える最高の善です
うかるくん

うかるくん

水がいちばんえらいってことですか? なんだか不思議な言葉ですね。

ミスターT先生

ミスターT先生

いい疑問だね。老子は「強い」「高い」「目立つ」ものより、「やわらかい」「低い」「目立たない」ものにこそ本当の力があると考えた人なんだ。水はまさにその代表。同じ『老子』の大器晩成(老子・四十一章)も、ふつうとは逆の見方から生まれた言葉だよ。

ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。

  • ○手がらを自分のものにしない先輩の姿に、「上善は水の如し」という言葉を思い出した。
  • ○「上善は水の如し」を座右の銘にして、人とあらそわず、だれかの役に立つことを心がけている。
  • ○リーダーは、えらぶらず、みんなをささえる人がいい。上善は水の如しだ。

「善」は「善」の読み方・書き順・部首、「水」は「水」の読み方・書き順・部首、「如」は「如」の読み方・書き順・部首で、書き順と読み方を確かめておきましょう。

絵で読む「上善は水の如し」のたとえ

「上善は水の如し」は、一つの出来事から生まれた言葉ではなく、『老子』の第八章に書かれた老子の言葉です。そこで、原文に出てくる水の3つのよさを、たとえの場面として4こまの絵にしました(実際にあった出来事ではありません)。

絵で読む「上善は水の如し」(原文のたとえを絵にした4こま)

1水はすべてを助ける水のおかげで稲がよく育つぞ田んぼ木や鳥
1たとえの場面です。水は、田んぼの稲も、川べりの木も、水を飲む鳥も、すべてのものをうるおして助けます(水は善く万物を利す)。
2岩とあらそわないぶつかってもするりとよける岩
2水は、大きな岩にぶつかっても、岩とあらそいません。するりとよけて、先へ流れていきます(争はず)。
3人がいやがる低い所へ低い所はいやだ。高い所がいい水は低い所へ池になる
3人はみな高い所に行きたがり、低い所をいやがります。でも水は、だれもがいやがる低い谷へ流れ、そこにたまります(衆人の悪む所に処る)。
4老子のことば(想像の場面)いちばんよいのは水のような生き方上善は水のごとし
4だから老子は「上善は水のごとし(いちばんよい生き方は水のようなものだ)」と語りました(老子の言葉を場面にした想像の絵)。

1〜3こま目が、原文の「水は善く万物を利して争はず、衆人の悪む所に処る」の3つの部分にあたります。4こま目は、それをまとめた老子の言葉です。老子は、3つのよさがそろっているから、水は「道(みち)」、つまり世界の根本のあり方に近いのだ、と言いました。

二曲の屏風に、墨で描かれた山と大きな滝、松の木、川沿いの道、高い所の建物と、滝を見る小さな人物
日本の江戸時代の画家・曾我蕭白(そがしょうはく)が描いた「滝を見る中国の文人」の屏風。高い山から落ちた滝の水が、低い所へ流れていきます。老子の思想は、こうした山水画の世界にも大きな影響を与えました。画像:曾我蕭白「Chinese Scholar Contemplating a Waterfall」(二曲屏風、墨・金・紙、日本・江戸時代、メトロポリタン美術館 1996.104、パブリックドメイン)
人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

「低い所」というのは、人がいやがる場所・目立たない立場のたとえだ。みんながいやがる仕事を、だまって引き受ける人。そういう人のところに、自然と人が集まってくるんだよ。

「上善は水の如し」の原文・書き下し文・現代語訳

もとの言葉は、『老子』(『道徳経』)の第八章です。短い章なので、全文を1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で見ていきましょう(書き下し文は代表的な読み方の一例です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方とルールでくわしく説明しています。

白文(『老子』第八章・全文)上善若水。水善利万物而不争、処衆人之所悪、故幾於道。居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不争、故無尤。

1文目:最上の善は水のようだ

書き下し文上じやう善ぜんは水みづのごとし。

(『老子』第八章)

現代語訳最上の善(いちばんよい生き方)は、水のようなものである。

ここがポイント「若(ごと)し」は「〜のようだ」という比況の句法。書き下し文では助動詞なのでひらがなで書くのが決まりです(ことわざでは「如し」と漢字で書くこともあります)。「如」と「若」の読み分けは比況の句法(如・若・猶「〜のごとし」)へ。

2文目:水はすべてを助けて、あらそわない

書き下し文水みづは善よく万ばん物ぶつを利りして争あらそはず。

(『老子』第八章)

現代語訳水は、あらゆるものに恵みを与えてうるおし、しかも、ほかとあらそわない。

ここがポイント「利す」は「利益を与える・役に立つ」。「而」は読まない置き字で、「利して」と「争はず」をつないでいます。置き字の見分け方は置き字(而・於・矣・焉)の一覧と働きで練習できます。

3文目:人のいやがる所にいるから、道に近い

書き下し文衆しゆう人じんの悪にくむ所ところに処をり、故ゆゑに道みちに幾ちかし。

(『老子』第八章)

現代語訳(水は)多くの人がいやがる(低い)所にいる。だから、道(世界の根本のあり方)に近いのである。

ここがポイント「所(ところ)」は、下の動詞を「〜すること・〜するもの・〜する場所」に変える字で、「悪む所」は「いやがる所」。「者・所・所以」の読み方と意味でまとめています。「於」は読まない置き字ですが、「道に」の「に」に意味が残ります(「於・于・乎」の働き)。

4文目:水に学ぶ生き方(7つの善)

書き下し文居きよは地ちを善よしとし、心こころは淵ふちを善よしとし、与まじはりは仁じんを善よしとし、言げんは信しんを善よしとす。

(『老子』第八章)

現代語訳住まいは(低い)土地にあるのがよく、心は淵のように深く静かなのがよく、人とのつきあいは思いやりがあるのがよく、言葉はうそがないのがよい。

ここがポイントこのあと「正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす」と続き、全部で7つの「善」がならびます。どれも、低い所に流れ、深くたまり、すべてをうるおす水の性質から考えた生き方です。読み方には本によっていくつかの説があります。

5文目:あらそわないから、とがめられない

書き下し文夫それ唯ただ争あらそはず、故ゆゑに尤とが無なし。

(『老子』第八章)

現代語訳そもそも、ただあらそわないから、だれからもとがめられることがない。

ここがポイント「夫れ」は話をまとめるときの「そもそも」。「唯だ」は限定の句法(唯・独・但「ただ〜のみ」)の字です。「尤(とが)」は、とがめ・あやまち。「無し」は否定の句法(不・無・非・莫・弗)の字で、「尤無し」と下から返って読みます。
水に学ぶ7つの「善」(第八章)居善地住むなら低い土地がよい心善淵心は淵のように深く静かに与善仁人とは思いやりをもって言善信言葉はうそがないように正善治政治はよく治まるように事善能仕事は力を生かして動善時動くならちょうどよい時に夫れ唯だ争はず、故に尤無し
第八章の後半は、水に学ぶ7つの「善」。最後は「争はず、故に尤無し」でしめくくられます

原典(王弼本『老子』)の本文では

維基文庫(中国語のウィキソース)の王弼本『道徳経』第八章の本文では、次のようになっています(句読点は維基文庫の本文のとおり)。

『老子』第八章の本文上善若水。水善利萬物而不爭,處眾人之所惡,故幾於道。居善地,心善淵,與善仁,言善信,正善治,事善能,動善時。夫唯不爭,故無尤。
  • 「万」が「萬」、「争」が「爭」、「処」が「處」など:昔の字体(旧字体)で書かれています。意味は同じです。
  • 「如」ではなく「若」:原文の字は「若」です。日本のことわざでは「如し」と書くことが多いので、「上善は水の如し」と「上善若水」の両方の形があります。
  • 王弼(おうひつ)の注:「衆人の悪む所」に「人は卑(ひく)きを悪むなり(人は低い所をいやがる)」という注がついています。「悪む所」は低い所のことだと分かります。
原文で覚える句法4つ若ごとし〜のようだ比況而(読まない)「〜して」とつなぐ置き字所ところ〜すること・もの「所」の用法於(読まない)「道に」の「に」を表す置き字
第八章の原文には、比況の「若」、置き字の「而」「於」、「所」の用法が出てきます

出典『老子』と話の背景

『老子』は、『道徳経(どうとくきょう)』とも呼ばれる中国の古い思想の本で、全部で八十一章あります。書いたのは老子(老聃〈ろうたん〉)とされますが、どんな人だったのか、いつの時代の人なのかには諸説あります。司馬遷の『史記』には、周の国の書庫の役人だった老子が、国を去るときに関所の役人にたのまれて書を残した、という話がのっています。老子の考えは「道家(どうか)」と呼ばれ、孔子の儒家とちがって、人がわざと何かをするより自然のなりゆきにまかせる(無為自然)ことを大切にしました。くわしくは諸子百家(儒家・道家・法家)の考え方で図にしています。

老子は『老子』の中で、何度も水をたとえに使っています。水は、老子の思想をいちばん分かりやすく表すものだったのです。

  • 第六十六章:「江海の能く百谷の王たる所以の者は、其の善く之に下るを以てなり」――大きな川や海が、たくさんの谷の水が集まる「王」になれるのは、低い所にいるからだ。
  • 第七十八章:「天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強を攻むる者、之に能く勝る莫し」――世の中に水ほど柔らかく弱いものはないが、かたく強いものをせめるのに、水にまさるものはない。

どちらも、「上善は水の如し」と同じく、低く・柔らかく・あらそわないものこそ強いという考えです。同じ『老子』の言葉には、ほかにも千里の道も一歩から(老子・第六十四章)、和光同塵(才能を隠して世に交じる)、足るを知る(老子の言葉)などがあります。

弱いようで、いちばん強い水しずくが石に穴を海低いから谷の王に第七十八章第六十六章柔らかく、低く、あらそわない水が勝つ
水は、しずくでも石に穴をあけ、低い所にいるから海になる。老子は水の「弱さの強さ」を何度も説きました

日本での広まり

日本では、「上善は水の如し」は、人との争いをさけ、謙虚にふるまう生き方を表す言葉として広く知られています。座右の銘や書道の題材としても人気があり、お酒などの商品名に使われたこともあって、言葉だけは聞いたことがある、という人も多いでしょう。ただし、もとは老子が理想の生き方を説いた言葉で、お酒の味のことを言ったものではありません。

サクラちゃん

サクラちゃん

あらそわないって、負けてもいいってことですか? 受験は競争なのに…

ミスターT先生

ミスターT先生

「あらそわない」は「あきらめる」とはちがうよ。水は岩とケンカしないけれど、止まらずに流れ続けて、最後は海までたどりつく。それに、第七十八章にあるように、しずくでも長い時間をかければ石に穴をあける。人とあらそうより、自分の道を流れ続けるほうが強い、ということなんだ。

「上善は水の如し」の使い方と例文・似た言葉

「上善は水の如し」は、人とあらそわず、えらぶらず、だれかのために力をつくす生き方をほめるときや、自分の心がけ(座右の銘)として使います。少しかたい言葉なので、会話より、文章やスピーチでよく使われます。

  • ○「上善は水の如し」と言うように、手がらをゆずり、まわりをささえる人が、最後には信頼される。
  • ○祖父の書斎には「上善若水」と書かれた書がかけてある。
  • ○チームの意見がぶつかったとき、キャプテンは上善は水の如しで、だれともあらそわずにまとめ役に回った。
  • ×このお店の水はおいしい。まさに上善は水の如しだ。(飲み水のおいしさをほめる言葉ではない)
  • ×彼は何でも水に流してしまう。上善は水の如しだ。(「水に流す=過去を忘れる」とは別の意味)
上善は水の如し似た言葉柔よく剛を制す和光同塵実るほど頭を垂れる稲穂かな水は方円の器に随う反対の考え方弱肉強食
似た言葉と、反対の考え方の言葉

似た言葉

  • 柔よく剛を制す(じゅうよくごうをせいす):柔らかくしなやかなものが、かたく強いものに勝つ。老子の第七十八章と同じ考えです。
  • 和光同塵(わこうどうじん):自分の才能を見せびらかさず、世の中にとけこむこと。これも『老子』の言葉です。
  • 実るほど頭を垂れる稲穂かな:りっぱな人ほど、えらぶらず謙虚である。
  • 水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう):水が入れ物の形にしたがうように、人も環境やつきあう人によって変わる。水の「やわらかさ」を言う言葉です。

反対の考え方

英語では、"The highest good is like water." または "The supreme good is like water." と訳されることが多いです。英語に訳された『老子』(Tao Te Ching)は世界中で読まれていて、この一句はとくに有名です。

受験勉強への生かし方

受験勉強で「水のように」とは、まわりとあらそうより、自分のペースで流れ続けることです。模試の順位でライバルと比べてイライラしたり、友だちの成績を気にして落ちこんだりするのは、岩とケンカしている水のようなものです。くらべる相手は、きのうの自分です。受験の格言「最大の敵は自分自身だ」の意味は、まさにこの考え方を受験に当てはめた言葉です。

また、水のしずくが長い時間をかけて石に穴をあけるように、毎日の小さな勉強の積み重ねが、最後には大きな力になります。「継続は力なり」の意味と由来(受験勉強を続けるコツ)や、「積小為大」の意味(小さな積み重ねが大きな成果に)もあわせて読んでみてください。そして「低い所にいる」とは、分からないことを分からないと認めて、基礎から学び直すことでもあります。低い所にいる水に、たくさんの谷の水が集まってくるように、謙虚に質問できる人に、知識は集まってきます。

「上善は水の如し」のよくあるまちがい

  • 「じょうぜん」を「うえぜん」「じょうせん」と読む:正しくは「じょうぜんはみずのごとし」。「上善」は「最上の善」です。
  • 「上膳」「上前」と書く:「善」は「よいこと」の字。「膳(ぜん)」は食事をのせる台のことで、まったく別の字です。
  • 飲み水やお酒のおいしさのことだと思う:老子が言ったのは人の生き方のことです。商品名などで知った人は注意しましょう。
  • 「水に流す」「水の泡」と混ぜる:「水に流す」は過去のことを忘れること、「水の泡」は努力がむだになること。どちらも別の言葉です。
  • 「あらそわない=何もしない・負けてよい」と受け取る:水は止まらずに流れ続け、すべてを助けます。何もしないこととはちがいます。
  • 孔子(論語)の言葉だと思う:出典は『老子』です。中国の思想の言葉はよく混同されるので、「水」なら老子、と覚えておくとよいでしょう。
うかるくん

うかるくん

「如し」と「若し」、どっちで書けばいいんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

ことわざとして書くなら「上善は水の如し」がふつうだ。原文の漢文は「上善若水」で、「若」の字だよ。書き下し文のテストなら「上善は水のごとし」とひらがなで書くと、助動詞のきまりどおりになる。どの形を聞かれているかをよく見よう。

入試ではこう出る

「上善は水の如し」は、おもに大学受験(共通テスト・二次試験の漢文、倫理・世界史)で出てくる言葉です。

  • 大学受験(漢文):『老子』第八章の文章で、「上善若水」の書き下し(「若」をごとしと読む)、「水善利万物而不争」の置き字「而」、「処衆人之所悪」の「所」の読み方・返り点、「故幾於道」の意味などが問われます。共通テストの漢文の対策は共通テストの漢文(句法と時間配分)にまとめています。
  • 大学受験(倫理・世界史):老子・道家の思想として、「無為自然」「柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)」と、水のたとえの関係がよく問われます。「上善は水の如し」が柔弱謙下(柔らかく弱く、へりくだること)を表す言葉だと答えられるようにしておきましょう。
  • 高校受験・中学受験:出ることは多くありませんが、漢文の資料文や、ことわざ・故事成語の発展問題で見かけることがあります。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

老子の水のたとえは「柔弱謙下」。倫理ではこの4字とセットで覚えると、思想の問題にも強くなりますね!

練習問題

やさしい

  1. 「上善は水の如し」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア きれいな水がいちばん体によい イ 最上の善は、水のようにあらそわず、人の役に立ち、低い所にいることだ ウ 過去のことは水に流すのがよい エ 努力がむだになる
    答えと解説を見るイ。アは飲み水の話、ウは「水に流す」、エは「水の泡」の意味です。
  2. 「上善は水の如し」の出典の本の名前を答えましょう。
    答えと解説を見る『老子』(『道徳経』)の第八章です。

ふつう

  1. 「上善若水。」を書き下し文に直しましょう。
    答えと解説を見る上善は水のごとし。「若」は比況の助動詞「ごとし」と読み、書き下し文ではひらがなで書きます。
  2. 「水善利万物而不争」の「而」のように、書き下し文では読まない字を何と言いますか。
    答えと解説を見る置き字。「利して」の「て」に、つなぐ働きが残っています。

むずかしい

  1. 「処衆人之所悪、故幾於道。」を書き下し文に直し、「衆人の悪む所」とはどんな所かを説明しましょう。
    答えと解説を見る衆人の悪む所に処り、故に道に幾し。「衆人の悪む所」は、多くの人がいやがる低い所のことです(王弼の注に「人は卑きを悪むなり」とあります)。
  2. 老子が水を「最上の善」にたとえた理由を、原文にそって3つ答えましょう。
    答えと解説を見る①すべてのものに恵みを与えて役に立つ(善く万物を利す)、②ほかとあらそわない(争はず)、③人がいやがる低い所に身を置く(衆人の悪む所に処る)。この3つがそろうので「道に幾し」と言っています。

「上善は水の如し」とあわせて覚えたい関連ページ

『老子』から生まれた故事成語(絵で読む)

← 前の語:臍を噛むの意味と由来

読みもの(合格大作戦の記事)

受験掲示板「100点BBS」で質問・相談しよう

よくある質問

上善は水の如しとはどういう意味ですか?

上善は水の如しとは、最上の善(いちばんよい生き方)は水のようなものだという意味です。水がすべてのものに恵みを与えながら、ほかとあらそわず、人のいやがる低い所にいるように生きるのが理想だ、という老子の教えです。

上善は水の如しの読み方は何ですか?

「じょうぜんはみずのごとし」と読みます。原文の4字の形「上善若水」は「じょうぜんじゃくすい」とも読みます。

上善は水の如しの出典は何ですか?

中国の思想家・老子の言葉をまとめた『老子』(『道徳経』)の第八章です。孔子の『論語』ではありません。

上善は水の如しの原文と書き下し文は?

原文は「上善若水。水善利万物而不争、処衆人之所悪、故幾於道」で、書き下し文は「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争はず、衆人の悪む所に処り、故に道に幾し」です。

上善は水の如しの例文を教えてください。

「手がらをゆずり、まわりをささえる先輩の姿に、上善は水の如しという言葉を思い出した」のように使います。座右の銘や書道の言葉としてもよく使われます。

上善は水の如しは座右の銘やビジネスで使えますか?

はい、座右の銘として人気があり、えらぶらずにみんなをささえるリーダーの心がけを表す言葉としてビジネスの場でも使われます。少しかたい言葉なので、文章やスピーチ向きです。

上善は水の如しに似た言葉は何ですか?

似た言葉は「柔よく剛を制す」「和光同塵」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」などです。反対の考え方の言葉には「弱肉強食」があります。

上善は水の如しは英語で何と言いますか?

"The highest good is like water." や "The supreme good is like water." と訳されます。英訳された『老子』(Tao Te Ching)の中でもとくに有名な一句です。

「上善」とはどういう意味ですか?

「上善」は、最上の善、いちばんよいことという意味です。「膳」や「前」と書くのはまちがいです。

上善は水の如しは入試でどう出ますか?

おもに大学受験で出ます。漢文では「上善若水」の「若」をごとしと読む比況の句法や、置き字「而」、「所」の読み方が問われ、倫理では老子の「柔弱謙下」の考えとして問われます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 原文:『老子』(道徳経)第八章・第六十六章・第七十八章(王弼本、維基文庫の本文と王弼注で確認)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • 絵:メトロポリタン美術館(Open Access、パブリックドメイン)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦