呉下の阿蒙(ごかのあもう)の意味と由来|三国志の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読む呂蒙の話【故事成語】

呉下の阿蒙(ごかのあもう)の意味と由来|三国志の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読む呂蒙の話【故事成語】

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呉下の阿蒙ごかのあもう

ひとことで言うと

昔のままで、進歩のない人。「呉下の阿蒙に非ず」と打ち消すと「見ちがえるほど成長した」の意味。学問にはげんだ呉の武将・呂蒙を、魯粛が見直した話から。

読み方ごかのあもう
意味昔のままで少しも進歩していない人。学問のない人。「呉下の阿蒙に非ず」で、見ちがえるほど成長したこと。
出典『三国志』呉書・呂蒙伝の裴松之の注に引く『江表伝』(『資治通鑑』巻66にも)
お話武勇だけだった呉の呂蒙が、孫権のすすめで学問にはげみ、魯粛に「もう呉にいたころの蒙さんではない」とおどろかれた
似た言葉十年一日・旧態依然・昔のまま
反対の言葉士別れて三日なれば刮目して見よ・日進月歩
漢文の句法再読文字(宜)・反語(豈〜邪)・限定(但〜耳)・否定(非)

このページのポイント

  • 「呉下の阿蒙」は昔のままで進歩のない人。「呉下の阿蒙に非ず」で「見ちがえるほど成長した」というほめ言葉になります
  • 呉の武将・呂蒙が孫権のすすめで学問にはげみ、魯粛をおどろかせた話。4こまのイラストで読めます
  • 出典は『三国志』の本文ではなく、裴松之の注が引く『江表伝』。「刮目して見よ」も同じ場面です

「呉下の阿蒙」の意味と読み方

「呉下の阿蒙」はごかのあもうと読みます。意味は「昔のままで、少しも進歩していない人」「学問や教養のない人」です。反対に、「呉下の阿蒙に非ず(あらず)」と打ち消しの形で使うと、「見ちがえるほど成長した」「昔とはまるでちがう」というほめ言葉になります。じつは、ふだんの文章ではこの打ち消しの形で使われることのほうが多い言葉です。

「呉下」は呉の地方・呉のあたり、「阿」は人の名前の前につけて親しみを表す字(日本語の「〜ちゃん」「〜さん」に近い)、「蒙」は呂蒙(りょもう)という武将の名前です。全部合わせると「呉にいたころの蒙ちゃん」。中国の三国時代、呉の国の武将・呂蒙の話から生まれた故事成語です。

「呉下の阿蒙」を分けてみると呉下呉の地方呉の町・呉のあたりの阿〜ちゃん親しみの字蒙呂蒙の名呉の武将「呉にいたころの蒙ちゃん」=昔のままで進歩のない人
「呉下」+「阿」+「蒙」で「呉にいたころの蒙ちゃん」。そこから「昔のままの人」という意味になりました
うかるくん

うかるくん

「阿蒙」って、なんだか強そうな名前ですね。どんな人なんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

呂蒙は、三国時代の呉の武将だよ。若いころは戦うのは強いけれど、本はほとんど読まない人だった。それが君主の孫権にすすめられて学問にはげみ、見ちがえるほど物知りになった。その変わりぶりにおどろいた魯粛(ろしゅく)の言葉が「もう呉下の阿蒙ではない」なんだ。

ふだんの文章では、次のように使います。

  • ○一年間まじめに練習を続けた彼は、もはや呉下の阿蒙ではない。
  • ○いつまでも呉下の阿蒙のままでいたくないので、毎朝30分読書をすることにした。
  • ○久しぶりに会った後輩の成長ぶりに、「呉下の阿蒙にあらずだね」とおどろいた。

この言葉とセットで覚えたいのが、呂蒙が答えた「士別れて三日なれば刮目して見よ」です。「努力している人は、三日会わないだけで大きく変わっているから、目をこすってよく見直しなさい」という意味で、同じ場面から生まれました。「呉下の阿蒙」が変わる前の呂蒙、「刮目して見よ」が変わったあとの呂蒙、と考えると覚えやすくなります。

絵で読む「呉下の阿蒙」のお話

話の流れを4つの場面で見てみましょう。登場するのは、呉の君主・孫権(そんけん)、武将の呂蒙(りょもう)、そして呉の重臣・魯粛(ろしゅく)です。1こま目には、呂蒙と同じく学問をすすめられた蒋欽(しょうきん)も出てきます。

絵で読む「呉下の阿蒙」のお話(4こま)

1孫権のすすめ孫権呂蒙蒋欽学問をして自分を高めなさい軍の仕事が多くて本を読むひまが…
1呉の君主・孫権が、武将の呂蒙と蒋欽に「学問をして、自分を高めなさい」とすすめます。呂蒙は「軍の仕事が多くて、本を読むひまがありません」と答えます。
2「光武帝も本を手放さず」孫子・六韜・左伝孫権呂蒙光武帝は戦の最中も本を手放さなかったぞ
2孫権は「わしのほうが忙しいが、本を読んで大いに役立った。後漢の光武帝は戦の最中も本を手放さなかった」と言い、『孫子』『六韜』『左伝』などを読むようにすすめます。
3夜も学問にはげむ読めば読むほどおもしろい!蒙始めて学に就き、篤志倦まず
3呂蒙はそれから学問を始め、あきずに打ちこみました。読んだ本の量は、古くからの学者もかなわないほどになりました。
4魯粛がおどろく魯粛呂蒙もう呉にいたころの蒙さんではない!別れて三日たったら目をこすって見直して復た呉下の阿蒙に非ず
4のちに魯粛が呂蒙と語り合っておどろき、「もう呉にいたころの蒙さんではない」と言います。呂蒙は「士は別れて三日たったら、目をこすって見直すべきです」と答えました。

呂蒙ははじめ「忙しいから無理です」と言いました。ところが孫権は、自分のほうがもっと忙しいのに本を読んできたこと、昔の皇帝も戦の中で本を手放さなかったことを話して、言い訳をさせませんでした。「学者になれと言っているのではない。昔のことを広く知っておけと言っているのだ」というのが孫権の考えです。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

この話のポイントは、呂蒙が大人になってから、仕事を続けながら学問を始めたところだ。「今からではおそい」「忙しいから無理」という言い訳をしなかったから、魯粛がおどろくほど変われたんだね。

呂蒙は学問でこう変わった学問の前学問のあと武勇はあるが本は読まない学識英博(知識が広く深い)呉下の阿蒙復た呉下の阿蒙に非ず
学問の前は「武勇だけ」、学問のあとは「学識英博」。この変わりぶりが「呉下の阿蒙に非ず」です

ちなみに、このときの孫権のすすめには「経書を研究して博士(学者)になれというのではない」という言葉があります。武将に必要なのは、むずかしい学問よりも、歴史や兵法の本から、昔の出来事を知って判断に生かすことだ、と考えていたのです。中国の後漢を開いた光武帝(こうぶてい)や、魏の曹操(そうそう、字は孟徳)も、年をとっても学問を好んだ人として名前があげられています。

「呉下の阿蒙」の原文・書き下し文・現代語訳

この話は、歴史書『三国志』の呉書・呂蒙伝に、裴松之(はいしょうし)がつけた注の中にあります。注が『江表伝(こうひょうでん)』という本を引いて、この話をのせているのです(くわしくは次の節で説明します)。1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で読んでいきましょう。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方にまとめています。書き下し文は、代表的な読み方の一例です。

『三国志』呉書・呂蒙伝の注に引く『江表伝』(句読点を補ったもの・一部)權謂蒙及蔣欽曰、卿今並當塗掌事、宜學問以自開益。蒙曰、在軍中常苦多務、恐不容復讀書。權曰、孤豈欲卿治經為博士邪。但當令涉獵見往事耳。……蒙始就學、篤志不倦、其所覽見、舊儒不勝。後魯肅上代周瑜、過蒙言議、常欲受屈。肅拊蒙背曰、吾謂大弟但有武略耳、至於今者、學識英博、非復吳下阿蒙。蒙曰、士別三日、即更刮目相待。

1文目:孫権のすすめ

書き下し文卿けい今いま並ならびに塗みちに当あたりて事ことを掌つかさどる、宜よろしく学問がくもんして以もつて自みづから開益かいえきすべし。

(『三国志』呉書・呂蒙伝 注に引く『江表伝』)

現代語訳あなたたちは今、二人とも重い役目について仕事を受け持っている。学問をして、自分の考えを広げ高めるのがよい。

ここがポイント「卿(けい)」は、君主が家来を呼ぶときの「あなた」。「宜(よろ)しく〜べし」は「〜するのがよい」とすすめる再読文字「宜」の読み方で、1回目は「よろしく」、2回目は「べし」と読みます。「塗に当たる」は「重要な地位につく」という意味です。

2文目:孫権の言葉(学者になれというのではない)

書き下し文孤こ豈あに卿けいの経けいを治をさめて博士はかせと為ならんことを欲ほつせんや。

(『三国志』呉書・呂蒙伝 注に引く『江表伝』)

現代語訳わたしは、どうしてあなたが経書(儒教の書物)を研究して博士(学者)になることを望むだろうか(いや、望んではいない)。

ここがポイント「孤(こ)」は君主が自分を指す言い方。「豈(あ)に〜んや」は「どうして〜か、いや〜ない」と強く打ち消す反語の句法(豈・安・何)です。このあと孫権は「但だ当に渉猟して往事を見しむべきのみ」(ただ、広く本を読んで昔の出来事を知ってほしいだけだ)と続けます。「但だ〜のみ」は限定の句法(唯・但・耳・已)の形です。

3文目:呂蒙が学問を始める

書き下し文蒙もう始はじめて学がくに就つき、志こころざしを篤あつくして倦うまず。

(『三国志』呉書・呂蒙伝 注に引く『江表伝』)

現代語訳呂蒙はこうして学問を始め、強い気持ちを持ち続けて、あきることがなかった。

ここがポイント「学に就く」は「学問を始める」。「倦(う)まず」は「あきない」で、否定の句法「不」の形です。このあと「其の覧見する所、旧儒も勝らず」と続き、読んだ本の量は古くからの学者もかなわないほどだった、と書かれています(この部分の読み方は本によって少しちがいます)。

4文目:魯粛のおどろき(前半)

書き下し文粛しゆく蒙もうの背せを拊うちて曰いはく、「吾われ謂おもへらく大弟だいていは但ただ武略ぶりやく有あるのみと。

(『三国志』呉書・呂蒙伝 注に引く『江表伝』)

現代語訳魯粛は呂蒙の背中をたたいて言った。「わたしは、弟分のあなたには、ただ戦いの才能があるだけだと思っていた。

ここがポイント「拊(う)つ」は「軽くたたく」。「謂(おも)へらく」は「思うことには」という決まった読み方です。「但(た)だ〜のみ」は「ただ〜だけ」という限定。「大弟」は年下の仲間を親しんで呼ぶ言い方です。

5文目:魯粛のおどろき(後半)

書き下し文今者いまに至いたりては、学識がくしき英博えいはくにして、復また呉下ごかの阿蒙あもうに非あらず。」

(『三国志』呉書・呂蒙伝 注に引く『江表伝』)

現代語訳今となっては、知識が広くすぐれていて、もう呉にいたころの蒙さんではない。」

ここがポイントここが「呉下の阿蒙」の出どころです。「復(ま)た〜に非(あら)ず」は「もう〜ではない」。「非」は「〜ではない」と打ち消す字で、否定の句法(不・非・無)のひとつ。「於」は読まない置き字です。

6文目:呂蒙の答え

書き下し文蒙もう曰いはく、「士し別わかれて三日みつかなれば、即すなはち更さらに刮目かつもくして相あひ待まつべし。」

(『三国志』呉書・呂蒙伝 注に引く『江表伝』)

現代語訳呂蒙は言った。「立派な人物というものは、別れて三日もたてば、目をこすって新しい目で見なければならないものです。」

ここがポイント「刮目(かつもく)」は「目をこすってよく見る」こと。「相待つ」の「相」は「お互いに」ではなく「(相手を)〜する」という軽い意味です。この一文が「士別れて三日なれば刮目して見よ」のもとになりました。原文に「べし」にあたる字はなく、送り仮名で補って読む読み方の一例です(「相待すべし」と読む本もあります)。
「呉下の阿蒙」で覚える句法4つ宜〜宜しく〜べし〜するのがよい再読文字豈〜邪豈に〜んやどうして〜か(いや〜ない)反語但〜耳但だ〜のみただ〜だけ限定非復〜復た〜に非ずもう〜ではない否定
「呉下の阿蒙」の話には、再読文字・反語・限定・否定の4つの句法が出てきます

『資治通鑑』の形では

同じ話は、北宋の司馬光(しばこう)がまとめた歴史書『資治通鑑(しじつがん)』の巻66にものっています(建安15年の記事)。中国の国語の教科書では「孫権勧学(孫権、学を勧む)」という題で、こちらの形が読まれています。魯粛と呂蒙のやりとりは、次のように少し字がちがいます。

『資治通鑑』巻66(句読点を補ったもの・一部)卿今者才略、非復吳下阿蒙。……士別三日、即更刮目相待、大兄何見事之晚乎。
  • 魯粛の言葉:『江表伝』の「学識英博」が、『資治通鑑』では「才略(才能と知恵)」になっています。
  • 呂蒙の言葉:『資治通鑑』では「大兄何ぞ事を見ることの晩きや」(兄貴は、気づくのがなんとおそいことか)と、少しからかうような一言が続きます。『江表伝』では、このあと別の言葉が続きます(意味の取り方は注釈によって分かれます)。
サクラちゃん

サクラちゃん

入試に出るときは、『江表伝』と『資治通鑑』のどっちの形なんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

問題によってちがうから、どちらの形でも読めるようにしておくのが安全だね。どちらにも「非復呉下阿蒙」と「士別三日、即更刮目相待」は入っている。この2つの文を、書き下し文と意味までスラスラ言えるようにしておけば大丈夫だ。

出典『三国志』の注と話の背景

「呉下の阿蒙」の出典は、ふつう「『三国志』呉書・呂蒙伝」と書かれます。ただし正確に言うと、陳寿(ちんじゅ)が書いた『三国志』の本文には、この話は出てきません。この話があるのは、そのあと南朝宋の裴松之(はいしょうし)が本文につけた注の中で、注が引いている『江表伝』という本の文です。

「呉下の阿蒙」はどこに書いてある?『三国志』呂蒙伝の本文陳寿(西晋)が書いた正史。この話は無い本文裴松之の注(南朝宋)ほかの本を引いて、本文をおぎなう注注が引く『江表伝』孫権のすすめ・魯粛のおどろき・刮目ここ!のちの『資治通鑑』(北宋)同じ話を、少しちがう字でのせる
「呉下の阿蒙」は『三国志』の本文ではなく、裴松之の注が引く『江表伝』の中にあります

『三国志』は、西晋の陳寿が3世紀の終わりごろにまとめた、魏・呉・蜀の三国の正式な歴史書(正史)です。文章が短く引きしまっている反面、書かれていないことも多かったため、南朝宋の皇帝の命令で、裴松之がほかの本から話を集めて注をつけました。『江表伝』は、呉(長江の南=江表)のことを書いた本で、今は本そのものは残っておらず、裴松之の注などに引かれた文で読むことができます。

なお、劉備・関羽・諸葛亮が活躍する小説『三国志演義』は、さらにずっとあとの明の時代にまとめられた物語で、正史や注とは別のものです。このページの話は、小説ではなく歴史書の注に引かれた話として読んでください。

呂蒙はどんな人?

呂蒙(りょもう、178〜219年)は、呉の武将です。若いころは家がまずしく、早くから軍に加わって手柄を立てました。学問の話のあと、呂蒙は呉の軍のまとめ役となり、蜀の関羽(かんう)から荊州(けいしゅう)を取る大きな働きをしました。

呉の主な人物(三国時代)孫権呉の君主周瑜赤壁の戦い魯粛周瑜のあと呂蒙魯粛のあとつぐつぐ孫権 → 呂蒙に「学問をせよ」魯粛 → 「もう呉下の阿蒙ではない」呂蒙 → のちに関羽から荊州を取る
呉の軍のまとめ役は、周瑜→魯粛→呂蒙と受けつがれました

呂蒙をほめた魯粛(ろしゅく、172〜217年)は、赤壁の戦いで知られる周瑜(しゅうゆ)のあとをついで、呉の軍をまとめた人です。原文の「魯粛上りて周瑜に代はる」は、このことを言っています。魯粛は、はじめは呂蒙を「武勇だけの人」と軽く見ていましたが、話し合ってみると、自分が言い負かされそうになるほどでした(原文では「常に屈を受けんと欲す」)。

三国時代の話から生まれた故事成語は、ほかにもたくさんあります。蜀の劉備と諸葛亮の「三顧の礼」「水魚の交わり」、馬良の「白眉」、諸葛亮が馬謖を処分した「泣いて馬謖を斬る」などです。こちらは主に蜀の人物の話ですが、「呉下の阿蒙」は呉の人物の話として覚えておきましょう。

「呉下の阿蒙」の使い方と例文・似た言葉

「呉下の阿蒙」は、人について使う言葉です。「〜は呉下の阿蒙だ」と言えば「昔のまま進歩がない人だ」という悪い意味、「もはや呉下の阿蒙ではない」「呉下の阿蒙に非ず」と打ち消せば「見ちがえるほど成長した」というほめる意味になります。人をけなす言い方になりやすいので、自分のことをけんそんして言うか、打ち消しの形でほめるときに使うのが無難です。

  • ○受験勉強を続けた兄は、半年前の呉下の阿蒙ではなかった。(見ちがえるほど成長した)
  • ○わたしなどは、まだまだ呉下の阿蒙です。(自分をけんそんして言う)
  • ○新人だった彼女も、今では呉下の阿蒙にあらず、チームの中心だ。
  • ○「呉下の阿蒙のままでは終わらない」と決めて、毎日英単語を覚えている。
  • ×呉の国は呉下の阿蒙が多い。(国や土地の様子ではなく、人の進歩について使う)
  • ×あの人は体が大きくて呉下の阿蒙だ。(体の大きさや強さの意味ではない)
呉下の阿蒙似た言葉(昔のまま)十年一日旧態依然進歩がない昔のまま反対の言葉(大きく成長)士別れて三日なれば刮目して見よ日進月歩見ちがえる
似た言葉は「昔のまま」、反対の言葉は「大きく成長する」グループです

似た言葉

  • 十年一日(じゅうねんいちじつ):長い年月、同じことをくり返していて、少しも進歩や変化がないこと。
  • 旧態依然(きゅうたいいぜん):昔のままで、少しも進歩や発展がないこと。
  • 昔のまま・進歩がない:ふだんの言い方での「呉下の阿蒙」。

反対の言葉

  • 士別れて三日なれば刮目して見よ:努力している人は短い間に大きく成長するので、新しい目で見直すべきだということ。「男子三日会わざれば刮目して見よ」という言い方も広まっていますが、原文は「士」です。
  • 日進月歩(にっしんげっぽ):日ごと月ごとに、たえず進歩すること。
  • 刮目(かつもく):目をこすってよく見ること。「刮目に値する」「刮目して待つ」のように、成長や変化に注目するときに使います。

学問にはげむ話から生まれた故事成語には、まずしくて灯りの油が買えず、蛍の光や雪明かりで本を読んだ「蛍雪の功」や、孔子が本のとじひもが三度切れるほど読んだ「韋編三絶」もあります。「呉下の阿蒙」は、大人になってからでも、学べば人は変われることを教えてくれる話です。

「呉下の阿蒙」のよくあるまちがい

  • 「ごげのあもう」「ごしたのあもう」と読む:正しくはごかのあもう。「呉下」は「ごか」と読みます。
  • 「阿蒙」を「亜蒙」「阿門」と書く:「阿」はこざとへんの字です。どちらも常用漢字ではないので、ここで字の形を覚えておきましょう。「蒙」は「啓蒙(けいもう)」の「蒙」で、もとは「道理にくらい」という意味もある字です。
  • 「阿蒙」を「おろかな人」という意味の言葉だと思う:「阿蒙」は呂蒙のあだ名(蒙ちゃん)です。「蒙」の字に「くらい」という意味があるのはたまたまで、もとは人の名前です。
  • 出典を『三国志演義』と書く:出典は、正史『三国志』呉書・呂蒙伝の裴松之の注に引く『江表伝』です。小説『三国志演義』ではありません。また、くわしく書くときは「『三国志』の本文」ではなく「注」であることに気をつけましょう。
  • 「刮目」を「括目」と書く:「刮」はりっとう(刂)の字で「けずる・こする」という意味。「括」(くくる)は別の字です。「括」は「括」の読み方・書き順・部首で確かめられます。
  • ほめるつもりで「呉下の阿蒙だ」と言う:打ち消しをつけないと「進歩がない人」という悪口になります。ほめるときは「呉下の阿蒙に非ず」「もはや呉下の阿蒙ではない」です。
うかるくん

うかるくん

「呉下の阿蒙」と「刮目して見よ」、どっちがどっちの言葉か、まざっちゃいます…。

ミスターT先生

ミスターT先生

おどろいた魯粛が「もう呉下の阿蒙ではない」、言われた呂蒙が「刮目して見よ」と答えた、と場面で覚えよう。言った人をセットにすると、入試の「だれの言葉か」という問題にも強くなるよ。

入試ではこう出る

「呉下の阿蒙」は、高校受験・大学受験で、意味を問う問題や漢文の読解で出てきます。

  • 高校受験:故事成語の意味を選ぶ問題、「士別れて三日なれば刮目して見よ」とあわせてどんな人の話かを問う問題。漢文の入門として、書き下し文や「非(あらず)」の読み方が問われることもあります。高校受験の漢文は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
  • 大学受験:『資治通鑑』や『江表伝』の文で、「宜(よろしく〜べし)」の再読文字、「豈〜邪」の反語、「但〜耳」の限定を訳す問題、魯粛がおどろいた理由を説明する問題がよく問われます。共通テストの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

魯粛がおどろいた理由を書く問題は、「武勇しかないと思っていた呂蒙が、学問にはげんで、学識の広い人物に変わっていたから」と、「前」と「あと」の両方を書くのがコツですね!

練習問題

やさしい

  1. 「呉下の阿蒙」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 呉の国のいちばん強い武将 イ 昔のままで進歩のない人 ウ 目をこすってよく見ること エ 仲のよい友だち
    答えと解説を見るイ。「呉にいたころの蒙ちゃん」から、昔のままで進歩のない人という意味になりました。ウは「刮目」の意味です。
  2. 「呉下の阿蒙」の「蒙」は、だれのことですか。
    答えと解説を見る呉の武将・呂蒙(りょもう)です。「阿」は名前の前につけて親しみを表す字です。

ふつう

  1. 「非復呉下阿蒙」を書き下し文に直し、意味を答えましょう。
    答えと解説を見る復た呉下の阿蒙に非ず。意味は「もう呉にいたころの蒙さんではない(見ちがえるほど成長した)」。
  2. 「宜学問以自開益」の「宜」は何と読みますか。読み方と意味を答えましょう。
    答えと解説を見る「よろしく〜べし」と2回読む再読文字で、「〜するのがよい」という意味。書き下し文は「宜しく学問して以て自ら開益すべし」です。

むずかしい

  1. 「孤豈欲卿治経為博士邪」を現代語訳しましょう。また、孫権がこう言った理由を説明しましょう。
    答えと解説を見る訳は「わたしは、どうしてあなたが経書を研究して学者になることを望むだろうか(いや、望んではいない)」。孫権は、むずかしい学問をきわめさせたいのではなく、広く本を読んで昔の出来事を知り、武将としての判断に生かしてほしいと考えていたからです。
  2. 「呉下の阿蒙」の話は、正確には何という書物のどこにありますか。
    答えと解説を見る『三国志』呉書・呂蒙伝につけられた裴松之の注が引く『江表伝』です。陳寿の『三国志』の本文にはありません。のちの『資治通鑑』巻66にも同じ話がのっています。

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よくある質問

呉下の阿蒙の意味を簡単に言うと何ですか?

昔のままで少しも進歩していない人のことです。「呉下の阿蒙に非ず」と打ち消しの形で使うと、見ちがえるほど成長した、というほめ言葉になります。

呉下の阿蒙の「阿蒙」とはだれのことですか?

中国の三国時代、呉の武将だった呂蒙(りょもう)のことです。「阿」は名前の前につけて親しみを表す字で、「阿蒙」は「蒙ちゃん」のような呼び方です。

呉下の阿蒙の出典は何ですか?

『三国志』呉書・呂蒙伝に裴松之がつけた注の中で引かれている『江表伝』です。陳寿が書いた『三国志』の本文にはこの話はありません。北宋の『資治通鑑』巻66にも同じ話がのっています。

呉下の阿蒙と「士別れて三日なれば刮目して見よ」の関係は?

同じ場面の言葉です。学問にはげんだ呂蒙を見て、魯粛が「もう呉下の阿蒙ではない」とおどろき、呂蒙が「士は別れて三日たったら、目をこすって見直すべきです」と答えました。

呉下の阿蒙の反対の意味の言葉は何ですか?

「士別れて三日なれば刮目して見よ」や「日進月歩」などです。どれも、努力によって短い間に大きく成長することを表します。

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出典・参考

  • 原文:『三国志』呉書・呂蒙伝 裴松之注に引く『江表伝』、『資治通鑑』巻66(どちらも維基文庫の本文で確認)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(代表的な読み方をもとにした一例)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦