泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)の意味と由来|三国志の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)の意味と由来|三国志の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

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泣いて馬謖を斬るないてばしょくをきる

ひとことで言うと

規律を守るため、愛する者でも私情を捨てて厳しく処分すること。諸葛亮が、命令にそむいて大敗した愛弟子の馬謖を、涙を流しながら処罰した話から。

読み方ないてばしょくをきる
意味規律を守るためには、たとえ愛する者・信頼する者でも、私情を捨てて厳しく処分すること。
出典『三国志』蜀書・諸葛亮伝、馬良伝(弟の馬謖の記事)。小説『三国志演義』第96回「孔明揮涙斬馬謖」
お話228年、諸葛亮が先鋒にえらんだ馬謖が、指図にそむいて街亭で魏の張郃に大敗。諸葛亮は涙を流しながら馬謖を処罰した
似た言葉信賞必罰・一罰百戒・公平無私・大義親を滅す
反対の言葉公私混同・えこひいき・情に流される
漢文の句法使役(使)・受身(為A所B)・反語(何〜邪)

このページのポイント

  • 「泣いて馬謖を斬る」は規律を守るため、愛する者でも私情を捨てて処分すること。泣くのは処分する側です
  • 出典は『三国志』。街亭の戦いで命令にそむいた馬謖と諸葛亮の話を、4こまのイラストで読めます
  • 馬謖の最期は正史の中でも書き方が分かれ、演義はそれを劇的な場面にしています

「泣いて馬謖を斬る」の意味と読み方

「泣いて馬謖を斬る」はないてばしょくをきると読みます。意味は「規律(きまり)を守るためには、たとえ愛する者や信頼する者でも、私情を捨てて厳しく処分すること」です。

中国の三国時代、蜀の諸葛亮(しょかつりょう)が、かわいがっていた部下の馬謖(ばしょく)が命令にそむいて大敗したため、涙を流しながらも軍のきまりどおりに処罰した、という話から生まれた言葉です。「泣いて」はつらい・悲しい気持ち、「馬謖を斬る」はきまりどおりに厳しく処分することを表しています。

「泣いて馬謖を斬る」の登場人物諸葛亮蜀の丞相馬謖の才能を高く買う馬謖字は幼常兵法を語るのが好き39歳で死去劉備馬謖を使うな王平山行きを止めた張郃(魏)街亭で大勝馬謖の兄は、「白眉」の言葉のもとになった馬良(ばりょう)
諸葛亮は馬謖の才能を高く買っていました。劉備は亡くなる前に「馬謖を大事な仕事に使うな」と言い残していました
うかるくん

うかるくん

「斬る」って、本当に刀で斬ることなんですか? 今の言葉で使うと、こわい感じがします…。

ミスターT先生

ミスターT先生

今の日本語では、本当に斬るわけではないよ。会社やチームで、大切な仲間でも、きまりを破ったら役目からはずしたり、罰を与えたりするときのたとえとして使う。「つらいけれど、全体のために厳しくする」という気持ちが大事なんだ。

ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。

  • ○監督は泣いて馬謖を斬る思いで、練習をさぼったエースを試合から外した。
  • ○社長は、長年の右腕だった部長が不正をしたため、泣いて馬謖を斬った。
  • ○クラスのきまりを守るため、委員長は泣いて馬謖を斬る決断をした。
高い台の上に座る冠の人物と、その前にひざまずく人々をえがいた白黒の木版画。右に縦書きの漢字が並ぶ
清の時代の小説『三国志演義』の挿絵。題は「孔明揮涙斬馬謖(孔明涙を揮ひて馬謖を斬る)」。中央の座っている人物が孔明(諸葛亮)です。後の時代の人が想像してえがいたものです。画像:『三国志演義』清代の挿絵「孔明揮涙斬馬謖」(作者不明、Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

絵で読む「泣いて馬謖を斬る」のお話

まずは話の流れを、4つの場面で見てみましょう。ここでは、歴史の本である正史『三国志』に書かれている内容をもとにしています。処罰の場面は、子どもも読むページなので、刀などはえがいていません。

絵で読む「泣いて馬謖を斬る」のお話(4こま)

1馬謖を先鋒に蜀諸葛亮馬謖街亭を守れおまかせください!
1228年、蜀の諸葛亮は魏を攻めるとき、ベテランの武将たちではなく、才能を高く買っていた馬謖を先鋒(いちばん前の軍)の大将にえらび、街亭を守らせます。
2命令にそむいて山へ馬謖蜀王平水のある道を守るべきです!山の上だ!
2ところが馬謖は、諸葛亮の指図にそむき、水のある道を捨てて山の上に陣をしきます。部下の王平が何度も止めましたが、馬謖は聞き入れません。
3張郃に大敗魏魏水の道を断て!蜀の軍は散り散りに…
3魏の将軍・張郃は、山のふもとで水をくむ道を断ち、攻めかかりました。蜀の軍は大敗し、兵は散り散りになってしまいます。
4涙を流して処罰する諸葛亮馬謖軍のきまりは曲げられない…亮之が為に涕を流す
4諸葛亮は、かわいがっていた馬謖でも、軍のきまりを守るために処罰しました。そして、馬謖のために涙を流したのです。

劉備が亡くなって5年後の228年、蜀の丞相(じょうしょう:政治の最高責任者)だった諸葛亮は、北の魏をたおすため、大軍を率いて祁山(きざん)へ向かいました。蜀の軍は勢いがよく、魏の三つの郡が蜀に味方するほどでした。

このとき、前線の大切な場所である街亭(がいてい)の守りを、だれにまかせるかが問題になりました。まわりの人々は、経験の多い魏延(ぎえん)や呉壱(ごいつ)を先鋒にするべきだと言いましたが、諸葛亮はみんなの意見に反して、馬謖をえらびました。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

実は劉備は、亡くなる前に「馬謖は言うことが実力以上だ。大事な仕事に使ってはいけない」と諸葛亮に言い残していた。それでも諸葛亮は馬謖を信じたんだ。だからこそ、失敗したあとの処罰は、諸葛亮自身にとってもつらいものだったんだね。

馬謖は、諸葛亮の指図にそむいて山の上に陣をしき、魏の名将・張郃(ちょうこう)に水をくむ道を断たれて大敗しました。足場を失った諸葛亮は、軍を漢中へ引き上げるしかありませんでした。この1回目の北への進軍(北伐)は、馬謖の失敗で終わってしまったのです。

街亭(がいてい)の戦い(228年)南の山馬謖水・道魏軍が囲む水の道を断つ1馬謖が水を捨てて山の上へ(王平が止める)2張郃が水をくむ道を断って攻める3蜀の軍は散り散りに。北への進軍は失敗
馬謖は水のある道を捨てて山へ。張郃は水をくむ道を断って攻め、蜀の軍は大敗しました

「泣いて馬謖を斬る」の原文・書き下し文・現代語訳

この話は、正史『三国志』のいくつかの伝(人物ごとの記録)に分かれて書かれています。おもな部分を、返り点と送り仮名をつけた訓読文で見ていきましょう。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方で確かめられます。

白文(『三国志』蜀書・諸葛亮伝ほか。字は今の字にしたもの)先主臨薨謂亮曰、馬謖言過其実、不可大用。君其察之。(馬良伝)
亮使馬謖督諸軍在前、与郃戦于街亭。謖違亮節度、挙動失宜、大為張郃所破。(諸葛亮伝)
謖下獄物故、亮為之流涕。(馬良伝)

1文目:劉備の遺言

書き下し文先主せんしゆ薨こうずるに臨のぞみて亮りやうに謂いひて曰いはく、「馬謖ばしよくは言げん其その実じつに過すぐ、大おほいに用もちふべからず。君きみ其それ之これを察さつせよ。」

(『三国志』蜀書・馬良伝(弟の馬謖の記事))

現代語訳劉備は亡くなる前に、諸葛亮に言った。「馬謖は、言うことが実力以上だ。大事な仕事に使ってはならない。君はよくよく気をつけて見るように。」

ここがポイント「薨(こう)ず」は、皇帝・王などが亡くなること。「言其の実に過ぐ」は「口で言うことが、実際の力をこえている」。「不可〜(〜べからず)」は「〜してはならない」という否定の句法で、可能の「可」を打ち消した形です。

2文目:馬謖を先鋒にする

書き下し文亮りやう馬謖ばしよくをして諸軍しよぐんを督とくして前まへに在あらしめ、郃かふと街亭がいていに戦たたかふ。

(『三国志』蜀書・諸葛亮伝(原文は「與郃戰」))

現代語訳諸葛亮は馬謖に、軍勢を率いて先頭に立たせ、(魏の)張郃と街亭で戦った。

ここがポイント「AをしてBしむ」は「AにBさせる」という使役の句法。上下点・一二点・レ点が全部出てくる文です。「于」は読まない置き字で、「街亭に」の「に」の働きをしています。

3文目:命令にそむいて大敗

書き下し文謖しよく亮りやうの節度せつどに違たがひ、挙動きよどう宜よろしきを失うしなひ、大おほいに張郃ちやうかふの破やぶる所ところと為なる。

(『三国志』蜀書・諸葛亮伝(原文は「舉動」))

現代語訳馬謖は諸葛亮の指図にそむき、行動が適切でなく、張郃にさんざんに打ち破られた。

ここがポイント「Aの B所と為る」は「AにBされる」という受身の句法で、入試でとてもよく問われる形です。「節度(せつど)」は、ここでは「指図・命令」。

4文目:張郃が水の道を断つ

書き下し文郃かふ其その汲道きふだうを絶たち、撃うちて、大おほいに之これを破やぶる。

(『三国志』魏書・張郃伝)

現代語訳張郃は(馬謖の軍が)水をくみに行く道を断ち、攻めかかって、さんざんに打ち破った。

ここがポイント魏の側の記録です。すぐ前に「謖南山に依阻し、下りて城に拠らず」(馬謖は南の山にたてこもり、下りて城を守らなかった)とあります。「汲道(きゅうどう)」は水をくむための道。山の上の軍は、水を断たれるとたちまち苦しくなります。

5文目:諸葛亮は涙を流した

書き下し文謖しよく獄ごくに下くだりて物故ぶつこし、亮りやう之これが為ために涕なみだを流ながす。

(『三国志』蜀書・馬良伝(弟の馬謖の記事))

現代語訳馬謖は牢屋に入れられて死に、諸葛亮は彼のために涙を流した。

ここがポイント「物故(ぶっこ)」は「死ぬ」こと。「之が為に」の「為(ため)に」は「〜のために」で、「為」の読み方と働きでくわしく説明しています。「涕(なみだ)」は涙。この「涕を流す」が、「泣いて」のもとになった言葉です。
「泣いて馬謖を斬る」で覚える句法4つ不可〜〜べからず〜してはいけない否定使ABAをしてBしむAにBさせる使役為A所BAの B所と為るAにBされる受身何〜邪何をか〜んやどうして〜か(いや〜ない)反語
「泣いて馬謖を斬る」の原文に出てくる句法は4つ。否定・使役・受身・反語が練習できます

「なぜ斬るのか」――諸葛亮の答え

裴松之の注に引かれた『襄陽記(じょうようき)』には、のちに蔣琬(しょうえん)という人が「天下がまだ定まらないのに、知恵のある人を殺すのは、おしいことではありませんか」と言ったのに対して、諸葛亮が涙を流して答えた言葉がのっています。

諸葛亮の答え(『襄陽記』)

書き下し文若もし復また法はふを廃はいせば、何なにを用もつて賊ぞくを討うたんや。

(『三国志』蜀書・馬良伝の裴松之の注に引く『襄陽記』)

現代語訳もしまた(ここで)きまりをないがしろにしたら、何によって敵を討つことができようか(いや、できはしない)。

ここがポイント「何を用て〜んや」は「どうして〜できようか、いやできない」という反語の句法です。「若し〜ば」は仮定の句法。この一文が「泣いて馬謖を斬る」の心を表しています。
サクラちゃん

サクラちゃん

「泣いて馬謖を斬る」っていう言い方そのものは、正史に出てくるんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

正史に出てくるのは「謖を戮して以て衆に謝す」(諸葛亮伝)や「亮之が為に涕を流す」(馬良伝)という書き方だ。「泣いて斬る」の形に近いのは、小説『三国志演義』の第96回の題「孔明揮涙斬馬謖(孔明涙を揮ひて馬謖を斬る)」のほう。日本でいつから「泣いて馬謖を斬る」と言うようになったかは、はっきりした資料が見つからなかったので、ここでは書かないでおくね。

出典『三国志』と話の背景

「泣いて馬謖を斬る」の出典は、正史『三国志』蜀書の諸葛亮伝と馬良伝(弟の馬謖の記事)です。『三国志』は、西晋の陳寿(ちんじゅ)がまとめた歴史の本で、のちに南朝宋の裴松之(はいしょうし)が、ほかの本から集めた話を「注」としてつけました。馬謖の兄馬良(ばりょう)は、五人兄弟のうち眉に白い毛がありいちばんすぐれていたことから「白眉」という言葉のもとになった人物です。

馬謖の最期は、本によって書き方がちがう

実は、馬謖がどのように亡くなったかは、正史の中でも書き方が少しずつちがいます。

馬謖の最期、本によって書き方がちがう正史『三国志』諸葛亮伝「謖を戮して以て衆に謝す」馬良伝「獄に下りて物故し、亮之が為に涕を流す」向朗伝「謖逃亡す」(敗れて逃げた)小説『三国志演義』演義96回「孔明涙を揮ひて馬謖を斬る」
正史の中でも書き方が分かれ、演義はそれを劇的な場面にしています
  • 諸葛亮伝:「謖を戮(りく)して以て衆に謝す」――馬謖を死刑にして、兵たちにわびた。
  • 王平伝:「丞相亮既に馬謖及び将軍張休・李盛を誅す」――馬謖のほかにも、責任のある将軍が処刑された。
  • 馬良伝:「謖獄に下りて物故し、亮之が為に涕を流す」――牢屋に入れられて死んだ、と読める書き方です。
  • 向朗伝:「謖逃亡す」――馬謖が(敗れたあと)逃げ、親しかった向朗がそれを知りながら知らせなかったので、役目を解かれた、とあります。

このため、馬謖は処刑されたのか、牢屋の中で亡くなったのかについては、読み方が分かれていて、諸説あります。どの伝も「馬謖が罰を受けて亡くなった」「諸葛亮が涙を流した」という点では一致しています。馬謖は39歳でした。

小説『三国志演義』の名場面

明の時代の小説『三国志演義』第96回では、この場面がとても劇的にえがかれています。しばられた馬謖が「丞相はわたしを子のように、わたしは丞相を父のように思ってきました」と泣き、孔明は涙をふるって処刑を命じます。そして処刑のあと、孔明は「わたしは馬謖のために泣くのではない。先帝(劉備)が『馬謖を大事な仕事に使うな』と言ったのに、自分が見ぬけなかったことがくやしいのだ」と大声で泣いた、と書かれています。

この「馬謖が父と子のようだと言う」話は、もとは正史の注に引かれた『襄陽記』に、馬謖が亡くなる前に諸葛亮へ送った手紙として出てきます。演義は、こうした記録をもとに、場面をふくらませているのです。正史と演義を分けて読むと、どこまでが記録で、どこからがお話なのかが見えてきます。

諸葛亮は自分も罰した

見落とされやすいのですが、諸葛亮は馬謖だけを罰したのではありません。皇帝に「わたしが人を見る目がなかったせいです」と申し出て、自分の位を三段階下げてもらいました(諸葛亮伝)。部下にきびしいだけでなく、自分の責任もきちんと取ったことが、このあとも蜀の人々に信頼された理由の一つと言えるでしょう。

三国時代の人物から生まれた故事成語には、ほかにも「三顧の礼」「水魚の交わり」「呉下の阿蒙」などがあります。中国の古典の流れは漢文の文学史(史記・三国志・唐詩)にまとめています。

「泣いて馬謖を斬る」の使い方と例文・似た言葉

「泣いて馬謖を斬る」は、「泣いて馬謖を斬る思いで〜」「泣いて馬謖を斬った」の形でよく使います。大切なのは、次の3つがそろっていることです。

  1. 処分される人が、処分する人にとって大切な人・信頼する人であること
  2. 処分の理由が、きまりを破った・大きな失敗をしたことであること
  3. 処分する人が、つらい気持ちをおさえて、全体のために決めること
  • ○キャプテンは泣いて馬謖を斬る思いで、門限を破った親友をメンバーから外した。(大切な人+きまり)
  • ○党の代表は、ルールを守らなかった側近を泣いて馬謖を斬る形で処分した。(信頼する部下)
  • ○店長は、ずっと店を支えてくれたスタッフでも、お客さんへの失礼は許さず、泣いて馬謖を斬った。
  • ×ゲームに負けて泣いたので、泣いて馬謖を斬るだ。(ただ泣いただけでは使わない)
  • ×きらいな部下をやめさせたのは、泣いて馬謖を斬ったからだ。(大切な人でなければ使わない)
泣いて馬謖を斬る似た言葉信賞必罰一罰百戒公平無私公明正大大義親を滅す反対の言葉公私混同えこひいき情に流される
似た言葉は「きまりを公平に守る」言葉。反対は「私情をまじえる」言葉です

似た言葉

  • 信賞必罰(しんしょうひつばつ):手がらのある者には必ずほうびを、罪のある者には必ず罰を与えること。
  • 一罰百戒(いちばつひゃっかい):一人を罰して、多くの人へのいましめにすること。諸葛亮が「謖を戮して以て衆に謝す」としたのも、全軍へのけじめでした。
  • 公平無私(こうへいむし):かたよりがなく、自分の気持ちや得をまじえないこと。
  • 公明正大(こうめいせいだい):かくしごとがなく、正しく堂々としていること。
  • 大義親を滅す(たいぎしんをめっす):国や正義のためには、親しい身内でも罰すること。『春秋左氏伝』から。

反対の言葉

  • 公私混同(こうしこんどう):仕事などのおおやけのことと、自分の気持ちや都合をまぜてしまうこと。
  • えこひいき・情に流される:好きな人だけを特別あつかいしたり、かわいそうだからとけじめをつけなかったりすること。

「泣いて馬謖を斬る」のよくあるまちがい

「謖」の字と、「泣く」のはだれか謖ごんべん馬謖の「しょく」○ これ稷のぎへん穀物の神× 別の字泣くのは?処罰する側=諸葛亮馬謖ではない「泣いて(諸葛亮が)馬謖を斬る」と読む
「謖」はごんべん。「泣いて」いるのは、処罰する側の諸葛亮です
  • 「馬謖」を「ばしゅく」「ましょく」と読む:正しくは「ばしょく」です。「謖」はごんべんの字で、のぎへんの「稷」とはちがいます。
  • 泣いているのを馬謖だと思う:言葉の中の「泣いて」の主語は、処罰する側の諸葛亮です。「泣く泣く(自分が)処分する」という意味です。
  • 「泣く泣くあきらめる」の意味で使う:「ほしかったおもちゃを、泣いて馬謖を斬る思いであきらめた」は誤り。人を処分する場面で使う言葉です。
  • 処分する理由がないのに使う:きまりを破った・大きな失敗をしたなどの理由が必要です。ただ人を外すだけでは使いません。
  • 演義の場面を正史だと思う:処刑のあとに孔明が大声で泣き続ける場面は、小説『三国志演義』のお話です。
うかるくん

うかるくん

諸葛亮って、かわいがってたなら許してあげればよかったのに…。

ミスターT先生

ミスターT先生

そう思うのは自然なことだ。でも諸葛亮は、お気に入りだから許したら、ほかの兵たちはきまりを守らなくなると考えた。しかも自分の位も下げて責任を取った。「きまりはだれにでも同じ」を自分から示したから、この話は今でも「厳しさとやさしさ」の例として語りつがれているんだよ。

入試ではこう出る

「泣いて馬謖を斬る」は、高校受験・大学受験でよく出る故事成語です。

  • 中学受験:むずかしめの故事成語として、意味を選ぶ問題に出ることがあります。「だれが泣いたのか」を問う問題に注意しましょう。
  • 高校受験:故事成語の意味と使い方、例文として正しいものを選ぶ問題がよく問われます。「規律を守るため」「私情を捨てて」という意味の中心をおさえましょう。漢文の対策は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)へ。
  • 大学受験:漢文では「為張郃所破」の受身、「使馬謖督諸軍」の使役、「何用討賊邪」の反語がよく問われます。評論文で「組織と個人」「情と法」を論じる例として出てくることもあります。共通テストの漢文は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

意味を書く問題では、「規律を守るため」+「愛する者でも」+「私情を捨てて処分する」の3つを入れるのがコツですね!

練習問題

やさしい

  1. 「泣いて馬謖を斬る」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 泣きながらあきらめること イ 規律を守るため、愛する者でも私情を捨てて処分すること ウ きらいな人を追い出すこと エ 失敗して泣いてしまうこと
    答えと解説を見るイ。諸葛亮が、かわいがっていた馬謖を、軍のきまりを守るために涙を流しながら処罰した話から生まれました。
  2. 「泣いて馬謖を斬る」で、泣いたのはだれですか。
    答えと解説を見る諸葛亮です。処罰する側が、つらい気持ちで涙を流したのです。

ふつう

  1. 「大為張郃所破」を書き下し文に直し、何という句法か答えましょう。
    答えと解説を見る大いに張郃の破る所と為る。「Aの B所と為る(AにBされる)」の受身の句法です。
  2. 劉備は亡くなる前に、馬謖についてどんなことを言い残していましたか。
    答えと解説を見る「馬謖は言うことが実力以上だから、大事な仕事に使ってはいけない」と言い残していました(「馬謖言過其実、不可大用」)。

むずかしい

  1. 「若復廃法、何用討賊邪」を現代語訳し、この言葉から分かる諸葛亮の考えを説明しましょう。
    答えと解説を見る訳:「もしまた法をないがしろにしたら、何によって敵を討つことができようか(いや、できない)」。反語の形で、きまりを公平に守らなければ軍はまとまらず、敵に勝てないという考えを表しています。
  2. 正史『三国志』の中で、馬謖の最期の書き方はどのように分かれていますか。二つ例をあげましょう。
    答えと解説を見る例:諸葛亮伝は「謖を戮して以て衆に謝す」(処刑した)、馬良伝は「獄に下りて物故す」(牢屋で死んだ)と書いています。ほかに向朗伝の「謖逃亡す」も正解です。

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よくある質問

泣いて馬謖を斬るの意味を簡単に言うと何ですか?

規律を守るためには、たとえ愛する者や信頼する者でも、私情を捨てて厳しく処分することです。

泣いて馬謖を斬るで泣いたのはだれですか?

処罰した側の諸葛亮(孔明)です。正史『三国志』の馬良伝に「亮之が為に涕を流す(諸葛亮は馬謖のために涙を流した)」とあります。

泣いて馬謖を斬るの出典は何ですか?

正史『三国志』蜀書の諸葛亮伝と馬良伝です。「泣いて斬る」に近い形は、小説『三国志演義』第96回の題「孔明揮涙斬馬謖(孔明涙を揮ひて馬謖を斬る)」に見られます。

馬謖はなぜ処罰されたのですか?

228年の街亭の戦いで、諸葛亮の指図にそむいて山の上に陣をしき、魏の張郃に水をくむ道を断たれて大敗し、蜀の北への進軍を失敗させたからです。

馬謖は本当に斬られたのですか?

正史『三国志』の中でも書き方が分かれています。諸葛亮伝は処刑したと書き、馬良伝は牢屋に入れられて死んだと読める書き方をしています。そのため諸説あります。

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出典・参考

  • 原文:『三国志』蜀書・諸葛亮伝、馬良伝(附 馬謖)とその裴松之の注に引く『襄陽記』、向朗伝、王平伝、魏書・張郃伝(維基文庫の本文で確認。原文の字は旧字体)
  • 小説の場面:『三国演義』第96回(維基文庫の本文で確認)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • 絵:『三国志演義』清代の挿絵(Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦