怨み骨髄に徹す(恨み骨髄)の意味と由来|史記の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

怨み骨髄に徹す(恨み骨髄)の意味と由来|史記の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

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怨み骨髄に徹すうらみこつずいにてっす

ひとことで言うと

うらみが骨の髄までしみとおるほど深いこと。晋にいた夫人が「秦の繆公はこの三人を骨の髄まで怨んでいる」と言って、捕らわれた秦の三将を帰させた話から。

読み方うらみこつずいにてっす
意味人をうらむ気持ちが、骨の髄までしみとおるほど深いこと。「恨み骨髄に徹す」とも書く。
出典『史記』秦本紀(原文は「怨むこと骨髄に入る」)。同じ話が『春秋左氏伝』僖公三十三年にも
お話殽の戦いで晋に捕らわれた秦の三将を、晋の文公の夫人が「繆公は三人を骨の髄まで怨んでいる」と言って帰させた。繆公は三人を罰しなかった
似た言葉不倶戴天・遺恨・怨念
反対の言葉水に流す・怨みに報いるに徳を以てす
漢文の句法使役(令)・願望(願)・反語(何〜乎)・禁止(毋)

このページのポイント

  • 「怨み骨髄に徹す」はうらみが骨の髄までしみとおるほど深いこと。「恨み骨髄」とも言います
  • 原文では怨む(とされた)のは秦の繆公、怨まれたのは三人の将軍。しかもそれは三将を救うための口実でした
  • 原文には使役・願望・反語・禁止の句法がそろい、『史記』の漢文の練習にぴったりです

「怨み骨髄に徹す」の意味と読み方

「怨み骨髄に徹す」はうらみこつずいにてっすと読みます。意味は「人をうらむ気持ちが、骨の髄までしみとおるほど深いこと」です。「恨み骨髄に徹す」とも書き、「恨み骨髄に徹する」「恨み骨髄」の形でも使います。

「骨髄(こつずい)」は、骨のいちばん内側にあるやわらかい部分です。「徹(てっ)す」は「つらぬき通る・しみとおる」という意味です。うらみの気持ちが、皮ふや肉をこえて、体のいちばん奥の骨髄にまでとどいている、というたとえです。ちょっとした不満ではなく、どうしても忘れられない、とても深いうらみに使います。

「骨髄」は体のいちばん奥皮ふ肉骨骨髄(こつずい)怨みがここまでしみとおる=骨髄に徹す※骨の切り口を分かりやすく描いたもの
骨髄は、骨のいちばん内側。うらみがそこまでしみとおるほど深い、という意味です
うかるくん

うかるくん

すごくこわい言葉ですね。だれかが、だれかを本気でうらんだ話なんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

もとは『史記』秦本紀の話なんだ。ところがおもしろいことに、原文で「骨の髄まで怨んでいる」と言われた人は、本当は少しも怨んでいなかったんだよ。その言葉は、ある人の命を救うためのうまい言い訳だったんだ。お話で確かめてみよう。

ふだんは、次のように使います。

  • ○だまされて店をつぶされた主人公は、恨み骨髄に徹して、相手をけっして許さなかった。
  • ○決勝で反則負けにされたことは、今でも恨み骨髄に徹する思いだ。
  • ○時代劇では、親のかたきに恨み骨髄の主人公がよく出てくる。

どれも、長く心に残る、とても深いうらみの場面です。強い言葉なので、ふだんの会話よりも、小説・時代劇・評論など、少しかたい文章で見かけることが多い言葉です。

絵で読む「怨み骨髄に徹す」のお話

舞台は中国の春秋時代、紀元前7世紀の終わりです。西の秦の国の君主・繆公(ぼくこう)は、穆公とも書かれ、春秋時代の有力な君主の一人に数えられることもある人物です。繆公は、老臣の百里傒(ひゃくりけい)と蹇叔(けんしゅく)が止めるのも聞かず、遠い鄭(てい)の国を不意打ちしようと軍を出しました。将軍は、百里傒の子の孟明視(もうめいし)と、蹇叔の子の西乞術(せいきつじゅつ)・白乙丙(はくおつへい)の三人です。

絵で読む「怨み骨髄に徹す」のお話(4こま)

1殽の戦い晋秦の三将を捕らえたぞ!秦の三将晋の兵
1紀元前627年、秦の軍は、殽(こう)のけわしい山あいで晋の軍に大敗し、三人の将軍が捕らえられました。
2夫人のたのみ繆公は、この三人を骨の髄まで怨んでいます。帰して、ご自分で煮させては?文公の夫人晋の襄公
2晋の文公の夫人は秦から来た女性でした。夫人は晋の君主に「秦の繆公は、この三人を骨の髄まで怨んでいます。帰して、繆公が自分で煮られるようにしてあげて」とたのみます。
3三将を帰す秦よかろう、三人を帰せ助かった!秦の三将晋の襄公
3晋の君主はそのたのみを聞き入れ、三人の将軍を秦へ帰しました。
4繆公の涙わたしのせいだ。三人に何の罪があろうか秦の繆公秦の三将三子何の罪かあらん
4ところが繆公は、白い喪服で出むかえて泣き、「わたしのせいだ。三人に何の罪があろうか」と言って、三人を罰しませんでした。

秦の軍は、鄭に気づかれて引き返す途中、ちょうど君主の文公をなくしたばかりの晋の国に、殽(こう)の山あいで待ちぶせされ、ひとりも逃げられないほどの大敗をします。三人の将軍は捕虜になりました。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

ここがこの話のいちばんのポイントだ。夫人の言った「繆公は三人を骨の髄まで怨んでいる」は、三人を秦へ帰させるための口実だった。本当に怨んでいたなら、繆公は喪服で泣いて出むかえたりしないよね。

晋の文公の夫人は、秦の出身でした。夫人は、「繆公はこの三人を骨の髄まで怨んでいる。晋で殺すより、秦へ帰して、繆公が自分の手で罰せるようにしてあげてほしい」と、晋の君主にたのんだのです。晋の君主はそれを聞き入れ、三人を帰しました。秦に帰った三人を、繆公は罰するどころか、元の位にもどして、前よりもっと大事にしたと原文は書いています。

「怨み骨髄に徹す」の原文・書き下し文・現代語訳

出典は、司馬遷の『史記』秦本紀(しんほんぎ)です。1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で読んでいきましょう。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方で説明しています(書き下し文は読み方の一例です)。

『史記』秦本紀の本文(維基文庫の本文。句読点を補ったもの)文公夫人,秦女也,為秦三囚將請曰:「繆公之怨此三人入於骨髓,願令此三人歸,令我君得自快烹之。」晉君許之,歸秦三將。三將至,繆公素服郊迎,向三人哭曰:「孤以不用百里傒、蹇叔言以辱三子,三子何罪乎?子其悉心雪恥,毋怠。」遂復三人官秩如故,愈益厚之。

1文目:秦から来た夫人のたのみ

書き下し文文公の夫人は、秦の女むすめなり。秦の三囚将の為ために請こひて曰はく、

(『史記』秦本紀)

現代語訳(晋の)文公の夫人は、秦の出身の女性であった。捕らえられた秦の三人の将軍のために、(晋の君主に)たのんで言った。

ここがポイント「〜の為に(ために)」は「〜のために」。「為」にはほかに「なす・なる・たり」などの読み方があり、「為」の読み方と用法で見分け方を説明しています。「三囚将」は「捕らわれた三人の将軍」。

2文目:この言葉が「怨み骨髄」のもと

書き下し文繆ぼく公の此この三人を怨うらむこと骨髄に入る。

(『史記』秦本紀)

現代語訳繆公がこの三人を怨む気持ちは、骨の髄にまでしみこんでいます。

ここがポイント怨んでいるのは繆公(秦の君主)、怨まれているのは三人の将軍です。「於」は読まない置き字で、場所を表す「〜に」の働きをしています。「於」の読み方は「於・于・乎」の読み方と用法へ。

3文目:三人を秦へ帰してほしい

書き下し文願ねがはくは此この三人をして帰かへらしめ、我わが君きみをして自みづから快こころよく之これを烹にるを得えしめん。

(『史記』秦本紀)

現代語訳どうかこの三人を(秦へ)帰らせて、わたしの君(繆公)が、自分の手で気持ちよく三人を煮殺せるようにしてあげてください。

ここがポイント「願はくは〜しめん」は「どうか〜させてください」とたのむ形で、願望の句法(願・請・幸)と、「AをしてBせしむ」の使役の句法(使・令・教・遣)が組み合わさっています。「我が君」は、秦の出身の夫人から見た繆公のことです。

4文目:晋の君主は聞き入れた

書き下し文晋しん君之を許し、秦の三将を帰す。

(『史記』秦本紀)

現代語訳晋の君主はこれを許し、秦の三人の将軍を帰した。

ここがポイント「晋君」は、文公のあとをついだ襄公(じょうこう)です。『史記』晋世家では、このやりとりがもっと短く書かれています(下で読みます)。

5文目:繆公の言葉

書き下し文三子何なんの罪かあらん。子し其それ心を悉つくくして恥はぢを雪すすぎ、怠おこたること毋なかれ。

(『史記』秦本紀)

現代語訳三人に何の罪があろうか(いや、罪はない)。あなたたちは、心をつくして恥をすすぎ(仕返しをして名誉を取りもどし)、おこたってはならない。

ここがポイント「何の罪かあらん」は、問いの形で「罪はない」と強く言う反語の句法(豈・安・何〜乎)。「毋かれ(なかれ)」は「〜してはならない」という禁止の句法(勿・毋・無・莫)です。この直前で繆公は「わたしが百里傒と蹇叔の言葉を聞かなかったせいで、三人にはじをかかせた」と、自分の過ちを認めています。
原文で覚える句法4つ為〜〜の為に〜のために「為」の読み願令願はくは〜しめんどうか〜させてほしい願望・使役何〜乎何の罪かあらん何の罪があろうか(ない)反語毋怠ること毋かれおこたってはならない禁止
原文には「為」「願令」「何〜乎」「毋」と、入試でよく問われる句法がそろっています

『史記』晋世家ではどう書かれているか

同じ『史記』でも、晋の国の歴史を書いた晋世家(しんせいか)では、夫人の言葉はもっと短く書かれています。

晋世家の夫人の言葉

書き下し文秦しんは其その三将を得て之これを戮りくせんと欲ほつす。

(『史記』晋世家)

現代語訳秦(の君主)は、その三人の将軍を手に入れて、自分で殺したいと思っています。

ここがポイント「欲す(ほっす)」は「〜したいと思う」。「戮す(りくす)」は「罪人として殺す」。上下点の中に一二点が入る形なので、返り点の上下点の練習になります。秦本紀の「骨髄に入る」のような強い言い方はなく、「骨髄」の言葉は秦本紀の書き方だと分かります。

『春秋左氏伝』ではどう書かれているか

同じ話は、『春秋左氏伝』僖公(きこう)三十三年にもあります。こちらでは夫人の名前が文嬴(ぶんえい)と書かれていて、言葉も少しちがいます。文嬴は「彼らは本当にわが二人の君(秦と晋の君主)の仲を悪くした者たちです。わが君(繆公)は、彼らをつかまえて食べても足りないほどでしょう」と言い、三人を秦へ帰させます。「骨髄に入る」という言い方は、『史記』秦本紀のほうにあります。

『左伝』では、このあと晋の将軍・先軫(せんしん)が「兵が力をつくして野でとらえた者を、夫人の一言で国から逃がすとは」と怒り、つばをはいたことも書かれています。晋の側から見れば、強い敵の将軍を逃がしてしまった、大きな失敗だったのです。

サクラちゃん

サクラちゃん

じゃあ「骨髄に徹す」っていう形は、原文にはないんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

そのとおり。原文は「骨髄に入る」だ。日本では「恨み骨髄に徹す」の形で広まったけれど、「徹す」の形がいつ・どこから使われるようになったのかは、はっきりした資料が見つからなかった。「入る」をより強く言い直した形、と覚えておけば十分だよ。

出典『史記』秦本紀と話の背景

『史記』は、前漢の司馬遷(しばせん)が書いた歴史の本です。その中の「本紀(ほんぎ)」は王や国の歩みを書いた部分で、秦本紀は、のちに中国を統一する秦の国の、始皇帝より前の歴史を書いています。繆公(穆公)は、その中でもくわしく書かれている君主の一人です。

登場人物の関係秦晋繆公(穆公)秦の君主百里傒・蹇叔出兵に反対した老臣三将孟明視・西乞術・白乙丙文公なくなったばかり文公の夫人秦から来た女性襄公文公のあとつぎ先軫(せんしん)晋の将軍↑ 子どもの関係捕らえられたが夫人の言葉で帰国
話に出てくる人物の関係。夫人は晋の側にいながら、出身の秦の将軍たちを救いました

繆公は、身分の低い者でも才能があれば重く用いたことで知られます。百里傒は、羊の皮五枚で買いもどされたという話から「五羖大夫(ごこたいふ)」と呼ばれた人物です。けれども、鄭を不意打ちする計画では、繆公はこの百里傒と蹇叔の反対を聞きませんでした。二人の老臣は、出発する息子たちに「負けるなら、きっと殽の山あいだ」と言って泣いたと書かれています。その言葉どおり、秦の軍は殽で大敗しました。

話の流れ(『史記』秦本紀より)前627年秦が鄭を攻めに出る(百里傒・蹇叔は反対)同じ年殽の山あいで晋に大敗。三将が捕らわれるすぐあと文公の夫人の言葉で、三将が秦へ帰される帰国繆公は喪服で出むかえ、自分の過ちを認める前624年孟明視らが晋を破り、殽の戦いの仕返しをする
殽の戦いから3年後、秦は晋に仕返しをします

帰ってきた三将を、繆公は罰しませんでした。そして孟明視たちをふたたび将軍にし、紀元前624年には、黄河をわたると船を焼いて退路を断ち、晋を大いに破って、殽の戦いの仕返しをしました。繆公は殽に行って戦死した兵たちのなきがらをほうむり、三日間泣いて、自分の過ちを後の世に伝えるための誓いの言葉を述べたといいます。『左伝』では、許されて帰る孟明視が「三年たったら、君の恩にお礼をしに来ます」と晋に言い残したと書かれていて、その言葉どおりになったわけです。

夫人の言葉の「表」と「本当のねらい」表「繆公は三人を骨の髄まで怨んでいる。帰して、自分で煮させてあげて」本当のねらい秦の将軍たちの命を助けて、無事に秦へ帰すこと(晋の人の手で殺させない)結果:繆公は三人を少しも罰せず「三子何の罪かあらん」と泣いた
「骨の髄まで怨んでいる」は、三将を救うための言葉でした

こうして見ると、この話の「怨み」は、本当の怨みではなく、命を救うための言葉でした。けれども、「怨むこと骨髄に入る」という表現があまりに強く印象に残ったため、のちに「とても深いうらみ」を表す言葉として使われるようになったと考えられます。言葉の意味は「深いうらみ」ですが、出典の場面を知っていると、人の心を動かす言葉の力についても考えさせられる話です。

繆公はなぜ三将をゆるしたのか

原文の繆公の言葉を読むと、そのわけが分かります。繆公は「わたしが百里傒と蹇叔の言葉を聞かなかったために、三人にはじをかかせた」と言っています。負けた原因は将軍たちではなく、反対を聞かずに出兵を決めた自分にあると考えたのです。『左伝』でも、秦伯(繆公)は「わたしが蹇叔にそむいたせいで、みなにはじをかかせた。わたしの罪だ」「大夫たちに何の罪があろうか」と言い、「一つの小さな失敗で、大きな徳をおおいかくさない」と述べています。

失敗した部下をせめず、自分の責任を認めて、もう一度チャンスを与える。そのおかげで孟明視たちは心をつくして働き、3年後に晋を破りました。原文のあとのほうで、君子(りっぱな人たち)が「秦の繆公の人との接し方は行きとどいている。だから最後に孟明の手がらを得たのだ」とほめているのは、このためです。「怨み骨髄」という強い言葉の出典が、じつは「許す」話だったというところが、この故事のいちばんおもしろいところです。

「怨み骨髄に徹す」の使い方と例文・似た言葉

「恨み骨髄に徹する」「恨み骨髄に徹している」「恨み骨髄の〜」のように使います。人に対する、とても深く、長く続くうらみに使うのがポイントです。

  • ○手がらを横取りされた家臣は、主君に恨み骨髄に徹し、ついに反乱を起こした。(深いうらみが行動になる)
  • ○小説の主人公は、家族をうばった相手に恨み骨髄に徹する思いで生きてきた。(長く続くうらみ)
  • ○彼は恨み骨髄の相手とも、最後には手を取り合った。(「恨み骨髄」だけで使う形)
  • ×給食のデザートを取られて、恨み骨髄に徹した。(ちょっとした不満には大げさすぎる。じょうだんで使う以外は合わない)
  • ×寒さが骨髄に徹する。(寒さや痛みには「骨身にしみる」「骨身にこたえる」を使う)

似た言葉

  • 不倶戴天(ふぐたいてん):同じ空の下に生きていられないほど、深く憎むこと。「不倶戴天の敵」の形で使います。
  • 臥薪嘗胆:うらみや悔しさを忘れないように、苦しい思いをして努力を続けること。うらみを力に変える言葉です。
  • 遺恨(いこん)・怨念(おんねん):いつまでも残るうらみ。

反対の意味の言葉

  • 水に流す:過ぎたことをとがめず、なかったことにすること。
  • 怨みに報いるに徳を以てす:うらみのある相手にも、やさしさで返すこと(『老子』の言葉として知られます)。

繆公が三将にとった態度は、まさに「水に流す」ものでした。同じ『史記』の話でも、刎頸の交わりのように、争った二人が深い友情で結ばれる話もあります。くらべて読むと、人の気持ちの動きがよく分かります。

「怨み骨髄に徹す」のよくあるまちがい

「徹」と「髄」を書きまちがえない徹つらぬく徹夜・貫徹○撤とりのぞく撤回・撤去×髄ほねの奥骨髄・真髄○随したがう随筆・随時×正しくは「怨み骨髄に徹す」
「徹」はぎょうにんべん、「髄」はほねへん。形の似た「撤」「随」とまちがえないように
  • 「徹す」を「撤す」と書く:「徹」はぎょうにんべんで「つらぬく」、「撤」はてへんで「取りのぞく」(撤回・撤去)。字は「徹」の読み方・書き順・部首と「撤」の読み方・書き順・部首でくらべましょう。
  • 「髄」を「随」と書く:骨の奥の「髄」は、ほねへんの字です。「髄」の読み方・書き順・部首、「骨」の読み方・書き順・部首で確かめましょう。「随」は随筆・随時の字です。
  • 読みをまちがえる:「骨髄」はこつずい、「徹す」はてっすです。「ほねずい」「てつす」とは読みません。「怨み」「恨み」はどちらも「うらみ」と読みます(「怨」の読み方・書き順・部首、「恨」の読み方・書き順・部首)。
  • 「三人の将軍が晋をうらんだ話」と思う:原文の言葉は「繆公の此の三人を怨むこと骨髄に入る」で、怨んでいる(とされた)のは繆公、怨まれているのは三将です。しかもそれは、三将を救うための口実でした。三将が晋に仕返しをするのは、そのあとの話です。
  • 体の痛みや寒さに使う:寒さや疲れが体にこたえるときは「骨身にしみる」「骨身にこたえる」です。
うかるくん

うかるくん

「だれがだれを怨んだか」って聞かれたら、まちがえそうです…。

ミスターT先生

ミスターT先生

原文の「繆公之怨此三人」を、そのまま読めばいい。「繆公の此の三人を怨む」——「の」の前が怨む人、「を」の前が怨まれる人だ。そして、その言葉を言ったのは繆公本人ではなく、晋にいた夫人。3人の立場を分けて覚えよう。

入試ではこう出る

「怨み骨髄に徹す」は、おもに大学受験で、故事成語の知識や『史記』の漢文読解として出てきます。

  • 故事成語・慣用句の問題:意味を選ぶ問題、「骨髄」「徹す」を漢字で書く問題、「不倶戴天」など似た意味の言葉と結びつける問題。
  • 漢文の問題:「繆公之怨此三人入於骨髄」の書き下し文と現代語訳、「だれがだれを怨むのか」、「願令此三人帰」の使役と願望、「三子何罪乎」の反語の訳がよく問われます。読解では、夫人の言葉の本当のねらいをつかむことが大切です。
  • 小説・評論の中で:時代小説などで「恨み骨髄」の形で出てきます。共通テストでの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

夫人の言葉のねらいを書く問題は、「繆公が三将を深く怨んでいると言って、晋の君主に三将を秦へ帰させ、命を救うため」とまとめればいいんですね!

練習問題

やさしい

  1. 「怨み骨髄に徹す」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 骨が折れるほど苦労すること イ 骨の髄までしみとおるほど、うらみが深いこと ウ 寒さが体にこたえること エ うらみをすぐに忘れること
    答えと解説を見るイ。うらむ気持ちが骨の髄までしみとおるほど深いことです。ウは「骨身にしみる」です。
  2. 「こつずい」「てっす」を漢字で書きましょう。
    答えと解説を見る骨髄・徹す。「髄」はほねへん、「徹」はぎょうにんべん。「随」「撤」と書くのはまちがいです。

ふつう

  1. 「繆公之怨此三人入於骨髄」を書き下し文に直しましょう。また、だれがだれを怨んでいると言っていますか。
    答えと解説を見る繆公の此の三人を怨むこと骨髄に入る。秦の繆公が、捕らえられた三人の将軍を怨んでいる、と言っています。
  2. 「三子何罪乎」は何という句法ですか。また、どういう意味ですか。
    答えと解説を見る反語。「三子何の罪かあらん」と読み、「三人に何の罪があろうか、いや、罪はない」という意味です。

むずかしい

  1. 晋の文公の夫人が「繆公は三人を骨の髄まで怨んでいる」と言った本当のねらいは何ですか。その後の繆公の行動にもふれて説明しましょう。
    答えと解説を見る三将を秦へ帰させて命を救うことがねらいでした。実際、繆公は喪服で出むかえて「三子何の罪かあらん」と泣き、三人を罰せずに元の位にもどしたので、怨んでいたというのは口実だったと分かります。

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よくある質問

怨み骨髄に徹すの意味を簡単に言うと何ですか?

人をうらむ気持ちが、骨の髄までしみとおるほど深いことです。ちょっとした不満ではなく、どうしても忘れられない深いうらみに使います。「恨み骨髄に徹す」とも書きます。

怨み骨髄に徹すの由来は何ですか?

『史記』秦本紀の話です。殽の戦いで晋に捕らわれた秦の三人の将軍を、晋の文公の夫人(秦の出身)が「秦の繆公はこの三人を骨の髄まで怨んでいる」と言って、秦へ帰させました。

怨み骨髄の話で、だれがだれを怨んでいたのですか?

原文の言葉では、秦の繆公が自分の国の三人の将軍を怨んでいる、とされています。ただしそれは三将を救うための口実で、実際の繆公は三人を罰せず、自分の過ちだと泣きました。

原文は「骨髄に徹す」ですか?

『史記』秦本紀の原文は「繆公之怨此三人入於骨髄」(繆公の此の三人を怨むこと骨髄に入る)で、「入る」です。日本では「骨髄に徹す」の形で広まりましたが、その形の出どころははっきりしません。

怨み骨髄に徹すに似た言葉は何ですか?

不倶戴天、遺恨、怨念などです。うらみを忘れずに努力を続ける臥薪嘗胆も、うらみに関係する故事成語です。

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出典・参考

  • 原文:『史記』秦本紀・晋世家(維基文庫の本文で確認)、『春秋左氏伝』僖公三十三年(維基文庫の本文で確認)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(読み方の一例)
  • 「骨髄に徹す」の「徹す」の形の出どころ:はっきりした資料が見つからなかった(諸説あり)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦