宋襄の仁(そうじょうのじん)の意味と由来|春秋左氏伝の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

宋襄の仁(そうじょうのじん)の意味と由来|春秋左氏伝の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

故事成語の一覧 › 『春秋左氏伝』

大学受験

宋襄の仁そうじょうのじん

ひとことで言うと

必要のない情けをかけて、かえって自分がひどい目にあうこと。宋の襄公が、楚の軍が陣を整えるのを待ってから戦い、大敗した話から。

読み方そうじょうのじん
意味必要のない情けをかけて、かえって自分がひどい目にあうこと。時と場合を考えない、役に立たない情け。
出典『春秋左氏伝』僖公二十二年(泓水の戦い)。『十八史略』などにもまとめられる
お話宋の襄公は、楚の軍が川を渡る途中も、渡り終えて列が整わないうちも攻めず、陣が整ってから戦って大敗した
似た言葉無用の情け・情けが仇・優柔不断
反対の言葉兵は詭道なり・心を鬼にする・油断大敵
漢文の句法再読文字(未)・逆接(雖)・願望(請)

このページのポイント

  • 「宋襄の仁」は必要のない情けをかけて、自分がひどい目にあうこと。ほめ言葉ではありません
  • 出典は『春秋左氏伝』。敵が陣を整えるのを待って大敗した宋の襄公の話を、4こまのイラストで読めます
  • 原文では、襄公の「君子は傷を重ねず」と子魚の「君未だ戦ひを知らず」の言い分の対立が読みどころです

「宋襄の仁」の意味と読み方

「宋襄の仁」はそうじょうのじんと読みます。意味は「必要のない情けをかけて、かえって自分がひどい目にあうこと」、また「時と場合を考えない、役に立たない情け」のたとえです。

「宋襄(そうじょう)」は、中国の春秋時代の宋(そう)という国の君主・襄公(じょうこう)のこと。「仁(じん)」は、儒教でいちばん大切にされる思いやり・情けのことです。つまり「宋の襄公の情け」。敵が川を渡っている途中に攻めず、陣を整えるのを待ってから戦って大敗した襄公を、あざけって言った言葉です。

泓水の戦い:見送った2回のチャンス1楚の軍が川を渡っている途中子魚:「渡りきらぬうちに撃とう」襄公:可ならず(いけない)2渡り終えたが、列が整っていない子魚:「今のうちに撃とう」襄公:未だ可ならず(まだだ)3楚の軍が陣を整え終えた子魚:ここで初めて攻める→ 宋の大敗・襄公は股に傷
宋の襄公は、楚を攻めるチャンスを2回も見送り、楚が陣を整えてから戦って大敗しました
うかるくん

うかるくん

敵が準備できるまで待ってあげるのって、正々堂々としていて、えらいんじゃないですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

そう感じる人もいるよね。実際に、襄公の考えを「昔の礼を守った」と見る意見もあるんだ。でも、国の命運をかけた戦で、兵を危険にさらしてまで情けをかけたことを、家来の子魚はきびしく批判した。だから「宋襄の仁」は、ほめ言葉ではなく、「場違いな情け」をからかう言葉として使われるんだよ。

ふだんの言い方では、次のように使います。

  • ○試合で相手の弱点を攻めないのは、宋襄の仁というものだ。
  • ○ライバル会社に気をつかって値下げをためらうのは、宋襄の仁に終わるおそれがある。
  • ○情けをかけたつもりが宋襄の仁となり、かえって自分のチームが負けてしまった。

絵で読む「宋襄の仁」のお話

舞台は紀元前638年、泓水(こうすい)という川のほとりです。宋の襄公が楚の軍とぶつかった「泓水の戦い」を、4つの場面で見てみましょう。登場するのは、宋の襄公と、軍を取りしきる司馬(しば)の子魚(しぎょ)です。

絵で読む「宋襄の仁」のお話(4こま)

1楚の軍が川を渡る宋楚泓水(こうすい)敵は多く、我らは少ない。渡りきらぬうちに!ならぬ襄公子魚
1宋と楚が泓水で戦ったとき、楚の軍はまだ川を渡っている途中でした。子魚が「今のうちに撃ちましょう」と言いましたが、宋の襄公は「ならぬ」と答えました。
2渡り終えたが列はまだ楚今です!列が整わぬうちに!まだだばらばら襄公子魚
2楚の軍が川を渡り終えて、まだ列が整わないうちに、子魚はもう一度すすめました。襄公はまた「まだだ」と答えました。
3宋の大敗楚宋の師敗績す(宋の軍は大敗した)襄公
3楚の軍が陣を整えてから戦うと、宋の軍は大敗しました。襄公も股に傷を負いました。
4襄公の言い分君子は傷を重ねず、二毛を禽にせず君は未だ戦ひを知らず襄公子魚
4人々に責められた襄公は「君子は傷ついた敵を討たず、老兵は捕らえない」と言い、子魚は「君は戦というものを知らない」とあきれました。

宋の軍は数が少なく、楚の軍は大軍でした。子魚は、敵が川を渡っている途中と渡り終えて列が整わないうちの2回、「今なら勝てる」とすすめました。少ない兵で大軍に勝つには、敵が動きにくいときをねらうしかないからです。ところが襄公は、どちらも「ならぬ」「まだだ」と退けました。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

この話のポイントは、襄公が「わざと」攻めなかったところだ。こわくて動けなかったわけでも、気づかなかったわけでもない。「君子は弱った敵を討たない」という自分の考えを守ったんだ。その考えが、戦の場にはまったく合わなかったんだね。

宋の軍は大敗し、襄公の身を守る門官(近衛の兵)は全滅しました。襄公自身も股に傷を負い、『春秋左氏伝』によると、翌年、この泓の戦いの傷がもとで亡くなったとされています。

「宋襄の仁」の原文・書き下し文・現代語訳

出典は『春秋左氏伝』の僖公(きこう)二十二年の記事です。維基文庫(中国語のウィキソース)の本文を、日本の教科書でよく使う字にして示します。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方で説明しています(書き下し文は読み方の一例です)。

『春秋左氏伝』僖公二十二年(句読点を補ったもの)宋人既成列、楚人未既済。司馬曰、「彼衆我寡。及其未既済也、請撃之。」公曰、「不可。」既済而未成列、又以告。公曰、「未可。」既陳而後撃之、宋師敗績、公傷股、門官殲焉。国人皆咎公。公曰、「君子不重傷、不禽二毛。古之為軍也、不以阻隘也。寡人雖亡国之余、不鼓不成列。」子魚曰、「君未知戦。……」

1文目:宋は列を整え、楚はまだ渡りきらない

書き下し文宋人既すでに列れつを成なし、楚人未いまだ既ことごとくは済わたらず。

(『春秋左氏伝』僖公二十二年)

現代語訳宋の軍はもう列を整え終えていたが、楚の軍はまだ全部は川を渡りきっていなかった。

ここがポイント「未(いまだ〜ず)」は、1つの字を2回読む再読文字。最初に「未だ」と読み、下から返ってもう一度「ず」と読みます。「済る(わたる)」は川を渡ること。同じ「既」でも、前の「既に」は「もう」、後の「既く」は「全部」の意味で読み分けています。

2文目:子魚のすすめと襄公の答え(間を一部省略)

書き下し文司馬曰いはく、「彼かれは衆おほく我われは寡すくなし。請こふ之これを撃うたん。」公曰いはく、「可かならず。」

(『春秋左氏伝』僖公二十二年)

現代語訳司馬(子魚)が言った、「敵は多く、こちらは少ない。(敵が渡りきらないうちに)どうか攻撃させてください。」襄公は言った、「いけない。」

ここがポイント原文では間に「其の未だ既くは済らざるに及びてや(敵が渡りきらないうちに)」が入ります。「請ふ〜ん」は「どうか〜させてください」とお願いする願望の句法。「不可」は「可ならず(いけない)」と読む読み方の一例です(「可からず」とも読めます)。

3文目:陣を整えてから戦い、大敗する

書き下し文既すでに陳ぢんして後のちに之これを撃うち、宋そうの師し敗績はいせきし、公股こを傷きずつく。

(『春秋左氏伝』僖公二十二年)

現代語訳(楚の軍が)すっかり陣を整えてから攻撃したので、宋の軍は大敗し、襄公は股に傷を負った。

ここがポイント「而」は読まない置き字で、ここでは「〜して(それから)」の働きです。「師(し)」は軍隊、「敗績(はいせき)」は大敗すること。「陳」は「陣」と同じ意味で使われています。

4文目:襄公の言い分(1)

書き下し文公曰いはく、「君子くんしは傷しやうを重かさねず、二毛にもうを禽とりこにせず。」

(『春秋左氏伝』僖公二十二年)

現代語訳襄公が言った、「君子は、すでに傷ついた者をさらに傷つけず、白髪まじりの者をとりこにしない。」

ここがポイント「不〜(ず)」は否定の句法。「二毛(にもう)」は黒い毛と白い毛の2色の髪、つまり白髪まじりの年寄りのこと。「禽(とりこ)」は「擒(とりこ)」と同じで、捕らえること。レ点が2つ続くので「傷→重ね→ず」の順に読みます。

5文目:襄公の言い分(2)

書き下し文寡人くわじんは亡国ばうこくの余よなりと雖いへども、列れつを成なさざるに鼓こせず。

(『春秋左氏伝』僖公二十二年)

現代語訳わたしは滅びた国(殷)の子孫ではあるが、列を整えていない敵に向かって、攻めの太鼓を打つようなことはしない。

ここがポイント「雖も(いへども)」は「〜ではあるが・たとえ〜でも」という逆接の句法の字。「寡人(かじん)」は君主が自分をへりくだって言う言葉。宋は殷(商)の子孫が治めた国なので「亡国の余」と言っています。「鼓す」は、攻撃の合図の太鼓を打つこと。一レ点をふくむ、返り点の練習にもなる文です。

6文目:子魚の反論

書き下し文子魚曰いはく、「君きみ未いまだ戦たたかひを知しらず。」

(『春秋左氏伝』僖公二十二年)

現代語訳子魚が言った、「わが君は、まだ戦というものが分かっておられない。」

ここがポイントここでも「未」は再読文字。子魚はこのあと「強い敵が狭い所にいて列を整えていないのは、天がわれわれを助けているのだ」「傷がまだ死に至らないなら、どうして重ねて討たずにいられよう」「白髪まじりを惜しむくらいなら、はじめから降伏したほうがよい」と、一つずつ反論していきます。
「宋襄の仁」の原文で覚える句法4つ未いまだ〜ず再読文字例:楚人未だ既くは済らず不〜ず否定例:君子は傷を重ねず雖〜といへども逆接・仮定例:亡国の余なりと雖も請こふ〜ん願望例:請ふ之を撃たん
「宋襄の仁」の原文には、再読文字・否定・逆接・願望の句法が出てきます
襄公の言い分と、子魚の反論襄公(宋の君主)傷を重ねず傷ついた敵は討たない二毛を禽にせず白髪まじりは捕らえない阻隘を以てせずけわしい地形を使わない列を成さざるに鼓せず整わぬ敵を攻めない子魚(司馬)君は未だ戦を知らず戦というものを知らない隘にして列せず狭い所の敵は天の助け傷未だ死に及ばずそれなら重ねて討つべき二毛を愛しまば降伏したほうがましだ
襄公の4つの言い分に、子魚は一つずつ反論しました
サクラちゃん

サクラちゃん

原文には「宋襄の仁」っていう言葉そのものは出てこないんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

いい質問だ。『春秋左氏伝』には「宋襄之仁」という4字は出てこない。のちの時代の書物(初学者向けの歴史書『十八史略』など)で、この話を「宋襄の仁」とまとめて呼んだとされているんだ。ただ、その本文はここでは確かめきれなかったので、「〜とされる」と言っておくね。

出典『春秋左氏伝』と話の背景

「宋襄の仁」の出典は『春秋左氏伝』です。孔子が手を入れたとされる魯の国の年代記『春秋』に、くわしい説明(伝)をつけた本で、『左伝』とも呼ばれます。作者は左丘明と伝えられますが、本当の作者や成立の時期には諸説あります。

盟主になろうとした宋の襄公

春秋時代、周の王の力が弱まると、強い国の君主が諸侯を集めて「会盟」を開き、同盟のまとめ役「盟主(覇者)」になりました。最初の覇者とされる斉の桓公が紀元前643年に亡くなると、宋の襄公は、その後をついで盟主になろうとします。

宋の襄公の年表(『春秋左氏伝』より)前643年斉の桓公が亡くなる盟主の座が空く前639年襄公、盂の会で楚にとらえられる盟主になろうとして失敗前638年泓水の戦いで楚に大敗宋襄の仁前637年襄公が亡くなる泓の戦いの傷がもとで
斉の桓公が亡くなってから、襄公が亡くなるまでは、わずか6年ほどでした

しかし宋は、強国の楚にくらべれば小さな国でした。紀元前639年、襄公は盂(う)という所で諸侯の会を開きますが、そこで楚にとらえられてしまいます。このとき子魚は「禍は此に在るか(わざわいはここから来るのではないか)。君の望みはあまりに大きすぎる」と心配していました。そして翌年、楚と正面からぶつかったのが泓水の戦いです。

数え方によっては、宋の襄公を「春秋五覇」(春秋時代の5人の覇者)の一人に入れることもあります。ただし五覇にだれを入れるかは本によってちがい、襄公を入れない数え方もあります。

子魚とはだれか

子魚(しぎょ)は名を目夷(もくい)といい、襄公の兄にあたる人物です。父の宋公が病気になったとき、太子だった襄公が「目夷は年上で、しかも仁がある」と言って、跡つぎを目夷にするよう願い出たが、目夷はことわった、という話も『左伝』僖公八年に見えます。襄公はもともと「仁」を重んじる人だったのです。泓水の戦いの前にも、大司馬が「天が商(殷の子孫である宋)を見捨ててから久しい。君がそれを再びおこそうとしても、許されないでしょう」といさめましたが、襄公は聞き入れませんでした。

襄公の「仁」をどう見るか

襄公の考えは、昔の戦いの礼(ルール)にもとづいていました。「傷ついた者を重ねて討たない」「年寄りを捕らえない」「けわしい地形を利用しない」「列の整わない敵を攻めない」。こうした礼は、戦にも守るべき道があるという考えから来ています。

いっぽう子魚は、「戦は敵を倒すためにするものだ」と言い切ります。強い敵が不利な所にいるなら、それは天の助けであり、利用しない理由はない。そもそも敵を傷つけたくないなら、戦わずに降伏すればよい。子魚の反論は、春秋時代が礼を重んじる戦いから、勝つことを第一にする戦いへ移っていく時代だったことも感じさせます。のちの兵法書『孫子』は「兵は詭道なり(戦はだまし合いだ)」と言っています。

この話は昔から評価が分かれ、襄公を「時代おくれのお人よし」と笑う見方が一般的ですが、「礼を守ろうとした君主」として高く評価する見方もあります。ことわざとしての「宋襄の仁」は、前の見方で使われています。

「宋襄の仁」の使い方と例文・似た言葉

「宋襄の仁」は、情けをかける必要のない場面で情けをかけ、そのせいで自分が損をしたり負けたりすることを、少し皮肉をこめて言うときに使います。「宋襄の仁だ」「宋襄の仁に終わる」「宋襄の仁を施す」などの形で使います。

  • ○ここで手加減するのは宋襄の仁だ。全力で勝ちにいこう。
  • ○交渉で相手の事情ばかり気にかけたのは、宋襄の仁だったかもしれない。
  • ○選挙戦で相手の失敗を責めなかった彼の態度を、宋襄の仁と批判する人もいた。
  • ○情けをかけた相手に逆転負けしては、宋襄の仁のそしりはまぬかれない。
  • ×困っている友だちに勉強を教えてあげたのは、宋襄の仁だ。(本当に役に立つ親切には使わない。場違いな情けで自分が損をする場合に使う)
宋襄の仁似た言葉無用の情け情けが仇優柔不断甘い考え敵に塩を送る(△)反対の言葉兵は詭道なり心を鬼にする勝てば官軍
似た言葉・反対の言葉。「敵に塩を送る」は、ほめる意味で使うことが多い点がちがいます

似た言葉

  • 無用の情け・情けが仇(あだ):かけなくてよい情けをかけ、かえって悪い結果になること。
  • 優柔不断(ゆうじゅうふだん):ぐずぐずして、なかなか決められないこと。チャンスを見送る点が少し似ています。
  • 敵に塩を送る(△):苦しんでいる敵を助けること。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったという話(史実かどうかは諸説あり)から。正々堂々とした態度をほめることが多く、失敗をからかう「宋襄の仁」とは使う場面がちがいます。

身近な場面での「宋襄の仁」

「宋襄の仁」は、戦争の話から生まれた言葉ですが、今はスポーツ・試合・競争・交渉など、勝ち負けのある場面で広く使われます。たとえば、サッカーで相手のゴール前ががら空きなのに「かわいそうだから」とシュートを打たない、将棋で勝てる手があるのに相手に悪いと思って指さない、といった場面です。

ただし、ルールやマナーを守ることまで「宋襄の仁」と言うわけではありません。けがをした選手がいるときにボールを外に出すのは、スポーツの正しいマナーで、むしろほめられる行いです。「宋襄の仁」と言うのは、守らなくてよい情けにこだわって、自分や仲間に損をさせたときです。この線引きを考えると、襄公の行いをどう見るかという、昔からの議論の面白さも分かってきます。

反対の言葉

  • 兵は詭道なり:『孫子』の言葉。戦いはだまし合いであり、勝つためには相手のすきをつくべきだ、という考え。
  • 心を鬼にする:かわいそうだと思っても、あえてきびしくすること。
  • 勝てば官軍:勝った者が正しいとされる、ということ。
  • 油断大敵(ゆだんたいてき):気をゆるめることこそ、いちばんの敵だ、という戒め。

「宋襄の仁」のよくあるまちがい

「宋襄」を書きまちがえない宋そう宀+木○ 国名宗しゅう宀+示×襄じょう襄公の名○ これ譲じょうゆずる×「宋(うかんむり+木)の襄公」の情け、と覚えましょう
「宋」は「宗」、「襄」は「譲」とまちがえやすいので注意
  • 「宋」を「宗」と書く:国の名の「宋」は、うかんむりに「木」。「宗」はうかんむりに「示」で、別の字です。
  • 「襄」を「譲」「嬢」と書く:「襄」は襄公の名に使う字で、常用漢字ではありません。「ゆずる」の「譲」とは別の字です。
  • 「そうじょうのにん」「そうじょうのひと」と読む:「仁」は「じん」と読みます。「仁」の読み方・書き順・部首で読み方を確かめましょう。
  • ほめ言葉だと思う:「仁(思いやり)」という字が入っていますが、場違いな情けをあざける言葉です。人の親切をほめるときには使いません。
  • 「宋の国の人」の話だと思う:株を守る・助長など、宋の人が出てくる故事成語は多いのですが、「宋襄の仁」は宋の君主・襄公の話です。
うかるくん

うかるくん

「仁」っていい意味の字なのに、悪い意味の言葉になるなんて、ややこしいです…。

ミスターT先生

ミスターT先生

「仁」そのものが悪いんじゃなくて、使う場面をまちがえたのがいけなかったんだ。「戦の場で、敵に情けをかけて、味方を負けさせた」。この3つがそろって「宋襄の仁」と覚えよう。

入試ではこう出る

「宋襄の仁」は、大学受験で、故事成語の意味や、漢文の本文として出てくる言葉です。

  • 大学受験(現代文・語彙):「宋襄の仁」の意味を選ぶ問題。「ほめ言葉」「親切」などの選択肢は、ひっかけになりやすいので注意しましょう。
  • 大学受験(漢文):『春秋左氏伝』や『十八史略』の文章として出て、「未既済(未だ既くは済らず)」の再読文字、「不重傷・不禽二毛」の意味、子魚が何を批判したかが問われます。共通テストの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
  • 国公立二次・難関大:襄公と子魚の考え方のちがいを説明させる問題。「礼を重んじる戦い」と「勝つための戦い」の対比でまとめましょう。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

「襄公は何をしなかったか」と聞かれたら、「楚の軍が川を渡りきらないうちと、列が整わないうちに攻めなかった」と、2回分を書けばいいんですね!

練習問題

やさしい

  1. 「宋襄の仁」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア だれにでもやさしい、すばらしい心 イ 必要のない情けをかけて、自分がひどい目にあうこと ウ 敵をだまして勝つこと エ 国のために命をかけること
    答えと解説を見るイ。宋の襄公が、敵の楚が陣を整えるのを待って戦い、大敗した話から生まれた言葉です。
  2. 「宋襄の仁」の読み方を、ひらがなで書きましょう。
    答えと解説を見るそうじょうのじん。「仁」は「じん」と読みます。

ふつう

  1. 「楚人未既済」を書き下し文に直しましょう。
    答えと解説を見る楚人未だ既くは済らず。「未」は「いまだ〜ず」と2回読む再読文字です。
  2. 「君子不重傷、不禽二毛」の「二毛」とは何のことですか。
    答えと解説を見る白髪まじりの年寄り(老兵)のことです。黒と白の2色の髪の毛から、こう言います。

むずかしい

  1. 子魚は、襄公の「傷を重ねず、二毛を禽にせず」という考えにどのように反論しましたか。説明しましょう。
    答えと解説を見る戦は敵を倒すためにするものなので、傷がまだ死に至らない敵は重ねて討つべきであり、老兵を惜しむくらいなら、はじめから降伏したほうがよいと反論しました。また、強い敵が狭い所で列を整えていないのは天の助けだとも言っています。
  2. 「寡人雖亡国之余、不鼓不成列」を書き下し文に直し、現代語に訳しましょう。
    答えと解説を見る書き下し文:寡人は亡国の余なりと雖も、列を成さざるに鼓せず。訳:わたしは滅びた国(殷)の子孫ではあるが、列を整えていない敵に攻めの太鼓を打つことはしない。

「宋襄の仁」とあわせて覚えたい関連ページ

『春秋左氏伝』から生まれた故事成語(絵で読む)

← 前の語:怨み骨髄に徹すの意味と由来 | 次の語:嚆矢の意味と由来 →

読みもの(合格大作戦の記事)

受験掲示板「100点BBS」で質問・相談しよう

よくある質問

宋襄の仁の意味を簡単に言うと何ですか?

必要のない情けをかけて、かえって自分がひどい目にあうことです。時と場合を考えない、役に立たない情けをあざけって言う言葉です。

宋襄の仁の由来となった話はどんな話ですか?

紀元前638年の泓水の戦いの話です。宋の襄公は、楚の軍が川を渡っている途中も、渡り終えて列が整わないうちも攻めず、楚が陣を整えてから戦って大敗し、自分も股に傷を負いました。

宋襄の仁の出典は何ですか?

『春秋左氏伝』僖公二十二年です。「宋襄の仁」という4字のまとめた言い方は、のちの『十八史略』などの書物によるとされます。

宋襄の仁の原文の「二毛」とは何ですか?

黒い毛と白い毛の2色がまじった髪、つまり白髪まじりの年寄りのことです。襄公は「君子は傷ついた者を重ねて傷つけず、二毛(年寄り)をとりこにしない」と言いました。

宋襄の仁はほめ言葉ですか?

ほめ言葉ではありません。「仁(思いやり)」という字が入っていますが、場違いな情けをかけて失敗することを、皮肉をこめて言う言葉です。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 原文:『春秋左氏伝』僖公十七年・二十一年・二十二年・二十三年(維基文庫の本文で確認。字は日本の教科書でよく使う形に改めた)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(読み方の一例)
  • 『十八史略』の「宋襄の仁」:一般に知られる説明による(本文は未確認)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦