千里の馬も伯楽に会わざればの意味と由来|韓愈「雑説」の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読む伯楽【故事成語】

千里の馬も伯楽に会わざればの意味と由来|韓愈「雑説」の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読む伯楽【故事成語】

故事成語の一覧 › 『雑説』

高校受験大学受験

千里の馬も伯楽に会わざればせんりのうまもはくらくにあわざれば

ひとことで言うと

すぐれた才能も、それを見抜いて生かしてくれる人に出会わなければ、世に出ずに終わるということ。唐の韓愈が「雑説」で、名馬と、馬を見分ける名人・伯楽にたとえて述べた。

読み方せんりのうまもはくらくにあわざれば
意味すぐれた才能をもつ人も、その才能を見抜いて生かす人に出会わなければ、世に認められずに終わってしまうということ。
出典韓愈「雑説」四(馬説)「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有」
お話名馬も、馬を知らない人にふつうの馬と同じに扱われれば、才能を出せずに馬小屋で終わる。「天下に馬無し」となげく人こそ馬を知らないのだ
似た言葉伯楽の一顧・適材適所・隗より始めよ
反対の言葉嚢中の錐(反対に近い考え方)
漢文の句法部分否定(不常)・受身(辱於〜)・反語(安〜也)・詠嘆(嗚呼)

このページのポイント

  • 「千里の馬も伯楽に会わざれば」は、才能も、見抜いて生かす人がいなければ埋もれてしまうという意味
  • 出典は唐の韓愈「雑説」。「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」を、文の内容を絵にした4こまと原文で
  • 「不常有」の部分否定、「食(やしなふ)」の読み、『戦国策』の伯楽の話、「名伯楽」の今の使い方まで

「千里の馬も伯楽に会わざれば」の意味と読み方

「千里の馬も伯楽に会わざれば」は、せんりのうまもはくらくにあわざればと読みます。意味は「どんなにすぐれた才能をもった人でも、その才能を見抜いて生かしてくれる人に出会わなければ、世に出ることなく終わってしまう」ということです。あとに「(世に)出でず」「(ただの馬で)終わる」のような言葉を補って考えます。

「千里の馬」は、一日に千里(とても長い道のり)を走ることができる名馬のこと。「伯楽(はくらく)」は、中国の古い時代に、馬のよしあしを見分ける名人だったとされる人の名前です。この言葉のもとは、唐の文人・韓愈(かんゆ)が書いた「雑説(ざっせつ)」という文章で、その中の「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」(名馬はいつでもいるが、伯楽はいつでもいるわけではない)という一文がよく知られています。

「伯楽」と「千里の馬」伯楽馬を見分ける名人=才能を見いだす人千里の馬一日に千里走る名馬=才能のある人伯楽に会うと → 千里の馬として活躍(世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り)会わないと → ふつうの馬で一生を終える(千里を以て称せられざるなり)名馬はいつもいる。伯楽が少ないのだ
伯楽は「才能を見いだす人」、千里の馬は「才能のある人」。名馬が少ないのではなく、伯楽が少ないのだ、というのが韓愈の考えです
うかるくん

うかるくん

「千里」って、どれくらいの長さなんですか? 本当にそんなに走れる馬がいたんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

昔の中国の「里」は今の日本の「里」(約4km)よりずっと短くて、時代によっても長さがちがうんだ。だから「千里」はぴったりの距離ではなく、「とても遠くまで走れる」というたとえと考えよう。「千里の馬」は、今の言葉で言えば「ずばぬけた才能」のことだね。

ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。

  • ○あの選手は、今の監督に出会うまで目立たなかった。千里の馬も伯楽に会わざれば、だね。
  • ○千里の馬も伯楽に会わざればというから、子どもの得意なことを見つけてのばしてあげたい。
  • ○「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」と言うとおり、人を育てる先生は本当に貴重だ。

「伯楽」の「伯」は「伯」の読み方・書き順・部首、「楽」は「楽」の読み方・書き順・部首で、読み方と書き順を確かめておきましょう。

絵で読む「千里の馬も伯楽に会わざれば」のお話

「雑説」は、物語ではなく、韓愈が自分の考えを述べた論説文です。そこで、文に書かれている名馬のありさまを、4つの場面にしてみました(実際にあった出来事を描いたものではなく、文の内容を絵にしたものです。4こま目は、『戦国策』にある伯楽の話をもとにしています)。

絵で読む「千里の馬も伯楽に会わざれば」(文の内容を場面にした4こま)

1ふつうの馬と同じえさじつは千里の馬世話係えさはみんな同じでいい
1馬小屋に、千里を走る名馬がいます。ところが世話をする人はそれを知らず、ふつうの馬と同じえさしか与えません。千里の馬は、一度にたくさん食べないと力が出ないのです。
2正しく扱われないヒヒン…世話係さっさと走れ!何を鳴いているんだ
2世話をする人は、正しいやり方でむちを使わず、馬がいなないても、その気持ちが分かりません。おなかをすかせた名馬は、力を出すことができません。
3「天下に馬無し」世話係天下に名馬なんていないものだ!(ここにいるのに…)
3それなのに、世話をする人はむちを手に「天下に名馬はいない!」となげきます。名馬は、すぐ目の前にいるのに。
4伯楽が見いだす♪♪伯楽これは千里を走る名馬だ!千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず
4馬をよく知る伯楽が通りかかれば、ひと目で「これは千里の馬だ」と気づきます。見いだされた名馬は、首を上げて高らかにいななくでしょう。

韓愈が言いたかったのは、「世の中に才能のある人がいないのではない。才能を見抜けない人が、才能のある人をふつうの人と同じに扱って、だめにしているのだ」ということです。3こま目の「天下に馬無し(天下に名馬はいない)」となげく人こそ、じつは「馬を知らない」人だったのです。

千里の馬が力を出せないしくみ一食或いは粟一石を尽くす千里の馬は、一度にたくさん食べるふつうの馬と同じえさ世話をする人が、その力を知らない食飽かず、力足らずおなかがすいて、力が出ない才の美、外に見れずすぐれた才能が、外に現れない
千里の馬は、たくさん食べないと力が出ません。ふつうの馬と同じ扱いでは、才能が外に現れないのです
人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

「雑説」の名馬は、才能があるのに認められない人のたとえだ。韓愈自身も、若いころはなかなか役人として認められず苦労した人だから、自分の気持ちを重ねて書いたとも言われているよ。

「千里の馬も伯楽に会わざれば」の原文・書き下し文・現代語訳

出典は、唐の韓愈の文章「雑説」です。「雑説」は4つの短い文からなり、この話はその4つ目で、「馬説(ばせつ)」とも呼ばれます。高校の漢文の教科書によくのっている文章です。1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で読みましょう。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方とルールにまとめています。書き下し文は、代表的な読み方の一例です。

韓愈「雑説」四(句読点は維基文庫のとおり)世有伯樂,然後有千里馬。千里馬常有,而伯樂不常有。故雖有名馬,祇辱於奴隸人之手,駢死於槽櫪之間,不以千里稱也。馬之千里者,一食或盡粟一石。食馬者,不知其能千里而食也。是馬也,雖有千里之能,食不飽,力不足,才美不外見,且欲與常馬等不可得,安求其能千里也?策之不以其道,食之不能盡其材,鳴之而不能通其意,執策而臨之,曰:「天下無馬!」嗚呼!其真無馬邪?其真不知馬也。

1文目:伯楽がいてこそ千里の馬がいる

書き下し文世よに伯楽はくらく有ありて、然しかる後のちに千里せんりの馬うま有あり。

(韓愈「雑説」四)

現代語訳世の中に伯楽(馬を見分ける名人)がいて、そうしてはじめて千里の馬(名馬)がいることになる。

ここがポイント「然る後に」は「そうしてはじめて」。名馬が「いる」と言えるのは、それを見抜く伯楽がいるからだ、という意外な主張から文が始まります。「有」は、「伯楽」「千里の馬」を読んでから返って読みます。

2文目:千里の馬は常に有れども

書き下し文千里せんりの馬うまは常つねに有あれども、伯楽はくらくは常つねには有あらず。

(韓愈「雑説」四)

現代語訳千里の馬はいつの時代にもいるけれども、伯楽はいつもいるとは限らない。

ここがポイントこの文のいちばん大事な所です。「不常有(常には有らず)」は、「いつもいるとは限らない(いることもある)」という部分否定(不常・不倶・不必)で、「常有」が「いつもいる」なのと対になっています。「常に有らず(いつもいない)」と読むと全部否定になってしまうので、「常には」の「は」に気をつけましょう。「而」は読まない置き字(而・於・焉・矣)です。

3文目:名馬があっても

書き下し文故ゆゑに名馬めいば有ありと雖いへども、祇ただ奴隷人どれいじんの手てに辱はづかしめられ、

(韓愈「雑説」四)

現代語訳だから、名馬がいても、ただ使用人の手で粗末に扱われ、

ここがポイント「〜と雖(いへど)も」は「〜だけれども」という逆接。「辱(はづかし)めらる」は「粗末にされる・はずかしめを受ける」で、「於(〜に)」がだれにされるかを示す受身の句法(見・被・為〜所・於)の形です。「奴隷人」は、ここでは馬の世話をする使用人のこと。「於」は読まない置き字で、「於」の読み方と用法にまとめています。

4文目:馬小屋で死んでいく

書き下し文槽櫪さうれきの間かんに駢死べんしして、千里せんりを以もつて称しようせられざるなり。

(韓愈「雑説」四)

現代語訳(ふつうの馬と)首を並べて馬小屋の中で死んでいき、千里の馬としてほめたたえられることがないのである。

ここがポイント「駢死(べんし)」は「(ほかの馬と)並んで死ぬ」。「槽櫪(さうれき)」は、「槽」が飼い葉おけ、「櫪」が馬をつなぐ横木で、合わせて馬小屋のことです。「以(もつ)て」は「以」の読み方と用法を見ましょう。上下点と一二点の組み合わせで、「千里→以て→称せられ→ざる」の順に読みます。

5文目:馬を養う者は知らない

書き下し文馬うまを食やしなふ者ものは、其その能のうの千里せんりなるを知しりて食やしなはざるなり。

(韓愈「雑説」四)

現代語訳馬を飼う者は、その馬の能力が千里を走るほどであることを知って飼っているのではない。

ここがポイント「食」は、ここでは「たべる」ではなく「やしなふ(えさを与えて飼う)」と読みます。入試でよく読み方が問われる字です。「〜を知りて食はざるなり」は、「知って飼っているのではない」という意味。この前の文に「馬の千里なる者は、一食或いは粟一石を尽くす」(千里の馬は、一度に粟を一石も食べつくすことがある)とあり、ふつうの馬と同じえさでは足りないことが書かれています。

6文目:本当に馬がいないのか

書き下し文ああ、其それ真しんに馬うま無なきか。其それ真しんに馬うまを知しらざるなり。

(韓愈「雑説」四)

現代語訳ああ、本当に名馬がいないのだろうか。(いや)本当は、名馬を見分けられないのだ。

ここがポイント結びの一文です。「嗚呼(ああ)」は詠嘆の句法(嗚呼・何ぞ〜や)の言葉。「其れ〜か」と問いかけて、「其れ〜なり」と本当の答えを出す、対の形になっています。最後の「也」を「邪(か)」とする本もあり、その場合は「本当に馬を知らないのだろうか」という問いかけの形で読みます。
「雑説」で覚える句法4つ不常〜常には〜ずいつも〜とは限らない部分否定雖〜〜と雖も〜だけれども逆接辱於〜〜に辱めらる〜に粗末にされる受身(於)安〜也安くんぞ〜んやどうして〜か、いや〜ない反語
「雑説」には、部分否定・逆接・受身・反語と、入試でねらわれる句法がそろっています

伯楽の話(『戦国策』)

「伯楽」は、韓愈よりずっと前、戦国時代のことを書いた『戦国策』にも登場します。楚策(そさく)には、年をとった名馬(驥=き)が塩を積んだ車を引かされ、太行山の坂を登れずに苦しんでいたところ、伯楽がそれに出会って、車からおりて馬にすがって泣き、自分の着物をかけてやった、という話があります。

7文目:伯楽が名馬に出会う(『戦国策』楚策)

書き下し文伯楽はくらく之これに遭あひ、車くるまより下おり攀よぢて之これに哭こくす。

(『戦国策』楚策四)

現代語訳伯楽はその馬に出会うと、車からおり、馬にすがって泣いた。

ここがポイント「之(これ)」は名馬のこと。このあと名馬は、首をたれて鼻を鳴らし、また首を上げて、天にとどくほど高くいなないたと書かれています。その理由を、話の中で「伯楽が自分を分かってくれたのを見たからだ」と説明しています。才能を分かってくれる人に出会えた喜びを表した話です。

また『戦国策』燕策(えんさく)には、市場に三日立っても売れなかった馬が、伯楽が振り返って見ただけで、値段が十倍になったという話があります。ここから、すぐれた人に認められて値打ちが上がることを「伯楽の一顧(いっこ)」と言います。名馬の話は、死んだ名馬の骨を五百金で買った「隗より始めよ(死んだ名馬の骨の話)」にも出てきます。

サクラちゃん

サクラちゃん

「伯楽」って、本当にいた人の名前なんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

春秋時代の孫陽(そんよう)という人のことだとする説がよく知られているけれど、もとは天の馬をつかさどる星の名前で、馬を見分けるのが上手な人をそう呼んだ、という説もあるんだ。どちらが正しいかは、はっきりしない。ここでは「馬を見分ける名人として伝えられる人」と覚えておこう。

出典「雑説」(韓愈)と話の背景

韓愈(かんゆ、768〜824年)は、中国・唐の時代の文人で、役人でもありました。それまではやっていた、形ばかり整えた文章に反対し、昔の力強い文章(古文)にもどそうという運動を進めた人として知られています。唐と宋の時代の8人の名文家「唐宋八大家(とうそうはちたいか)」の一人に数えられ、文学史では漢文の文学史(唐宋八大家・諸子百家)で必ずおさえたい人物です。先生と弟子のあり方を説いた「師説」も、高校の教科書によくのっています。

「雑説」の組み立て(4つの段落)1主張伯楽がいてこそ千里の馬がいる2名馬の不遇使用人の手で、馬小屋で死んでいく3原因ふつうの馬と同じえさ・扱い4結論「馬がいない」のではなく「知らない」
「雑説」は、主張→名馬の不遇→原因→結論の順に、短く鋭く組み立てられています

韓愈は、若いころ役人になるための試験になかなか合格できず、合格してからもすぐには役職につけなかったことが伝えられています。そのため、「雑説」の名馬には、才能があるのに認められない人、つまり韓愈自身や、同じように苦労している人たちの姿が重ねられている、と読まれることが多い文章です(いつ書かれたかははっきりせず、だれのことを言ったかは読む人によって考えが分かれます)。

木の杭につながれた白い馬が、首をふり上げていななこうとしている昔の中国の絵
唐の画家・韓幹(かんかん)の作と伝えられる「照夜白図(しょうやはくず)」。唐の玄宗皇帝の愛馬を描いたものとされます。つながれた名馬の姿は、「雑説」の馬小屋の名馬を思わせます(画家の韓幹は、文章の韓愈とは別の人です)。画像:「Night-Shining White」(伝・韓幹、唐・750年ごろ、メトロポリタン美術館 1977.78、Open Access・パブリックドメイン)

「伯楽」の名前は、日本語にも残っています。馬の売り買いをする人を「博労(ばくろう)」「馬喰(ばくろう)」と言いますが、これは「伯楽」がなまった言葉だとされています。東京の「馬喰町(ばくろちょう)」の地名も、これに関係があると言われています。今では、選手や生徒の才能を見いだして育てる監督・コーチ・先生を「名伯楽(めいはくらく)」とほめて言います。

「伯楽」の今の使い方伯楽馬を見分ける名人名伯楽才能を見いだして育てる監督・先生伯楽の一顧すぐれた人に認められて値打ちが上がる例:「あの監督は、選手を育てる名伯楽だ」
「伯楽」は今、人の才能を見いだして育てる人のほめ言葉として使われます

「千里の馬も伯楽に会わざれば」の使い方と例文・似た言葉

この言葉は、才能のある人が、それを見抜いてくれる人に出会えずにいるときや、反対によい指導者に出会って才能が開いたときに使います。また、「才能を見つけて生かす人こそ大切だ」と、指導する側の心がまえを言うときにも使われます。

  • ○無名だった作家が、ひとりの編集者に見いだされて大ヒットを出した。千里の馬も伯楽に会わざれば、だ。
  • ○社長は「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」を口ぐせに、若手の長所を見つけることに力を入れている。
  • ○あのコーチは、何人もの選手を日本一に育てた名伯楽だ。
  • ○得意な科目を先生が見つけてくれたおかげで、勉強が好きになった。先生は、わたしにとっての伯楽だ。
  • ×この馬は足が速いから、千里の馬も伯楽に会わざればだ。(実際の馬の速さを言う言葉ではない。才能と、それを見いだす人のたとえ)
  • ×彼は人を見る目がないので、伯楽だ。(伯楽は「見る目がある人」。反対の意味になる)
千里の馬も伯楽に会わざれば似た言葉(才能を見いだし生かす)伯楽の一顧適材適所隗より始めよ三顧の礼反対に近い考え方嚢中の錐才能は自然に目立つ
似た言葉は「才能を見いだし生かす」グループ。「嚢中の錐」は、才能は自然に目立つという反対に近い考え方です

似た言葉

  • 伯楽の一顧(はくらくのいっこ):すぐれた人に認められて、値打ちが上がること。『戦国策』燕策の話から。
  • 適材適所(てきざいてきしょ):その人の能力に合った仕事や役目につけること。才能を生かすという点で通じます。
  • 隗より始めよ(人材を集める話):すぐれた人を集めたいなら、まず身近な者を大切にせよ。死んだ名馬の骨の話が出てきます。
  • 三顧の礼(劉備と諸葛亮):すぐれた人を、礼をつくして迎えること。劉備は諸葛亮という「千里の馬」を見いだした伯楽とも言えます。

反対に近い考え方

英語では、伯楽にあたる人を "a good judge of talent"(才能を見る目のある人)や "a talent scout"(才能を見つける人)と言います。「千里の馬」は "a hidden talent"(かくれた才能)と言いかえられます。

受験勉強への生かし方

受験生のみなさんは、全員が「千里の馬」になれる可能性をもっています。大事なのは、よい伯楽に出会うこと、そして自分で自分の伯楽になることです。自分に合った先生や参考書、勉強のやり方に出会えると、それまで見えなかった力が一気にのびることがあります。科目や目的ごとの勉強のやり方は大学受験の勉強法まとめ(目的別の記事一覧)から探してみてください。

「雑説」の名馬は、えさが足りず、正しい使い方をされなかったから力を出せませんでした。受験勉強でも、睡眠や食事という「えさ」が足りなかったり、自分に合わないやり方で「むち」を当てたりしていては、もっている力が出せません。自分の力を知り、それに合った計画を立てることが、自分自身の伯楽になる第一歩です。計画の立て方は勉強計画の立て方(年→月→週→日)で、受験生をはげます言葉は受験の格言・名言100選(意味・出典つき)で紹介しています。

うかるくん

うかるくん

ぼくには、まだ伯楽がいない気がします…。

ミスターT先生

ミスターT先生

それなら、まずは自分で自分を見てあげることから始めよう。「どの科目のどの問題なら解けるか」「どんな時間なら集中できるか」を書き出してみるんだ。自分の「千里の脚」がどこにあるか分かってくると、まわりの先生も気づいてくれるようになるよ。

「千里の馬も伯楽に会わざれば」のよくあるまちがい

  • 「伯楽」を「白楽」「博楽」と書く:正しくは「伯」(にんべんに白)です。「伯」は「伯」の読み方・書き順・部首で確かめましょう。なお、馬の売り買いをする「博労」は、「伯楽」がなまってできた別の言葉です。
  • 「伯楽は常には有らず」を「伯楽はいつもいない」と訳す:「常には〜ず」は部分否定で、「いつもいるとは限らない」です。「常に有らず(いつもいない)」とは意味がちがいます。入試でいちばんねらわれる所です。
  • 「馬を食ふ」を「馬を食べる」と訳す:「食」は「やしなふ(飼う)」と読みます。「馬を食ふ者」は「馬を飼う人」です。
  • 「千里の馬」を、本当に千里走る馬のことだと思う:ずばぬけた才能をもつ人のたとえです。
  • 作者を「韓非子」とまちがえる:作者は唐の韓愈(かんゆ)です。「矛盾」の出典の『韓非子』(戦国時代の韓非の書)とは別の人です。
  • 「伯楽」を才能のある人のことだと思う:才能があるのは「千里の馬」のほう。伯楽は、才能を見抜く人です。

入試ではこう出る

「千里の馬も伯楽に会わざれば」と「雑説」は、高校受験・大学受験で出てきます。

  • 高校受験:故事成語の意味を選ぶ問題、「伯楽」がどんな人のたとえかを答える問題が出ます。漢文として出るときは、「千里馬常有、而伯楽不常有」の書き下し文や、返り点をつける問題が中心です。対策は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)へ。
  • 大学受験:高校の教科書の定番の文章なので、「不常有」の部分否定の訳、「食」の読み(やしなふ)、「安求其能千里也」の反語の訳、「天下無馬」となげく人を韓愈がどう見ているかの説明などがよく問われます。共通テストの漢文は共通テストの漢文(配点・時間配分)にまとめています。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

「不常有」は「常には有らず」で部分否定、「常不有」なら「常に有らず」で全部否定。「不」と「常」の順番で意味が変わるんですね!

練習問題

やさしい

  1. 「千里の馬も伯楽に会わざれば」の「伯楽」は、何のたとえですか。
    ア 足の速い馬 イ 才能を見抜いて生かす人 ウ 才能のない人 エ 馬に乗るのがうまい人
    答えと解説を見るイ。伯楽は馬のよしあしを見分ける名人で、人の才能を見抜いて生かす人のたとえです。才能のある人は「千里の馬」のほうです。
  2. 「雑説」を書いたのはだれですか。
    答えと解説を見る唐の韓愈(かんゆ)です。唐宋八大家の一人です。

ふつう

  1. 「千里馬常有、而伯楽不常有」を書き下し文に直しましょう。
    答えと解説を見る千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。「而」は置き字なので読みません。
  2. 「食馬者」の「食」の読み方と意味を答えましょう。
    答えと解説を見る読みは「やしなふ」、意味は「(えさを与えて)飼う」です。「馬を食ふ者」は「馬を飼う人」のことです。

むずかしい

  1. 「伯楽不常有」を現代語訳し、「伯楽常不有」との意味のちがいを説明しましょう。
    答えと解説を見る「伯楽不常有」は「伯楽はいつもいるとは限らない」(部分否定)。「伯楽常不有」なら「伯楽はいつもいない」(全部否定)になります。「不」が「常」の上にあると部分否定です。
  2. 筆者は、むちを持って「天下無馬」となげく人を、どのような人だと考えていますか。原文の言葉をもとに説明しましょう。
    答えと解説を見る「其真不知馬也(其れ真に馬を知らざるなり)」とあるように、名馬がいないのではなく、名馬を見分ける力がない人だと考えています。名馬をふつうの馬と同じに扱い、才能を生かせないのに、馬がいないと人のせいにしている、と批判しているのです。

「千里の馬も伯楽に会わざれば」とあわせて覚えたい関連ページ

ほかの故事成語(絵で読む・意味と由来)

← 前の語:禍福は糾える縄の如しの意味と由来 | 次の語:桃李言わざれども下自ずから蹊を成すの意味と由来 →

読みもの(合格大作戦の記事)

受験掲示板「100点BBS」で質問・相談しよう

よくある質問

千里の馬も伯楽に会わざればとはどういう意味ですか?

千里の馬も伯楽に会わざればとは、すぐれた才能をもつ人も、その才能を見抜いて生かしてくれる人に出会わなければ、世に出ないまま終わってしまうという意味です。「千里の馬」は才能のある人、「伯楽」は才能を見抜く人のたとえです。

伯楽とはどんな人のことですか?

伯楽は、中国の古い時代に馬のよしあしを見分ける名人だったと伝えられる人です。春秋時代の孫陽のことだとする説などがあります。今では、人の才能を見いだして育てる人を「名伯楽」とほめて言います。

千里の馬も伯楽に会わざればの出典は何ですか?

唐の韓愈が書いた「雑説」(4編のうちの4つ目で「馬説」とも呼ばれる)です。「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」という文がもとになっています。

「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」の意味は?

「名馬はいつの時代にもいるけれども、名馬を見分ける伯楽はいつもいるとは限らない」という意味です。「常には有らず」は部分否定なので、「いつもいない」と訳さないように注意します。

「雑説」の書き下し文と現代語訳は?

冒頭は「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り」で、「世の中に伯楽がいて、そうしてはじめて千里の馬がいることになる」という意味です。結びは「其れ真に馬無きか。其れ真に馬を知らざるなり」で、「本当は名馬を見分けられないのだ」と述べています。

千里の馬も伯楽に会わざればの例文を教えてください。

「無名だった選手が名監督に出会って一流になった。千里の馬も伯楽に会わざれば、だ」のように使います。指導する人の大切さを言うときにも使われます。

ビジネスで使える言葉ですか?

はい、使えます。部下の才能を見いだすことの大切さを言うときや、人を育てるのが上手な上司を「名伯楽」とほめるときに使われます。

似た言葉・反対の言葉は何ですか?

似た言葉は「伯楽の一顧」「適材適所」「隗より始めよ」などです。反対に近い考え方には、すぐれた人は自然に目立つという「嚢中の錐」があります。

千里の馬も伯楽に会わざればは英語で何と言いますか?

決まった英語のことわざはありませんが、伯楽は「a good judge of talent」や「a talent scout」、千里の馬は「a hidden talent」と言いかえられます。

「雑説」は入試でどう出ますか?

大学受験では、「不常有」の部分否定の訳、「食」を「やしなふ」と読むこと、「安求其能千里也」の反語の訳、筆者の主張の説明がよく問われます。高校受験では、故事成語の意味や書き下し文の問題が出ます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 原文:韓愈「雑説」四(維基文庫「雜說四」、雜說四首・古文觀止の本文で確認)
  • 伯楽の話:『戦国策』楚策四・燕策二(維基文庫の本文で確認)
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • 絵:メトロポリタン美術館 Open Access(パブリックドメイン)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦