惻隠の情(そくいんのじょう)の意味と由来|孟子の原文・書き下し文・現代語訳、四端と性善説・使い方と例文をイラストで【故事成語】

惻隠の情(そくいんのじょう)の意味と由来|孟子の原文・書き下し文・現代語訳、四端と性善説・使い方と例文をイラストで【故事成語】

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惻隠の情そくいんのじょう

ひとことで言うと

人の不幸や苦しみを見て、心をいため、かわいそうに思う気持ち。孟子は、これがだれにでもある「仁(思いやり)の芽」だとして、性善説を説いた。

読み方そくいんのじょう
意味人の不幸をあわれみ、気の毒に思う心。いたわしく思う気持ち。
出典『孟子』公孫丑上「惻隠之心、仁之端也」
お話幼い子が今にも井戸に入りそうなのを見れば、だれでも見返りを求めずにはっとしてあわれむ心がわく。それが仁の芽(端)だと孟子が説いた
もとの形惻隠の心(四端の一つ)
似た言葉同情・武士の情け・人に忍びざるの心
反対の言葉冷酷・無情・弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)
漢文の句法再読文字(将・猶)・仮定(苟も)・否定(非ず)

このページのポイント

  • 「惻隠の情」は、人の不幸をあわれみ、いたむ心。「惻」も「隠」も「心がいたむ」の意味
  • もとは『孟子』公孫丑上。井戸に近づく幼い子を見てはっとする心が「仁の端」だと説いた
  • 四端(惻隠・羞悪・辞譲・是非)と仁義礼智、性善説と荀子の性悪説、句法と入試の出方まで図で分かります

「惻隠の情」の意味と読み方

「惻隠の情」はそくいんのじょうと読みます。意味は「人の不幸や苦しみを見て、心をいため、かわいそうに思う気持ち」です。「あわれみの心」「思いやりの心」と言いかえることもできます。中国の思想家・孟子(もうし)の「惻隠の心は、仁の端なり」という言葉から生まれました。

「惻(そく)」も「隠(いん)」も、ここではどちらも「心がいたむ・あわれむ」という意味です。「隠」はふつう「かくれる」の意味で使う字ですが、「惻隠」の「隠」は「いたむ」の意味なので注意しましょう。もとの孟子の言葉は「惻隠の心」で、日本では「惻隠の情」の形でよく使われます。

「惻」と「隠」の意味惻そく心がいたむ・悲しむりっしんべん=心隠いんここでは「いたむ」「かくれる」ではない惻隠=人の不幸を見て、心をいため、あわれに思うこと
「惻」も「隠」も「心がいたむ」。二つで「人の不幸をあわれに思う」
サクラちゃん

サクラちゃん

「思いやり」とか「同情」と、何がちがうんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

意味はとても近い。ちがいは、孟子が言った「考えるより先に、思わず心が動く」というところだ。子どもが井戸に近づくのを見たら、損か得かを考える前に「あっ、あぶない」と思うよね。そのとっさの、見返りを求めない心が惻隠の心。孟子は、これがだれにでもあるから、人の性は善いんだ、と考えたんだよ。

今の日本語では、「惻隠の情がわく」「惻隠の情を覚える」「惻隠の情をもって接する」のように使います。

  • ○雨の中で震えている子犬を見て、惻隠の情がわいた。
  • ○負けた相手の悔しさを思い、惻隠の情を覚えた。
  • ○困っている人に惻隠の情をもって接するのが、リーダーの条件だ。

「惻」は常用漢字ではありませんが、「隠」は「隠」の読み方・書き順・部首、「情」は「情」の読み方・書き順・部首、「仁」は「仁」の読み方・書き順・部首で、読み方と書き順を確かめておきましょう。「情」は「じょう」と読み、「感情」「友情」の「情」です。

絵で読む「惻隠の情」のお話

お話の舞台は、今から2300年ほど前の戦国時代の中国です。各国が戦いをくり返す時代に、孟子は「人の心はもともと善い」と説きました。その理由として孟子が挙げたのが、次のたとえ話です(実際にあった出来事ではなく、だれにでも思いうかべられるたとえです)。4つの場面で見てみましょう。

絵で読む「惻隠の情」(『孟子』公孫丑上の4こま)

1孟子の考え人はだれでも、人の不幸を見すごせない心を持っている本当ですか?孟子弟子人皆人に忍びざるの心有り
1孟子は言いました。「人にはだれでも、人の不幸を見すごせない心(人に忍びざるの心)がある。」弟子たちには、すぐには信じられない言葉でした。
2ふと見ると…あっ(まだ遠い)旅人小さな子井戸孺子の将に井に入らんとするを見る
2「たとえば、ある人が、よちよち歩きの小さな子が今にも井戸の方へ入っていきそうなのを、ふと見かけたとしよう。」
3思わず「あぶない!」あぶない!はっ旅人小さな子皆怵惕惻隠の心有り
3「その人はだれでも、はっとして、かわいそうに思う心(怵惕惻隠の心)がわき上がる。思わず「あぶない!」と体が動くはずだ。」
4見返りのためではない親と仲良くなりたいから村の人にほめられたいから泣き声がいやだから思わず動く心こそ、思いやり(仁)の芽だ孟子仁の芽惻隠の心は、仁の端なり
4「それは、親と仲良くなるためでも、ほめられるためでも、泣き声がいやだからでもない。この惻隠の心こそ、仁(思いやり)の芽なのだ。」

このたとえのすごいところは、だれでも自分の心で確かめられることです。「人の性は善い」と言われても信じにくいけれど、「小さな子が井戸に近づくのを見たら、はっとするか?」と聞かれれば、ほとんどの人が「する」と答えるでしょう。孟子は、そのとっさの心を証拠にしたのです。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

大事なのは、孟子が「助けた」とまでは言っていないことだ。「はっとする心がわく」ところまでしか言っていない。行動に移せるかどうかは、その小さな芽を育てられるかにかかっている。だから孟子は、このあと「拡げて充たせ」と続けるんだ。

いすに腰かけて本を開いている、ひげのある昔の中国の学者を描いた色つきの絵
性善説を説いた孟子を描いた絵。1922年にロンドンで出版された、中国の神話や伝説を紹介する本の挿絵で、中国の画家が描いたものです。画像:「Mencius」E. T. C. Werner『Myths and Legends of China』(1922年)の挿絵より(Wikimedia Commons・パブリックドメイン)
思わずはっとするのは「見返り」のためではない×子どもの親と、仲良くなりたいから非所以内交於孺子之父母×村や友だちに、ほめられたいから非所以要誉於郷党朋友×子どもの泣き声を、聞きたくないから非悪其声而然○考えるより先に、心が動くから=惻隠の心(生まれつきの善の芽)
子どもを見てはっとするのは、親と仲良くなるためでも、ほめられるためでもない

「惻隠の情」の原文・書き下し文・現代語訳

もとになった文章は、『孟子』の公孫丑上(こうそんちゅう・じょう)にあります。1文ずつ、返り点と送り仮名をつけた訓読文で見ていきましょう(書き下し文は代表的な読み方の一例です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方とルールでくわしく説明しています。

白文(『孟子』公孫丑上、一部。句読点を補ったもの)人皆有不忍人之心。…今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心。非所以内交於孺子之父母也、非所以要誉於郷党朋友也、非悪其声而然也。由是観之、無惻隠之心、非人也。…惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、礼之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四体也。

1文目:人の不幸を見すごせない心

書き下し文人ひと皆みな人ひとに忍しのびざるの心こころ有あり。

(『孟子』公孫丑上)

現代語訳人にはだれでも、人(の不幸)を見すごしにできない心がある。

ここがポイント「人に忍びず」は「人の不幸を、平気で見ていられない」という意味。「不」は否定の句法(不・弗・非・無・莫)です。レ点が2つ続き、「人→忍→不」と下から上へ返って読みます。

2文目:だれにでも、はっとする心がわく

書き下し文皆みな怵じゆつ惕てき惻そく隠いんの心こころ有あり。

(『孟子』公孫丑上)

現代語訳(子どもが井戸に入りそうなのを見れば)だれでも、はっとおどろき、かわいそうに思う心がわく。

ここがポイント「惻隠」の言葉が出てくる文です。この前に「今、人乍(たちま)ち孺子(じゅし)の将(まさ)に井に入らんとするを見れば(今、ある人がふと、幼い子が今にも井戸に入りそうなのを見たとすると)」があります。「怵惕(じゅつてき)」は、はっとおどろきおそれること。「孺子」は幼い子ども、「将に〜んとす」は「今にも〜しようとする」という再読文字の形です。

3文目:親と仲良くなるためではない

書き下し文交まじはりを孺じゆ子しの父ふ母ぼに内いるる所以ゆゑんに非あらざるなり。

(『孟子』公孫丑上)

現代語訳(そう思うのは)その子の父母と付き合いを結ぼうとするためではない。

ここがポイント「所以(ゆゑん)」は「〜するための手段・〜するわけ」。「〜所以に非ず」で「〜するためではない」です。このあと「誉れを郷党朋友に要(もと)むる所以に非ざるなり(村や友だちにほめられたいからでもない)」「其の声を悪(にく)みて然るに非ざるなり(泣き声がいやだからでもない)」と、同じ形が3回くり返されます。

4文目:惻隠の心は、仁の芽

書き下し文惻そく隠いんの心こころは、仁じんの端たんなり。

(『孟子』公孫丑上)

現代語訳あわれみいたむ心は、仁(思いやり)のいとぐち(芽ばえ)である。

ここがポイント「端(たん)」は、いとぐち・芽ばえ。このあと「羞悪の心は義の端なり、辞譲の心は礼の端なり、是非の心は智の端なり」と続き、4つの心の芽「四端(したん)」がそろいます。「A之B也(AはBなり)」は、「〜は…である」と言い切る、いちばん基本の形です。

5文目:四端は、手足と同じように生まれつき

書き下し文人ひとの是この四し端たん有あるや、猶なほほ其その四体したい有あるがごときなり。

(『孟子』公孫丑上)

現代語訳人にこの4つの芽があるのは、ちょうど人に両手両足があるのと同じようなものだ。

ここがポイント「猶(なほ)〜がごとし」は「ちょうど〜のようだ」という再読文字(未・将・当・応・宜・須・猶・盍)の形。「四体」は両手両足。四端は、手足と同じように生まれつきそなわっている、と言っています。

6文目:芽を広げれば天下を守れる

書き下し文苟いやしくも能よく之これを充みたさば、以もつて四し海かいを保やすんずるに足たる。苟いやしくも之これを充みたさざれば、以もつて父ふ母ぼに事つかふるに足たらず。

(『孟子』公孫丑上)

現代語訳もしこの芽を広げて充たすことができれば、天下を安らかに守ることができる。もし充たさなければ、自分の父母に仕えることさえできない。

ここがポイント「苟(いやしく)も〜ば」は「もしも〜ならば」という仮定の句法(如・若・苟・縦・雖)。「四海」は四方の海に囲まれた天下のこと。前と後ろで「充たす/充たさず」「足る/足らず」を入れかえた対句になっています。
惻隠の情の原文で覚える句法5つ乍〜乍ち〜ふと・急に〜(すると)副詞将〜将に〜んとす今にも〜しようとする再読文字所以〜所以〜わけ・〜ための手段「所以」猶〜猶ほ〜がごとしちょうど〜のようだ再読・比況苟〜苟も〜ばもしも〜ならば仮定
惻隠の情の原文には、再読文字・「所以」・仮定など、入試によく出る形が入っています

原典(『孟子』公孫丑上)の本文では

維基文庫(中国語のウィキソース)の『孟子』公孫丑上の本文では、この部分は次のようになっています(句読点は維基文庫の本文のとおり)。

『孟子』公孫丑上の本文(一部)所以謂人皆有不忍人之心者,今人乍見孺子將入於井,皆有怵惕惻隱之心;非所以內交於孺子之父母也,非所以要譽於鄉黨朋友也,非惡其聲而然也。由是觀之,無惻隱之心,非人也。無羞惡之心,非人也。無辭讓之心,非人也。無是非之心,非人也。惻隱之心,仁之端也;羞惡之心,義之端也;辭讓之心,禮之端也;是非之心,智之端也。
  • 「隱」「將」「譽」「禮」:昔の字体(旧字体)です。今の字では「隠」「将」「誉」「礼」です。
  • 「由是觀之,無惻隱之心,非人也」:「是(これ)に由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり」。このことから考えると、あわれみの心がない者は人ではない、というきびしい言い方です。
  • 話の始まり:この章は「先王は人に忍びざるの心有りて、斯(すなは)ち人に忍びざるの政(まつりごと)有り」と始まり、この心で政治をすれば「天下を治むること之を掌(たなごころ)の上に運(めぐ)らすべし(手のひらの上で転がすように簡単だ)」と続きます。惻隠の心は、王道の政治の出発点でもあるのです。
うかるくん

うかるくん

「惻隠の心無きは、人に非ざるなり」って、ちょっと言いすぎじゃないですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

孟子は「だれにでも四端はある」と言っているから、本当に心がない人がいる、という意味ではないんだ。人なら必ずある心だから、それを失ったら人とは言えない、と強く言って、心の芽を大切にさせようとしたんだね。四端は手足と同じ――手足があるのに「歩けない」と言うのは、自分をだめにしているのと同じだ、とも孟子は言っているよ。

四端(したん)=4つの心の芽惻隠の心人の不幸をいたみ、あわれむ心→ 仁(思いやり)の芽羞悪の心自分や人の悪をはじ、にくむ心→ 義(正しさ)の芽辞譲の心へりくだって、人にゆずる心→ 礼(礼儀)の芽是非の心正しいかどうかを見分ける心→ 智(かしこさ)の芽「端(たん)」は、いとぐち・芽ばえのこと
四端(惻隠・羞悪・辞譲・是非)は、仁・義・礼・智の4つの芽

出典『孟子』と話の背景

『孟子』は、戦国時代の思想家・孟子の言葉や問答を集めた本で、儒教の「四書」の一つです。孟子は、孔子の教えを受けつぎ、人の本性は善いという性善説を説きました。この「惻隠の心」の章は、性善説を説明するときに必ず引かれる、いちばん有名な部分です。諸子百家の中での孟子の位置は諸子百家(儒家・道家・法家など)にまとめています。

性善説と性悪説

孟子より少しあとの時代の荀子(じゅんし)は、反対に「人の性は悪なり」とする性悪説を説きました。荀子は、人は生まれつき欲が強く、放っておくと争うので、学問と礼によって正しく直していく必要がある、と考えました。荀子の「青は藍より出でて藍より青し(荀子・出藍の誉れ)」も、学問で人が変わることを言った言葉です。

ただし、性悪説は「人は悪いままだ」という考えではありません。孟子は「善の芽を育てよ」、荀子は「悪い性質を学んで直せ」と言ったのであり、どちらも学ぶことでよい人になれると考えていた点は同じです。

孟子の性善説・荀子の性悪説性善説孟子人の性は善いだれにでも善の芽それを育てればよい人になれる性悪説荀子(じゅんし)人の性は放っておくと悪い方へ向かう学問と礼で正しく直していくどちらも「学んで、よい人になる」ことは大切にした
孟子は「善の芽を育てる」、荀子は「学問と礼で直す」

惻隠の心から「王道の政治」へ

この章で孟子が本当に言いたかったのは、心の話だけではありません。章の初めで孟子は、昔のすぐれた王(先王)は「人に忍びざるの心」を持っていたから、「人に忍びざるの政(まつりごと)」、つまり民の苦しみを見すごさない政治を行った、と言っています。そして、この心で政治をすれば、天下を治めるのは「手のひらの上で物を転がすように」たやすい、と続けます。

つまり、惻隠の心は、一人ひとりの思いやりであると同時に、武力ではなく思いやりで国を治める「王道」の出発点なのです。武力で人を従わせる「覇道」とのちがいは、「王道」と「覇道」の意味と違い(孟子の言葉)で読めます。民の暮らしを守れと王に説いた「恒産なければ恒心なしの意味(孟子の政治論)」も、この惻隠の心から出てきた考えだと言えます。

なお、惻隠の情は人だけでなく、動物に向けられることもあります。子猿を連れ去られた母猿の話「断腸の思いの意味と由来(世説新語)」では、母猿のあわれな最期を知った桓温(かんおん)が怒り、子猿を捕らえた部下をやめさせています。生き物の苦しみに心が動くのも、孟子の言う「忍びざるの心」に通じます。孟子自身も、梁恵王上で、いけにえにされる牛がふるえているのを見て「しのびない」と言った斉の宣王に、「その心こそ王になれる心です」と語っています。

告子篇にも「惻隠の心」

『孟子』の告子上にも、弟子の公都子(こうとし)との問答で「惻隠の心は、人皆之有り」「惻隠の心は仁なり」とあります。そこでは「仁義礼智は、外より我を鑠(と)かすに非ざるなり。我固(もと)より之を有するなり(仁義礼智は外から飾りつけたものではなく、自分にもともとそなわっている)」と言っています。浩然の気の章で孟子が「義は内から生まれる」と言ったのと同じ考えです(浩然の気の意味と由来(義を集めて生ずる))。

小さな芽を「拡げて充たす」火の始めて然ゆるもえ始めの小さな火泉の始めて達するわき出たばかりの泉○ 拡げて充たせば天下(四海)を守るのに足りる× 充たさなければ父母に仕えることさえできない苟も能く之を充たさば、以て四海を保んずるに足る
四端は最初は小さな芽。広げて充たせば天下を守れるほど大きくなる

日本での「惻隠の情」

「惻隠」は日本でも古くから使われ、とくに武士の心がまえとして大切にされました。新渡戸稲造(にとべいなぞう)の『武士道』でも、武士の「仁」の心として孟子の考えが取り上げられています。弱い者や負けた者をいたわる「武士の情け」は、惻隠の情に近い言葉です。今でも、評論や随筆で、日本人の大切な心として「惻隠の情」が取り上げられることがあります。

『孟子』7篇から生まれた言葉梁恵王五十歩百歩木に縁りて魚を求む恒産なければ恒心なし公孫丑助長浩然の気惻隠の情滕文公恒産なければ恒心なし(もう1か所)離婁自暴自棄万章―告子魚を捨てて熊掌を取る尽心君子の三楽各篇は上・下に分かれる(全14巻)
『孟子』7篇と、そこから生まれた主な言葉。惻隠の情は公孫丑篇

「惻隠の情」の使い方と例文・似た言葉

「惻隠の情」は、人や動物の不幸・苦しみを見て、思わずかわいそうに思い、いたわる気持ちを表すときに使います。少しかたい言葉なので、文章やスピーチでよく使われます。「惻隠の情がわく」「惻隠の情を覚える」「惻隠の情をもよおす」「惻隠の情に欠ける」などの形があります。

  • ○被災地の様子を伝えるニュースを見て、だれもが惻隠の情を覚えた。
  • ○勝者が敗者に手を差しのべる姿に、惻隠の情を感じた。
  • ○弱い立場の人への惻隠の情を忘れてはいけない。
  • ○規則だからと切り捨てるのは、惻隠の情に欠ける対応だ。
  • ×おいしいケーキを見て、惻隠の情がわいた。(うれしい・ほしい気持ちには使わない)
  • ×彼のかくし事を知り、惻隠の情を覚えた。(「隠」は「かくす」の意味ではない)
「惻隠の情」と似た言葉惻隠の情人の不幸をいたみ、あわれむ心孟子から。思わず動く心同情人の苦しみをわがことと感じるふだんの言葉で広く使う武士の情け強い者が弱い者にかける情け負けた者をいたわる日本の言い方憐憫あわれみ(上から見る感じ)かたい書き言葉
惻隠の情・同情・武士の情け・憐憫の使い分け

似た言葉

  • 同情(どうじょう):人の苦しみや悲しみを、自分のことのように感じること。
  • 武士の情け:強い者が、弱い者や負けた者にかける情け。
  • 惻隠の心・不忍人之心(人に忍びざるの心):孟子のもとの言い方。
  • 己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(論語の思いやり):自分がされていやなことは人にしない。孔子の「恕(じょ)」の考え。

反対の言葉

英語では、"compassion"(あわれみ・思いやり)、"a feeling of pity"、"sympathy" などが近い言葉です。

受験勉強への生かし方

孟子は、四端は最初は小さな芽で、「火の始めて然え、泉の始めて達するがごとし」、つまり、もえ始めた火やわき始めた泉のように小さい、と言いました。でも、それを広げて充たせば、天下を守れるほど大きくなる。これは勉強にもそのまま当てはまります。「ちょっと分かった」「少しおもしろい」という小さな芽を、毎日少しずつ広げていくことが、大きな力につながるのです。

小さな積み重ねが大きな差になる話は、「積小為大」の意味と読み方(二宮尊徳の言葉)や1.01の法則と0.99の法則(1.01の365乗=37.8)でくわしく読めます。また、受験は自分一人の戦いに見えますが、困っている友だちに声をかけたり、教え合ったりする心の余裕も、惻隠の心の芽です。勉強仲間とのつきあい方は受験の格言「予備校や塾で友達を作るな」の意味も参考にしてください。

「惻隠の情」のよくあるまちがい

  • 「そくおんのじょう」「しょくいんのじょう」と読む:正しくは「そくいんのじょう」です。「惻」は「そく」、「隠」は「いん」と読みます。
  • 「隠」を「かくす・かくれる」の意味だと思う:「惻隠」の「隠」は「いたむ・あわれむ」の意味です。「かくれた情」「ひそかな同情」の意味ではありません。
  • 「側隠」「測隠」と書く:「惻」はりっしんべん(忄)の字です。心がいたむので「心」の部首、と覚えましょう。
  • 「惻隠の情」だけで四端だと思う:四端は、惻隠・羞悪(しゅうお)・辞譲(じじょう)・是非(ぜひ)の4つです。惻隠の心はそのうちの「仁」の芽です。
  • 上から見下ろす「あわれみ」の意味で使う:惻隠の情は、相手の苦しみを自分の心の痛みとして感じる、まっすぐな思いやりです。相手を見下す気持ちとは別のものです。
サクラちゃん

サクラちゃん

「惻隠」「羞悪」「辞譲」「是非」と「仁」「義」「礼」「智」の組み合わせ、覚えられるかな……。

ミスターT先生

ミスターT先生

いい覚え方がある。かわいそう→仁(思いやり)、はずかしい→義(正しさ)、ゆずる→礼(礼儀)、見分ける→智(かしこさ)。気持ちと、その気持ちが育ったときの姿を結びつけるんだ。順番は「仁・義・礼・智」。「じん・ぎ・れい・ち」と声に出して覚えよう。

入試ではこう出る

「惻隠の情」は、中学受験・高校受験・大学受験のどれにも出てくる言葉です。

  • 中学受験:説明文や随筆の中で「惻隠の情」が出て、その意味(人の不幸をあわれむ心)を選ばせる問題が考えられます。むずかしい語句には注がつくこともありますが、意味を知っていると文章がぐんと読みやすくなります。
  • 高校受験:語句の意味や、「同情」などの言いかえを選ぶ問題で見られます。漢文の資料として「人皆有不忍人之心」などが出ると、返り点や書き下し文が問われます。高校受験の漢文の出方は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)にまとめています。
  • 大学受験:『孟子』公孫丑上の本文で、「乍ち」「将に〜んとす」「所以」「猶ほ〜がごとし」の読み方、四端と仁義礼智の対応、孟子が子どものたとえで何を言いたかったか(性善説)がよく問われます。倫理・政治経済でも、性善説と性悪説の対比は定番です。共通テストの漢文は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

惻隠の情は人の不幸をあわれむ心。孟子の「惻隠の心は仁の端なり」から! 四端は惻隠・羞悪・辞譲・是非で、仁・義・礼・智の芽。性善説は孟子、性悪説は荀子です!

練習問題

やさしい

  1. 「惻隠の情」の読み方を、ひらがなで答えましょう。
    答えと解説を見るそくいんのじょう。
  2. 「惻隠の情」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア かくしごとをする気持ち イ 人の不幸をあわれみ、いたむ気持ち ウ 人をうらやむ気持ち エ 物を大切にする気持ち
    答えと解説を見るイ。「隠」は「かくす」の意味ではなく、「いたむ」の意味です。

ふつう

  1. 孟子の「四端」のうち、次の心はそれぞれ何の「端(芽)」ですか。
    ①惻隠の心 ②羞悪の心 ③辞譲の心 ④是非の心
    答えと解説を見る①仁 ②義 ③礼 ④智。
  2. 「惻隠之心、仁之端也」を書き下し文に直しましょう。
    答えと解説を見る惻隠の心は、仁の端なり。

むずかしい

  1. 孟子が「幼い子が今にも井戸に入りそうなのを見れば、だれでもはっとする」というたとえで説明しようとした考えを漢字3字で答え、その中身を説明しましょう。
    答えと解説を見る性善説。人にはだれにでも、見返りを求めずに人の不幸をあわれむ心(惻隠の心)が生まれつきそなわっていて、それが仁の芽になる、つまり人の本性は善い、という考えです。
  2. 「非所以内交於孺子之父母也」を書き下し文に直し、「所以」の意味を答えましょう。
    答えと解説を見る交はりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。「所以(ゆゑん)」は「〜するための手段・〜するわけ」。ここでは「〜するためではない」という意味になります。

「惻隠の情」とあわせて覚えたい関連ページ

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よくある質問

惻隠の情とはどういう意味ですか?

惻隠の情とは、人の不幸や苦しみを見て、心をいため、かわいそうに思う気持ちという意味です。あわれみの心、思いやりの心とも言いかえられます。

惻隠の情の読み方は何ですか?

「そくいんのじょう」と読みます。「惻」は「そく」、「隠」は「いん」と読みます。

惻隠の情の由来・出典は何ですか?

『孟子』公孫丑上の「惻隠の心は、仁の端なり」が由来です。孟子は、幼い子が今にも井戸に入りそうなのを見れば、だれでも見返りを求めずにはっとしてあわれむ心がわく、と説きました。

惻隠の情の原文と書き下し文は?

原文は「惻隠之心、仁之端也」で、書き下し文は「惻隠の心は、仁の端なり」です。その前には「今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心(皆怵惕惻隠の心有り)」とあります。

四端とは何ですか?

四端とは、孟子が説いた4つの心の芽です。惻隠の心は仁、羞悪の心は義、辞譲の心は礼、是非の心は智の芽(端)で、だれにでも生まれつきそなわっているとしました。

惻隠の情と性善説はどんな関係ですか?

惻隠の情は、孟子が性善説の証拠として挙げた心です。だれにでも人の不幸をあわれむ心があるから、人の本性は善いと考えました。反対に、荀子は人の性は悪いとする性悪説を説きました。

惻隠の情の「隠」は「かくす」という意味ですか?

いいえ、ちがいます。惻隠の「隠」は「いたむ・あわれむ」という意味で、「惻」も同じく「心がいたむ」という意味です。

惻隠の情の似た言葉・反対の言葉は?

似た言葉には「同情」「武士の情け」「人に忍びざるの心」があります。反対の言葉には「冷酷」「無情」「弱肉強食」があります。

惻隠の情は英語で何と言いますか?

"compassion"(あわれみ・思いやり)が最も近い言葉です。"a feeling of pity" や "sympathy" とも言えます。

惻隠の情は入試でどう出ますか?

中学受験・高校受験では、文章の中の語句の意味を問う問題で出ることがあります。大学受験では『孟子』の原文で再読文字や「所以」の読み方、四端と仁義礼智の対応、性善説の説明が問われます。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 原文:『孟子』公孫丑上・告子上(維基文庫の本文で確認)
  • 荀子の性悪説:『荀子』性悪篇による一般的な説明
  • 新渡戸稲造『武士道』での「仁」の扱い:一般的な説明による
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
  • お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦