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和光同塵わこうどうじん
ひとことで言うと
すぐれた才能や知恵をひけらかさず、光をやわらげて、ふつうの世の中に交わって生きること。『老子』の「其の光を和らげ、其の塵に同じくす」から。仏教では、仏が姿を変えて人々の中に現れることも言います。
| 読み方 | わこうどうじん |
|---|---|
| 意味 | 才能や知恵をかくし、目立たないようにして、世の中の人々と交わること。 |
| 出典 | 『老子』四章・五十六章「挫其鋭,解其紛,和其光,同其塵」 |
| お話 | 老子が、道(タオ)のようすと、道を身につけた人(玄同)の生き方として、光をやわらげ、ちりの世にまじることを説いた |
| 似た言葉 | 能ある鷹は爪を隠す・大智は愚の如し |
| 反対の言葉 | 才能をひけらかす・自己顕示・虎の威を借る狐(中身がないのに目立つ) |
| 漢文の句法 | 否定(不言・不知)・可能(不可得而〜)・置き字(而) |
このページのポイント
- 「和光同塵」は、才能をひけらかさず、光をやわらげて世の中に交わること。光は消すのでなく「やわらげる」
- 出典は『老子』四章・五十六章「和其光,同其塵」。原文・書き下し文・現代語訳と、4つの動きの図で分かります
- 仏教の本地垂迹、能ある鷹は爪を隠す・付和雷同とのちがい、同じ老子の言葉との比べ方、入試の出方まで
「和光同塵」の意味と読み方
「和光同塵」はわこうどうじんと読みます。意味は「すぐれた才能や知恵をひけらかさず、光をやわらげて、ふつうの世の中に交わって生きること」です。自分の力をかくし、目立たないようにして、まわりの人たちと同じ所で暮らす、という生き方を表します。
4つの字を分けると、「和」は「やわらげる」、「光」は「才能・知恵などのかがやき」、「同」は「同じくする(まじる)」、「塵」は「ちり・ほこり」で、ここではほこりっぽい俗世間(ふつうの世の中)のことです。つまり「光を和らげて、塵に同じくする」――まぶしい光をおさえて、ちりの舞う世の中にまじる、という意味になります。
このことばは、中国の古い思想書『老子』の四章と五十六章に出てくる「和其光,同其塵(其の光を和らげ、其の塵に同じくす)」という句から生まれました。もとは道(タオ)という、すべてのもとになるもののようすや、それを身につけた人の生き方を言った言葉です。
うかるくん
才能をかくすって、もったいなくないですか? せっかくできるのに。
ミスターT先生
いいところに気づいたね。老子は「光を消せ」とは言っていないんだ。「和らげよ」と言っている。光はちゃんとあるけれど、まぶしすぎて人を遠ざけないように、やさしい明るさにする。そうすると、かえって人が集まってきて、その力が世の中の役に立つ。ここがこの言葉のおもしろいところだよ。
ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。
- ○あの先生は大学者なのに、子どもたちと同じ目線で話す。まさに和光同塵の人だ。
- ○社長になっても社員食堂でみんなと並ぶ彼の和光同塵ぶりに、部下は心を開いた。
- ○本当に強い人ほど、自慢をせず和光同塵を心がけているものだ。
「和」は「和」の読み方・書き順・部首、「光」は「光」の読み方・書き順・部首、「同」は「同」の読み方・書き順・部首で確かめられます。「塵」は常用漢字ではありませんが、「塵も積もれば山となる」の「ちり」と同じ字です。
絵で読む「和光同塵」のお話
「和光同塵」は、だれかが何かをした出来事の話ではなく、老子が考えを短い言葉で述べたものです。そこで、この言葉の中身を、ひとりの若者のたとえ話にして4つの場面で描きました(老子が実際にこの若者と話したわけではありません)。
絵で読む「和光同塵」(『老子』の言葉をもとにしたたとえの4こま)
1こま目の若者は、力はあるのに、それを見せびらかしているので人がはなれていきます。2こま目で老子が教えるのが「光をやわらげ、塵に同じくする」こと。3こま目で若者は、同じ畑でみんなと働くようになりました。そして4こま目、人々は若者の本当の力を、自慢されなくても自然に感じとり、たよりにするようになります。

ミスターT先生
大事なのは3こま目。光はうっすらと残っているだろう? 和光同塵は「自分をなくす」ことではない。中身はそのままで、見せ方をおだやかにすることなんだ。
和光同塵の句が出てくる五十六章は、「知る者は言わず、言う者は知らず」という言葉で始まります。本当によく分かっている人は、ぺらぺらと言いふらさない。逆に、何でも言いふらす人は、じつはよく分かっていない。その少しあとに「光を和らげ、塵に同じくす」の句が続くのです。
「和光同塵」の原文・書き下し文・現代語訳
「和其光,同其塵」の句は、『老子』の四章と五十六章の2か所に出てきます。ここでは、言葉のつながりがよく分かる五十六章を中心に、1文ずつ訓読文で読んでいきましょう(書き下し文は代表的な読み方の一例です)。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方とルールで確かめられます。
1文目:知る者は言わない
書き下し文知る者は言はず、言ふ者は知らず。
(『老子』五十六章)
現代語訳本当に分かっている者は(それを)口にしない。口にする者は(本当には)分かっていない。
2文目:光をやわらげ、塵に同じくする
書き下し文其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同じくす。
(『老子』四章・五十六章)
現代語訳とがった鋭さをくじいて丸くし、もつれたものをほどき、光をやわらげ、ちり(ふつうの世の中)と同じになる。
3文目:これを玄同という
書き下し文是れを玄同と謂ふ。
(『老子』五十六章)
現代語訳これを「玄同(奥深いところで、すべてと一つになること)」という。
4文目:親しむことも、うとんじることもできない
書き下し文故に得て親しむべからず、得て疏んずべからず。
(『老子』五十六章)
現代語訳だから(玄同の人には)近づいて親しくなりすぎることもできず、遠ざけることもできない。
5文目:だから天下でいちばん貴い
書き下し文故に天下の貴と為る。
(『老子』五十六章)
現代語訳だからこそ、世の中でいちばん貴いものとなる。
原典(『老子』四章・五十六章)の本文では
維基文庫(中国語のウィキソース)の『老子』(王弼本)では、次のようになっています(句読点は維基文庫の本文のとおり)。
- 「銳」:「鋭」の昔の字体です。
- 「解其紛」と「解其分」:四章は「紛(もつれ)」、五十六章は王弼本で「分(わかれ・区別)」と書かれています。本によっては五十六章も「紛」とするものがあり、どちらの字かで意味の説明が少し変わります。
- 「塞其兌,閉其門」(其の兌を塞ぎ、其の門を閉づ):五十六章だけにある句で、「兌」は目・耳・口などの穴、つまり欲が出入りする所だと説明されることが多いです(注釈によって説明は分かれます)。
- 四章の「湛兮似或存」(湛として或いは存するに似たり):「兮」は調子をととのえる字で、置き字の「兮」「而」の読み方のように読まないことが多い字です。
出典『老子』と話の背景
出典の『老子』は、中国の春秋時代の思想家・老子(ろうし)が書いたと伝えられる本で、『道徳経(どうとくきょう)』とも呼ばれます。全部で八十一章あり、「道(タオ)」と「徳」について、短い詩のような言葉で述べています。老子がどんな人だったかははっきりせず、『史記』にも、いくつかの説が並べて書かれています。儒家・法家などとのちがいは諸子百家(儒家・道家・法家)の考え方で図にしています。

四章と五十六章、2つの「和光同塵」
同じ句が2回出てくるのには、意味があります。四章では、道(タオ)は空っぽの器のようで、いくら使ってもあふれることがなく、とがった所を丸め、光をやわらげ、ちりにまじっている――と、道そのもののようすを言っています。五十六章では「知る者は言わず」から始まり、道を身につけた人のあり方として同じ句を使い、それを「玄同(げんどう)」と名づけます。
つまり老子にとって和光同塵は、「道がそうであるように、人もそう生きるとよい」という教えなのです。四字熟語の「和光同塵」は、この2つの章の句から「和光」と「同塵」を取り出して作られた形です。
仏教での「和光同塵」と、日本の神と仏
「和光同塵」は、のちに仏教の言葉としても使われるようになりました。仏や菩薩が、本当のまぶしい光をやわらげ、人々のいる世の中にまじって、近づきやすい姿で現れ、人々を救う――という意味です。中国の仏教の書物にこの言い方が見えるとされますが、どの本から広まったかについては諸説あります。
日本では、この考えが本地垂迹(ほんじすいじゃく)の説明に使われました。日本の神々は、じつは仏や菩薩(本地=本当の姿)が、人々を救うために仮の姿(垂迹)で現れたものだ、という考えです。神と仏をいっしょに信じる神仏習合は、明治時代のはじめに神仏分離が行われるまで長く続きました。今でも、お寺と神社がとなり合っている所が多いのはその名残です。合格祈願で神社やお寺にお参りするときの作法は合格祈願とは(読み方・意味・やり方)に、全国の神社は合格祈願の神社 全国一覧(47都道府県)にまとめています。
同じ『老子』の言葉と、どうちがう?
『老子』から生まれた言葉はたくさんあります。上善は水の如しの意味と由来は「水のように争わず、低い所にいる」こと、大器晩成の意味と由来(老子)は「大きな人物はできあがるのがおそい」こと、足るを知るの意味と由来(老子)は「ほどほどで満足する」こと、天網恢恢疎にして漏らさずの意味は「天は悪をのがさない」ことです。そして小国寡民の意味と由来(老子の理想の国)は、老子が理想とした小さな国のくらしです。
この中で和光同塵は、「自分の力をどう見せるか(見せないか)」という、人とのつきあい方の言葉だと覚えると区別しやすくなります。水の言葉(上善)は争わない心、足るを知るは欲の量、和光同塵は才能の見せ方、と分けておきましょう。
「和光同塵」の使い方と例文・似た言葉
「和光同塵」は、すぐれた人が、自分の才能や地位をひけらかさず、まわりにとけこんでいるようすをほめて言うときに使うのがふつうです。やや改まった言葉なので、スピーチや文章、人物の紹介などでよく使われます。
- ○ノーベル賞を受けた教授が、学生と同じ食堂で話しこむ姿に、和光同塵という言葉を思い出した。
- ○名人と呼ばれる職人は、和光同塵で、だれにでも気さくに道具の使い方を教えてくれる。
- ○リーダーは前に出るだけでなく、ときには和光同塵で、メンバーの中にとけこむことも大切だ。
- ×テストで0点だったので、和光同塵でだまっていよう。(力をかくすのではなく、ただ悪い結果をかくしているだけ)
- ×彼は自分の意見がなく、いつも和光同塵でみんなに合わせる。(それは「付和雷同」。和光同塵は中身がある人に使う)
使うときの3つのポイント
- 人をほめるときに使う:「力があるのにえらぶらない」というほめ言葉です。地位や実力のある人について使うと、ぴったりはまります。
- 自分のことに使うときは「心がけ」として:「和光同塵を心がけたい」のように、目標として言うのが自然です。「わたしは和光同塵の人間です」と言うと、「自分には光がある」と言っているようで、かえって自慢に聞こえます。
- 悪いことをかくす意味では使わない:失敗をかくす、意見を言わずにだまっている、といった場面には合いません。あくまで「よいものを持っている人の、おだやかな見せ方」です。
似た言葉・反対の言葉
| 言葉 | 意味 | 和光同塵との関係 |
|---|---|---|
| 能ある鷹は爪を隠す | 本当に力のある者は、それを見せびらかさない | とても近い(日本のことわざ) |
| 大智は愚の如し | 本当にかしこい人は、ちょっと見るとおろかに見える | 近い(宋の蘇軾の文に見える言い方) |
| 付和雷同(ふわらいどう) | 自分の考えがなく、人の意見にすぐ合わせる | ちがう(中身がない) |
| 虎の威を借る狐の意味 | 強い者の力をかさにきていばる | 反対(中身がないのに目立とうとする) |
| 才気煥発・自己顕示 | 才能があふれ出る・自分を目立たせたい | 反対の向き(光を外に出す) |
- 能ある鷹は爪を隠す:いちばん近い日本のことわざです。和光同塵が「世の中にまじる」ところまで言うのに対し、こちらは「かくす」ことが中心です。
- 君子は和して同ぜずの意味(論語):孔子の言葉で、「人と仲よくしても、なんでも同じにはしない」という意味です。「同じくする」をよしとする和光同塵とは、言葉の向きが反対に見えますが、和光同塵も心の中身まで同じにするわけではありません。両方そろえて読むと、人とのつきあい方がよく分かります。
英語では、決まった訳はありませんが、"Hide your light under a bushel."(自分の才能を人に見せない。聖書から生まれた言い方で、ふつうは「才能をかくしてもったいない」という悪い意味)や、"to keep a low profile"(目立たないようにする)が近い表現です。和光同塵のよい意味を伝えるなら、"to soften one's brilliance and mingle with ordinary people" のように説明して訳します。
受験勉強への生かし方
受験生にとっても和光同塵はよい教えです。模試の成績がよかったとき、つい教室で点数を言いたくなります。でも、それで友だちとの空気が悪くなったり、まわりの目が気になって自分のペースが乱れたりしては、もったいないですね。力は自分の中にしまっておき、聞かれたら親切に教える――それが受験生の和光同塵です。
ただし、大切なのは光を消さないことです。周りに合わせるのは「見せ方」だけで、目標まで周りに合わせる必要はありません。志望校をまわりの声で決めてしまわないことは、勇者となれ(周りに流されず志望校を決める)でくわしく書いています。また、塾や予備校での友だちとのつきあい方については「予備校や塾で友達を作るな」の本当の意味が参考になります。自慢したい気持ち、なまけたい気持ちと向き合うには受験の格言「最大の敵は自分自身だ」の意味も読んでみてください。
「和光同塵」のよくあるまちがい
- 「わこうどうちり」「わこうどうじ」と読む:正しくは「わこうどうじん」です。「塵」は音読みで「ジン」(「塵埃(じんあい)」の「じん」)と読みます。
- 「和光同人」「和光同仁」と書く:「じん」は人でも仁でもなく、ちり・ほこりの「塵」です。俗世間(ちりの世)にまじる、という意味から考えれば書きまちがえません。
- 「才能をすてる」「何もしない」の意味だと思う:光は「和らげる(やわらげる)」のであって、すてたり消したりするのではありません。力はそのまま持っています。
- 「周りに合わせるだけ」の意味で使う:自分の考えがなく人に合わせるのは付和雷同(ふわらいどう)の意味です。和光同塵は、中身のある人が見せ方をおだやかにすることです。
- 論語や仏教の言葉だと思う:もとは『老子』の言葉です。仏教の「和光同塵」は、のちにその言い方を借りて使われるようになったものです。
サクラちゃん
目上の先生に「先生は和光同塵ですね」と言ったら、失礼ですか?
ミスターT先生
ほめ言葉だから、失礼ではないよ。「力があるのにひけらかさない」という意味だからね。ただ、少しむずかしい言葉なので、言われた人が意味を知らないこともある。話すときは「本当にすごい方なのに、だれにでも気さくですね」と、ふつうの言葉をそえるといいね。
入試ではこう出る
「和光同塵」は、おもに大学受験の漢文や、むずかしめの四字熟語の問題で出る言葉です。中学受験・高校受験の四字熟語の問題で出ることは多くありませんが、漢字検定の上の級などでは見かける言葉です。
- 大学受験(漢文):『老子』の本文が出て、「挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵」の書き下し、「是謂玄同」の「是れを〜と謂ふ」の形、「不可得而親」の「べからず」などが問われることがあります。老子の考え(目立たないことがかえって貴い)を説明させる問題も考えられます。共通テストの漢文の出方は共通テストの漢文(出題の形と対策)にまとめています。
- 倫理・日本史:倫理では老子・荘子の「老荘思想」の言葉として、日本史では本地垂迹説・神仏習合の説明の中で「和光同塵」が出ることがあります。
- 四字熟語の問題:読み(わこうどうじん)、意味の選択、「塵」の書き取りが問われやすい形です。似た言葉の「能ある鷹は爪を隠す」と結びつける問題もあります。

サクラちゃん
和光同塵は「光を和らげ、塵に同じくす」。才能をひけらかさず世の中にまじること。出典は『老子』の四章と五十六章で、仏教では本地垂迹の説明にも使われました!
練習問題
やさしい
- 「和光同塵」の読み方をひらがなで答えましょう。
答えと解説を見る
わこうどうじん。「塵」は「ジン」と読みます。 - 「和光同塵」の意味として正しいものを選びましょう。
ア 光と塵を同じように大切にすること イ 才能をひけらかさず、世の中にまじって生きること ウ 周りの意見にすぐ合わせること エ 平和な光の国をつくること答えと解説を見る
イ。ウは「付和雷同」の意味です。
ふつう
- 「和其光、同其塵」を書き下し文に直しましょう。
答えと解説を見る
其の光を和らげ、其の塵に同じくす。どちらも一二点で、下の「光」「塵」から先に読みます。 - 「和光同塵」の出典の書名を答え、同じ句が出てくる章を2つ答えましょう。
答えと解説を見る
『老子』(『道徳経』)。四章と五十六章です。
むずかしい
- 「故不可得而親」を書き下し文に直し、「而」が何という字かを答えましょう。
答えと解説を見る
故に得て親しむべからず。「而」は読まない置き字です。 - 日本で「和光同塵」が、仏教と神の関係を説明するのに使われたのはどういう考えですか。考えの名前と中身を答えましょう。
答えと解説を見る
本地垂迹(説)。仏や菩薩(本当の姿=本地)が、光をやわらげ、人々を救うために日本の神(仮の姿=垂迹)となって現れたとする考えです。
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大きな器は、できあがるのがおそい - 足るを知るの意味と由来(老子)
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天の網は悪をのがさない - 小国寡民の意味と由来(老子の理想の国)
小さな国で素朴にくらす、老子の理想 - 君子は和して同ぜずの意味(論語)
孔子の「和」と「同」のちがい - 漢文の可能の句法(可・能・得・不可)
「得て親しむべからず」の読み方
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大きなことも、身近な一歩から始まるということ。 - 大器晩成の意味と由来
大きな才能の持ち主は、遅れて成功するということ。 - 上善は水の如しの意味と由来
最高の善は、水のように争わず、低い所にとどまることだということ。 - 天網恢恢疎にして漏らさずの意味と由来
天の網は目があらくても、悪人を取り逃がさないということ。 - 足るを知るの意味と由来
今の状況に満足し、欲張らないこと。 - 小国寡民の意味と由来
老子が理想とした、小さな国で少ない人民が素朴に暮らす社会のこと。
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よくある質問
和光同塵とはどういう意味ですか?
和光同塵とは、すぐれた才能や知恵をひけらかさず、光をやわらげて、ふつうの世の中に交わって生きるという意味です。力をなくすのではなく、見せ方をおだやかにして、人々の中にとけこむことを表します。
和光同塵の読み方は何ですか?
「わこうどうじん」と読みます。「塵」は音読みで「ジン」と読み、「ちり」のことです。
和光同塵の由来・出典は何ですか?
中国の思想書『老子』の四章と五十六章にある「和其光,同其塵(其の光を和らげ、其の塵に同じくす)」が由来です。四章では道(タオ)のようすとして、五十六章では道を身につけた人のあり方(玄同)として述べられています。
和光同塵の原文と書き下し文は?
原文は「挫其鋭,解其紛,和其光,同其塵」で、書き下し文は「其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同じくす」です。五十六章ではこのあとに「是れを玄同と謂ふ」と続きます。
和光同塵の例文を教えてください。
「大学者なのに子どもと同じ目線で話す、和光同塵の人だ」のように、すぐれた人がひけらかさず周りにとけこむようすをほめて使います。中身のない人が周りに合わせるだけのときには使いません。
仏教の和光同塵とはどういう意味ですか?
仏教では、仏や菩薩が本当の光をやわらげ、人々のいる世の中に近づきやすい姿で現れて人々を救うことを言います。日本では、神は仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹の説明に使われました。成り立ちには諸説あります。
和光同塵の似た言葉・反対の言葉は?
似た言葉は「能ある鷹は爪を隠す」「大智は愚の如し」です。反対の向きの言葉には、才能をひけらかすことや自己顕示があります。周りに合わせるだけの「付和雷同」とは意味がちがいます。
和光同塵は英語で何と言いますか?
決まった英訳はありませんが、"to keep a low profile"(目立たないようにする)が近い表現です。よい意味を伝えるなら "to soften one's brilliance and mingle with ordinary people" のように説明して訳します。
和光同塵はビジネスや日常で使えますか?
使えます。地位の高い人や実力のある人が、いばらず周りにとけこむようすをほめるときに使います。少しむずかしい言葉なので、意味をそえて話すと伝わりやすくなります。
和光同塵は入試でどう出ますか?
おもに大学受験の漢文で『老子』の本文として出て、書き下し文や「是れを玄同と謂ふ」の形、置き字の「而」などが問われます。倫理や日本史の本地垂迹説の説明、四字熟語の読み・意味の問題でも見かけます。
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出典・参考
- 原文:『老子』四章・五十六章(維基文庫の王弼本で確認。五十六章は「解其分」)
- 仏教での「和光同塵」・本地垂迹:一般的な国語辞典・日本史の説明による(成り立ちの書物には諸説あり)
- 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(教科書で多い読み方をもとにした一例)
- お話の絵・図:合格大作戦(4こまは老子の言葉をもとにしたたとえの場面)
最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦



