この記事の結論
- 東南アジア史は、「大陸部(ベトナム・カンボジア・タイ・ビルマ)」と「諸島部(インドネシア・マレー・フィリピン)」に分け、国ごとに王朝をタテに並べ、中国・日本・ヨーロッパの動きとヨコにつなぐと覚えやすくなります。
- 教科書ではあちこちの章に分かれて出てくるので、地図と1枚の年表に自分でまとめ直すのが一番の近道です。アユタヤ朝(タイ)は一般に1351年から1767年まで続いた王朝です。
この記事は、世界史の勉強法シリーズの「番外編」です。シリーズは次の4本です。
- 世界史の勉強法【基礎編】教科書・一問一答・用語集など最初の5冊
- 世界史の勉強法その2【共通テスト対策】(旧センター試験)
- 世界史の勉強法(私大・2次試験編)過去問の使い方と論述
- 世界史の勉強法番外編:東南アジア史(この記事)
世界史の勉強~東南アジア史~アユタヤ朝
2008年の元の記事では、タイのアユタヤ朝を取り上げました。元の文をもとに紹介します。
スコータイ朝の後、アユタヤ朝は1351年から1767年まで、約416年にわたり栄えた王朝です。諸外国との外交、交易も盛んで、ヨーロッパやペルシャとも交流がありました。ビルマ軍により1767年に破壊され、今は遺跡となっています。
※元の記事では「1350年から417年」と書いていましたが、一般的な年(1351年〜1767年)に直しました。建国の年には諸説あります。
歴史を学ぶには現地に行ってみるのが一番。機会があれば肌で歴史を感じよう。
2026年10月に、この元の記事を土台にして、東南アジア史の全体の勉強法に広げて書き直しました。今の高校の科目は、新しい教育課程(新課程)の歴史総合と世界史探究です。大学入学共通テスト(共通テスト、旧センター試験)の科目名は「歴史総合,世界史探究」です。
東南アジア史が苦手になりやすい3つの理由
東南アジア史は、世界史の中でも「なんとなく後回し」にされやすい地域です。理由は主に3つあります。
1. 教科書のあちこちに分かれて出てくる
中国史やヨーロッパ史は、教科書の中で長い章としてまとまっています。ところが東南アジアは、古代の「インドの影響」の所、中世の「モンゴル帝国(元)」の所、近世の「大航海時代」の所、近代の「帝国主義」の所、現代の「アジアの独立」の所……と、何回にも分けて少しずつ出てきます。そのため、1つの国の流れが頭の中でつながりにくいのです。
2. 国と王朝の名前が多く、似ている
ベトナムだけでも李朝・陳朝・黎朝・阮朝と続き、インドネシアには「マタラム」と名のつく国が時代をへだてて2つ出てきます(古いヒンドゥー教のマタラム朝と、16世紀末からのイスラーム教のマタラム王国)。カタカナの長い名前も多く、名前だけを丸暗記しようとすると混ざってしまいます。
3. 地図が頭に入っていない
「ビルマはタイの西、ベトナムはタイの東」「マラッカ海峡はマレー半島とスマトラ島の間」という位置関係があやふやだと、交易の話や植民地の話がつながりません。東南アジア史は、地理の知識と一緒に覚えると一気に楽になる地域です。地図の読み方は「地理の勉強法【基礎編】」でも紹介しています。
うかるくん
東南アジアって、教科書のあちこちにちょっとずつ出てくるから、どこまでやったか分からなくなるんです……。
合格先生
それがこの地域の一番の難しさだね。だから自分で1枚の地図と1枚の年表にまとめ直すんだ。散らばった知識を1か所に集めると、急に流れが見えてくるよ。
うかるくん
大陸部と諸島部に分ける、っていうのがポイントですか?
合格先生
そう。大陸部は川ぞいの稲作の国、諸島部は海の交易の国。この2つの性格のちがいを押さえると、王朝の名前も覚えやすくなる。
東南アジア史 まとめ:大陸部と諸島部に分ける
東南アジアは、ユーラシア大陸につながる大陸部(インドシナ半島)と、海に島々が広がる諸島部(島しょ部)に分けて考えます。マレー半島は大陸から突き出ていますが、マラッカ海峡の交易で諸島部とのつながりが深いので、両方に関係する場所として覚えておきましょう。
大陸部(インドシナ半島):川ぞいの稲作の国
大陸部には、エーヤワディー川(イラワディ川)・チャオプラヤ川・メコン川・ホン川(紅河)などの大きな川が流れています。川ぞいの平野で稲作が発達し、その力を土台に王朝が生まれました。
- ベトナム:北部は長く中国の支配や影響を受け、10世紀以降に自立。李朝・陳朝・黎朝・阮朝と続きます。中部にはチャム人のチャンパーがありました。
- カンボジア:メコン川下流の扶南、クメール人の真臘、そしてアンコール=ワットで有名なアンコール朝。
- タイ:スコータイ朝→アユタヤ朝→トンブリー朝→ラタナコーシン朝(今の王朝)。
- ビルマ(今のミャンマー):パガン朝→タウングー朝→コンバウン朝→イギリス領。
諸島部(インドネシア・マレー・フィリピン):海の交易の国
諸島部は、インド洋と南シナ海を結ぶ海の道の上にあります。季節風(モンスーン)を利用した船の行き来で、港を中心にした国(港市国家)が栄えました。
- スマトラ島:7世紀ごろからのシュリーヴィジャヤ(中心はパレンバン)。
- ジャワ島:シャイレンドラ朝(ボロブドゥール)、マタラム朝、シンガサリ朝、マジャパヒト王国、イスラーム教のマタラム王国。
- マレー半島:14世紀末ごろからのマラッカ王国。中継貿易で栄え、のちにイスラーム化。
- フィリピン:大きな統一王朝はできないまま、16世紀にスペインの植民地になりました。
国名の漢字の書き方(越南=ベトナム、泰国=タイ、新嘉坡=シンガポールなど)は「国名の漢字表記クイズ」で遊びながら覚えられます。
東南アジア 王朝 年表:国ごとにタテに並べる
次の表と図は、東南アジアの主な国の王朝を、時代ごとにタテに並べたものです。まずはこの「骨組み」を頭に入れ、そこに細かい出来事を付け足していきます。
| 地域 | 古代(〜8世紀) | 9〜13世紀 | 14〜18世紀 | 19世紀〜 |
|---|---|---|---|---|
| ベトナム | 中国の支配/チャンパー(中部) | 李朝(1009〜)・陳朝 | 黎朝(1428〜) | 阮朝(1802〜)→フランス領 |
| カンボジア | 扶南・真臘 | アンコール朝 | タイ・ベトナムに押される | フランスの保護国 |
| タイ | モン人の国 | スコータイ朝 | アユタヤ朝(1351〜1767) | ラタナコーシン朝(1782〜)独立を守る |
| ビルマ | ピュー人の国 | パガン朝(1044〜) | タウングー朝・コンバウン朝 | イギリス領(1886) |
| インドネシア | シュリーヴィジャヤ・シャイレンドラ朝 | シンガサリ朝・マジャパヒト王国(1293〜) | マラッカ王国・マタラム王国 | オランダ領(マレーはイギリス領) |
| フィリピン | 大きな統一王朝はなし | ― | スペイン領(マニラ 1571) | アメリカ領(1898〜) |
ベトナム:中国との関係で覚える
ベトナム北部は、前漢の武帝の時代から長く中国の王朝の支配を受けました。10世紀に自立し、李朝(1009年〜)が国号を大越(ダイベト)としました。次の陳朝は元(モンゴル)の侵攻を退け、漢字をもとにしたベトナムの文字チュノム(字喃)が作られました。明の支配を退けて黎朝(1428年〜)がおこり、のちに阮朝(1802年〜)が全土を統一して国号を「越南」としました。
ベトナムは「中国の影響を受けながら、中国から自立しようとした歴史」と覚えると、どの王朝も同じ流れの中に置けます。
カンボジア:アンコール=ワットを中心に
1世紀ごろにメコン川下流でおこった扶南は、海の交易で栄えました。港の跡(オケオ)からはローマの金貨が見つかっていて、東西の交易の広がりを示す例として教科書によく出てきます。6世紀にはクメール人の真臘がおこり、扶南を併合しました。9世紀からのアンコール朝は、12世紀にアンコール=ワット(もとはヒンドゥー教の寺院)、その後にアンコール=トムを建てました。
タイ:4つの王朝を順番に
タイ人の最初の本格的な王朝は13世紀のスコータイ朝で、ラームカムヘーン王のころにタイ文字が作られたとされます。そのあとが元の記事で取り上げたアユタヤ朝、さらにトンブリー朝、ラタナコーシン朝(チャクリ朝。都はバンコク)と続きます。くわしくは次の節で説明します。
ビルマ:パガン朝とコンバウン朝
11世紀のパガン朝(1044年〜)はビルマ人の最初の統一王朝で、上座部仏教が広まりました。13世紀末に元の侵攻を受けて衰えます。16世紀にはタウングー朝、18世紀にはコンバウン朝(1752年〜)がおこり、コンバウン朝は1767年にアユタヤ朝をほろぼしました。19世紀にはイギリスとの3回のビルマ戦争に敗れ、1886年にイギリス領インドに併合されます。
インドネシア・マレー:港と海の道
7世紀ごろのスマトラ島のシュリーヴィジャヤは、マラッカ海峡の交易を押さえて栄えました。唐の僧・義浄がインドへの行き帰りに立ち寄り、仏教がさかんだったことを『南海寄帰内法伝』に記しています。ジャワ島では8世紀ごろのシャイレンドラ朝が大乗仏教の遺跡ボロブドゥールを建てました。13世紀末、元の遠征軍がジャワに来た混乱の中からマジャパヒト王国(1293年〜)がおこります。
14世紀末ごろにおこったマラッカ王国は、明の鄭和の遠征の寄港地にもなり、中継貿易で大きく栄えました。15世紀にはイスラーム教を受け入れ、ここから東南アジアの島々にイスラームが広がっていきます。
アユタヤ朝とタイの王朝:元の記事の深掘り
ここからは、元の記事の主役だったアユタヤ朝を、タイの王朝の流れの中で見ていきます。
アユタヤ朝はどんな王朝?
アユタヤ朝は、1351年にチャオプラヤ川の中流にあるアユタヤを都として建てられました。建てたのはラーマーティボーディー1世(ウートーン王)です。アユタヤは川の水運で海とつながり、米や森林の産物を輸出する交易の国として栄えました。元の記事にあるとおり、ヨーロッパやペルシャとも交流があり、中国(明・清)にも使いを送っていました。
16世紀には、ビルマのタウングー朝に一時占領された(1569年)こともありますが、その後また勢いを取り戻します。そして1767年、ビルマのコンバウン朝の軍に都を破壊され、アユタヤ朝はほろびました。今のアユタヤの遺跡は、このとき破壊された寺院などの跡です。
アユタヤの日本人町と山田長政
日本史とのつながりで大事なのが、アユタヤの日本人町です。17世紀のはじめ、江戸幕府が許可した朱印船による貿易(朱印船貿易)がさかんになり、東南アジアの各地に日本人町ができました。アユタヤの日本人町では、山田長政がアユタヤ朝の王に仕えて活躍したことが知られています。
しかし1630年ごろ、アユタヤの日本人町は焼き討ちにあって衰え、その後は江戸幕府の鎖国政策もあって、日本人の海外への行き来は止まっていきました。日本史の「朱印船貿易」「日本人町」の所と、世界史の「アユタヤ朝」の所は、同じ出来事を別の方向から見ているのです。日本史の勉強のしかたは「日本史の勉強法~日本史合格作戦会議」にまとめています。
アユタヤ朝のあと:トンブリー朝とラタナコーシン朝
アユタヤがほろびたあと、タークシンがビルマ軍を追い払ってトンブリー朝(1767〜1782年)を開きました。続いて1782年にラタナコーシン朝(チャクリ朝)がおこり、都をバンコクに置きました。この王朝は今のタイ王室につながっています。
19世紀、ラーマ5世(チュラロンコン)は、行政や教育などの近代化を進めました。タイは、西のイギリス領(ビルマ・マレー)と東のフランス領(インドシナ)にはさまれながら、東南アジアでただ1つ独立を保った国になります。「なぜタイだけが植民地にならなかったのか」は、論述でも聞かれやすいテーマです。

合格先生
タイの王朝はスコータイ→アユタヤ→トンブリー→ラタナコーシンの4段。頭文字をとって「ス・ア・ト・ラ」と口に出して覚えよう。年は教科書の年でそろえるのが大事だよ。
東南アジアの宗教:インド・中国・イスラーム・ヨーロッパ
東南アジアの歴史は、外からやって来た文化を受け入れながら、自分たちの文化を作ってきた歴史です。とくに宗教を見ると、どこからの影響が強かったかがよく分かります。
インドの影響(古代):ヒンドゥー教と仏教
紀元前後から、インドとの交易を通じて、ヒンドゥー教・仏教・サンスクリット語・王の考え方などが東南アジアに伝わりました。これを「インド化」と呼ぶことがあります。アンコール=ワット(カンボジア)やボロブドゥール(ジャワ)は、その代表的な遺跡です。
上座部仏教(大陸部)
スリランカから伝わった上座部仏教は、ビルマのパガン朝のころから大陸部に広まり、タイ・ラオス・カンボジアでも中心の宗教になりました。今でもこれらの国では、僧侶が人々の生活の身近にいます。
中国の影響(ベトナム)
ベトナムは中国の影響が強く、大乗仏教や儒教、漢字の文化が広まりました。同じ大陸部でも、ベトナムだけ色がちがうのはこのためです。
イスラーム(諸島部)
ムスリム商人の交易を通じて、13世紀ごろからスマトラ島などでイスラームが広まり、15世紀にマラッカ王国がイスラームを受け入れると、マレー半島やインドネシアの島々に一気に広がりました。今のインドネシアは、世界でもイスラーム教徒がとても多い国です。
カトリック(フィリピン)
16世紀にスペインがフィリピンを植民地にすると、カトリックが広まりました。東南アジアの中でフィリピンだけがキリスト教徒が多い国になったのは、この歴史のためです。
東南アジアの植民地化:ヨーロッパとの関係
東南アジア史の後半は、ヨーロッパの国々がやって来て、少しずつ植民地にしていく歴史です。「どの国が、どこを、いつごろ」を地図で押さえるのがコツです。
大航海時代:ポルトガルとスペイン(16世紀)
- ポルトガル:1511年にマラッカを占領し、香辛料の交易に入り込みました。
- スペイン:マゼランの艦隊が1521年にフィリピンに到着。1571年にマニラを拠点とし、メキシコのアカプルコとを結ぶガレオン貿易で、アメリカ大陸の銀と中国の絹などを交換しました。
オランダとイギリス(17〜19世紀)
- オランダ:1602年にオランダ東インド会社をつくり、1619年にジャワ島のバタヴィア(今のジャカルタ)を拠点にしました。1623年のアンボイナ事件でイギリスを香辛料の産地から締め出します。19世紀には、ジャワで強制栽培制度(1830年〜)を行い、コーヒーやサトウキビなどを作らせました。
- イギリス:インドを拠点に、ペナン・マラッカ・シンガポールを合わせて海峡植民地(1826年)とし、のちにマレー半島に支配を広げました(マレー連合州、1895年)。シンガポールは1819年にラッフルズが拠点にした港です。ビルマは3回のビルマ戦争のあと、1886年にイギリス領インドに併合されました。
フランスとアメリカ(19世紀末)
- フランス:ベトナムに進出し、清仏戦争(1884〜85年)のあと清にベトナムへの宗主権を放棄させ、1887年にフランス領インドシナ連邦をつくりました(のちにラオスも編入)。
- アメリカ:1898年の米西戦争でスペインに勝ち、フィリピンを手に入れました。
こうして20世紀はじめには、タイ以外のほとんどの地域が植民地になりました。植民地では、ゴム・米・コーヒー・サトウキビなど、輸出用の作物(商品作物)を大規模に作る経済に変えられていきます。この「モノカルチャー経済」の話は、地理の東南アジアの単元ともつながります(「地理の勉強法【基礎編】」)。
東南アジアの独立と ASEAN
20世紀に入ると、東南アジアの各地で民族運動がおこります。ベトナムでは日本への留学をすすめるドンズー(東遊)運動(ファン=ボイ=チャウ)、インドネシアではイスラーム同盟(サレカット=イスラーム)や、スカルノのインドネシア国民党、フィリピンではホセ=リサールやアギナルドの運動などが知られています。タイでは1932年に立憲革命がおこり、立憲君主政になりました。
太平洋戦争(1941〜45年)では、東南アジアの多くの地域が日本の軍に占領されました。戦争が終わると、各地が次々に独立していきます。
- ベトナム:1945年、ホー=チ=ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言。インドシナ戦争、ジュネーヴ休戦協定(1954年、北緯17度線で南北に分かれる)、ベトナム戦争をへて、1976年にベトナム社会主義共和国として統一。
- インドネシア:1945年にスカルノが独立を宣言し、オランダとの戦いのあと1949年に独立が認められました。
- フィリピン:1946年に独立。
- ビルマ:1948年に独立。
- カンボジア・ラオス:1953年に独立。
- マレーシア・シンガポール:1957年にマラヤ連邦が独立し、1963年にマレーシアになりました。シンガポールは1965年にマレーシアから分かれて独立しました。
1967年には、インドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの5か国で東南アジア諸国連合(ASEAN、アセアン)が結成されました。その後、ブルネイ(1984年)、ベトナム(1995年)、ラオス・ミャンマー(1997年)、カンボジア(1999年)が加わって10か国になり、2025年10月には東ティモールが加わって11か国になりました(2026年10月時点)。ASEAN は、世界史探究の現代の単元や、時事問題としても出てきます。
東南アジア史の覚え方:勉強法5つ
1. 白地図に国と都を書きこむ
まず、何も書いていない東南アジアの地図に、国の名前、王朝の都(パガン、アユタヤ、アンコール、ハノイ、フエ、パレンバン、マラッカ、バタヴィア、マニラ)を書き込みます。図1のような「四角を並べただけの地図」でもかまいません。場所が分かると、交易や戦争の話が急に分かりやすくなります。
2. 国ごとにタテの年表を作る
図2のように、国ごとに王朝を並べた表を1枚作ります。新しいノートを作る必要はありません。シリーズの「基礎編」で紹介した各国別世界史ノートのような本を使ったり、教科書の余白や詳説世界史ノートの空いている所に書き込んだりしましょう。ノートのまとめ方のコツは「東大合格生のノートはかならず美しい」も参考になります。
3. ヨコのつながりで覚える
東南アジアの出来事は、外からの大きな動きがきっかけになっていることが多いです。中国(元・明)・日本・ヨーロッパの動きとセットにすると、年号を1つずつ覚えなくても流れで思い出せます。
4. 似た名前は「ちがい」をメモする
まちがえやすい組み合わせは、ちがいを一言でメモしておきます。
| まちがえやすい組 | ちがいの一言メモ |
|---|---|
| マタラム朝/マタラム王国 | 古いほうはヒンドゥー教(8世紀ごろ〜)、新しいほうはイスラーム教(16世紀末〜) |
| スコータイ朝/アユタヤ朝 | スコータイが先(13世紀)、アユタヤが後(1351〜1767) |
| シュリーヴィジャヤ/シャイレンドラ朝 | スマトラ島の交易の国/ジャワ島でボロブドゥールを建てた王朝 |
| 扶南/真臘 | 扶南が先(海の交易)、真臘はクメール人の国で扶南を併合 |
| タウングー朝/コンバウン朝 | どちらもビルマ。アユタヤをほろぼしたのはコンバウン朝(1767) |
| 海峡植民地/マレー連合州 | どちらもイギリス。港の植民地(1826)/半島の内陸(1895) |
5. 興味をもって、自分で調べる
元の記事の言葉のとおり、歴史は現地の空気を知ると忘れにくくなります。旅行に行けなくても、写真や地図、ニュースで東南アジアの国を見てみるだけでも、教科書の名前に「顔」がつきます。旅行と教科書をつなぐ考え方は「勉強ができるようになる方法は「興味をもつ」こと」で、アンコール=ワットなどの例とともに紹介しています。
サクラちゃん
ヨコのつながりって、たとえば「元が攻めてきた」が13世紀の東南アジアにいろいろ影響した、みたいなことですか?
合格先生
そのとおり。元の遠征で、ベトナムの陳朝は撃退、ビルマのパガン朝は衰退、ジャワではマジャパヒト王国が誕生。1つの出来事から3つの国の動きが思い出せるよね。
サクラちゃん
日本の元寇と同じ時代ですね!日本史とも一緒に覚えられそう。
合格先生
いい気づきだね。17世紀の朱印船貿易と日本人町も同じ。日本史で習ったことを入口にすると、東南アジア史はぐっと身近になるよ。
東南アジア史は入試でどう出る?共通テスト・私大・2次
共通テスト(歴史総合,世界史探究)
共通テストでは、地図・写真・資料を読み取る問題が多く出ます。東南アジアなら、遺跡の写真(アンコール=ワットやボロブドゥール)、交易の地図、植民地の地図などが資料として使われやすいです。場所と宗教と時代をセットで覚えておけば、資料から答えを絞り込めます。共通テストの日程・時間割は「2027年 共通テストの時間割・日程」、共通テストの対策は「世界史の勉強法その2【共通テスト対策】」をどうぞ。
私立大学
私大では、王朝名・人物名・遺跡名を正確に書かせる問題や、並べかえ(年代順)の問題がよく見られます。図2の表で順番を押さえておけば、並べかえ問題に強くなります。大学によって出やすい地域・時代のくせがあるので、志望校の過去問で確かめましょう(「世界史の勉強法(私大・2次試験編)」)。
国公立大学の2次試験(論述)
論述では、東南アジアは「交易」「宗教の広がり」「植民地支配と民族運動」のように、テーマで地域をまたいで問われることがあります。練習用に、次のようなテーマで200字程度にまとめてみましょう(合格大作戦が作った練習テーマです)。
- マラッカ王国が栄えた理由を、位置と交易の面から説明しなさい。
- 19世紀に、タイが独立を保つことができた理由を説明しなさい。
- 東南アジアの島しょ部にイスラームが広まった経路を説明しなさい。
答え合わせは、教科書の本文で「どの言葉を使うべきだったか」を確かめ、足りなかった言葉を教科書とノートに書き込みます。論述の書き方の基本は「私大・2次試験編」で紹介した3ステップ(読む・考える・書く)と同じです。過去問を何年分・いつから解くかは「センター試験の過去問は共通テスト対策に使える?」にもまとめています。
東南アジア史をいつ勉強する?学年別の進め方
東南アジア史は「最後にまとめてやろう」と後回しにすると、時間が足りなくなりがちです。おすすめは、授業で出てくるたびに、図1・図2の自分用の地図と年表に書き足していくやり方です。
- 高1(歴史総合):近現代の東南アジア(植民地化・日本の占領・独立)が出てきます。図5・図6の部分をここで作っておきます。
- 高2〜高3の授業(世界史探究):古代〜近世の王朝が出てきたら、図2の表に1行ずつ書き足します。授業の進み方は学校によってちがいます。
- 高3の夏〜秋:自分の年表を見直して、抜けている所を埋めます。ヨコのつながり(図8)を自分で作るのもこの時期がおすすめです。
- 直前期:新しい教材は増やさず、自分の地図と年表、教科書を見直します(「入試直前期の勉強法」)。
何をどれだけやったかを記録しておくと、苦手な地域が見えやすくなります(「勉強記録(勉強ログ)のつけ方」)。自分に合ったまとめ方を見つけたい人は「オリジナル勉強法の作り方」も読んでみてください。共通テストに向けた学年ごとの全体の計画は「共通テストの勉強法(高1〜高3の計画)」にあります。

サクラちゃん
大陸部と諸島部に分けて、地図→タテの年表→ヨコのつながり。アユタヤ朝は1351年から1767年!これで東南アジア史もこわくないね。
東南アジアは、台風の名前(アジア名)や大きな川など、地理や理科の話題ともつながる地域です。台風の名前には東南アジアの国々が出した名前も入っています(「台風の名前と番号の付け方」)。いろいろな教科から近づいてみましょう。勉強の進め方で迷ったら「受験の質問・相談」で聞いてください。
よくある質問
東南アジア史はどうやって覚えればいいですか?
大陸部(ベトナム・カンボジア・タイ・ビルマ)と諸島部(インドネシア・マレー・フィリピン)に分け、国ごとに王朝をタテに並べた年表を作り、中国・日本・ヨーロッパの動きとヨコにつなげて覚えるのがおすすめです。
アユタヤ朝は何年から何年まで続きましたか?
一般に1351年から1767年まで、約416年続きました。建国の年には諸説あります。1767年にビルマのコンバウン朝に都を破壊されてほろびました。
タイの王朝の順番は?
スコータイ朝、アユタヤ朝、トンブリー朝、ラタナコーシン朝(チャクリ朝)の順です。ラタナコーシン朝は1782年からで、今のタイ王室につながっています。
東南アジアで植民地にならなかった国はどこですか?
タイです。イギリス領のビルマ・マレーと、フランス領インドシナの間にはさまれながら、ラーマ5世の近代化などで独立を保ちました。
ASEAN の加盟国は何か国ですか?
2025年10月に東ティモールが加わり、11か国になりました。1967年にインドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの5か国で結成されました。
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- 地理の勉強法【基礎編】地図・統計の読み方
- 日本史の勉強法~日本史合格作戦会議
出典・参考
- アユタヤ王朝の年(1351〜1767年)、建国者、1569年の占領、1767年のコンバウン朝による滅亡、1630年の日本人町の焼き討ち:Wikipedia「アユタヤ王朝」(2026年10月確認)
- 東ティモールの ASEAN 加盟(2025年10月26日、第47回 ASEAN 首脳会議、11か国目):各種報道(2026年10月確認)
- 文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」(歴史総合・世界史探究)
- 大学入試センター「令和9年度 大学入学共通テスト」の出題教科・科目(歴史総合,世界史探究)
- ほかの王朝名・年・人物は高校世界史の教科書に載る一般的な事項。図・論述の練習テーマは大学受験合格大作戦が作成
最終更新:2026年10月23日/作成:大学受験合格大作戦










