九死に一生(を得る)の意味と由来|楚辞・離騒の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

九死に一生(を得る)の意味と由来|楚辞・離騒の原文・書き下し文・現代語訳とイラストで読むお話【故事成語】

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九死に一生きゅうしにいっしょう

ひとことで言うと

ほとんど助からないような危ない状況から、かろうじて命が助かること。「九死に一生を得る」の形で使う。戦国時代の屈原の詩「離騒」の「九死」から。

読み方きゅうしにいっしょう
意味ほとんど助からないような危ない状況から、かろうじて命が助かること。ふつう「九死に一生を得る」の形で使う。
出典『楚辞』離騒(屈原)の「雖九死其猶未悔」。「九死一生」の形は『文選』の劉良の注によるとされる
お話楚の屈原は、王に遠ざけられても「九たび死んでも悔いはない」と、正しいと思う道をつらぬく決意をうたった
別の形九死一生(きゅうしいっしょう)
似た言葉命拾い・危機一髪・絶体絶命(使い分けに注意)
漢文の句法逆接(雖)・再読文字(未)・置き字(兮)・受身(見)

このページのポイント

  • 「九死に一生」はほとんど助からない状況から、かろうじて助かること。「九死に一生を得る」の形で使います
  • もとは屈原の詩「離騒」の「九死すと雖も其れ猶ほ未だ悔いず」。もとは「何度死んでも悔いはない」という決意の言葉でした
  • 屈原の場面を4こまのイラストで。「危機一髪」「絶体絶命」との使い分けも図で分かります

「九死に一生」の意味と読み方

「九死に一生」はきゅうしにいっしょうと読みます。意味は「ほとんど助からないような危ない状況から、かろうじて命が助かること」です。ふつうは「九死に一生を得る(えた)」の形で使います。4字で「九死一生(きゅうしいっしょう)」とも書きます。

「九死」は十のうち九まで死ぬような危ない状態、「一生」はただ一つの、生きのびる道(命)のことです。ここでの「一生」は「一生けんめい」や「一生の思い出」の「一生」とはちがい、「一つの生(命)」という意味です。

10のうち9は助からない…それでも助かる死死死死死死死死死生九死(ほぼ助からない)の中で一生(ただ一つの命)を得る
10のうち9は助からないほど危ない中で、ただ一つの命を得る。それが「九死に一生」です
うかるくん

うかるくん

「九死に一生」って、だれかが九回死にかけた話なんですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

そう思う人が多いけれど、ちがうんだ。もとは中国の戦国時代の屈原(くつげん)という人がうたった詩の「九死」という言葉なんだ。しかも、もとの詩は「助かった」話ではなく、「何度死ぬことになっても後悔しない」という決意の言葉だった。どうして今の意味になったのか、順番に見ていこう。

ふだんの言い方では、たとえば次のように使います。

  • ○雪山で道に迷ったが、救助隊に見つけられて九死に一生を得た。
  • ○大きな事故にあったが、シートベルトのおかげで九死に一生を得た。
  • ○その船の乗組員は、あらしの海を何日もただよい、九死に一生の思いで帰ってきた。

絵で読む「九死に一生」のお話

「九死に一生」は、矛盾や蛇足のような一つの出来事のお話から生まれた言葉ではありません。もとになったのは、楚の国の屈原がうたった長い詩「離騒(りそう)」の一句です。そこで1〜3こま目は、中国の歴史書『史記』に書かれた屈原の場面を、4こま目は今の「九死に一生を得る」の意味をたとえた場面を描いています。

絵で読む「九死に一生」のお話(4こま。1〜3こま目は屈原の場面、4こま目は今の意味のたとえ)

1王に遠ざけられる屈原め、遠ざけよ!わたしの真心がとどかない…懐王上官大夫屈原
1戦国時代の楚の国。王族の屈原は懐王に重く用いられていましたが、同じ地位を争う上官大夫に悪口を言われ、王に遠ざけられてしまいます。
2「離騒」をうたう離騒九たび死んでもなお悔いはない!九死すと雖も其れ猶ほ未だ悔いず屈原
2屈原は、真心が通じない悲しみを長い詩「離騒」にうたいました。その中に「九たび死んでも、なお悔いはない」という一句があります。
3川のほとりで三閭大夫ではありませんか。なぜこんな所に?世の中はみなにごりわたしだけが清い漁父
3都を追われた屈原は、川のほとりで漁父と出会い、「世の中はみなにごっているのに、わたしだけが清い。だから追われたのだ」と答えました。
4今の意味のたとえ九死に一生を得た……!つかまれ!
4ここからは今の意味のたとえ。とても危ない目にあって、もう助からないと思ったところから、かろうじて命が助かることを「九死に一生を得る」と言います。

屈原は、楚の王族の一人で、名を平(へい)といいました。『史記』によると、知識が広く記憶力がよく、外国の使者との話し合いも上手で、懐王(かいおう)にたいへん信頼されていました。ところが、同じ地位を争う上官大夫(じょうかんたいふ)が「屈原は手がらを自分一人のものにしています」と王に告げ口し、怒った王は屈原を遠ざけてしまいます。

人差し指を立てて説明するミスターT先生

ミスターT先生

ここが大事なところだ。「離騒」の「九死」は、正しいと思う道をつらぬくためなら、何度死ぬことになってもかまわないという、屈原の強い決意の言葉なんだ。「助かる」という意味は、もとの詩にはないことを覚えておこう。

次の王・頃襄王(けいじょうおう)の時代になっても、屈原はさらに遠くへ追いやられました。屈原は川のほとりをさまよいながら詩を作り、最後は石をだいて汨羅(べきら)という川に身を投げたと『史記』は伝えています。中国には、端午の節句(旧暦5月5日)の竜舟(ドラゴンボート)競争やちまきは、屈原をしのぶ行事から始まった、という言い伝えがあります。ただし、端午の行事の始まりには諸説あります。

長い着物を着て、細長いつえを持ち、頭に草花をかざった、あごひげの男性の絵
明の時代の画家・陳洪綬(ちんこうじゅ)が描いた屈原。草花で頭をかざり、つえを持って歩く姿で描かれています。画像:陳洪綬「屈原像」(中国・明代末、Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

「九死に一生」の原文・書き下し文・現代語訳

まず、言葉のもとになった「離騒」の一句から読みましょう(維基文庫〈中国語のウィキソース〉の本文で確認)。書き下し文は、代表的な読み方の一例です。返り点の読み方は返り点(レ点・一二点・上下点)の読み方、書き下し文のきまりは書き下し文の書き方へ。

『楚辞』離騒より(句読点を補ったもの)長太息以掩涕兮、哀民生之多艱。……亦余心之所善兮、雖九死其猶未悔。

1文目:離騒の一句(言葉のもと)

書き下し文亦また余よが心こころの善よしとする所ところなり、九きう死しすと雖いへども其それ猶なほ未いまだ悔くいず。

(『楚辞』離騒)

現代語訳それはまた、わたしの心がよいと信じるものなのだ。たとえ九たび死ぬことになっても、それでもなお後悔はしない。

ここがポイント「雖(いへど)も」は「〜ではあっても」という逆接の句法。「未(いま)だ〜ず」は1回目「いまだ」、2回目「ず」と読む再読文字です。「兮(けい)」は『楚辞』に多い、調子をととのえる字で、書き下し文では読まない置き字として扱います。

後漢の王逸(おういつ)は、この句に「(ひどい目にあって)九たび死ぬことになっても、最後まで悔やまない」という注をつけています。九死は、何度死んでも、という強い言い方なのです。

「九死」と「一生」が並んだ注(『文選』の劉良注)

「離騒」は、梁の昭明太子がまとめた名文集『文選(もんぜん)』にも収められています。唐の時代には、この『文選』に5人の学者が注をつけ(五臣注)、その一人の劉良(りゅうりょう)が、この句に次のような注を書きました(李善の注と合わせた『六臣註文選』巻三十二で確認)。

劉良の注(『六臣註文選』巻三十二。句読点はなし)九數之極也言忠信貞㓗我心所善以此遇害雖九死無一生未足悔恨

2文目:劉良の注(九死・一生)

書き下し文九死きうしして一生いつせい無しと雖いへども、未いまだ悔恨くわいこんするに足たらず。

(劉良注(『六臣註文選』巻三十二・離騒))

現代語訳たとえ九たび死んで、生きのびる道が一つもなかったとしても、悔やむほどのことではない。

ここがポイント劉良は、はじめに「九は数の極みなり」(九は数のいちばん大きいもの)と説明しています。「九死」と「一生」が、ここで初めて並んで出てきます。4字の「九死一生」の形は、この注から出たとされます。
「九死」の言葉のうつりかわり『楚辞』離騒屈原(戦国時代)九死すと雖も其れ猶ほ未だ悔いず何度死ぬことになっても後悔しない=決意『文選』の注劉良(唐の時代)九死して一生無しと雖も助かる見込みが一つもなくても今の日本語「九死に一生を得る」ほとんど助からない状況からかろうじて助かる
「何度死んでも悔いはない」(離騒)から、「助かる見込みが一つもなくても」(注)を経て、今の「九死に一生を得る」へ
サクラちゃん

サクラちゃん

でも、劉良の注は「一生も無し(助からない)」ですよね。今の「一生を得る(助かる)」とは反対じゃないですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

よく気がついたね。そのとおりで、注では「九死して一生無し」、今の日本語では「九死に一生を得る」と、使い方がちがう。どこで、いつ「助かる」意味の「九死に一生を得る」になったのかは、はっきりした資料が見つからなかったので、ここでは決めつけないでおくよ。「九死」と「一生」という言葉の組み合わせは離騒とその注から、今の意味はのちに生まれた、と覚えておけば十分だ。

屈原の場面(『史記』屈原賈生列伝)

お話の絵の3こま目は、『史記』屈原賈生(かせい)列伝の場面です。同じやりとりは『楚辞』の「漁父(ぎょほ)」という作品にもあります。

3文目:川のほとりで

書き下し文屈原くつげん江浜かうひんに至いたり、被髪ひはつして行ゆくゆく沢畔たくはんに吟ぎんず。

(『史記』屈原賈生列伝)

現代語訳屈原は川のほとりにやって来て、髪をふり乱し、沢のほとりを歩きながら詩を口ずさんでいた。

ここがポイント「於」は読まない置き字で、「江浜に」の「に」の働き(「於」の読み方と働き)。「被髪(ひはつ)」は、髪をゆわずにふり乱すこと。身なりにかまわないほど、思いつめていたのです。

4文目:屈原の答え

書き下し文世よを挙あげて混濁こんだくして我われ独ひとり清すめり、衆人しゆうじん皆みな酔よひて我われ独ひとり醒さめたり。是ここを以もつて放はなたる。

(『史記』屈原賈生列伝)

現代語訳世の中はみなにごっているのに、わたしだけが清らかだ。人々はみな酔っているのに、わたしだけが目ざめている。だから追放されたのだ。

ここがポイント漁父に「三閭大夫(さんりょたいふ)ではありませんか。どうしてこんな所に」とたずねられての答えです。「見(る)」は「〜される」という受身の句法で、「放たる」は「追放される」。「而」は置き字です。

5文目:屈原の最期

書き下し文是ここに於おいて石いしを懐いだきて遂つひに自みづから汨羅べきらに沈しづみて以もつて死しす。

(『史記』屈原賈生列伝(本によって「沈」が「投」))

現代語訳そこで、石をだいて、とうとう自分から汨羅の川に沈んで死んだ。

ここがポイント「是に於いて」は「そこで」。維基文庫の本文では、この所の字が「投」と「沈」の両方の形で示されていて、本によって字がちがいます。屈原の死は、正しいと思う道を最後まで曲げなかった生き方として、のちの人々に語りつがれました。
「九死」の原文で覚える句法4つ雖〜〜と雖も〜ではあっても逆接未〜未だ〜ずまだ〜しない再読・否定兮(読まない)調子をととのえる字置き字見〜〜る・らる〜される受身
原文で覚える句法。逆接の「雖」、再読文字の「未」、置き字の「兮」、受身の「見」

出典『楚辞』と話の背景

「九死」の出典は『楚辞(そじ)』の「離騒」です。『楚辞』は、戦国時代の南の大国・楚でうたわれた詩を集めた本で、屈原とその流れをくむ人たちの作品が収められています。前漢の劉向(りゅうきょう)がまとめ、後漢の王逸が注をつけたものが伝わっています。北の『詩経』と並ぶ、中国でいちばん古い詩の本の一つです。中国の詩と文章の流れは、漢文の文学史(詩経・楚辞・唐詩・宋の文)で図にしています。

「離騒」は、『楚辞』の中でいちばん長く、いちばん有名な作品です。題の意味は、「憂いにあう(離=罹る)」とする説や「憂いから離れる」とする説などがあり、諸説あります。作品の中で屈原は、香りのよい草花を身につけて自分の清らかさをたとえ、王に真心が届かない悲しみや、それでも正しい道をすてない決意を、くり返しうたっています。陳洪綬の絵で屈原が草花で頭をかざっているのも、「離騒」で草花を身につけてうたう姿を思わせます。

楚の国と戦国時代

屈原が生きたのは、戦国時代の終わりに近いころです。西の秦がどんどん強くなり、楚の中では「秦と手を組むべきか、斉と組んで秦に対抗すべきか」で意見が分かれていました。屈原は秦に気をつけるよう説きましたが、その意見は聞き入れられず、楚はしだいに秦におされていきます。楚がのちに秦にほろぼされ、さらに秦がほろびたあと、楚の項羽が漢の劉邦と天下を争って追いつめられる「四面楚歌」の話へとつながっていきます。

日本での「九死に一生」

日本では、「九死に一生を得る」は命にかかわる危ない場面から助かったときに使う言葉として定着しています。ニュースや新聞で、事故や災害から助かった人について使われることも多い言葉です。もとの「離騒」の決意の意味ではなく、「助かった」という結果を言う言葉になっている点が、この故事成語のおもしろいところです。

「九死に一生」の使い方と例文・似た言葉

「九死に一生」は、命があぶないほどの状況から、運よく助かったときに使います。「九死に一生を得る」「九死に一生の思いで」の形が多く、とても大きな危険について使う言葉です。

  • ○土砂くずれに巻きこまれたが、近所の人に助け出され、九死に一生を得た。(命の危険から助かる)
  • ○祖父は戦争中、乗っていた船が沈み、九死に一生を得て帰国した。
  • ○手術はむずかしかったが、九死に一生を得て元気になった。
  • ○その登山家は、九死に一生の体験を本に書いた。
  • ×宿題を出し忘れそうになったが、ぎりぎり間に合って九死に一生を得た。(命にかかわらない小さなことに使うと大げさ)
  • ×あらしの海で、船は今まさに九死に一生だ。(まだ助かっていない場面には「絶体絶命」)

じょうだんで「テストで九死に一生を得た」のように使うこともありますが、それはわざと大げさに言っている使い方です。作文や入試の答えでは、命にかかわるような大きな危険について使いましょう。

似た言葉は「どの場面か」で使い分け危機一髪ききいっぱつあと少しで危ない、ぎりぎりの瞬間絶体絶命ぜったいぜつめいにげ道のない、追いつめられた状態九死に一生を得るきゅうしにいっしょうとても危ない状況から、助かった危ない瞬間助かったあと
「危機一髪」は瞬間、「絶体絶命」は追いつめられた状態、「九死に一生を得る」は助かった結果

似た言葉

  • 九死一生(きゅうしいっしょう):「九死に一生」を4字にした形。意味は同じです。
  • 命拾い(いのちびろい):死にそうなところを助かること。ふだんの言い方です。
  • 危機一髪(ききいっぱつ):髪の毛一本ほどのわずかな差で、危ないところだったこと。「危ない瞬間」に重点があります。
  • 絶体絶命(ぜったいぜつめい):どうにもにげられない、追いつめられた状態。まだ助かっていない場面で使います。

まちがえやすい言葉

  • 起死回生(きしかいせい):だめになりかけたものを、立て直すこと。「起死回生の逆転ホームラン」のように、自分の力で状況をひっくり返すときに使います。「九死に一生」は命が助かることなので、使う場面がちがいます。

「九死に一生」のよくあるまちがい

読み方と使い方に気をつける九死きゅうし「くし」ではない○ きゅうし一生いっしょう一つの命のこと○ 命得るを得る「一生する」は×○ 得る決まった形は「九死に一生を得る」
「きゅうし」「いっしょう」と読み、「九死に一生を得る」の形で使います
  • 「九死」を「くし」と読む:「九」は「く」とも読みますが、この言葉では「きゅうし」です。
  • 「九死に一生する」「九死に一生した」と言う:決まった形は「九死に一生を得る」です。「得る」を落とさないようにしましょう。
  • 「一生」を「人の一生(生涯)」の意味だと思う:ここでの「一生」は、「一つの命・生きのびる道」のことです。
  • 「九回死にかけた」という意味だと思う:「九」は「数の極み(とても多い)」を表す字で、実際の回数ではありません。劉良の注も「九は数の極みなり」と説明しています。字の成り立ちは「九」の読み方・書き順・部首でも確かめられます。
  • もとの「離騒」も「助かる」話だと思う:離騒の「九死」は「何度死んでも悔いはない」という決意の言葉です。「助かる」意味は、今の日本語の使い方です。
  • 「危機一髪」を「危機一発」と書く:似た言葉の「危機一髪」は、髪の毛一本の「髪」です。
うかるくん

うかるくん

『楚辞』の「漁父」と、「漁夫の利」の「漁夫」って同じですか?

ミスターT先生

ミスターT先生

どちらも「漁師」のことだけど、別の話だ。屈原と話す「漁父(ぎょほ)」は『楚辞』や『史記』、しぎとはまぐりが争ううちに漁師が両方をとってしまう「漁夫の利」は『戦国策』の話なんだ。字も「父」と「夫」でちがうから気をつけよう。

入試ではこう出る

「九死に一生」は、中学受験から大学受験まで、ことばの知識として出てきます。

  • 中学受験:「九死に〔 〕を得る」の空らんに漢字を入れる問題、意味を選ぶ問題、「危機一髪」「絶体絶命」などとの使い分けを問う問題。
  • 高校受験:故事成語・四字熟語の意味と使い方、漢字の書き取り(九死・一生)。漢文の基本は高校受験の漢文(返り点・書き下し文の対策)へ。
  • 大学受験:『史記』屈原伝や『楚辞』漁父の文章が漢文で出ることがあり、「見〜(受身)」「雖〜(逆接)」「未〜(再読)」の読み方、屈原が追放された理由がよく問われます。共通テストでの漢文の出方は共通テストの漢文(配点・時間配分)へ。
ひらめいたサクラちゃん

サクラちゃん

「九死に一生を得る」は助かったあと、「絶体絶命」はまだ助かっていないとき。場面の時間で使い分ければ、選択問題もまちがえませんね!

練習問題

やさしい

  1. 「九死に一生を得る」の意味として正しいものを選びましょう。
    ア 一生のうちに九回も死にかけること イ ほとんど助からないような危ない状況から、かろうじて助かること ウ 一生けんめい努力して成功すること エ 何度失敗してもあきらめないこと
    答えと解説を見るイ。「九死」は十のうち九まで死ぬような危ない状態、「一生」は一つの命のことです。
  2. 「九死に一生」の読み方をひらがなで書きましょう。
    答えと解説を見るきゅうしにいっしょう。「くし」とは読みません。

ふつう

  1. 次の文のうち、「九死に一生を得る」の使い方として正しいものを選びましょう。
    ア 遠足の前日に雨がやんで、九死に一生を得た。 イ 雪崩に巻きこまれたが、救助されて九死に一生を得た。 ウ 敵に囲まれ、今まさに九死に一生だ。
    答えと解説を見るイ。アは命にかかわらない小さなことなので大げさ、ウはまだ助かっていない場面なので「絶体絶命」がふさわしいです。
  2. 「雖九死其猶未悔」を書き下し文に直しましょう。
    答えと解説を見る九死すと雖も其れ猶ほ未だ悔いず。「雖も」は逆接、「未だ〜ず」は再読文字です。

むずかしい

  1. 「離騒」の「九死」と、今の「九死に一生を得る」では、意味のうえでどんなちがいがありますか。説明しましょう。
    答えと解説を見る「離騒」では「何度死ぬことになっても後悔しない」という決意を表し、助かるという意味はありません。今の「九死に一生を得る」は、ほとんど助からない状況から助かったという結果を表します。
  2. 『史記』で屈原が「是を以て放たる」と言った理由を、屈原の言葉をもとに説明しましょう。また、「見放」の「見」は何という句法ですか。
    答えと解説を見る世の中の人がみなにごり酔っている中で、自分だけが清く、目ざめていた(正しさを曲げなかった)ために、追放された、ということです。「見」は受身(〜る・らる=〜される)の句法です。

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よくある質問

九死に一生の意味を簡単に言うと何ですか?

ほとんど助からないような危ない状況から、かろうじて命が助かることです。ふつう「九死に一生を得る」の形で使います。

九死に一生の由来は何ですか?

中国の戦国時代、楚の屈原がうたった『楚辞』離騒の「九死すと雖も其れ猶ほ未だ悔いず(たとえ九たび死んでも後悔しない)」がもとです。唐の劉良が『文選』の注で「九死して一生無し」と説明し、4字の「九死一生」の形はここから出たとされます。

九死に一生の「九」はなぜ九なのですか?

九は一けたの数でいちばん大きく、「数の極み(とても多い)」を表すからです。劉良の注も「九は数の極みなり」と説明しています。九回という実際の回数ではありません。

九死に一生と絶体絶命のちがいは何ですか?

絶体絶命は、にげ道がなく追いつめられた状態で、まだ助かっていない場面に使います。九死に一生を得るは、そうした危ない状況から助かったという結果に使います。

九死に一生を得るの例文を教えてください。

「雪山で道に迷ったが、救助隊に見つけられて九死に一生を得た」「大きな事故にあったが、シートベルトのおかげで九死に一生を得た」のように、命にかかわる危険から助かったときに使います。

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出典・参考

  • 原文:『楚辞』離騒(維基文庫)、劉良注(『六臣註文選』四部叢刊本 巻三十二、維基文庫)、『史記』屈原賈生列伝(維基文庫。「沈」と「投」の字は本によってちがう)
  • 「九死一生」の4字の形の出どころは辞書の説明による。日本で「九死に一生を得る」の形がいつ広まったかは未確認
  • 書き下し文・現代語訳:合格大作戦(一般的な読み方をもとにした一例)
  • 絵:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。お話の絵・図:合格大作戦

最終更新:2026年10月29日/作成:大学受験合格大作戦