
この記事の結論
- 金閣寺の正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」、銀閣寺の正式名称は「慈照寺(じしょうじ)」(東山慈照寺)
- 金閣は足利義満(室町幕府3代将軍)の舎利殿で北山文化、銀閣は足利義政(8代将軍)の観音殿で東山文化
- どちらも臨済宗相国寺派で、相国寺の塔頭(たっちゅう)寺院。銀閣に銀箔は貼られていない
金閣寺の正式名称は「鹿苑寺」

金閣寺の正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」です。「北山鹿苑寺」と呼ばれることもあります。足利義満の死後、義満の法号「鹿苑院殿」から2字をとって名づけられました。
「金閣」は、鹿苑寺にある舎利殿(しゃりでん)のことです。あまりにも有名になったため、お寺全体が「金閣寺」と呼ばれるようになりました。舎利殿は3層で、1層に釈迦三尊、2層は観音殿、3層に仏舎利(お釈迦様の遺骨)がおさめられました。
銀閣寺の正式名称は「慈照寺」

銀閣寺の正式名称は「東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)」です。足利義政が1482年に東山山荘の造営を始め、義政の死後に禅寺となりました。
「銀閣」は慈照寺の観音殿のことで、祖父の義満が建てた金閣にならって建てられました。金閣は金箔でおおわれていますが、銀閣に銀は使われていません。
金閣寺と銀閣寺の比較表
| 金閣寺 | 銀閣寺 | |
|---|---|---|
| 正式名称 | 鹿苑寺(ろくおんじ) | 慈照寺(じしょうじ) |
| 建てた人 | 足利義満(室町幕府3代将軍) | 足利義政(室町幕府8代将軍) |
| 造営の始まり | 1397年(応永4年) | 1482年(文明14年) |
| 「閣」の正体 | 舎利殿 | 観音殿 |
| 文化 | 北山文化 | 東山文化 |
| 宗派 | 臨済宗相国寺派 | 臨済宗相国寺派 |
| 場所 | 京都市北区(立命館大学の近く) | 京都市左京区(京都大学から歩ける距離) |
日本史の入試で問われるポイント
- 北山文化(義満の時代):公家文化と武家文化がまじり合った華やかな文化。金閣、観阿弥・世阿弥の能。
- 東山文化(義政の時代):わび・さびを重んじる簡素な文化。銀閣、書院造(東求堂同仁斎)、茶の湯、枯山水の庭。
- 義政の時代には応仁の乱(1467〜77年)が起きた。
- 「金閣=義満=北山」「銀閣=義政=東山」をセットで覚えよう。
京都の大学を目指す人へ
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よくある質問
金閣寺の正式名称は?
鹿苑寺(ろくおんじ)です。「金閣」は鹿苑寺の舎利殿のことです。
銀閣寺の正式名称は?
慈照寺(じしょうじ)、正しくは東山慈照寺です。「銀閣」は慈照寺の観音殿のことです。
金閣寺と銀閣寺を建てたのは誰ですか?
金閣寺は室町幕府3代将軍の足利義満、銀閣寺は8代将軍の足利義政です。義政は義満の孫です。
銀閣寺に銀は使われていますか?
使われていません。金閣にならって建てられましたが、銀箔は貼られていません。
北山文化と東山文化の違いは?
北山文化は義満の時代の華やかな文化(金閣・能)、東山文化は義政の時代のわび・さびを重んじる簡素な文化(銀閣・書院造・茶の湯)です。












