第八章 大学生となり、徐々に人間性を取り戻していった日々 275〜295
大学一年(平成十八年〜)新たなステージへと飛翔する偏屈男。
●理数科クラス八十人の中で、東大理一・二類に合格できるレベルはいたか。
平成十八年は、現役・浪人ともに、大手前高校から東大合格者はいませんでしたが、もし東大を受けていれば、合格できたであろう現役生徒は、かなりいたと思われます。
先ずは、東大理科三類を受けていたら、合格できたであろう位優秀な生徒が一人、実際は京大工学部物理工学科を二位? で合格した生徒で、仮に理学部を受験していたら、理学部配点で、英語93/150点、数学196/200点、理科160/200点、英数理三教科で449点もとった実力者で、工学部は国語の試験がありませんでしたが、もし受けていても国語の実力もある生徒でしたから、70点以上は確実にとったのではないかと思われ、つまり合計520/650点となり、理学部合格者最高点の529点にほぼ近かった訳です。理学部を受験していたとしても、物理工学科と同様に、多分二位か三位だったでしょう。
平成十八年に東大理科三類に現役で合格した、岩手県立水沢高校の菅原暖斗さんは、平成十七年夏の第一回駿台模試で、理学部志望者のトップでしたが、結局京大理学部でなく、東大理科三類に進学したことから見ても、京大理学部入試でトップクラスに位置したレベルなら、東大理科三類も射程圏内であった
と言えるのではないかと思われます。
息子は、英語79/150点、数学200/200点、理科114/200点、英数理だけで393点でしたので、彼とは相当な実力差がありました。国語が64点で割と良かったから総合点で457点ありましたが、国語の実力は息子より彼の方が確実に上でした。大手前理数科合格者の中で、トップ合格だったかもしれません。本番のセンター試験は学年でトップでした。塾にも予備校にも行かず、地味で目立たぬ存在ながら、ガリ勉タイプでもなく、サッカー部で高一〜高二と二年間頑張っていた、文武両道の理知的な生徒で、将来大物になると見ています。(息子曰く、自分にとても厳しい点で真似ができないと)
あと、国公立大医学部医学科(阪大、大阪市大、滋賀医大、徳島大、名古屋市大)に進学した者が七人いましたが、この七人も東大理一類・二類を受けたなら、合格の可能性は極めて高かったと言えますし、京大理学部、工学部物理工学科に進学した二人も可能性は高かったと言えます。
また大阪府立大農学部獣医学科に進学した或る生徒も、中学時代から学年トップを維持した上、高校入学時から卒業時までトップクラスをひた走り、成績を全く落とさなかった「勉強の虫」的存在で、東大か京大を当然受けると思われていましたが、意に反して「獣医師志望」ということで、地元の大学に進学した変わり種もいました。体育大会でも、ひとり教室で受験勉強をしていたという逸話があり、運動嫌いの息子も彼に「そんなに勉強して、どこの大学に行きたいのか?」尋ねたことがあったそうで、彼は「何としても獣医になりたい!」と話していたと言います。はっきりした目標をもって、日々努力をしてきた彼にも頭が下がります。
東大に行きたいが、受かる可能性が低いから受けなかった訳ではなく、大手前生は地元志向がとても強いようです。京阪電鉄沿線の居住者が多いので、自宅から一時間〜二時間で充分通える大学を志望する生徒が多いのです。中学・高校と公立で親に金銭的負担をさせず、大学も地元の国立大へ自宅通学するという、経済的に親孝行タイプの生徒が多いのが理数科生徒の特徴と言えます。
●天王寺高校理数科と大手前高校理数科の大学進路の違いを検証する。
生徒がどの大学・学部を志望するかでかなり違うので、一概には言えないことですが、結果の数字を見る限りは、理数科現役生徒だけで、06年度の天王寺理数科生は(東大6、京大12、阪大5)、一方大手前理数科生は(東大0、京大16、阪大16)と、東大は6人と天王寺が多く、京大は4人大手前が多く、阪大も11人大手前が多い。という結果でした。
飛び抜けた成績の生徒は天王寺理数科に多く、京大・阪大クラスの生徒は、06年度に限れば、大手前の方が数の上では多かった。天王寺理数科生徒は、浪人をしてでも東大か京大或るいは医学部、医大という生徒が多く、大手前理数科生徒は東大志向が少なく、国公立大医学部か京大・阪大を狙う生徒が多いと言えます。どちらも現役で私大へ進学する生徒は、十分の一もいないのが特徴。
●京大への現役合格率で近畿圏国公立高校を見ると、
関西二府四県の近畿圏国公立高校の、06年度現役での京大合格率を見ると、1位は京都の堀川高校、2位は大阪教育大附属天王寺校舎、3位は大手前高校の順になっています。堀川は31人の合格者中なんと27人が現役で、(浪人は僅か4人のみ)現役合格率87%。大阪教育大附属天王寺は22人中17人が現役で77%、大手前は25人中18人で72%となっています。(※現役合格者17人以上の高校中) 合格者総数だけで見ると、公立名門の北野や奈良は、やはり近畿圏でトップクラスながら、その中の現役合格者の率では、かなり低い数字になっています。浪人覚悟で難易度の高い学部を受けているのかも知れず、一概にどの高校のレベルが高いかは、現役合格率だけでは判断できませんが、ひとつの目安になることは確かです。(※年度によってもかなりバラツキがあります)
●国公立大医学部医学科への進学者も多いのが大手前の特徴。
06年度は七人が医学部医学科に合格。(阪大医学部二人、市大医学部一人、滋賀医大二人、名古屋市大医学部一人、徳島大医学部一人)また、大阪府大獣医学科一人。歯学部や薬学部などの理系学部合格者も含めると例年十名前後がこれら難関学部に合格しています。第十一期理数科生徒に限ると、80人中半分の生徒は、京大・阪大・国公立大医学部医学科へ現役合格したことからも、やはり凄く優秀な学年だったと言えるのではないでしょうか。
04年度4月号、読売ウイークリーの(医学部「合格力」223校ランキング)という記事によると、大阪府立高校で見ると、北野高校の全国78位がトップで、大手前高校は、医学部医学科10人・歯学部3人で全国101位となっています。以下三国丘が全国122位、茨木が全国148位、天王寺と生野が全国175位、四條畷が全国190位という順になっていました。
●受験で合格する者は何が違うのか?
「高校三年間、気持ちを切らさず、積み重ねてきた学力の蓄積」と「最後まで絶対に諦めない集中力」こそ合格のポイントだと思っています。更には、受験までの数ヶ月間に、どれだけ緊張感を維持し続け、過去取組んだ勉強の総復習ができるかが、合否の分かれ目になると思います。そのベースには、高校三年間の日々の学習を、気持ちを切らさず持続していることが必要条件になります。
数学や英語は三年間コツコツと積み重ねて行かなければ、二次試験で合格点は決して取れないでしょう。理科に関して言えば息子は独学でやったようなものですが、化学は割と性に合っていて得意教科だったようですが、物理にはずっと手こずったようです。京大模試でも半分しか取れないことが多かったのですが、それでも過去問を何年分もこなし、分からない問題は「和田秀樹式」に暗記するという荒技で、なんとか格闘し続けた結果、本番では、難問を前にして「血の気が引いた!」と言いながらも物理・化学ともに六割弱程とれた訳です。
06年度の京大の理科はかなり難問だったようで、高得点をとるのは至難のワザと、駿台の解答速報にも書いてありました。息子は結局予備校には一度も通わず、Z会で添削するのみの独学でしたが、そのZ会の答案もかなり未提出でした。物理・化学・英語に関しては、秋にZ会のスポット講座をいくつか取ったこともありましたが、あまり満足はしていませんでした。「あんな講義で一回四千円も要るのなら、東進ハイスクールの参考書を買って、自分で勉強した方が安上がりだし、ずっとマシだ! 」と言っていましたから。
Z会の添削は中学三年から始め、十三万、十万、五万、八万、と四年間合計で約三十六万程度はかかったかも知れませんが、その分滑り止めの私立大を一切受けなかったり、予備校の夏期講習・冬期講習の類も一切受けなかったので、あまり親に教育費をかけさせなかったと言えます。
入ってみれば、京大と雖もピンからキリまでいて、三千人余りの合格者の内、三分の二はそれ程「凄い」とは思いませんが、三分の一以上は相当なレベルの持ち主だと思います。
今後は大学時代にどれだけ能力を伸ばせるかが大切であり、息子も自分を称して、「スロースターターで後半に伸びるタイプ!」と豪語している通り、大学三年〜四年で理学部のエースとして能力を発揮してくれれば嬉しいのですが。「強迫神経症」の方がどうなるか分からない不安があります。
今の所はおかしくなるのは週に一度程度なのですが、「大手前から京大に受かった同級生同士で集まったりしないのか? 」 聞いたところ、秋の大手前祭にOBで集まろうという企画があったらしいのですが、息子は「全く行く気はない!」と軽くあしらわれました。
担任の先生にも、卒業式後に、「もう二度と大手前には来ない! 」などと嘯いて、先生も苦笑いしていたようです。私と変わり者度は似ているかもしれません。変なところまで似なければよかったのに...全く息子は過去を振り返らない性格みたいです。前しか向いていないのか、余程高校が面白くなかったのか、高校一年の時は、本当に毎日が楽しそうだったのに...とても不可解です。
いずれ自活するようになったら、その時はじめて、親の有り難みを痛感するでしょう。子の成長の為には、どうしても通らねばならない道かもしれません。何でも親にやってもらって当たり前に育った息子ですから、自分で何から何までやる必要に迫られれば、嫌が応にもマメに動かざるを得ないことでしょう。その時になるまでは、分からないでしょう。
病気で勉強が捗らず、私が夜十時頃帰宅したら部屋の灯りが消えており、部屋を開けると息子が既にベッドに横になっていた一月末当時は、とても辛かった。息子自身も辛かったでしょうが、その当時は、もう「受験は無理かも!」と私も正直思っていました。錯乱した息子の面倒を、一生見ていかなければならないのか...と愕然としました。薬を何錠も一度に服用し、夢遊病者のように放心状態だった最悪の頃、倒産した会社のような滅茶苦茶な部屋の乱雑さを詰った頃、罵りたくはないが、ついついきつい言葉を浴びせかけざるを得なかった頃は、まさに修羅場状態でした。
順調に行っていたら、理学部前期課程合格者二百八十人中、多分三十番以内で合格していたかもしれない息子が、「強迫神経症」で受験直前に失速し、「百人から百五十人位に抜き去られたかもしれない!」と語っていたのが思い出されます。抜かれていく焦りに益々神経衰弱になったのです。 合格したら、全ては正当化されてしまいますが、もし大学に落ちていたら、今頃はどうなっていたことやら。予備校も年間で百万近く費用がかかるらしいし、「予備校には行かず、宅浪する!」などと言い出したら、一巻の終わりだったでしょうし、勝てば官軍と言うように、受験はやっぱり勝たなければ意味がないと痛感したものです。
●京大二次試験の成績開示通知が来る。
五月二日に、京大入試二次試験「成績開示」の書留が届きました。
280人の前期課程合格者の内トップは529点、合格最低点は366点、合格者平均点は415点、息子は457
点でした。順位は正確には分かりませんが、シミュレーションの結果、大体47位前後位と予想されます。試験後の自己採点では350点位と予想していましたので、この高得点には本人も吃驚しておりました。教科別に見ますと、
■数学:六問中四問は簡単に完答できましたが、二問は納得いく記述ができず、たとえ答えは正解でも部分点でかなり引かれる筈で、160点前後と予想しておりました。理学部は数学の採点が非常に厳しいと聞いていましたが、結構甘いみたいです。今年の数学は例年に比べ、極端に易化し拍子抜けしたという印象。センター試験も二次試験も満点でしたので、息子も自慢げでした。
■理科:物理・化学ともに試験問題を見た瞬間、「血の気が引いた! 」という位の難問で、半分位しか
解けず、試験後は「落ちた!」と思ったらしい。化学は数学に次ぐ得意科目でしたが、半分位しか解け
なかったようですし、物理はそれ程得意ではありませんでしたが、化学よりは少しマシという程度でしたから。
模試の時から理科ではかなり苦労していたようです。
■英語:英作文が特に難しかったようで、全体的には半分位という印象でした。英語に関しては、京大
模試四回の平均が70点/150点で、模試より本番は少し良かった程度で、ほぼ予想通りの点だったと言えます。
採点が甘いと言われていましたが、それ程の実感はなかったようです。
■国語:試験対策はほとんどせず... 完全に捨て教科でしたが、幸いにもこの年は、京大名物の「擬古文」
が出ず、現代文二問を選択でき、一般常識で解答できたようです。35点あれば充分と予想していましたが、64
点で採点が相当甘いとしか言いようがなく、本当に運が良かったと言えます。
大学入試の採点は、大手予備校の模試より「かなり甘い」ようです。模試四回の平均は343点位でしたか
ら。650点の内100点位は模試と本番入試では得点差が出たようです。
京大模試四回の成績と本番入試との関係を、色々シミュレーションしてみました。ずっと疑問に思っていた
「模試と本番入試との乖離」について詳細に検討した結果、本番の採点の甘さや、直前の三カ月間で、グー
ンと成績がアップすることなどが分かりました。
模試で平均343点程度しか取れなくても、本番で457点と1.33倍も得点できた訳ですから。模試での順位平
均も大体42位でしたが、本番では予想ながら47位前後と見られ、ほぼ実績通りとなりました。これは駿
台と河合塾での成績だけで割り出したもので、代々木ゼミの分が反映されていないのですが、あまり関係
なかったようです。駿台での成績ほど悪くはないが、河合塾の成績ほど良くもない結果となりました。やは
り実力がそのまま反映されると見るべきでしょう。
●全国の高校で発覚した、履修単位不足問題について(毎日新聞06年11月の記事より)
大学生の16%近くが、高校時代に必修科目である「世界史」を未履修だったという実態が、四年前の調査で確認されていたにも関わらず、文部科学省が見過ごしていたと言います。
文部科学省の委託を受けた、高等教育学力調査研究会(研究代表者、柳井晴夫・聖路加看護大教授)が01年十一月〜02年二月に実施。全国408大学600学部に調査用紙を配り、約八割に当たる335大学477学部の学生計三万三四三二人から回答を得ました。97年度から高校の必修となった「世界史」を、16%の生徒は履修していないと答えたそうです。特に理系学部では20%〜30%が履修していないと答え、歯学部系で31%、医学部系では26%、文学部系でも1%が未履修と、受験に関係のない科目が軽んじられていた実態が浮き彫りになりました。
生徒や学校が求める学力と、学習指導要領が求める学力の乖離が原因にあると言われています。受験では中高一貫校などのように、長期計画でカリキュラムを組める、先行逃げ切り型が有利なのは常識です。その点、地方の公立進学校は不利な立場にあり、小中学校のゆとり教育の影響で、内容が削られた理系教科を固め直す必要もあり、結果的に受験とは無関係の科目を削らざるを得なかったと言います。ゆとり教育の「ツケ」が、全て高校に被さってきて起きた問題とも言えます。
現在の高校教育は、受験に合格しさえすればよいとする、短絡的な教育になり果ててしまっています。
確かにどんなに進学高校を卒業しても、大学に入れなければ高卒扱いになり、レベルの低い大学を卒業した者より、低学歴になってしまうのだから、仕方ないのかもしれません。
高校教育が、大学受験の為の予備校と化し、苦手教科であれ、幅広く教養を身に付けさせる教育になっていないツケは、いつか生徒達自身に降りかかって来るでしょう。息子の場合は、受験に必要な教科のみに特化して、他の教科には目もくれず取り組んだ結果、大学合格と言う栄冠は確かに手に入れましたが、人間としてもっと大切な何かが欠落している、社会性や常識のない人間になってしまったように感じられてなりません。
文系教科の大半が苦手で、必修科目を履修こそしましたが、真剣に勉強したとはとても言えません。世界史は必修なので、高一の時に履修しましたが、欠点を取らないレベルでした。やはり覚えなければならない言葉があまりにも多すぎて、「とても付いていけない!」と、当時ボヤいていました。それでも、大手前理数科のトップクラスの生徒達は、社会の各教科でもトップクラスの成績を確実にとっていましたから、勉強に取り組む姿勢には本当に脱帽致しました。
日本史と地理Bとの選択では、息子は地理Bを選んだ為、日本史は選択せず、その知識は中学レベルのままと言うことになります。ある時、トルーマン大統領の話をしていた時、「トルーマンって誰?」と聞かれて、呆れたことがありました。特に授業が途中で終わってしまう現代史ほど、「ゆとり教育」の影響で割愛されてしまい、まともな知識がないというのが実態です。
倫理・社会・政治経済も受けてはいましたが、ほとんど頭には入っていなかったと思います。京大の二次試験で必要な国語の古典でさえも、高二からは、もう捨てていた位ですから。古典は二次試験でも出るから「絶対に捨てるな!」と、うるさく言って来ましたが、全く聞く耳を持たなかったのです。勉強しないといけない教科を優先させていると、とても苦手教科や、入試に出ない教科までは手が回らないのが実情です。親としても、それ以上は強制できませんでしたから。
高校では、受験に関係のない科目を、真剣に取り組まなかったことで、大学に入ったら、幅広い読書によって、足らない部分を補うように、何度もアドバイスしましたが、息子からは全く無視され、肝腎な理系のやらねばならない教科さえも、やらなくなってしまいました。教養を身に付けるというレベルから、遙かに逸脱した生活になって行った訳です。
大学に入れば、もうやりたいことしかやらなくなりました。毎日時間があれば、パソコンでオセロゲームをする毎日でした。対戦相手をネットで捜し、かなり腕を上げていったようですが、マウスの使い過ぎで、右手の握力が10以下になってしまい、字が書けないレベルにまで落ちました。勉強のし過ぎで体を壊したのなら、同情の余地もありますが、パソコンでオセロをし過ぎて、利き腕が使えなくなったと言われても、「お前はバカか?」と叱責するしかありませんでした。
同じ大手前から京大に受かった級友達の大半は、大学一年の前期課程で受けた単位を確実に取り、必死に勉強していたというのに、息子ときたら、まともに学校にも行かず、オセロばかりに興じて、学部でも最低の単位しか取れず、担任教授も呆れていました。
大学に入るだけが目標の者には、決して将来はありません。一時頭を休めることも必要でしょうが、落ち着いたら更に上を目指して、自己研鑽を重ねていく者だけが生き残れるのです。早くも脱落しかけていた息子には、何度も叱咤激励で諭しましたが、本人に全くやる気がない以上、こちらが熱くなればなる程、勉学に対する意欲は冷めていくようで、諦めるより他ありませんでした。
●大学合併時代に、最高学府の内実が問われる(06年11月22日、毎日新聞社説より抜粋)
07年度は、大学・短大志望者が総定員に収まる「全入時代」に突入します。選り好みさえしなければ、誰でも大学生になれる時代になった訳です。しかし実績のない大学を卒業しても、就職できないという問題に突き当たります。大学生の多くが、就職するための「踏み台」として大学を利用している事情がある以上、この就職ができないという問題は大きいでしょう。誰でも名の通った伝統のある大学で学びたいと思うのは当然であり、それだけに有名大学への学生の集中は避けられません。大学全入時代とはいえ、一部の有名大学の競争激化は益々激しくなっていくでしょう。
慶應義塾大学と共立薬科大学の合併劇は、大学の統廃合・淘汰の時代の始まりを示唆しています。この問題は、少子化が進んだためだけでなく、大学教育の「質の低下」という本質的な問題を含んでおり、企業だけでなく大学・短大もまた、生き残りを賭けた競争を強いられ、学生達に支持される大学だけが、生き残って行くのは当然の成り行きと言えます。
90年代初め、規制緩和で大学の設置基準が大綱化になり、大学は一般・専門教育の区分を廃止、カリキュラムの自由編成が可能になりました。その結果、専門課程前の基礎教育的な教育が軽視除去され、多くの大学で教養課程が消えてしまいました。文部省が軌道修正を図ったにも関わらず、はかばかしくない状況です。
またこの時期、高校では科目選択制が進み、教科学力が低下したと言われています。更に大学入試は受験生確保の思惑から、私立大学では特に少数科目型が増えました。高校での単位履修不足問題はその延長上にあります。そして多くの大学で、入学者に高校レベルの補習が行われている現実があるのです。
理系の学生は、文系教科のレベルが中学生並というのはザラで、逆に文系学生の理系教科のレベルは中学生レベルになっています。医学部という理系学生でも、物理と化学は入試対策として履修したが、肝腎な生物を履修していないという問題もありましたが、文系学生でも、地理を受験で選択した為に、世界史や日本史はほとんど勉強して来なかったというのでは、本当に情けない話であります。
高校での教育が、大学受験の為の予備校と化し、受験に不要な教科は一切勉強しないということになれば、一体何の為の高校なのか? 大学に合格することは確かに最重要課題ではあるでしょうが、それ以前に高校生としてのあるべき姿を全うしてこそ、大学生となる資格を得るのです。あまりにも偏った高校教育により、人間性そのものが歪んでしまった学生が多くなってきたのは、嘆かわしいことです。
経済成長や基準緩和の中で増え続けた大学(06年度学校基本調査で、国立87、公立89、私立568校)は、今適当な校数へのスリム化が課題なのではなく、真に高等教育機関として充分に機能しているのか、その内実を問われていると言えます。今後、私立の四割に及ぶ定員割れ問題は、益々深刻化すると予想されます。
挿入図・表・目次
第八章 大一 東大・京大・阪大の入試データ(駿台予備校データより) 276
第八章 大一 大手前高校 理数科・普通科クラス別 京大現役合格者表 280
第八章 大一 天王寺高校 理数科第六〜十一期生の進学実績 280
第八章 大一 06年度 国公立高校の京大合格者数上位校の現役合格率ランク 281
第八章 大一 全国千二百高校 国公立大「現役合格力」ランク(07年読売ウイークリー五月号より) 281
第八章 大一 06年度 センター試験リサーチ得点分布(駿台資料より) 287
第八章 大一 06年度 京大理学部前期課程入試 一次&二次成績開示結果 287
第八章 大一 京大理学部二次試験後の自己採点結果と成績開示結果 289
第八章 大一 【補足資料】06年度大手前卒業生センター試験獲得点数ランク(06年大手前高校進路データより) 302
第八章 大一 【補足資料】第三回実力考査順センター試験獲得点数ランク(06年大手前進路のしおりより)304
第八章 大一 【補足資料】06全国1200高校 国公立大「現役合格力」ランク(07年読売ウイークリー五月号より)