第一志望高校を大阪府立大手前高校 理数科に決める。

一緒に模試を受けた友達の「志望高校欄」を覗き見て、大手前高校に「理数科」があることを知った位、受験のことには無知だった息子ですが、学習塾に通ってなかったから、受験情報には疎く、大手前高校は普通科しかないと勝手に思っていたのは仕方ありません。
そこで初めて「理数科」を意識したと言います。しかし何度シミュレーションしても、やはり内申点の低さにより、当日入試で失敗すれば、合格する可能性は低いだろうと思っていました。実際の合格最低点は(三百七十点満点で)二百九十五点前後と思われますが、息子は当日点は百四十六点で内申点が百五十八点だったので、合計三百四点で、数学であと二問間違っていたなら多分落ちていたと思います。
英語や国語の試験ではあまり差が開かないと言われており、英語五十点、国語五十点、数学八十点の合計百八十点が当日入試です。数学の出来如何でほぼ合否が決まると言われていました。現に数学で失敗したという生徒も沢山いたようです。内申点では息子より20点〜30点も上だった生徒が、当日の数学で躓いて不合格になった例は、かなりあったのではないかと思われます。

親の奨めを無視し、「理数科体験入学」を頑なに拒否する。

自分が受けたい志望高校なのに、実際にその学校に行って自分の目で確かめて情報を知りたくないとは...いくら親が奨めても、息子は頑として「理数科体験入学」には参加しようとはしなかったのです。息子が一体何を考えているのか、全く分かりませんでした。
単なるズボラなのか? 面倒臭いだけなのか? 実力もないのに受験すると、回りから思われるのが嫌だったのか? 自分が受ける高校を級友に知られたくなかったのか? その頃はまだ理数科に合格できる実力があるとは、本人も思っていなかったのでしょう。「理数科体験入学」の手続きはこちらでやってやるからと言っても、最後まで頑なに自分の意志を曲げなかったのです。

偏差値七十以上の数学問題集に取り組み、数学の面白さに開眼。

兵庫の名門私学、灘高校や甲陽学院などの高校入試問題がたくさん掲載されている、数学の問題集を自分で買ってきて、都合三回程繰り返し解いていましたが、やはり「数学は奥が深くて面白い」と、その素晴らしさによく感激し、考えさせる難問を解くこと自体に、受験勉強というより、パズル的な面白さを発見し、感動していたようです。小さい頃からパズルのようなものに興味を示していたように、根っから問題を深く掘り下げるように考えるのが好きなのだなと思いました。

大阪府立大手前高校の沿革。

明治十九年、大阪府師範学校女学科より独立し、北区中之島に大阪府女学校として創立。翌明治二十年〜三十五年にかけ、大阪府立高等女学校〜市立大阪高等女学校〜大阪府中之島高等女学校〜大阪府立堂島高等女学校と改称。
明治四十三年には北区梅田に新築移転し、大阪府立梅田高等女学校と改称。大正十二年に大阪府立大手前高等女学校と改称し、東区大手前之町に新築移転。昭和二十三年、新学制により、大阪府立大手前高等学校となる。府立北野中学と生徒職員を交流し、男女共学を開始。
平成五年、理数科設置、平成七年、六十五分授業開始。平成八年、創立百十周年記念式典行う。平成十四年、Lハイスクールに指定、平成十五年、英国派遣事業開始。というのが大体の沿革です。元々は大阪の女子師範学校だった伝統ある高校です。

大手前高校の過去進学実績に見る傾向。

06年に関して言えば、京大の「現役」合格率では、近畿圏の高校の中でも大手前は上位に位置します。中高一貫私学はやはり別格というか、レベルが違うと言わざるを得ないですが、如何に教育費の出費を抑えて、名門と言われる学校に入れるかが、我々のような年収の少ないサラリーマン家庭では切実な問題で

大手前理数科合格者の平均内心点
大手前理数科合格者の平均内心点、学力試験、総合点平均予測

 

 

大手前高校 理数科 合格者に見る傾向
大手前高校 理数科 合格者に見る傾向

 

経済的な余裕があれば名門私学で学ばせたいのは山々です。大手前理数科に入る生徒達の親達も同じ思いかもしれません。生徒達はとても親孝行な子供達だと言えます。
大手前高校全体のレベルは、全国に五千五百近い高校がありますが、サンデー毎日などの週刊誌に掲載される、所謂進学高校千三百八十校中で見ると、大体百位前後ではないかと推測されます。
大手前より確実にランクが上と思われる高校は約70前後、同レベル位かと思われる高校が約30前後と見ています。理数科80人の生徒だけで見ると、ランクはそれよりかなり上がりますが、大手前の場合は、普通科240人の生徒がちょっと足を引っ張っていると言えるかもしれません。Z会の冊子にもあったように、合格する競争率や難易度では日本でトップクラスの大手前理数科ですから。
03年三月まで校長だった馬越かよ子校長の話では、昭和20年代から30年代にかけての大阪府立高校の所謂御三家は、学区制がなかった故か、北野・大手前・天王寺高校で、大手前は進学実績で、東大へ30人、京大へ100人位当時は合格していたようです。現在の大阪府立高校の御三家と言えば、北野・茨木・天王寺かもしれません。そこに三国丘・大手前・四條畷が追いかけているような状況です。高津や生野、岸和田はちょっと落ちます。御三家と雖も、トップクラスにいない限りは、東大や京大、国公立大医学部医学科への進学はかなり厳しい状況です。進学実績を見る限り、授業料がいくら高くても、無理して中高一貫の私学へやりたいのは、親として当然なのかもしれません。

第七回 五ツ木の模擬テスト(十二月実施)模試は二回で十分。
数学が抜群に良ければ、大手前高校の普通科より理数科受験の方が有利ではないか? 志望を普通科から理数科に変えたらどうか? と息子にアドバイスしました。第一志望高校を大手前理数科にした結果は、国語40点(50点中)偏差値65.7、英語45点(50点中)偏差値64.8、数学77点(80点中)偏差値77.3、三教科合計162点(180点)偏差値72.7でした。この成績だと予想内申点は170〜172点という設定でB判定でしたが、実際のところは内申点が158点だったので、C判定となります。志望者128人中で2位でした。(全受験者二万九千人中473位)C判定というのは合格も不合格も五分五分というレベルです。大手前よりは進学実績が良い私立の明星学園一類では、志望155人中30位でした。
大手前普通科だと、国語63点(80点中)偏差値65.7、英語71点(80点中)偏差値64.8、数学77点(80点中)偏差値77.3、社会61点(80点中)偏差値63.8、理科52点(80点中)偏差値58.9、三教科偏差値71.6、五教科偏差値68.3で、志望者252人中で13位でした。前回11月の時は志望者432人中で14位でした。(全受験者五万二千人中866位)このように、五教科課せられる普通科より、三教科しか入試のない理数科の方が息子には分があった訳です。当日の入試点さえ良ければ、なんとかギリギリでも理数科には潜りこめるかもしれないと、一縷の望みが出てきた結果となりました。

公立中学時代3年間の成績表
公立中学時代3年間の成績表(2000〜2003年度)
中学3年秋の実力考査から、大手前理数科合否をシミュレーション
中学3年秋の実力考査から、大手前理数科合否をシミュレーション

 

第八回 五ツ木の模擬テスト(一月実施)冊子を手に入れ最終調整。
実際にはこの回の模試は受けなかったのですが、書店で余っていたSEEという冊子を何とか手に入れ、五教科全て制限時間を決めて、息子に試験問題を解かせてみて、自己採点してみたら、全体で30位内にランクインする結果となりました。徐々にではありますが、確実に実力がついてきているのではと、良い感触を得ました。
しかし模試とか学校での実力テストの結果が良い割には、模試で予想される内申点よりも、実際の内申点は遙かに低かったのです。何しろ副教科がほとんど10段階で7か6程度だったからで、体育も美術も音楽も技術家庭科も、全くやる気がなかったのか、本当に能力がなかったのか? どちらとも言えるかと思います。公立高校受験に於いては、中学時代の内申点で半分は決まってしまうことを、本人も自覚していた筈ですが、どうしてもとれなかったのでしょう。
それに理数科受験は二月の前期に行われるため、二学期の内申点が全ての基準となり、三学期の成績は間に合わないので、二学期に最も点を稼がなければいけないにも関わらず、息子は逆に一学期より内申点を更に悪くしてしまったので、かなりのハンデを背負うことになったのです。

理数科入試の数学で、分からない問題はなかった!と息弾ませて帰宅。

受験票番号千百二十九。自分でも「本番に強い!」と豪語していた息子でしたが、さすがに大手前理数科入試の前日は、なかなか寝付けなかったようで、床にはついているものの、あまり寝たという気がしなかったと言います。それだけプレッシャーがかかっていたのかもしれません。図太そうで、やはり根は繊細な子なのかもしれません。
「入試の数学は満点」と本人は試験後思ったようですが、問題の読み間違いなどがあり、求められていない答えを書いたりして減点11点。軽率なところがいかにも息子らしい。問題が難しくて解けなかったのではなく、結局はケアレスミスによる失点だった。誰でもみな、そういうケアレスミスで失点していることが多いのでしょうが。英語はまあまあ八割ちょっと、国語も予想では八割くらいは解けたのではないかと自己採点しておりました。
翌日の新聞の正解を見て落ちた!と思い、後期普通科対策を始める。
試験後はかなり自分でも手応えがあった...という感じで、興奮気味に帰ってきて、喜んで報告してくれましたが、翌日の新聞の解答を見て、予想以上に間違いを発見してしまい、本人は「落ちた!」と思ったようです。諦めて公立高校「後期普通科の試験で挽回する!」と言い、理科と社会の勉強を始めないといけないと、気持ちを切り替えていました。
内申点が最低ラインだったので、「当日入試でミスがあれば、もう絶対合格はないだろう!」という崖っぷ

中学時代五ツ木模試SEE 成績ランキング表(判明分)
中学時代五ツ木模試SEE 成績ランキング表(判明分)

87

 

計154点。おまけに内申点は美術と体育が9以外はオール10でトータル186でした。英語は満点だった生徒も級友には多かった。しかし数学で70(80点満点)以上とった者はいなかったようです。短時間で解かせるには少々問題が難しかったみたいです。
「内申点158だと、普通なら理数科など受けさせて貰えないぞ!」と、後日級友に笑われたらしい。
凄いのは内申点188や186という、ほぼ完璧な生徒が結構いたこと。180点くらいじゃ「普通」という感じで、170というと「相当悪かったな」と言われる始末。それでも過去に内申点が150点もなく合格した生徒もいたという噂があるらしい。内申点より入試点の方が高いなど考えられないこと。
大体内申点が180点前後で入試点が120点前後位の生徒が理数科合格者のボーダーラインには多いのではないかと思います。中学時代の内申点の貯金で、入試で少々躓いても、先行逃げ切り合格...というパターンが多いようです。
その点、天王寺高校理数科は、内申点も当日点もかなり良くなければ合格しないと言われています。或る進学ブックによれば、合格率60%ラインとして、内申点180点(190点満点)、当日入試の偏差値70というのが大手前理数科で、天王寺高校理数科は、内申点182点(190点満点)、当日入試の偏差値71となっています。
トップクラスで合格した生徒は内申点188や186点で、偏差値も76や75がいるので、そんなものかと納得できます。しかし息子のように内申点158点でも当日入試で偏差値75位の結果を出せば、なんとか滑り込めたのも事実です。
合格者説明会に出席して感じたのは、どう見ても「賢そうに見える秀才タイプ」の生徒は少ないなと。見るからに秀才タイプばかりがいるイメージだったのですが、とんでもなく、見るからにパッとしないような風貌の生徒や、失礼ながら可愛いとはお世辞にも言えないような女子生徒が多いという印象でした。人間、見た目と本当の能力とは、あまり相関関係はないのかもしれないと、その時実感しました。息子にしても、絶対に秀才には見えない風貌でしたから。

中学時代の担任教師への御礼状。

中学三年間息子を指導して頂き、誠に有り難うございました。何とか念願の大手前高校理数科へ入学することができ、親としてもホッとしております。
しかし本人は至って暢気で、中学時代と何ら変わることなく「のほほん」としております。さすがに、クラスメートには優秀な生徒が多いようで、かなり刺激になっているみたいです。
理数科というので、数学や理科が得意な生徒ばかりが集まっていると思っていましたが、特に英語が得意な生徒が多いみたいで、理数科というより英数科じゃないかと息子が言っていました。国語や社会もかなりのレベルでできる生徒もいて、五教科全てできるオール10の生徒はかなりいるようです。
意に反し数学がそれ程得意ではない生徒も結構多く、数学の悪さを他の教科でカバーして合格した生徒も少なからずいるようです。苦手教科があるといっても、さすがに総合点では確実に点をとる生徒が多く、学力的にバランスがとれていると言えます。
息子も、数学だけは自信を持っているみたいですが、英語や国語は標準クラス、理科や社会では下位クラスと見ています。五ツ木の模擬テストでの成績優秀者は、全受験者中400人までがランキングに名前と成績・偏差値が、SEEという本に掲載されるので、クラスメートのリストが入ってから、息子と一緒に具に調べた結果、クラスメートの約三分の二近くが、ランキングに掲載されている成績優秀者でした。
高校側は個人情報(口頭開示)以外は一切合格者の成績を公表していないので、自ら調べる他なく、大体の傾向はこれで掴めたように思います。理数科合格者80人の内、半数位は370点満点中、295〜305点位で合格したみたいですが、上位合格者には、370点中340点近い生徒もいたようです。中学時代の内申点が高いのは当然ですが、やはり当日試験の数学の出来が、合否に大きく左右したように思います。
息子は幸いにも合格することができましたが、理数科の受験を決めたのは昨年の十一月と遅かったので、何分対策が分からず手探り状態でしたが、後輩達に言えることは、二学期の内申点をできるだけ取って、少しでも有利にすることと、数学を徹底的に攻略することが大切と感じました。
五教科総合よりも三教科の方が強く、特に数学が強かった息子は、まさしく理数科向きだったと言えますが、内申点158点というのは、クラスメートに笑われる位低かったみたいです。おそらく理数科合格者中では最低点だったのではないかと思います。二学期末には、最低でも内申点を170点位は取っておかないと、当日の試験で絶対にミスはできないというプレッシャーがのし掛かります。

五ツ木模試の受験冊子 SEEが、公立高対策唯一の情報収集手段だった。

中学時代の五ツ木模試のSEEという冊子で、理数科80人の中学時代の模試の成績を調べました。
80人の内三分の二から四分の三近くの生徒は、模試で400位以内の成績でランキングしていました。駿台模試のような、中高一貫私学を目指すハイレベルな生徒が受験する模試を受け、公立中学の生徒が主に受ける五ツ木模試を受けなかったという生徒も何人かいますし、五ツ木模試を一回も受けなかった生徒も一部にいるでしょうが、大半の生徒が近畿圏の中学の中では、トップクラスの生徒だったと言えるかもしれません。

大手前高校理数科を受験した中学時代の仲間達。

同じ公立中学から、大手前理数科を受験した生徒は四人いました。一人は内申点が178点で、息子より既に20点も持ち点で上回っており、合格確実と見られていた本命でしたが、当日点で及ばなかったのか、結局は不合格になりました。後期普通科入試も受けずに大阪桐蔭一類へ進学しました。
もう一人女生徒が合格しましたが、恐らく内申点は180点近くあったのではないかと思います。中学でもトップクラスということは噂になっていましたから。後の一人は実力的には可能性の薄い生徒で、やはり不合格でした。息子にしても内申点が158点で、五ツ木模試でもC判定だったので、合格可能性は五分五分でした。
当日点がよければギリギリ受かるし、ちょっとでもミスをしたら落ちるというボーダーライン上にいた訳で

2003 年度大手前高校 理数科 前期選抜合格者 受験番号表
2003 年度大手前高校 理数科 前期選抜合格者 受験番号表
鳶の親爺と鷹の息子の性格比較
鳶の親爺と鷹の息子の性格比較

 

す。内申点で持ち点をできるだけ増やしておき、当日点ではちょっと落としてもいいようにしておくのが、合格する上での対策だと言えます。
本当に実力があり、一発勝負に強いという自信があるのなら、少々内申点が悪くても勝負すればいいでしょう。高校入学後、内申点が良かった割に、当日点が悪かった生徒は、その後あまり伸びていないような印象があります。やはり英語・数学・国語のメイン三教科の実力がある生徒が、その後伸びているようです。理科や社会は後で何とかなりますが、基本となる三教科はコツコツと実力を蓄えておかないと、一朝一夕には実力はつかない教科ですから。

大手前高校理数科受験総括。 

高校一年時の理数科クラス生徒の平均内申点は、あくまで予想の域を出ないのですが、大体178位で、当日試験の平均は、180点満点で約132点位かと思います。やはりみな数学で苦労したようです。
総合点で295点前後が、03年入試のボーダーラインだったように推察されます。内申点が180点近くあればかなり有利ですが、当日試験の結果如何では、その辺のクラスでも、不合格者はかなりいた模様です。
息子と一緒に受けた友達も、息子より内申点は20点も上で、当日入試もかなりできたと言っていたにも関わらず、残念な結果になりましたし、たとえ息子のように内申点が158点しかなくても、当日試験で150点近くとれる実力があれば、合格の可能性は十分あると言えます。

180点中80点を占める数学の成績が、かなり合否に左右する為、短時間で確実に点が取れる訓練をしておかないと、50分という制限時間内で、理数科の数学の問題を解くのは難しいようです。
息子の話では、「当日の数学は35分で一通り解答できたので、残りの15分を見直しに費やすことができた」と。しかし一問は、勘違いして求められているのとは違う解答をしてしまい、解けた問題をみすみす5点も取り損ね、もう一問は、解けたと思ったが結局は間違っていてマイナス5点、トータルで69点でした(80点満点)。
基本的には、二学期末の内申点が175点以上なければ合格の可能性は低くなってくると言えます。
市販されていた高校受験の或る本によれば、大手前理数科合格80%ラインは、内申点179点、学力偏差値73と書かれてありました。天王寺高校理数科だと、更に難しくて、内申点182点、学力偏差値74で合格率80%とありました。

実際そのレベルであれば、まずトップクラスで合格できると言えましょう。03年度の入試では、大体内申点178点、当日試験132点、合計309点位あれば、合格者80人中、真ん中くらいで合格しているのではないかと思います。ボーダーラインがいくらかとなると、295点くらいかもしれません。295〜300点位だった者が20人位いるのではないかと思われます。
挿入図・表・目次
第二章 中三 02年五ツ木模試の大手前理数科受験者の累積分布グラフ 72
第二章 中三 中学時代の内申点 73
第二章 中三 03年度大手前高校 理数科 合格者の平均内申点、学力試験、総合点平均値予測グラフ 78
第二章 中三 03年度大手前高校 理数科 合格者に見る傾向 79
第二章 中三 公立中学三年間の成績表 82
第二章 中三 中学三年秋の実力考査から大手前理数科合否をシミュレーション 83
第二章 中三 全国公立高校合格80%ライン難易度ランキング(Z会データ)
第二章 中三 Z会 志望高校判定模試(十一月) 87
第二章 中三 理数科第11期生生徒の中学時代五ツ木模試SEE成績ランキング表(判明分) 90
第二章 中三 03年度大手前高校 理数科 前期選抜合格者 受験番号表

 

次へ能ない鳶は能ある鷹をうめるかP101~126 第三章

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