第五章 孤立を更に深め、精神疾患とも闘わねばならぬ煩悶の高三時代 157〜206
高校三年(平成十七年〜)耳栓をして級友の声を遮断していく日々。

Z会の添削で全教科受講態勢を敷くが、早くも暗雲が。

高校三年になり、入試本番まであと一年を切るという時期に来ました。息子も気合いが入ったのか、Z会添削で五教科全てやると、威勢のいいことを言い申し込んだものの、学校の宿題が相変わらず多いのと、各教科月一回の提出と思っていたのが、月二回だったという誤算もあって、最初の一ヶ月で続けることができないと観念しました。(宿題はしていなかった筈ですが...)
物理・化学はできることなら続けてほしかったが、まだ理科に手をつけられるレベルにはないと、自分で判断していました。理科は夏休み以降から本格的に始めると計画していたようです。
「受験の神様 和田秀樹氏」の受験ノウハウ本を読んで、高校二年までに英語と数学を固めると計画していたようですが、結局三年の夏までかかってしまった。中高一貫私学のように、高二で三年間のカリキュラムを終え、高三からは完全に受験体制が敷ける学校じゃないのが公立の弱みです。
自分なりにペース配分は考えていたようなので、親がいくら焦って急かしてみても、勉強するのは本人なので、必要以上に口出ししても、却って悪影響を与え兼ねないと諦めました。

添削は、最低英語と数学だけは、どんなことがあっても続けなければ意味がないと思ったようで、数学は制限時間をあまり意識せず、完璧に解けるまで取り組んでいたので、ほとんど満点近い得点で毎回のようにランクインして、最終的には「東大・京大数学コース」で「七段」にまで達しました。数学だけは自信を持っていたように、何か得意教科を作ることが、大きな支えになります。
英語はたまに良い点をまぐれでとれた程度で、やはり最後まで得意教科にはできませんでした。英語と数学のみに絞ったのは、結果的には良かったのかもしれません。所詮そんなに手を広げてもできるようでできないものです。全教科完璧にこなせるようなら、大学へもトップクラスで合格できるでしょう。何も大学にトップクラスで合格する必要はないのですから、二次試験で60%を確実にとれる勉強をすることが何よりも大事だと、和田秀樹氏の本からも学んだようです。
元々要領だけは良かったので、和田秀樹氏の本にあったように、要領良くこなしていくことの大切さを、身をもって実践できたのではないかと思います。宿題の多い高校でしたが、数学に関しては自宅でやっている暇がないので、授業の合間の休み時間に、誰とも喋らずできるだけ処理するようにしていたと言います。(数学以外は、帰っても宿題はしないと言っていましたが)
帰宅してから他の教科をやるには、数学の宿題で時間をとられている暇などないし、得意教科なら学校で全て済ます。そういう「要領の良さ」を身に付ける必要があります。家ではのらりくらりしていたように見える息子も、学校では結構人が見てる手前もあり、必死でやっていたのでしょう。結果を出す者は、やはり「どこかで人知れずコツコツと頑張っている」と言えます。

大学進学率の推移について

息子が受験した06年度時点での国立大の総数は87校、公立大は89校、私立大は568校。私が生まれた60年度の国立大の総数は72校、公立大は33校、私立大は140校...なので、国立大は17校しか増加していませんが、私立大はこの46年間で、428校も増え、約四倍近く増加したことになります。
高校卒業者の二人に一人近くが大学へ進学する今の時代では、大半が私立大への進学者と言えます。本当に勉強したい学生が大学へ行くのは当然ですが、勉強が目的ではなく、唯遊びに行っているだけ、卒業証書目当ての学生も多いようです。だから大学を卒業すること自体に、あまり価値がなくなりつつある時代と言えなくもありません。
どこの大学であれ、何を勉強し、何を身に付けたかが大切なのであって、大学名など関係ありません。大学への進学率が何倍にも増えても、本当に勉強している学生は、今も昔もごく僅かな一部の生徒だけと言えるかもしれません。

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私も息子にいつも言っていた事は、「勉強していれば、学費の援助はできる限りしてやるが、勉強もせず、留年などしようものなら、その時点で学費は一切払わないからその積もりで」と。大学四年間の学費はなんとか捻出してやるが、大学院へ行きたければ、自分でそれまでに稼いで貯金し、足りなければ自分で奨学金を借りるなりして、授業料を払って学ぶように言っていました。
いつまでも親に学費を出させているような人間が「大成」するとは思えないから、厳しく言明しました。勉強さえしていれば、親は喜んで学費を出してくれると思われては癪に障ります。必死にやっている者にはできる限り応援するが、怠けている人間は「突き放す」と言い続けていました。だから大学四年間で必死に家庭教師をして、自分が大学院へ行く為の学費を貯金させていました。
三人の家庭教師をするとして、週四時間で八千円、月で三万二千円、年で約三十万円、四年で百二十万円、あと足らない部分は、自分で奨学金を借りさせようと思っていました。京大理学部の場合は、八割近い学生が大学院へ進学するようですから。
中学や高校で新聞配達のアルバイトをして、学費を稼いで勉強している子供達もいるのですから、もう大学生ともなれば、それ位のことができて当然でしょう。
国立大に合格して経済的に「親孝行」をしたのだから、学費くらい大学院まで出してやったら...と仰る方もいますが、国立であれ私立であれ、本来自分が学びたい勉強をするのですから、自分で何とかさせるべきです。「アルバイトなんかしていたら、とても勉強なんかできない!」とボヤくけれど、その割には一日八時間以上も寝て、完全週休二日制で、パソコンでゲームをしたり、怠けてばかりいるのは、云わば勉強が仕事の学生としては、本当にけしからんことです。
大学生は夏・冬・春休みを入れたら、一年の半分は休みじゃないかと思える程、休みが腐る程ありますから、ダラダラした生活をすることなく、日々必死に生きろと指導しています。だから私も息子には容赦しません。息子も私の性格を知っていますから、結果を出さざるを得ない訳です。息子の場合、中学・高校と数学が好きで、高校受験も数学が良かったから合格できたようなものですし、大学受験でも、センター試験・京大二次試験とも満点をとり、数学とは何かの因縁を感じているようで、一応専攻は数学科を考えていたようです。しかし大学に入ってからやりたい研究対象が変わるかもしれませんので、二年の猶予期間がある京大理学部が望ましかった訳です。
これが阪大理学部だと、数学科で合格したら、大学で化学をやりたいと思っても、変更は難しいでしょう。大学でじっくり二年間考えた末に、自分の専攻を決められる京大理学部こそ、息子にとっては理想的だったのです。そういう意味では東大理科一類でもよかったのですが、何せ東京となると経済的に仕送りができませんし、親の経済的事情も考えると京大しかなかった訳です。
大学での数学は高校時代までの数学とは全く違い、例えて言うと「哲学」に近いものらしく、物理は「数学」に限りなく近くなり、化学は逆に「物理」になっていくのが大学の理数教科のようです。確かに数学は好きだが、「哲学」となるとまた話は違ってくるから、どの専攻にしたらいいのか悩んでいました。全く捨て教科として真面目に取り組んで来なかった「生物なんか専攻するにはいいかもしれない!」と自嘲気味に言い放っていた位で、分からないものです。

大学院に受かったとしても、トップの5%レベルに入らないと、後の95%は「捨て石」扱いらしく、大学院でトップ5%に入るには相当な努力が必要になるのは想像に難くありません。苦労して大学に入っても、更に上を目指すには大変な勉強を強いられる訳です。息子もかなりプレッシャーを感じていたようで、大学の前期の単位認定試験の最中にまた、精神障害の「強迫神経症」が酷くなり、一時は最悪の状態にまで陥りました。自分でもプレッシャーに弱いと言っておりました。
思い詰めて自殺でもしてしまうのではないか? という危惧があったので、私もこれは拙いと思い、様々なプレッシャーをできるだけ取り払ってやるよう努めました。押したり引いたりと、首尾一貫していない所が確かにあり、朝令暮改と言われても仕方ありません。息子には元気になって貰わなければ、せっかく今まで頑張ってきたことが水泡に帰してしまいますから。

私大の四割が定員割れに...06年度過去最悪に!(毎日新聞06年7月24日付記事より抜粋)
定員割れした私立大学が、06年度に初めて四割に達したことが、日本私立学校振興・共済事業団の調査で分かりました。過去最悪の事態で、短大も五年振りに五割を超えたようです。大学全入時代の到来を07年に控え、私学経営が厳しさを増しているようです。
全国550の私立大学の内、入学者が定員に満たなかったのは222校で、定員割れ率は40.4%。
542校中160校(29.5%)が定員割れした05年度から62校も増加しました。定員割れ率は89年度以来一桁で推移した後、99年度に10%前後を辿り、06年度初めて四割を超えました。 定員の五割にも満たない学校は05年度から三校増えて、二十校(3.6%)となりました。大学の志願者数は約295万人と三年連続で減少。志願倍率も6.7倍と三年連続で低下し、過去最低を更新しました。入学定員三千人以上のマンモス大学(23校)だけを見ると、志願倍率は10倍を超え、志願者数も約五万人増加。全体の約四%のマンモス大で、志願者全体の約45%を占めている状況と、記事にありました。(毎日新聞 長尾真輔さんの記事より抜粋)

勝負の夏休みを、ダラダラと昼まで寝てる怠惰な生活に「喝!」

息子には、放っておくと昼まで延々と寝ているような怠惰なところがあるので、高三の夏休み中は生活リズムを崩さずに、規則正しく自分を律していくよう徹底させました。予備校の夏期講習か何かに通うよう何度も奨めましたが、規則正しく通うことができない性格なので、頑なに無視し続け、夏休み期間中はほとんど外出もせず、「引き籠もりのモグラ」のような生活をし続けました。
予備校などに通って力をつけるタイプの生徒が多い中、息子は独力で夏休みにやるべき勉強計画を立て、それを実行し乗り越え、丁度お盆期間に開催された、駿台の京大実戦模試では、そこそこの成績を残すことができました。自分でノルマを決めて、確実に実行できる意志は大したものだと思いますが、人間として規則正しく身を律して生活することも、それ以上に大切だと思っています。

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高校入試の苦い経験を踏まえ、二次試験一発勝負の京大理学部を志望。
大手前理数科の入試は、中学三年二学期までの内申点(190点満点)と、当日入試の英語50点+国語50点+数学80点(180点満点)の合計370点の上位から、基本的には合格となります。内申点も当日点も良ければ当然合格しますが、息子のように内申点が最低の場合は、当日点で全てが決まってしまいます。それ故、京大理学部のように、センター試験の点数を加算しない(足切りに利用するだけ)、二次試験一発勝負型の大学の方が、息子にとっては性に合っていたと言えます。(京大理学部の試験は、センター試験900点満点換算で600点以下で足切りがあり、二次試験の英語・国語・数学・理科二教科の、合計五教科650点満点での上位から合否が決まります)
大手前理数科(募集80人)に合格するよりも、京大理学部(前期課程の募集は280人)に合格する方が、息子にとっては募集人数で見る限り広き門だったのです。自分はどういうタイプかを的確に把握して、自分が最も得点できる試験をする大学に的を絞ることが、合格への近道と言えるかもしれません。だから滑り止めの私大など全く眼中になく、京大前期課程受験一本だったのです。息子だけが特殊だった訳ではなく、他にも同じような生徒が大手前には多かったようです。狙いを絞って、それに向かって脇目も振らず邁進していくタイプが多かったようです。

私大理系教科+αで、国立大理系学部も十分射程範囲に入る。

息子は社会系教科には全くと言ってもいい位興味がなかったから、当然点も悪く、理科も化学以外はそれ程好きではなかったが、理系に進むにはあと一教科取らざるを得なかったのです。生物は興味も全くないようで、試験も全然駄目でした。化学は数学に次いで点は良かったものの、物理は最後の最後まで得意教科にはできませんでした。それでも理学部に進学したいのなら、数学・英語に加え、物理・化学の四教科は徹底的に受験対策をしておく必要がありました。
京大の場合、工学部以外は、国語が二次試験で課されますが、息子は国語対策はあまりして来ませんでした。古典は高二の段階でほぼ捨てていた位ですから。しかし学校の定期テストでは、一夜漬けながらもそれなりに対策をして、忘れない程度にちょっとは頭に入れていたようです。
大手予備校主催の「京大模試」などの二次試験用の現代文の問題からすると、センター試験の現代文は、裏の裏を読みすぎて却って間違うということも多々あったため、「あまり深く考えず、直感で解答するようにしたら、センター試験問題の得点率がかなり高くなった!」と言います。
国語に関して言えば、二次試験対策をすれば一次試験の問題が解ける訳ではないことが分かったと言います。センター試験直前に、過去問題を何年分か解いた程度の対策しか、国語は取らなかったのですが、国語は不得意ではないという思いが、息子にはあったのかもしれません。高校三年間でまともに読書などしたこともなく、読解力などどこにあるのか? と不思議に思いますが、勘というか要領だけは良かったようです。これはもう「持って生まれた資質」なのかもしれません。
社会は地理Bを選択しましたが、学校の定期テストでも常に60%前後しか取れず、それ以上取ろうと思

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えば、かなり勉強時間を割かないと駄目なのが嫌で、センター試験の地理Bも「60〜70%程度取れればそれで十分」というレベルの対策しかやって来ませんでした。苦手教科に対しては、表現は悪いながら「生かさず殺さず」というようなレベルの勉強の仕方だった訳です。
要するに、理系教科ではない国語や社会に関しては、受験対策はほとんどやってこなかったにも関わらず、センター試験本番では、国語163点(81.5%)、地理Bも73点(73%)位は取れました。それ以上取れても、理学部入試の場合は、合否にはあまり関係ないから、それで十分だった訳です。
学校で行われる定期テストは、手を抜かずに地道にやっておく必要がありますが、それ以上やり過ぎる必要はないのかもしれません。肝腎なのはやはり、数学・英語・理科二教科だと言えます。
センター試験でもこの四教科で900点満点で600点を占める訳ですから。「受験の神様 和田秀樹氏」の本にあったように、力の入れ所を心得てさえいれば、合格点は必ず取れる筈だと。京大理学部入試のように、センター試験を「足切り」にしか使わないような特殊な学部は、二次試験教科に特化した時間配分で勉強をするのが、合格への近道だと思います。
数学・英語・理科の合計で、合格最低点以上取れるよう逆算し力を蓄え、国語で30点程度取れれば「おまけ」と考えられれば、少々調子が悪くても合格できるのではないか...というのが和田秀樹氏の本から学んだ発想でした。
地理Bにいくら時間をかけたところで、90%以上とるのはかなり難しいでしょうから。しかし本当に国語 の実力がない方は、それなりに対策を立てなければ難しいかもしれません。息子の場合は、国語はそれ程できるレベルではなかったですが、できない苦手教科でもなかったのです。完全に古典を捨てたのは高二の時でしたが、漢文はセンター試験レベルなら割と簡単に解けると言ってました。やはり受験は要領よくこなしていった者が突破できるのかもしれません。
どの教科も万遍なくやり、決して力を均等に注ぐ必要などなく、重要な教科にこそ時間を徹底的にかけて、力を充分に割くことこそ合格する為には何よりも大切な方法だと思います。

大学受験に対する息子の考え方。

高三になり京大一本に絞って受験する決意を固めた時も、「前期課程で合格」しか頭になかったようで、「後期課程は受ける気はない!」と言い放っていました。だから願書も当然出す積もりはなく、「検定料が勿体ないから、願書は自分では出さない!」と言い続けました。「前期で必ず受かるから、後期用に受験料を払うのは無駄だし、勿体ない!」といつも言っていましたが、親としては「はいそうですか!」では済まされません。何事にも「保険は必要だから!」と、釘を刺しておきましたが、本当に後期に関しては全く眼中になかったようです。
「手続きをこちらで勝手にやれば、お前は文句ないだろう!」「受験料を払うのは親の方なんだから、とやかく言うな!」と言って説得し、結局後期の願書は私が書かざるを得なかった訳です。
「どうしてそこまで「前期で絶対受かる!」などと断定的なことが言えるのか?」「落ちた時の事も考えておくのが筋だろう!」と息子に問い質したら、「落ちることなど考えていたら何もできない。落ちないように今必死に頑張っているのだから、もしも...とか落ちたら...などという、縁起でもないことは一切考えないし、考えたくもない!」というのが息子の持論でした。
「ゴチャゴチャ云うな、心配せんでも一発で受かってみせるから!」家の中ではのらりくらりしている「のらりクラリスト」と思っていましたが、陰ではしっかり自分に厳しくノルマを課して、きちんと勉強をしていたから、言えるセリフなのかもしれません。持病の腰痛があったから、机でまともに勉強する姿を見たことがなかったし、いつも「やっている!」と言っても、寝そべって本を見ていることも多く、やってるのかと思ったらテレビを見て笑っているし、気が付いたらいつの間にか寝ていることも多かったから、親としては息子が真剣に勉強に取り組んでいるなどとは、とても思えなかったのです。
外では格好をつけるため必死でやっているから、家に帰った時位はそういう束縛から開放されて、のんびりやりたかったのかもしれません。だからのらりくらりしている姿しか、家ではイメージできなかった息子なのです。
勉強にあまり時間はかけないが、やるべき時はきちっと集中的に勉強していたように思います。「睡眠は人よりかなり多めにとらないと、頭がすっきりしない!」というのも持論で、八時間くらいは当然のように寝ていました。ちょっと寝過ぎだと私は思っていましたが、本人に云わせれば、頭の休養も必要なのだそうです。ああ言えばこう言う奴でしたが、自分には厳しかったのでしょう。
その頃よく川柳を作っては、毎日新聞の「万能川柳」に投稿していました。「夜十時 きっちり寝てる 受験生」という句を作って送った記憶があります。明日模擬試験があるとか、大事な日の夜十時頃帰宅したら、子供部屋の電気が消えていて、家内に聞けば「もう寝ているみたいよ!」と。「明日試験じゃないのか? 」「 だから早く寝たみたいね!」そんな会話が多かったものです。

大学受験前の不安定な時期を振り返ると。

中学・高校の六年間では、高三の秋にZ会の「完全攻略!分野別講座」で英語(9月23日 完全攻略英文和訳、大月の採点官をうならせる答案を作るための英文解釈)と化学(10月9日 完全攻略!反応速度・化学平衡と気体の法則・蒸気圧)と物理(10月16日 完全攻略!力学融合問題)の単講座(一講座四千円)を取った程度で、結局は予備校にも夏期講習・冬期講習の類にも一切通おうとはしなかった。時間にルーズだったこともあり、決められた時間にきちんと通う...というのが苦手だったのだと思います。勉強は人に教えて貰うものでなく、自分でやるものだと思っていたのかも。
そして珍しく受けた講座も、「あまり期待していた程には役には立たなかった...」とボヤいていた。「東進ハイスクールの千五百円くらいの参考書を、自分で買って来てやった方が、費用対効果は高かったかも...」と言っていました。何でも自分主体でやることに慣れているので、受け身で与えられる講座より、主体的に自分のペースで進めていく勉強法の方が向いていたのでしょう。英語の採点は、模試よりも大学の二次試験本番の方が甘いという情報は、知らなかったことなので貴重でしたが。「それ以外のことでは、あまり学ぶべきことは少なかった」と、生意気に語っていました。
将来は「予備校で数学のカリスマ講師みたいな存在になって、金を稼ぎたい...」と言う様なことも言っていましたが、まともに予備校なんかに通ったことのない奴が、そんなことを言うのだから可笑しなものでした。 自分の息子ながら「へんな奴だ!」と思って見ていました。

息子は、はたして大物かバカ者か?

上には上がいるので、その上の人から見れば、息子など大した才能ではないかもしれませんし、人間的な面では、欠陥だらけの「ネジが外れた変わり者」なのですが、私が見る限り勉学に限っては、息子は尊敬できる才能をもっていると、身近で見ていて思います。
私には到底できなかったことを、飄々とやってのけてきた訳ですから。しかしこれから大学で「本当の実力」をどうやって身につけていくかこそ、突きつけられる大切な課題であり、その為に親としてできるだけのことはしなければならないと覚悟しております。
何でもできる優等生でありませんが、これはと思ったものに対しては、独力で壁を乗り越えていく能力を持っているようです。その才能を腐らせずに発酵させて、より素晴らしい高いレベルにまで昇華させてほしいと願っています。だから私自身が失敗してきたことや、あるべき真の姿という話を、事ある毎に言い聞かせて来ましたし、私自身いろんな本を読む中で得たメッセージを、息子には常に発信してきました。それをどこまで真摯に捉えてきたかは、甚だ心許ない限りですが、私としては息子に正道を歩ませるために、愚直にも発信し続けるしかなかったのです。
親としては、娘も可愛いのは言うまでもありません。勉強は全くできないけれど、性格的に好感が持てる娘を見ていると、とても微笑ましく思えます。娘を見ていると、人に好かれて平凡な人生を平穏に歩んでいくような気がします。私が何かをしてやらなくても、性格的な面では、とやかく言うことはまずありません。素直で一生懸命に生きているだけでもう充分なのです。
娘は勉強ができなくても、勉強して進学してキャリアを積んで生きていくタイプではないので、あまりうるさいことは敢えて言いません。しかし息子の場合は、勉学で身を立てていくしかない「偏屈な変わり者」なので、必要以上にうるさく言ってきました。子供には平等に対応している積もりでも、子供の個性によって言うことが全く違ってくるのは当然でしょう。

中学・高校の担任教師の出身校へと進学した奇遇。 

中学時代の担任の先生には、三年間に二回(中二以外)受け持って頂きました。しかもその先生の出身校も大手前高校ということで、息子には担任が自分の目指す高校出身という点で、非常に奇遇でした。その担任の先生は、奇しくも娘にとっても三年連続の担任でした。つまり息子と娘の中学六年間の内、五年間は同じ担任の先生だった訳です。先生も苦笑いされていましたが。そして高校三年時の担任も、息子が目指す京大理学部出身ということで、いろいろと適切なアドバイスを頂け、何か不思議な巡り合わせを感じたものです。

第一回駿台 京大実戦模試(05-8-15)→50位A判定に吃驚仰天。

息子は「滑り止めの私大など、一切受ける気はない!」という意志が固かったので、それなら大手予備校主催の「京大模試」を受けられるだけ受けるよう、何度も説得した。本人は「二回程度で十分だ」と言い張ったが、安い受験料で、しかも詳細なデータが分かる模試だけに、日程が重ならない限り、駿台や河合塾、代々木ゼミナールなどの京大模試を、バランスよく受けるように懇願しました。受ける本人にすれば、一日中拘束されるので、確かに大変だったでしょうが。
一般的な模試でいくら結果を残せても全く参考にはなりません。京大理学部に受かるために必要な、特化した模試を受けることによって、その時点での息子が足りない学力を見つけ、随時矯正していくことが何よりも大切な受験対策になると思えたからです。
代々木ゼミナールの「京大プレ」は学校の試験日や、他の模試などと重複し、日程がうまくかみ合わなかったので、結局は一回も受けられませんでしたが、駿台予備校や河合塾の模試によって、京大の入試本番さながらの難問に挑戦する、強い意志を磨くことができたことと、受けたことで自分の実力や志望者中の順位が分かり、京大受験への自信がついたことが良かったと思います。

最初は、まだ暑いお盆の時期に開催されたので、「まだこんな時期だと勉強も仕上がっていないだろうから、受けたとしても散々な目に遭うだろう!」と当初は予想していました。合格点など程遠いことに気づいてくれれば、今後の勉強の仕方を変えざるを得ないだろうし、本人も必死に眼の色変えてやるだろうという思いでした。
受けた後の感想を本人に聞いたところ、「数学はそれ程難問じゃなく、一問35点の問題をミスした以外、まぁまぁ出来た。英語はそれ程難しくはなかったが、自分の単語力不足を思い知った。点数は多分半分以下だろう。化学はまだましだが、物理はさっぱり分からず、三問しかなかったが、試験問題を五分見て、解くのは無理だと思った。試験会場(京大校内で開催)でも、理科のテスト中ペンを走らせ答案を書く音は、ほとんど聞こえて来ない状況だった。みんな問題の難しさに目が点になっていたんじゃないか? こんな難問が京大受験当日に出たら、まず受からないだろう!」というような内容でした。
「国語も古典は全く歯が立たないから最初から捨てて、現代文二問を選択。現代文もほとんど対策をしていないから、自分の常識でもって答案を埋めるには埋めたが、どれだけ部分点を貰えるかさっぱり分からない状況。下手したら10点代かもしれない!」と、嘲笑うように言い放っていました。トータルでは650点満点で、半分も取れていないだろうという予想でした。
試験後、高校の同級生の一人(京大理学部合格)の話が聞こえたらしく、「京大はやはり無理かもしれないから、阪大に志望を変えようか!」と。滋賀医大に受かった級友も受けに来ていたが、「センター試験レベルの問題ばかりやっていても仕方ないから、京大模試を受けて難問に挑戦してみたが、こんなに難しく

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歯が立たないとは思わなかった!」と、ショックを受けた様子だったと言う。
結果は一ヶ月半後あり、数学157点(200点満点)、英語66点(150点満点)、現代文21点、物理29点、化学63点(各100点満点)、合計336点(650点満点)だった。年度によってかなり違いますが、京大理学部入試の合格最低点は、低い年でも350点くらいなので、これじゃ不合格だな、合格可能性はC判定位だろうと思って見たら、なんとA判定。受験者約800人中でも50番で、成績優秀者ランクにギリギリながら掲載されており、本人もその結果に「嘘だろう!」とちょっと唖然としていました。
「まだ受験本番まで六ヶ月もある八月だから、みんなこんな程度なのか?」しかし浪人生も受けている筈だから、「上位はほとんど浪人生が占めているのだろう!」と思いましたが、意に反してランキングを見ればそうでもなく、ということは、「現役生であれ浪人生であれ、八月の段階ではまだこの程度の実力でも合格圏内なんだな!」と、ちょっと胸をなで下ろしたようでした。
もの凄く高いレベルだと、勝手に想像していた京大という目標も、実はそれほど高いものではなかったと実感できた訳です。成績がズバ抜けているのはトップ20人位で、後はそれほど「もの凄いというレベル」ではないことが、模擬試験結果を分析した結果、よく分かりました。

 

能ない鳶は能ある鷹をうめるかP156~P206 第五章後編

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