tonbitaka1

 

 

十九歳二ヶ月で逝った、今は亡き息子に捧ぐ

能ない 鳶は 能ある 鷹をうめるか

 

まえがき
子供の教育問題には、誰もが頭を悩ませていることと思います。塾や予備校で子供を学ばせれば、優秀な講師達が力をつけてくれるでしょう。立派な学歴を持つ大学生を家庭教師に雇えば、それなりに勉強ができるようになり、成績がアップすることもあるでしょう。教育費をかければ、かけたなりの成果は、きっと得られるに違いありません。
しかし親が子に教えなければならないことまで、他人に任せるのは親の怠慢以外の何物でもありません。親として子供に、精一杯何かを教えることこそ大切で、子供と同じ目線に立って物事を見てやることで、子供が勇気づけられ勉強になることは多いのではないかと思います。時には親の苦労を子に正直にぶつけてもいいのです。「勉強さえしていればそれでいい!」などと、子供に思わせてはいけないと思うのです。
世に「鳶が鷹をうむ」の例えがあるように、凡庸な両親の元から、時には優れた子供がうまれる場合があります。自分の息子がそうだと言うのは、親として烏滸がましいとは思いますが、誰が見てもそうだと言わざるを得ない事実があります。
私は「鷹」になりたくて仕方なかったが、結局なれずに「鳶」として生きざるを得なかった挫折人間です。一方息子は、どう見ても「鳶」のように見えるけれど「鷹」の道を着実に歩んでいます。
「鳶」が「鳶」を生む、或いは「鷹」が「鷹」を生んでも、余りに当然なので面白くありませんし、「鷹」が「鳶」を生んだ話じゃ人に感動は与えられません。「鳶」が「鷹」を生んでこそ、どういう経緯でそうなったのか、その秘密を探る楽しさがあるのではないでしょうか?
「優秀な息子の自慢をしたいが故にこんな本を著した」と思われるのは辛いのですが、不甲斐ない自分から、どうしてこんな息子に成長していったのかを、親としてずっと追ってきた軌跡を、一冊にまとめることによって、世の受験生を抱える父兄達の参考になれば幸せです。
それ故、良きにつけ悪きにつけ、赤裸々にありのままに綴ってきました。良かったとしたら、何が良かったからなのか? 悪かったとすれば、どこが悪かったからか? を明らかにしながら、次のステップに繋げていくことが何よりも大切だと思っています。一喜一憂しながらも、最終的に目標を達成することが肝要であり、やるべきことを着実に蓄積していけば、目的を遂げられるのは当然なのかもしれません。
世にある合格体験記というものは、本来合格した本人が書くものであり、見守ってきた親がしゃしゃり出る幕はないのでしょうが、親バカだと思って、ご勘弁願います。
さて、大阪の府立高校の名門と言われる高校に、北野、茨木、三国丘、天王寺、四條畷、大手前、生野、高津、岸和田などの普通科高校がありますが、それらとは別に「専門学科」を擁する、天王寺高校理数科と大手前高校理数科は、倍率といい募集人数(各八十人)といい、大阪では国立の大阪教育大附属(池田、天王寺、平野各学舎)高校を除けば、合格するのが難しい難関高校とされています。
大阪府立天王寺高校理数科は、例年倍率が四倍以上もあり、名実ともに大阪の公立高校では最難関と言われております。また、日本の公立高校理数科の中でも最難関とされています。そして次の二番手に位置するのが、大阪府立大手前高校理数科と言えるかもしれません。
北野や茨木高校などがいくら難しいと言っても、募集人数が三百二十人もあり、倍率も1.2倍前後なので、合格すること自体は、天王寺理数科や大手前理数科の比ではないでしょう。
その大手前高校理数科を息子が受験することになり、ギリギリながらも合格することができたことで、3.7倍近い倍率をかい潜り、入ってくる生徒とは、一体どんな生徒達なのか? という興味が人一倍強かったことが、このような本を書くきっかけになったのかもしれません。
息子から断片的ながら耳に入ってくる情報を、その都度忘れないよう逐一メモにして、書き記しておいた種々雑多な資料がファイルにして十数冊、順を追って系統的にまとめることで、「息子の受験過程の総括をしたかった」というのがこの本を執筆した動機でもあります。
私が他の親達と違う点と言えば、高校生にもなった自分の子供の成績を、毎回エクセルシートに入力して残してきたことや、自分の子供に限らず、級友の進路にまで興味をもって、いろいろ執拗に調べてきたことかもしれません。
複数の生徒の合格体験記を集めたものは数々ありますが、一人の生徒がどう成長し、複数の仲間達の中での順位を推移し、高校生活や勉強への取組み方をどう工夫してきたか? などについては、じっと興味を持って見つめてきた親にしか書けないものではないかと思います。
子供の生き様だけでなく、どういう生徒がその後どうなっていったか? 同級生達の生き様にも非常に興味があり、できるだけ詳細に追いたかったのですが、追求できる範囲は限られており、必要以上に根掘り葉掘り聞き出せませんから、どうしても不本意になったことは否めません。
一体どんな内容の本なのか?
大学二次試験入試一カ月前に自ら「精神科医に診て貰いたい!」と思い詰めた程、精神状態に異常をきたしながら、京大理学部前期課程に現役で合格した息子と、その親爺が繰り広げた、数年に亘る「実録!受験顛末記」のようなものです。
子供の養育や教育に関しては、女房に任せっきりという世の「亭主族」が多いと思いますが、教育に於ける「父と子の在り方」について、どうあるべきかを世に問いたいと思っています。息子が大学に合格したから、全てが正当化されるとは思っていませんし、たとえ不合格だったにしても、そこから何かを学び取り、次へ生かして行く事が何よりも大切だと思っています。
順風満帆で生きてきた息子の人生も、土壇場で大変な嵐に見舞われ、転覆しかけた訳ですが、それを親子で歯を食いしばって必死に耐え、乗り越えていった「実録!受験ドキュメント」とも言えましょう。
大学受験という避けて通れない大きな試練に対して、当人の息子以上に必死になって、あれこれ模索する「鳶」親爺の試行錯誤が滑稽に映るかもしれません。「鷹」になり損なった落ちこぼれ親爺のコンプレックスから出てくる恐るべき執念。そういったものが滲み出ているかもしれません。
子供が高校生ともなると、どうしても「父との親子の会話」が少なくなるご家庭が多い筈です。受験で揺れる「高校生の葛藤」を親の視点から綴ったものは、今までにあまりなかったのではないでしょうか?
良くも悪くも正直に、公立の学校一筋に学んできた息子の、過去の成績を具体的に開示することで、一つの「モデルケース」を示せるのではないか? と考えました。益々少子化の世の中になりつつある昨今、子供に対する教育の重要性は増す一方ですから。
経済的に余裕のあるご家庭なら、中高一貫の名門私学へ通わすのが、受験の正道でしょうが、経済的な余裕のない家庭では、渋々ながら授業料の安い公立の学校へやらざるを得ないのが現実です。
公立の高校から難関大学を狙う為には、果たしてどれくらいのレベルでないと難しいのか? 更に、予備校や塾にも行かないのなら、自らにどういう勉強を課さなければならないのか? そういう疑問に対するひとつのヒントになるのではないかと思っています。
人間、どういう教育を受けてきたかで、その後の人生は大きく左右されるものです。いつになってもやる気さえあれば「やり直しはきく」とは言っても、現実はそんなに甘くはありませんから。人生を踏み外さない為には、充実した中学〜高校生活を経て、志望する道に進めればいいのでしょうが、やはり学生時代に如何に自己抑制して、勉学に力を注げるかが重要だと痛感しています。
自分の子供が、大いなる夢を抱いて、新たな道を切り開いて行くのを見るのは、親として嬉しいものです。その為に子供の支えとなり、時には踏み台に徹し、道案内役をしてやることが、親の務めだとも思います。
自分が「人生の落ちこぼれ」だという意識が強い為、子供には同じ道を歩ませたくない一心で、息子に接してきたのかもしれません。息子にとって父親の私という存在は、どんなものであったのかは、今は照れ臭くて聞けませんが、息子が人の親となり、子供を育てるようになった暁には、是非聞いてみたいと思っていました。父親の存在は心強かったのか? ただ鬱陶しいだけの存在だったのか? 感謝をしてくれているのか? プレッシャーばかり与えてきた為に、負担に押しつぶされそうになって大変だったのか? 等々、それら全てが叶わぬ夢になってしまいました。
精神疾患で最悪の状態の時、「言いたい事があるなら言ってみろ!」と嗾けたことがありました。息子が言うには、「親爺と一緒に飯を食っていると、クチャクチャ食べる音で死にそうになる!」と言われたことがあり、それ以降暫くの間一緒に食事をすることを控えたこともありました。「音」に対して当時、病的な過敏症が徐々に酷くなっていたのでしょう。親としてとても情けなかった。子に与えた「様々なプレッシャーが有形無形の拒絶反応」になって、精神障害として表れたのかもしれないと思うと...。「父子の衝突」はどこのご家庭でも、避けられない関門なのかもしれません。
それをどう乗り越えていくか? 兎に角、格好つけずに精一杯悪戦苦闘していくしかないのかもしれません。息子がもし大学に落ちていたら、今頃は父子共々大変な修羅場が続いていたと思い、ゾッとします。受験は乗り越えるか乗り越えられないかで、天と地の差があります。乗り越えたからと言っても、そこからまた新たなスタートが始まるだけなのですが、乗り越えられなければ、茨の道が待っています。過酷な精神状態を維持しつつ、歩み続ける他ありませんから。
そこで躓けば、益々辛い境遇へと更に堕ちて行きます。堕ちる所まで落ちて初めて、現実の非情さを知る訳です。取り返しがきかない現実。どうにか生きては行けても、社会の底辺に這い蹲って生きて行くしかない現実が待っているのです。「俺のように なりたいのかと いう説教」という川柳を作り「セルジオ苺」というペンネームで投句し、毎日新聞朝刊仲畑貴志の「万能川柳」に掲載されたことがありましたが、正にその思いを、息子に反面教師として実践してきたのです。
私がこの本を書いた狙いは?
一、自分の息子としてより、寧ろ一人の人間として、その「特異な能力」を客観的に分析してみたかった。後日談で、私が中学時代の息子に語った言葉「お前も頑張れば、阪大位には合格できるかもしれないが、京大はまず無理だろう!」この言葉が息子には「バネになった!」と言ってました。息子にもプライドがあったのでしょう、何としてでも京大に受かって、「親爺を見返してやろう!」という気概が、その頃に芽生えたのだと思います。
二、公立一筋のハンデを、如何に克服して行ったか? 高校こそ進学校でしたが、小・中学校はどこにでもある普通の公立学校であり、しかも学習塾や予備校には通った経験もなく、難関の京大に現役で合格できる学力を、独力で身に付けて行った過程を詳細に辿ってみたかった。中学三年以降は、Z会の通信添削が独学の柱になったのは確かです。
三、私自身が挫折し果たせなかった夢を、飄々と乗り越えて行った息子の、受験に対する「ものの考え方・発想法」について、深く踏み込んで分析してみたかった。「絶対に前期で合格するから、ゴチャゴチャ言うな!」「合格するために必要な勉強をちゃんとやっているから、大学入試に落ちることなど考えたこともないし、考えたくもない!」が口癖だった息子の不敵な程の自信は、どこから来るのか? 滑り止めの私大などには一切目もくれず、京大前期課程一本で勝負した純粋さ。息子の特徴である「要領の良さ」と「ここぞという時の集中力」についても、言及してみたかった。
四、京大に合格するために必要な「具体的な勉強方法やその秘訣」について、息子から聞き出したことや、本人の勉強日記、和田秀樹式ノウハウから息子自身が学び、取捨選択しつつ実践してきたことについて、自分なりにまとめてみたかった。決して優等生のように、全教科万遍なくできる必要などなく、英語・数学を中心とした得意教科を核として、受験に必要な教科を少しずつ巻き込んでいく「省エネ勉強法」について、本当にそんなやり方でいいのかを、明らかにしたかった。
五、二次試験の四ヶ月前から「強迫神経症」に苦しみ、勉強が手に付かなかったにも関わらず、入試を乗り越え、合格を勝ち得た「不屈の精神力と執念」についても言及してみたかった。
六、受験勉強での「計画の遅さ」にも関わらず、二次試験の合格平均点を超えることができたり、国語や社会等にほとんど時間を割いていなかったにも関わらず、それが足を引っ張らなかったのは何故か? 京大受験では、中高一貫私学の俊英達との競争になる以上、当初は高二終了時までに英語と数学を終え、高三からは他の教科を順次仕上げて行く計画でしたが、実際、英語・数学は夏休みまでズレ込み、物理・化学は夏休み終わり頃からという遅さでした。
七、京大理学部前期課程入試の特異性と京大理学部の魅力についても言及したかった。
国語100点、英語150点、数学200点、理科二教科選択で200点の合計650点の上位280人で合否が決まり、センター一次試験は全国の国公立大で、唯一足切りにしか使われません。それを国語64点、英語79点、数学200点、理科114点の合計457点取り、合格者平均点415点より42点も高い結果を残しました。国語が0点でも、英語が0点だったとしても、合格最低点の366点以上はあったことになります。理科が仮に200点満点で23点だったとしても、ギリギリ合格できたことになります。数学・理科・英語の三教科合計が366点以上あれば、国語が0点でも合格可能だったのです。 数学と理科だけでも飛び抜けてできれば、この二教科で配点は400点あるので、満点とれば、極端な話、国語と英語が両方とも0点でも合格できたのです。そのように考えると、入試に必要な四教科中三教科に絞って、集中的に力を蓄えていくだけでいいとも言えます。

 センター一次試験で足切りがあると言っても、まさか国語と社会で0点ということはまずあり得ないですから。数・理・英でほぼ満点取れば600点あり、まず足切りには引っ掛からないのです。
以上七つの狙いを念頭に置いて、息子の中学〜高校時代の人生について、私なりに言及してきました。文章だけでは分かりにかったり、説得力が足らないと思われる箇所は、図表を数多く掲載致しました。細かな数字が多くなって、大変読みづらいとは思いますが、できるだけコンパクトにまとめようと思うと、どうしても小さくなってしまいました。文章の拙さを、図表でカバーしているとも言えますし、具体的な図表があるからこそ、単調にならなくて済んでいるとも言えるかもしれません。
何分素人故に、独断と偏見の元に言及している部分が多いかと思いますが、その点はどうかご容赦頂きたい。できるだけ引用資料については出典を明記しましたが、カバーしきれていないかもしれません。
この本を読んだことで、少しでも皆さんの役に立てて貰えれば有り難いと思っています。本来なら息子にも読ませたかったですが、それが永遠に叶わないのが残念でなりません。

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事