はなむけ(餞)の意味と語源|「はな」は花?鼻?答えは鼻、土佐日記「馬のはなむけ」現代語訳

この記事の結論

  • はなむけ(餞)とは、旅立つ人や門出を迎える人に贈る品物・お金・言葉、またはその人を送る送別の宴のこと
  • 「はなむけ」の「はな」は「鼻」。花ではない
  • 語源は「馬の鼻向け」。旅立つ人の乗る馬の鼻先を行き先に向けて、道中の無事を祈ったこと(デジタル大辞泉)
  • 漢字では「餞」(または「贐」)。古文では紀貫之『土佐日記』の「馬のはなむけ」(=送別の宴)が有名

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中学受験から難関大まで、「はじめて・しっかり・もっと深く」の3段で、図と練習問題つきで解説しています。

助動詞「なり」(伝聞・推定)助動詞「なり・たり」(断定)「なり」の識別旧暦・季節・時刻現代語と意味がちがう古語歴史的仮名遣い古文文法辞典(表紙)

言葉の意味・語源
馬の鼻向け

卒業式や送別会で「はなむけの言葉」という言い方をよく聞きます。では、この「はな」は、お祝いの「花」でしょうか、それとも顔の「鼻」でしょうか。この記事では、「はなむけ」の語源と意味、よくある誤用、そして古文の教科書でおなじみの紀貫之(きのつらゆき)『土佐日記(とさにっき)』の「馬のはなむけ」まで、図を使って解説します。

「はなむけ」の「はな」は花?鼻?答えは「鼻」

「はなむけ」の「はな」は、「花」と「鼻」のどちらでしょうか? 正解は「鼻」です。

昔、旅に出る人を見送るとき、その人が乗る馬の鼻先を、行き先の方向へ向けて、道中の無事を祈りました。この「馬の鼻向け」から、旅立つ人のために宴を開いたり、贈り物をしたりすることを「はなむけ」と言うようになりました。

昔旅立つ人の馬の鼻先を行き先へ向ける▶意味が広がる旅の無事を祈って送別の宴・贈り物▶今門出を祝う品物・お金・言葉 「はな」は花ではなく「鼻」
「はなむけ」の語源と意味の広がり

花束を贈る場面で使うことが多いので「花向け」と思いこみやすいのですが、もとは馬の「鼻」です。「門出(かどで)に花を贈るから花向け」というのは、語源としては正しくありません。

「馬の鼻向け」から「餞」へ ― 意味の移り変わり

もとは「馬の鼻を向ける」という行いを指していた言葉が、やがて「馬の」が取れて「はなむけ」となり、旅立つ人のためにすること全体を指すようになりました。今の辞書では、次のような意味がのっています。

「馬の鼻向け」から「餞(はなむけ)」へもと:馬の鼻向け(うまのはなむけ)馬の鼻を行き先へ向けて、旅の無事を祈る行い「馬の」が取れて「はなむけ」漢字では「餞」「贐」送別の宴旅立つ人を送る酒宴土佐日記「馬のはなむけす」品物・お金旅立つ人に贈る物=餞別(せんべつ)言葉・詩歌門出を祝って贈る「はなむけの言葉」どれも「旅立つ人・門出を迎える人のため」という点は変わらない
「はなむけ」の意味は「行い」→「宴・贈り物・言葉」へと広がった
  • 送別の宴:旅立つ人を送るために開く酒宴。平安時代の『土佐日記』では、この意味で使われています。
  • 品物・お金:旅立つ人や新しい生活を始める人に贈るもの。今の「餞別(せんべつ)」とほぼ同じ意味です。
  • 言葉・詩歌:門出を祝い、励ますために贈る言葉。「はなむけの言葉」「はなむけの歌」などと使います。

漢字では「餞」と書くのが一般的で、「贐」と書くこともあります。「餞」は「餞別」の「餞(せん)」と同じ字です。「贐」は「貝(お金・財産を表す部首)」がついていて、旅立つ人に贈る品物やお金を表す字です。

「はなむけ」の意味と使い方(例文)

意味例文
旅立つ人・門出を迎える人に贈る品物・お金・詩歌など卒業生にはなむけの言葉を贈る
送別の宴転勤する先輩のはなむけに、みんなで食事会を開いた
  • 漢字では「餞」(または「贐」)と書きます。「餞別(せんべつ)」の「餞」です。
  • 「はなむけ」は旅立つ・門出を迎える人に贈るものです。卒業・転校・転勤・留学・結婚などの場面で使います。
  • 手紙やスピーチでは「心ばかりのはなむけ」「はなむけの言葉として」などと使います。

よくある誤用

誤用正しくは
「故郷にはなむけできない」故郷に帰ることを言うなら「故郷に錦を飾る」(成功して故郷に帰る)。「はなむけ」は旅立つ人に贈るもの
「花向け」と書く「鼻向け」が語源。漢字で書くなら「餞」
帰ってきた人に「はなむけ」を贈る帰ってきた人をねぎらうなら「お帰りなさい会」「慰労(いろう)」など。「はなむけ」は出発する人に

「故郷にはなむけ」という言い方は、「故郷に錦を飾る」とまざった使い方です。気をつけましょう。

「はなむけ」と似た言葉(餞別・手向け・壮行)のちがい

「はなむけ」には、意味が近い言葉や、音が似ていてまちがえやすい言葉があります。だれに・何を贈るのかで区別すると、すっきりわかります。

「はなむけ」と似た言葉のちがい言葉だれに何をはなむけ(餞)旅立つ人・門出の人物・お金・言葉・宴餞別(せんべつ)旅立つ人・去る人品物・お金手向け(たむけ)神仏・亡くなった人幣(ぬさ)・花など壮行(そうこう)試合・遠征に出る人壮行会で励ます「はなむけ」「餞別」は人へ、「手向け」は神仏や亡くなった人へ
「はなむけ」「餞別」は人へ、「手向け」は神仏や亡くなった人へ。「壮行」は会を開いて励ます
  • 餞別(せんべつ):旅立つ人・転勤や退職で去る人に贈る品物やお金。「はなむけ」と同じ「餞」の字を使います。今の会話では、品物やお金なら「餞別」、言葉なら「はなむけの言葉」と言い分けることが多いです。
  • 手向け(たむけ):神や仏、亡くなった人に物を供えること。「手向けの花」は、お墓や事故の現場に供える花です。昔は、旅の人が峠などで道の神に幣(ぬさ、布や紙の供え物)を供えて、旅の無事を祈りました。「はなむけ」と同じく旅の無事を祈る言葉ですが、贈る相手が人ではなく神仏という点がちがいます。
  • 壮行(そうこう):大会や遠征などに出る人を、さかんに送り出すこと。「壮行会」と使います。

「手向け」が出てくる有名な和歌に、百人一首24番の菅家(かんけ、菅原道真〈すがわらのみちざね〉)の歌があります。

このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま)紅葉(もみぢ)の錦(にしき)神のまにまに

「今度の旅は急いで出てきたので、神に供える幣も用意できなかった。手向山の美しい紅葉を幣の代わりに、神の御心のままにお受けください」という意味です。「このたび」は「この度(今度)」と「この旅」をかけた掛詞(かけことば)です。旅の安全を神に祈る「手向け」の習わしがよくわかる一首なので、百人一首24番「このたびは」の解説もあわせて読んでみてください。

うかるくん

うかるくん

先生、「はなむけ」って、卒業式で花束を渡すから「花向け」だと思ってました…。

合格先生

合格先生

そう思う人は多いね。でも語源は馬の「鼻」。昔の旅は馬に乗ることが多かったから、馬の鼻を行き先へ向けて「無事に着きますように」と祈ったんだ。

サクラちゃん

サクラちゃん

じゃあ、船で旅立つ人には「馬のはなむけ」は変じゃないですか?

合格先生

合格先生

するどい! まさにそこが、『土佐日記』のおもしろいところなんだ。次で読んでみよう。

土佐日記の「馬のはなむけ」

「馬のはなむけ」は、紀貫之の『土佐日記』(『土左日記』とも書く。935年ごろ)に出てくることで有名です。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。

土佐日記は、この有名な書き出しで始まります。男性の紀貫之が、女性が書いたという形で、仮名を使って書いた日記です。当時、男性の公式な日記は漢文で書くのがふつうでした。仮名で書くことで、気持ちを自由に、こまやかに表すことができたと考えられています。この一文は丸暗記しておきましょう。

土佐(今の高知県)から京へ帰る船旅の始まりの場面に、こうあります。

藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけす。

(土佐日記の本文の表記は、本によって少しちがいます。「馬のはなむけしたり」とする本もあります)

「船旅なのに、馬のはなむけ(送別の宴)をしてくれた」――船で行くのに「馬の」と言うところに、ちょっとした言葉遊び(おかしみ)があります。このころにはすでに「馬のはなむけ」が「送別の宴」という意味で使われていて、もとの「馬」の意味はうすれかけていた、という見方もあります。古文の授業でよく取り上げられるポイントです。

同じ場面の「潮海(しおうみ)のほとりにて、あざれ合へり」にも、しゃれがあるといわれます。「あざる」には「ふざける」という意味と「(魚などが)腐る」という意味があり、塩のきいた海のそばなのに「あざる(腐る)」とかけた、という読み方です。

土佐日記 冒頭の原文

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。
ある人、県の四年五年果てて、例のことどもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろ、よくくらべつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに、夜更けぬ。
二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけす。上中下、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれ合へり。

冒頭の現代語訳(おおよそ)

男も書くという日記というものを、女も書いてみようと思って書くのである。ある年の12月21日の午後8時ごろ(戌の時)に出発する。そのいきさつを、少しばかり書きつける。ある人が、国司としての4〜5年の任期を終え、決まった仕事をすべて済ませ、引きつぎの書類(解由)などを受け取って、住んでいた官舎を出て、船に乗る所へ移る。あの人この人、知っている人も知らない人も見送りをする。長年親しくつきあってきた人たちは、別れがつらく思って、一日中あれこれしながら騒いでいるうちに、夜がふけた。22日に、和泉の国まで無事に着くようにと願を立てる。藤原のときざねが、船旅なのに「馬のはなむけ(送別の宴)」をしてくれる。身分の上の者も中の者も下の者もみな酔っぱらって、まことに不思議なことに、塩のきいた海のそばで、ふざけあっている。

「すなる」と「するなり」― 土佐日記の書き出しの文法

土佐日記の書き出し「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」は、定期テストでも入試でもよく問われる一文です。ポイントは、よく似た「すなる」と「するなり」の「なり」が、別の助動詞だということです。

「男もすなる日記といふものを…」を文法で分ける男もすサ変終止形なる伝聞なり連体形日記といふ読みは「いう」ものを、女もしサ変連用形てみ「みる」連用形む意志終止形とて、〜と思ってするサ変連体形なり。断定なり終止形終止形+なり(す+なる)→ 伝聞「〜するという」連体形+なり(する+なり)→ 断定「〜するのである」
同じ「なり」でも、終止形の下なら伝聞、連体形の下なら断定
  • すなる:「す」はサ行変格活用(サ変)の動詞「す(する)」の終止形。終止形の下につく「なる」は、伝聞の助動詞「なり」の連体形です。「(男も)するという」と訳します。人から聞いた話として言っているのです。くわしくは助動詞「なり」(伝聞・推定)へ。
  • するなり:「する」はサ変「す」の連体形。連体形(や体言)の下につく「なり」は、断定の助動詞「なり」です。「するのである」と訳します。くわしくは助動詞「なり・たり」(断定)へ。
  • してみむとて:「し」はサ変の連用形、「み」は「みる(試しに〜する)」の連用形、「む」は意志の助動詞で、「〜してみよう」。「とて」は「〜と思って」と訳すことが多い言い方です。「む」の意味の見分け方は助動詞「む(ん)」で練習できます。

このように、「なり」の上が終止形か連体形かで意味が変わります。ところが「す」のようなサ変動詞は、終止形「す」と連体形「する」の形がちがうので、見分けやすいのです。ほかの動詞では形が同じになることも多く、そのときは文の意味から考えます。「なり」の見分け方を一度に整理したい人は「なり」の識別、サ変の活用は変格活用(カ変・サ変・ナ変・ラ変)を見てください。

また、「といふ」の「いふ」は、歴史的仮名遣いのきまり(語の中や終わりの「は・ひ・ふ・へ・ほ」は「わ・い・う・え・お」と読む)で「いう」と読みます。「思ひて」は「おもいて」、「酔ひ飽きて」は「えいあきて」です。

「ここが大事!」と説明する合格先生

合格先生

「すなる」は終止形+なり=伝聞、「するなり」は連体形+なり=断定。この1行で「なり」の識別の基本が身につくぞ。書き出しは丸ごと覚えておこう!

「二十日あまり一日」「戌の時」― 日付と時刻の読み方

書き出しの2文目「それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す」には、昔の日付と時刻の言い方が出てきます。

  • それの年:「ある年」。年をわざとぼかした言い方です。
  • 十二月(しはす):旧暦の12月。月の名前では「師走(しわす)」です。
  • 二十日あまり一日(はつかあまりひとひ):「20日と、さらに1日」で21日のこと。
  • 戌の時(いぬのとき):十二支で表した時刻で、午後7時〜9時ごろ。まん中をとって「午後8時ごろ」と訳すことが多いです。
「戌(いぬ)の時」は何時? ― 十二支の時刻子23〜1ね丑1〜3うし寅3〜5とら卯5〜7う辰7〜9たつ巳9〜11み午11〜13うま未13〜15ひつじ申15〜17さる酉17〜19とり戌19〜21いぬ亥21〜23い1つが約2時間戌の時=午後7〜9時ごろ(数字は今の時刻)
真夜中の「子の時」から、十二支でおよそ2時間ずつ時刻を数えた

昔は1日を十二支で12に分け、真夜中を「子(ね)の時」として、およそ2時間ずつ「丑・寅・卯…」と数えました。お昼の12時を「正午」と言うのは、「午(うま)の時」のまん中だからです。旧暦の時刻や季節の言い方は、古文文法辞典の旧暦・季節・時刻で図を使ってまとめています。

旧暦の12月は、今の暦ではおおむね1月ごろにあたり、二十四節気でいえば小寒や大寒のころの寒い季節です。紀貫之は、いちばん寒い季節に、夜になってから館を出たことになります。二十四節気については二十四節気の一覧で確かめられます。

土佐日記の旅のルートと日付

土佐日記は、土佐の国司(こくし、今でいう県知事のような役目)だった紀貫之が、任期を終えて京へ帰るまでの旅を、日付を追って書いた作品です。日記の中では「それの年(ある年)」とぼかしていますが、承平(じょうへい)4年(934年)12月21日(旧暦。西暦では935年1月ごろ)に国府の館を出て、翌年の承平5年2月16日に京に着いた旅とされています。旧暦なので、今の暦ではおよそ1〜2か月あとの季節にあたります(旧暦については旧暦の月の名前(睦月〜師走)を見てください)。

土佐日記の旅のルート(模式図)土佐の国(今の高知県)畿内(京の近く)海(船の旅)国府(館)大津浦戸大湊奈半室津土佐泊和泉住吉難波(川尻)山崎京淀川をさかのぼる出発:承平4年12月21日国府の館を出る(門出)京に着く翌年2月16日※主な地名だけ。位置や距離は正確ではありません
土佐から京へ。土佐の海岸ぞいを船で進み、海をわたって淀川をさかのぼった(模式図)
  • 土佐の海岸:大津・浦戸から船に乗り、大湊・奈半・室津と、海岸ぞいに少しずつ進みました。天気や波が悪いと何日も港で待ち、海賊もおそれながらの旅でした。
  • 海をわたる:室津から阿波(今の徳島県)の土佐泊を経て、和泉の国(今の大阪府南部)へ。
  • 住吉から京へ:住吉(今の大阪市)では、海が荒れたため、住吉の神に大切な鏡を海に投げ入れて祈ったという話が出てきます。そのあと難波の川尻から淀川をさかのぼり、山崎を経て京に入りました。

土佐日記には、旅のおもしろい話だけでなく、土佐で亡くした幼い娘をしのぶ悲しみが何度も書かれています。京の家に着くと、留守のあいだに家も庭も荒れていて、亡き子への思いがいっそう深まる場面で日記は終わります。

紀貫之とは?百人一首35番「人はいさ」の作者

紀貫之(きのつらゆき)は、平安時代前期を代表する歌人です。最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう、天皇の命令で作る和歌集)である『古今和歌集(こきんわかしゅう、古今集)』の撰者(せんじゃ)の一人で、仮名で書かれた序文「仮名序(かなじょ)」を書いたことでも知られます。

項目内容
時代平安時代前期
主な仕事『古今和歌集』の撰者の一人。「仮名序」を書いた
作品『土佐日記』(仮名で書かれた日記文学の先がけ)
土佐での役目土佐守(とさのかみ)として土佐の国を治めた
百人一首35番「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」

百人一首35番の歌は、「人の心は変わってしまったかもしれないが、ふるさとの梅の花は昔と同じ香りでにおっている」という意味です。変わりやすい人の心と変わらない自然をくらべた歌で、土佐日記の最後の、荒れた京の家の場面と重ねて読む人もいます。百人一首の全百首は百人一首 全百首の一覧で、意味と覚え方を確かめられます。

古文で覚えたいポイント

語句意味
すなる「す(する)」+伝聞の「なり」。「するという」
してみむとて「〜してみようと思って」(「む」は意志)
門出(かどで)旅に出ること・出発
馬のはなむけ送別の宴・贈り物
ののしる大声で騒ぐ(今の「悪口を言う」とはちがう)
あざるふざける・たわむれる(「あざれ合へり」)。「腐る」の意味とかけたしゃれとも

「ののしる」「あざる」のように、今の言葉と同じ形でも意味がちがう語は、テストでねらわれます。まとめて覚えるなら現代語と意味がちがう古語が便利です。

土佐日記「門出」で入試・テストに問われる点

土佐日記の「門出」の場面は、高校の古典の教科書の最初のほうでよく読まれます。定期テストや入試では、一般に次のような点が問われます。

問われる点答えのポイント
作者と、だれが書いたことにしているか作者は紀貫之(男性)。女性が書いたという形で、仮名で書いた
「すなる」「するなり」の「なり」「すなる」は伝聞、「するなり」は断定(上が終止形か連体形か)
「馬のはなむけ」の意味送別の宴。船旅なのに「馬の」と言うおかしみがある
「船路なれど」の訳「船旅であるけれど」。「なれ」は断定「なり」の已然形、「ど」は逆接
「ののしる」の意味大声で騒ぐ(悪口を言う、ではない)
「あざれ合へり」のしゃれ「ふざける」と「腐る」をかけて、塩のきいた海と結びつけた

「船路なれど」の「ど」は、「〜けれども」と訳す逆接の接続助詞で、已然形につきます。ほかの接続助詞といっしょに接続助詞「ど・ども・に・を・が」で整理できます。共通テストでの文法の問われ方は共通テストの古文文法、国公立二次・難関私大は国公立二次・難関私大の古文文法にまとめています。

サクラちゃん

サクラちゃん

先生、「はなむけ」って、今の言葉でも古文でも同じ意味なんですか?

合格先生

合格先生

もとは同じだけど、中心の意味が少しちがうんだ。土佐日記では「送別の宴(パーティー)」、今は「贈り物や言葉」の意味で使うことが多い。古文で出たら、まず「送別の宴」と訳してみよう。

うかるくん

うかるくん

じゃあ「船路なれど、馬のはなむけす」は「船旅なのに、送別会をしてくれた」ですね!

合格先生

合格先生

その通り! 「馬の」が残っているのに船旅、というおかしみまで言えたら満点だ。

「古典」と「古文」はどうちがうのか、土佐日記のような作品は古文の中でどんな位置にあるのかは、古典と古文の違いでまとめています。国語のほかの記事は国語のまとめからどうぞ。

よくある質問

「はなむけ」の「はな」は花ですか、鼻ですか?

鼻です。旅立つ人の馬の鼻先を行き先に向けた「馬の鼻向け」が語源です。

「はなむけ」を漢字で書くと?

「餞」(または「贐」)と書きます。

「はなむけの言葉」とは?

卒業や転勤など、旅立ち・門出を迎える人に贈る励ましやお祝いの言葉です。

「故郷にはなむけ」は正しいですか?

正しくありません。成功して故郷に帰ることは「故郷に錦を飾る」と言います。「はなむけ」は旅立つ人に贈るものです。

土佐日記の「馬のはなむけ」とは?

送別の宴のことです。「船路なれど、馬のはなむけす」と、船旅なのに「馬の」はなむけをした、という言葉遊びがあります。

土佐日記の旅はいつからいつまでですか?

承平4年12月21日(西暦では935年1月ごろ)に土佐の国府の館を出て、翌年の承平5年2月16日に京に着いた旅とされています(日付は旧暦)。

あわせて読みたい

出典・参考

  • コトバンク「餞(はなむけ)」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・普及版 字通)
  • 紀貫之『土佐日記』(新編日本古典文学全集ほか)
  • 『古今和歌集』仮名序、『小倉百人一首』35番
  • 旅のルートの図は主な地名を並べた模式図で、位置・距離は正確ではありません

最終更新:2026年10月21日/作成:大学受験合格大作戦

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