原文は教科書で広く読まれる形に整えたもの(本によって語句が少しちがいます)、現代語訳は合格大作戦のオリジナルです。
| 原文 | 現代語訳 | |
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| 1 | 折節の移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ。 | 季節が移り変わっていくことこそ、何ごとにつけても、しみじみと心ひかれるものだ。 |
| 2 | 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春の景色にこそあめれ。 | 「しみじみとした情趣は秋がいちばんまさっている」とだれもが言うようだが、それももっともなことではあるが、いっそう心も浮き立つものは、春の景色であるようだ。 |
| 3 | 鳥の声などもことのほかに春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草萌え出づるころより、やや春深く霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、折しも雨風うち続きて、心あわたたしく散り過ぎぬ。青葉になりゆくまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。 | 鳥の声なども格別に春らしくなって、のどかな日の光の中で、垣根の草が芽を出すころから、だんだん春が深まって一面にかすみ、桜の花もしだいに咲きそうなようすになるちょうどそのときに、あいにく雨や風が続いて、(花は)あわただしく散ってしまう。青葉になっていくまで、何かにつけてただ心を悩ませるばかりだ。 |
| 4 | 花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしへのことも立ち返り恋しう思ひ出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。 | 橘の花は(昔をしのばせる花として)有名ではあるが、やはり梅の香りによって、昔のことも今に立ちもどって恋しく自然と思い出される。山吹がさっぱりと美しく咲き、藤の花がぼんやりとかすんだようにたれさがっているようすなど、すべて、心から捨てさりにくいものが多い。 |
| 5 | 「灌仏のころ、祭のころ、若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。 | 「灌仏会のころや、賀茂の祭のころ、若葉の梢が涼しそうに茂っていくころこそ、世の中のしみじみとした情趣も、人恋しさもまさるものだ」と、ある方がおっしゃったのは、本当にそのとおりである。 |
| 6 | 五月、あやめ葺くころ、早苗取るころ、水鶏のたたくなど、心細からぬかは。六月のころ、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓、またをかし。 | 五月、(端午の節句に)菖蒲を軒にふくころ、早苗を取るころ、水鶏が戸をたたくような声で鳴くのなど、心細くないことがあろうか、いや心細い。六月のころ、粗末な家に夕顔の花が白く見えて、蚊遣火がくすぶっているのもしみじみとした趣がある。六月祓もまたおもしろい。 |
| 7 | 七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きて来るころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、取り集めたることは秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。 | 七夕の星をまつる行事は優雅である。しだいに夜の寒さを感じるようになるころ、雁が鳴いて(北から)渡って来るころ、萩の下の方の葉が色づくころ、早稲の田を刈って干すことなど、(趣深いことが)たくさん集まっているのは、秋がいちばん多い。また、野分(台風)の吹いた翌朝はおもしろい。 |
| 8 | 言ひ続くれば、みな源氏物語・枕草子などにことふりにたれど、同じこと、また今さらに言はじとにもあらず。 | こうして言い続けると、どれもみな『源氏物語』や『枕草子』などで言いふるされてしまっていることだが、同じことを、今さらまた言うまいというのでもない。 |
| 9 | おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。 | 思っていることを言わないのは、腹がふくれるような(すっきりしない)ことなので、筆にまかせて書きながら、つまらない慰みごととして、書くそばから破り捨てるはずのものなので、人が見るようなものでもない。 |
| 10 | さて、冬枯れの景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白うおける朝、遣水より煙の立つこそをかしけれ。 | さて、冬枯れの景色こそ、秋にはほとんど劣らないだろう。池の水ぎわの草に紅葉が散って止まっていて、霜がたいそう白く降りている朝、遣水から(湯気が)煙のように立ちのぼっているのは趣がある。 |
| 11 | 年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心細きものなれ。 | 年がすっかり暮れて、だれもかれもが(新年の準備に)急ぎあっているころは、このうえなくしみじみとした趣がある。興ざめなものとして見る人もいない月が、寒々と澄んでいる(十二月)二十日すぎの空は、もの寂しいものである。 |
| 12 | 御仏名、荷前の使ひ立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事ども繁く、春の急ぎに取り重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝に続くこそ、おもしろけれ。 | 御仏名の法会や、荷前の使いが出発することなどは、しみじみとして尊い。宮中の行事が多く、新春の準備と重なって行われるようすは、たいへんなものだよ。追儺から(元日の)四方拝へと続いていくのはおもしろい。 |
| 13 | 晦日の夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の門たたき走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。 | 大晦日の夜、たいそう暗い中を、たいまつをともして、夜中過ぎまで、人の家の門をたたいて走りまわって、何ごとであろうか、大げさに大声で騒いで、足が地につかないほどあわてて走りまわっていたのが、明け方からは、さすがに音がしなくなってしまうのは、過ぎゆく年の名残も心細く感じられる。 |
| 14 | 亡き人の来る夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほすることにてありしこそ、あはれなりしか。 | 亡くなった人の魂が帰ってくる夜だといって、魂をまつる行事は、近ごろの都ではもうしないが、東国では、まだ行っていたのは、しみじみと心ひかれた。 |
| 15 | かくて明けゆく空の気色、昨日に変はりたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。 | こうして明けていく(元日の)空のようすは、昨日と変わったとは見えないけれど、うって変わって新鮮な気持ちがする。都の大通りのようすは、門松をずらりと立てて、はなやかでうれしそうなのも、またしみじみと趣がある。 |


