原文は國民文庫本をもとに教科書の形に整えたもの、現代語訳は合格大作戦のオリジナルです。
| 原文 | 現代語訳 | |
|---|---|---|
| 1 | 中納言石上麻呂足の、家に使はるる男どものもとに、「燕の巣くひたらば告げよ。」とのたまふを、承りて、「何の料にかあらむ。」と申す。答へてのたまふやう、「燕の持たる子安貝を取らむ料なり。」とのたまふ。 | 中納言石上麻呂足が、家に仕えている男たちのところに、「燕が巣を作ったら知らせよ。」とおっしゃるのを、(男たちは)承って、「何に使うためでございましょうか。」と申し上げる。(中納言が)答えておっしゃることには、「燕が持っている子安貝を取るためである。」とおっしゃる。 |
| 2 | 男ども答へて申す、「燕をあまた殺して見るにだにも、腹になきものなり。ただし、子産む時なむ、いかでか出だすらむ、はらはらと、人だに見れば失せぬ。」と申す。 | 男たちが答えて申し上げる、「燕をたくさん殺して(腹の中を)見てさえも、腹の中にはないものです。ただし、子を産む時には、どうやって出すのでしょうか、(その貝は)人が少しでも見ると、ぱっと消えてしまいます。」と申し上げる。 |
| 3 | また人の申すやう、「大炊寮の飯炊ぐ屋の棟の、つくの穴ごとに、燕は巣くひ侍り。それに、まめならむ男どもを率てまかりて、あぐらを結ひて上げて、うかがはせむに、そこらの燕、子産まざらむやは。さてこそ取らしめたまはめ。」と申す。 | また別の男が申し上げることには、「大炊寮(宮中の食事をつかさどる役所)の、飯をたく建物の棟の、木組みの穴ごとに、燕は巣を作っております。そこに、まじめな男たちを連れて参って、足場を組んで上げて、のぞかせたら、たくさんいる燕が子を産まないことがありましょうか(いや、きっと産みます)。そうしてこそ(子安貝を)お取らせになるのがよいでしょう。」と申し上げる。 |
| 4 | 中納言喜びたまひて、「をかしきことにもあるかな。もつともえ知らざりけり。興あること申したり。」とのたまひて、まめなる男ども二十人ばかり遣はして、あななひに上げ据ゑられたり。 | 中納言はお喜びになって、「おもしろいことだなあ。まったく知らなかったよ。おもしろいことを申したな。」とおっしゃって、まじめな男たちを二十人ほど行かせて、足場の上に上げて待たせなさった。 |
| 5 | 殿より、使ひ間なく賜はせて、「子安貝取りたるか。」と問はせたまふ。「燕も、人のあまた上りゐたるに怖ぢて、巣に上り来ず。」かかるよしの御返事を申しければ、聞きたまひて、「いかがすべき。」と思しわづらふに、 | お屋敷から、ひっきりなしに使いをおよこしになって、「子安貝を取ったか。」とお尋ねになる。「燕も、人がたくさん上っているのをこわがって、巣に上って来ません。」というようなお返事を申し上げたので、(中納言は)お聞きになって、「どうしたらよいだろう。」と思い悩みなさっていると、 |
| 6 | かの寮の官人、くらつまろと申す翁申すやう、「子安貝取らむと思しめさば、たばかり申さむ。」とて、御前に参りたれば、中納言、額を合はせて向かひたまへり。 | その役所の役人で、くらつまろという老人が申し上げることには、「子安貝を取ろうとお思いになるなら、よい方法をお考え申し上げましょう。」と言って、(中納言の)御前に参上したので、中納言は、額を突き合わせるようにして向かい合っていらっしゃる。 |
| 7 | くらつまろが申すやう、「この燕の子安貝は、悪しくたばかりて取らせたまふなり。さては、え取らせたまはじ。あななひにおどろおどろしく、二十人の人の上りてはべれば、あれて寄りまうで来ずなむ。 | くらつまろが申し上げることには、「この燕の子安貝は、まずいやり方で取らせようとなさっているのです。それでは、お取らせになることはできないでしょう。足場に、仰々しく二十人もの人が上っておりますので、(燕は)離れてしまって寄って来ないのです。 |
| 8 | せさせたまふべきやうは、このあななひをこほちて、人みな退きて、まめならむ人一人を荒籠に乗せ据ゑて、綱を構へて、鳥の子産まむ間に綱を吊り上げさせて、ふと子安貝を取らせたまはむなむ、よかるべき。」と申す。 | なさるのがよいやり方は、この足場をこわして、人はみな引き下がって、まじめな人を一人だけ荒籠(目のあらいかご)に乗せて、綱を仕掛けておいて、燕が子を産むような時に綱を吊り上げさせて、さっと子安貝をお取らせになるのが、よいでしょう。」と申し上げる。 |
| 9 | 中納言のたまふやう、「いとよきことなり。」とて、あななひをこほちて、人みな帰りまうで来ぬ。中納言、くらつまろにのたまはく、「燕は、いかなる時にか子産むと知りて、人をば上ぐべき。」とのたまふ。くらつまろ申すやう、「燕は子産まむとする時は、尾をささげて七度めぐりてなむ産み落とすめる。さて、七度めぐらむをり、引き上げて、そのをり、子安貝は取らせたまへ。」と申す。 | 中納言がおっしゃることには、「とてもよい考えだ。」と言って、足場をこわして、人はみな帰って参った。中納言がくらつまろにおっしゃることには、「燕はどんな時に子を産むと見きわめて、人を上げたらよいのか。」とおっしゃる。くらつまろが申し上げることには、「燕は子を産もうとする時は、尾を高く上げて七回まわって産み落とすようです。そこで、七回まわるような時に(籠を)引き上げて、その時に子安貝をお取らせください。」と申し上げる。 |
| 10 | 中納言喜びたまひて、よろづの人にも知らせたまはで、みそかに寮にいまして、男どもの中にまじりて、夜を昼になして取らしめたまふ。 | 中納言はお喜びになって、だれにもお知らせにならないで、こっそり役所にいらっしゃって、男たちの中にまじって、夜を昼にして(昼も夜も休まず)取らせなさる。 |
| 11 | くらつまろかく申すを、いといたく喜びたまひてのたまふ、「ここに使はるる人にもなきに、願ひをかなふることのうれしさ。」とのたまひて、御衣脱ぎてかづけたまひつ。さらに、「夜さり、この寮にまうでこ。」とのたまひて、遣はしつ。 | くらつまろがこのように申し上げるのを、たいそうお喜びになっておっしゃることには、「わたしに仕えている者でもないのに、願いをかなえてくれることのうれしさよ。」とおっしゃって、着ていたお召し物を脱いでほうびとしてお与えになった。さらに、「夜になったら、この役所に参れ。」とおっしゃって、帰らせた。 |
| 12 | 日暮れぬれば、かの寮におはして見たまふに、まことに燕巣作れり。くらつまろ申すやうに、尾をささげてめぐるに、荒籠に人を乗せて吊り上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、「物もなし。」と申すに、 | 日が暮れたので、その役所にいらっしゃって見なさると、本当に燕が巣を作っている。くらつまろが申し上げたとおりに、(燕が)尾を上げてまわるので、荒籠に人を乗せて吊り上げさせて、燕の巣に手を入れさせて探らせると、「何もありません。」と申し上げるので、 |
| 13 | 中納言、「悪しく探ればなきなり。」と腹立ちて、「誰ばかりおぼえむに。」とて、「我上りて探らむ。」とのたまひて、籠に乗りて吊られ上りて、うかがひたまへるに、燕尾をささげていたくめぐるに合はせて、手をささげて探りたまふに、手にひらめる物さはる時に、 | 中納言は「探り方が悪いからないのだ。」と腹を立てて、「(わたしのほかに)だれがうまく探り当てられようか。」と言って、「わたしが上って探ろう。」とおっしゃって、籠に乗って吊られて上って、(巣を)のぞきこみなさると、燕が尾を上げてさかんにまわるのに合わせて、手を上げて探りなさると、手に平たい物がさわった時に、 |
| 14 | 「我、物握りたり。今は下ろしてよ。翁、し得たり。」とのたまひて、集まりて、「とく下ろさむ。」とて、綱を引き過ぐして、綱絶ゆるすなはちに、やしまの鼎の上に、のけざまに落ちたまへり。 | 「わたしは物をつかんだぞ。もう下ろしてくれ。じいや、やったぞ。」とおっしゃって、(人々が)集まって、「早く下ろそう。」と言って、綱を引っぱりすぎて、綱が切れたとたんに、やしまの鼎(煮炊きに使う大きな金属の器)の上に、あおむけに落ちなさった。 |
| 15 | 人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目は白目にて伏したまへり。人々、御口に水をすくひ入れ奉る。からうじて息出でたまへるに、また鼎の上より、手取り足取りして下げ下ろし奉る。 | 人々はびっくりあきれて、近寄ってお抱え申し上げた。(中納言は)白目をむいて倒れていらっしゃる。人々が、お口に水をすくって入れ申し上げる。やっとのことで息を吹き返しなさったので、また鼎の上から、手を取り足を取りしてお下ろし申し上げる。 |
| 16 | からうじて、「御心地はいかが思さるる。」と問へば、息の下にて、「物は少しおぼゆれど、腰なむ動かれぬ。されど、子安貝をふと握り持たれば、うれしくおぼゆるなり。まづ紙燭さしてこ。この貝顔見む。」と、御ぐしもたげて、御手を広げたまへるに、燕のまり置ける古糞を握りたまへるなりけり。 | やっとのことで、(人々が)「ご気分はいかがですか。」と尋ねると、(中納言は)息も絶え絶えに、「意識は少しはっきりしているが、腰が動かせない。けれども、子安貝をさっとつかんで持っているので、うれしく思うのだ。まず紙燭をともして持って来い。この貝の姿を見よう。」と言って、頭を持ち上げて、お手を広げなさると、燕がしておいた古いふんを握っていらっしゃったのだった。 |
| 17 | それを見たまひて、「あな、かひなのわざや。」とのたまひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、「かひなし」とは言ひける。 | それをご覧になって、「ああ、貝がない、かいのないことだったよ。」とおっしゃったことから、思っていたことと違う結果になることを、「かひなし」と言うようになったのだ。 |
| 18 | 「貝にもあらず。」と見たまひけるに、御心地も違ひて、唐櫃の蓋に入れられたまふべくもあらず、御腰は折れにけり。 | 「貝でもない。」とご覧になったとたんに、ご気分も悪くなって、唐櫃(からびつ)のふたに乗せられて(運ばれる)こともおできにならないほど、お腰は折れてしまっていた。 |
| 19 | 中納言は、いはけたるわざして病むことを、人に聞かせじとしたまひけれど、それを病にて、いと弱くなりたまひにけり。貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを日にそへて思ひたまひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞き恥づかしくおぼえたまふなりけり。 | 中納言は、子どもじみたことをして病気になったことを、人に知られまいとなさったけれど、それが原因で病気になって、ひどく弱ってしまわれた。貝を取れなかったことよりも、人が聞いて笑うようなことを日がたつにつれて気になさったので、ただ病気で死ぬことよりも、世間に知られることを恥ずかしく思いなさったのだった。 |
| 20 | これをかぐや姫聞きて、とぶらひにやる歌、 年を経て波立ち寄らぬ住の江のまつかひなしと聞くはまことか とあるを、読みて聞かす。 | このことをかぐや姫が聞いて、お見舞いに送った歌、 「年月がたっても波が寄ってこない住の江の松——その『まつ(待つ)』ではありませんが、待っていたかいもなく、貝がなかったと聞きましたが、本当ですか。」 と書いてあるのを、(そばの人が)読んで聞かせる。 |
| 21 | いと弱き心地に、頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地に、からうじて書きたまふ。 かひはかくありけるものをわびはてて死ぬる命をすくひやはせぬ と書きはてて、絶え入りたまひぬ。 | ひどく弱った気分の中で、頭を持ち上げて、人に紙を持たせて、苦しい気持ちで、やっとのことでお書きになる。 「(貝はありませんでしたが)あなたからお見舞いをいただいて、かいはこのようにあったのですね。それなのに、つらさに弱り果てて死んでいくわたしの命を、(貝をすくうように)救ってはくださらないのですか。」 と書き終えて、息が絶えてしまわれた。 |
| 22 | これを聞きて、かぐや姫、少しあはれとおぼしけり。それよりなむ、少しうれしきことをば、「かひあり」とは言ひける。 | これを聞いて、かぐや姫は、少しかわいそうだとお思いになった。それから、少しうれしいことを「かひあり」と言うようになったのだ。 |


