枕草子「鳥は」原文と現代語訳(印刷用・A4)

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原文は教科書で広く読まれる形(三巻本系)に整えたもの(本によって語句が少しちがいます)、現代語訳は合格大作戦のオリジナルです。

原文現代語訳
1鳥は、異所のものなれど、鸚鵡いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。鳥は、外国のものではあるけれど、おうむがとても心ひかれる。人の言うようなことをまねするというのだよ。
2ほととぎす。水鶏。しぎ。都鳥。ひは。ひたき。ほととぎす(がよい)。くいな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。
3山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。山鳥は、仲間を恋しがって(鳴くが)、鏡を見せると(映った自分を仲間だと思って)気持ちがなぐさむというのが、幼くて、とてもいじらしい。(夜、雌と雄が)谷をへだてて(寝て)いる時などは、かわいそうだ。
4鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居まで聞こゆる、いとめでたし。鶴は、とても大げさな姿をしているけれど、鳴く声が空の上まで聞こえるというのが、とてもすばらしい。
5頭赤き雀。斑鳩の雄鳥。巧鳥。頭の赤い雀。いかるがの雄鳥。たくみ鳥。
6鷺は、いと見目も見苦し。眼居なども、うたてよろづになつかしからねど、ゆるぎの森にひとりは寝じとあらそふらむ、をかし。鷺は、とても見た目もみっともない。目つきなども、いやな感じで何もかも親しみがわかないけれど、「ゆるぎの森でひとりでは寝まい」と(相手を)取り合うというのは、おもしろい。
7水鳥、鴛鴦いとあはれなり。かたみに居かはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。千鳥いとをかし。水鳥では、おしどりがとても心ひかれる。(雌と雄が)かわるがわる場所を入れかわって、羽の上の霜を払うというようすなど(がよい)。千鳥はとても趣がある。
8鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よりはじめて、さまかたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重の内に鳴かぬぞ、いとわろき。うぐいすは、漢詩などにもすばらしいものとして作られ、声をはじめとして、姿や形も、あれほど上品でかわいらしいわりには、宮中で鳴かないのが、とてもよくない。
9人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。ある人が「そう(宮中では鳴かないの)だ」と言ったのを、そうでもないだろうと思っていたが、十年ほど宮仕えをして聞いていたところ、本当にまったく鳴き声がしなかった。
10さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。そのくせ、(清涼殿の)竹の近くにある紅梅も、(鶯が)きっとよく通ってくるにちがいない手がかりなのだよ。宮中から退出して(里で)聞くと、粗末な家の見ばえもしない梅の木などでは、やかましいほど鳴く。
11夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。夏・秋の末まで老い声に鳴きて、「虫食ひ」など、ようもあらぬ者は名をつけかへて言ふぞ、くちをしくくすしき心地する。夜鳴かないのも寝坊な感じがするけれど、今さらどうしようもない。夏や秋の終わりまで年寄りじみた声で鳴いて、「虫食い」などと、教養のない者は名前を言いかえて呼ぶのが、残念で変な気持ちがする。
12それもただ雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。それも、ただ雀などのようにいつもいる鳥なら、そうも思わないだろう。春に鳴く(鳥である)からこそ(そう思うの)であろう。
13「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にも作るなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。「年たちかへる(新しい年になる)」など、趣のあることとして、和歌にも漢詩にも作るというのは(春の鶯だからだ)。(鳴くのが)ずっと春のうちだけであったなら、どんなにすばらしかっただろうに。
14人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、謗りやはする。鳶・烏などのうへは、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。人の場合でも、一人前でなく、世間の評判が軽く見られるようになってしまった人を、悪く言ったりするだろうか、いやしない。とびやからすなどのことは、目にとめたり耳にとめたりする人は、世の中にいないものだよ。
15されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬ心地するなり。だから(鶯は)、すばらしいはずのものとなっているので(あれこれ言いたくなるのだ)、と思うと、すっきりしない気持ちがするのである。
16祭のかへさ見るとて、雲林院・知足院などの前に車を立てたれば、ほととぎすも忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。賀茂祭の帰りの行列を見ようとして、雲林院や知足院などの前に牛車をとめていると、ほととぎすも(季節を)こらえきれないのであろうか、鳴くと、(鶯が)とても上手にまねて似せて、高い木々の中で、声を合わせて鳴いたのは、やはり趣がある。
17ほととぎすは、なほさらに言ふべき方なし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。ほととぎすは、やはりまったく言いようもない(ほどすばらしい)。いつの間にか得意顔に(鳴いているように)聞こえているのに、卯の花や花橘などにとまって、半分隠れているのも、しゃくにさわるほど心にくい気だてだ。
18五月雨の短き夜に寝覚めをして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむ方なし。五月雨のころの短い夜に目をさまして、なんとかして人より先に聞こうと自然と待たれて、夜ふけに鳴き出した声が、洗練されていて魅力にあふれているのは、たいへん心がうっとりとさまよい出て、どうしようもない。
19六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。夜鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞさしもなき。六月になると、まったく鳴かなくなってしまうのは、何もかも言葉では言いつくせない(ほど残念だ)。夜に鳴くものは、何もかもすばらしい。赤ん坊たちだけは、そうでもない。